これも灰谷健次郎さんの「わたしの出会った子どもたち」の中にあった子供の詩です。
チューインガム一つ
3年 村井安子
せんせい おこらんとって
せんせい おこらんとってね
わたし ものすごくわるいとこした
わたし おみせやさんの
チューインガムとってん
1年生の子とふたりで
チューインガムとってしもてん
すぐ みつかってしもた
きっと かみさんが
おばさんにしらせたんや
わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに
カタカタふるえるんねん
わたしが1年生の子に
「とり」いうてん
1年生の子が
「あんたもとり」いうたけど
わたしはみつかったらいややから
いややいうた
1年生の子がとった
でも わたしがわるい
その子の百ばいも千ばいもわるい
わるい
わるい
わるい
わたしがわるい
おかあちゃんに
みつかれへんとおもとったのに
やっぱり すぐ みつかった
あんなこわいおかあちゃんのかお
見たことない
あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない
しぬくらいたたかれて
「こんな子 うちの子とちがう でていき」
おかあちゃんはなきながら
そないいうねん
わたし ひとりで出ていってん
いつでもいくこうえんにいったら
よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい
どこかへ いってしまお とおもた
でも なんぼあるいても
どこへもいくところあらへん
なんぼ かんがえても
あしばっかりふるえて
なんにも かんがえられへん
おそうに うちへかえって
さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん
けど おかあちゃんは
わたしのかお見て ないてばかりいる
わたしは どうして
あんなわるいことしてんやろう
もう二日もたっているのに
おかあちゃんは
まだ さみしそうにないている
せんせい どないしよう
・・・「ほんとうの事を書こうな、安子ちゃん」
ぼくがそういうと彼女は泣きだしたのだった。母親に帰ってもらって、
ぼくたちはこの詩を書いた。そう、ぼくたちが書いた。
ぼくは何もいわなかった。ひたすら安子ちゃんと向き合っていただけであった。
彼女は一字書いては泣き、一行かいては泣いた。
幼い少女が自らの中に刃を向けている。
そして、不屈の人間を作り上げた。・・・・・
何度読んでも泣けます。
チューインガム一つ
3年 村井安子
せんせい おこらんとって
せんせい おこらんとってね
わたし ものすごくわるいとこした
わたし おみせやさんの
チューインガムとってん
1年生の子とふたりで
チューインガムとってしもてん
すぐ みつかってしもた
きっと かみさんが
おばさんにしらせたんや
わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに
カタカタふるえるんねん
わたしが1年生の子に
「とり」いうてん
1年生の子が
「あんたもとり」いうたけど
わたしはみつかったらいややから
いややいうた
1年生の子がとった
でも わたしがわるい
その子の百ばいも千ばいもわるい
わるい
わるい
わるい
わたしがわるい
おかあちゃんに
みつかれへんとおもとったのに
やっぱり すぐ みつかった
あんなこわいおかあちゃんのかお
見たことない
あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない
しぬくらいたたかれて
「こんな子 うちの子とちがう でていき」
おかあちゃんはなきながら
そないいうねん
わたし ひとりで出ていってん
いつでもいくこうえんにいったら
よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい
どこかへ いってしまお とおもた
でも なんぼあるいても
どこへもいくところあらへん
なんぼ かんがえても
あしばっかりふるえて
なんにも かんがえられへん
おそうに うちへかえって
さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん
けど おかあちゃんは
わたしのかお見て ないてばかりいる
わたしは どうして
あんなわるいことしてんやろう
もう二日もたっているのに
おかあちゃんは
まだ さみしそうにないている
せんせい どないしよう
・・・「ほんとうの事を書こうな、安子ちゃん」
ぼくがそういうと彼女は泣きだしたのだった。母親に帰ってもらって、
ぼくたちはこの詩を書いた。そう、ぼくたちが書いた。
ぼくは何もいわなかった。ひたすら安子ちゃんと向き合っていただけであった。
彼女は一字書いては泣き、一行かいては泣いた。
幼い少女が自らの中に刃を向けている。
そして、不屈の人間を作り上げた。・・・・・
何度読んでも泣けます。
…今時の子、万引きしてもこんな反省することってあるのかな?灰谷健次郎さんの文章から、「僕たちが書いた」ってあります。
こういう反省の気持ちを導き出したんでしょうね。
悪いことは「悪い!」と教える大人の存在って大切なのでしょうね。