「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

四国別格二十霊場参拝日記

2008-04-16 13:27:22 | 肥後観音寺
4月9日
肥後観音寺を午前7時20分、総勢23名を乗せてバスが出発しました。
11時10分、大分県佐賀の関の港から愛媛県三崎港へフェリーでわたりました。

最初の参拝寺愛媛県長浜の「7番出石寺」に着きました。いきなり、143段の急な階段が待ち受けています。
まず、手を清めたあと、本堂にろうそくと線香をあげて、納め札とお賽銭をいれたあと、みんなでご真言と般若心経をあげてお参りします。
本堂が終わると大師堂に移り、同じようにお参りです。

次は宇和島にある「6番龍光院」に着きましたが、ここで雨が降り出しました
それから1時間半かかって松山市のお遍路宿に着いたのはもう7時でした。

4月10日
5時起床、6時朝食、6時50分出発です。
みなさん、慣れていて手早く準備をされるので、予定時間通りに進みます。
バスの中で朝のお勤めをしていると終わらないうちに、最初のお寺「9番文珠院」に着いちゃいました。
そこには「河野衛門三郎」という人の像もあり、誰だろうと思ったら、ベテランの方が説明してくれました。
この人は、強欲非情な庄屋で貧しい人たちを苦しめていましたが、8名の愛児を亡くしたことで、自分の罪の深さに目覚め、お大師様に懺悔、謝罪しようと、お大師様を追いかけて四国霊場を8年間、21回巡拝し、やっとお会いできたということで、これが遍路のはじまりと言われているそうです。

11番生木地蔵正善寺は、お大師さまが楠の大木にそのままお地蔵様を刻まれたところだそうで、その大木は昭和29年の洞爺丸台風で倒れましたが、お地蔵様は無事で今はお堂の中に祭られているそうです。
倒れた大木の一部が置いてありましたが、ほんとうに大きなものでした。

10番興隆寺、12番延命寺、13番仙龍寺、14番椿堂と愛媛県を回りました。

15番箸蔵寺は徳島県池田町です。こんぴら奥の院にあたります。
ここはロープウェイで登りました。5分ほどかかるのですが、眼下には満開の桜が山肌に点在し、その見事さに歓声が上がっていました。
頂上に着いたと思ったら、そこからまた287段の階段が待ち受けていました。
名前の通り、ここでは毎年箸供養が行なわれることで有名だそうです。

この日の最後は香川県の16番萩原寺です。ここには30種類2000本の萩があり、秋には萩祭りが行なわれるそうです。

宿はこんぴらさんの参道にあり、5時前に着いたので、希望者だけ参拝することにしました。
うわさには聞いていましたが、その階段の長いこと。
上を見上げて、階段が終わっているところまで行くと、そこからちょっと曲がってまた長い階段があり、それがくり返されるので、永遠に階段があるように感じます。
全部で785段もあり、それをまた降りてこなくてはいけなくて、下りのほうが堪えました。

この宿ではお土産店も併設していて、みなさん、お買い物に夢中です。そんなにたくさん、誰にあげるの?と思えるほどで、ほとんどの方が大きな段ボールに入れてもらって送ってもらうことにしたようです。

4月11日
17番神野寺はお大師さまが護摩を焚いて、人々が50日間で堤防を築いたといわれる満濃池の横にあります。
堤防の反対側は水面より低いところに集落が広がっていて、この堤防が切れれば、大洪水になってしまうことでしょう。

そのあと18番海岸寺、19番香西寺と香川県内を回り、徳島県へ。

20番大瀧寺は海抜946mの大瀧山上にあり、狭い道がくねくねと続き、谷底に落ちはしないかとヒヤヒヤしてしまいますが、さすがプロですね。そんな場所でも運転手さんは上手に登っていきました。

1番大山寺は力餅の行事で有名なところだそうです。

順調に進んだので、明日の予定だった2番童学寺まで行ったあと、宿坊でもある4番鯖大師まで2時間半の移動でした。

4月12日
鯖大師では朝5時半から護摩堂に続く通路に設けられている四国八十八か所、西国三十三観音のお砂踏みをしていきましたが、50分から始まる護摩供養に間に合わなくなって、途中で断念しました。

次は2時間かかって、この旅の一番の難所、3番慈眼寺に向かいました。
ここにはお大師さまが龍を閉じ込めたといわれる洞窟があり、この中を通ります。
以前経験した方たちから、いろいろ聞いてはいましたが、ここまで大変とは思いませんでした。

白衣を借りて、穴の中に入りますが、中は真っ暗なので、各自ろうそくを渡されます。
ガイドさんが言うことを、次の人に伝えていき、そのとおりにしないと抜けられなくなってしまいます。
入ってすぐに、前を行く男性が引っかかってしまい、パニックです。右肩を入れて、しゃがんで、頭を下げて、と言われたことをくり返して、やっと通り抜けました。
また、頭がひっかかり「私って頭が大きいんだ」と苦笑いしている女性もいました。
胸やお腹がひっかかったら、両手を挙げて体を細くして通ります。
足の幅より狭いところもあり、右足出して、左足をひきつけて、とその場所、その場所で、言われたとおりにしないと通れません。
一番奥に着くと、ちょっとだけ広いところがあり、そこにお大師さまが祭られ、その前後には、一枚岩が屏風のようになっていて、自然の祭壇になっているのが不思議です。
それぞれの願掛けのろうそくを灯してもらい、そこから引き返します。
途中、来た道と違うルートになるのですが、横穴になっているので頭から這って通ります。
最後の難関で、また男性が通れなくなり、大慌て!ガイドさんから何度も注意されて、やっと抜け出すことができました。
わずか100mほどの洞窟ですが、2時間もかかってしまい、外で待っていた主人がずいぶん心配していました。

本当は阿波の浄瑠璃も見ることになっていたのですが、時間が遅くなってしまい、中止です。
お昼ご飯も、徳島市の回転寿司に飛び込みで入りました。いきなり24名入ったもので、後ろの方の席だった私たちのところにはなかなかお寿司が回ってきません。
トイレも一個しかなく、食べる合間に一人ずつ交代で行くので、他のお客さんは変に思ったでしょうね。

それから高速を使い、高知の5番大善寺に着いたのは、もう4時半でした。
今度は途中までもと来た道を戻り、愛媛県の鈍川温泉へ。
ホテルに着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていました。
運転手さん、本当にお疲れ様でした。

4月13日
7時50分にホテルを出ましたが、着いたときは気づかなかったのですが、あたりは桜が満開で、ホテルの壁の上やお堂の手すりなどに大きな孔雀がとまっていました。

最後のお寺、8番十夜ヶ橋です。
お大師様がこの橋の下で野宿されたということで、橋の下には布団をかけてもらっている石のお大師さまがおられました。
このことから、お遍路さんは、橋を通るときは金剛杖をつかずに、持って通るのだそうです。

その後、佐田岬を通り、三崎港でフェリーに乗り、肥後観音寺に着いたのは夕方5時でした。

あとは、注文した方たちのために各お寺から数珠玉一個ずつ購入してきましたので、数珠屋さんに送ってそれを数珠にしてもらいます。

9日の早朝から13日の夕方まで、丸々五日間の旅でしたが、みなさん、怪我や病気もなく、無事に戻ってこられたことに感謝です。
特に、70代、80代の方たちの頑張りには脱帽です。
今度行くときまで、もう少し足腰を鍛えて、みなさんの足を引っ張らないようにしたいと思います。

コメント
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