<北アメリカ飛行場マップ>
これまで取り上げていない空港を見ておこう、トランジットも含めて、全部仕事での発着だ。地図の表示にしたがって、北から見ていくと、
・アンカレッジとフェアバンクス
<フェアバンクス空港>
その昔、日本から北アメリカ、例えば、J.F.K.には直行便が飛べなく、ガソリンがもたないので途中での給油の必要があった。アンカレッジは、このシリーズの最初で書いたから省くとして、フェアバンクスはとても珍しい着陸だった。予定にはなかったのだが、アンカレッジの代わりにアメリカ空軍の基地、フェアバンクスに降りたことがある。アンカレッジが何かの理由で使えなかったのかも知れない。
<マッキンリー山>
どちらに降りても、北アメリカ最高峰のマッキンリー山(今は改称してデナリ、6,194m)がよく見えたのが印象に残っている。機長が、必ず案内してくれていた。
・ヴァンクーバー
<ヴァンクーバー空港>
ここは正確にはカナダだが、アメリカ出張の帰りに許されていた「ワン・ナイト・ストップオーバー:一泊」で寄ったところだ。一言でいうと、街も地形も、サンフランシスコに、よく似たところだった。カナダには、いろいろな民族がいるから、アメリカ人のように自分のペースで米英語を話すのではなく、分かりやすく、少しゆっくり、しゃべってくれる親切さを感じた。アメリカ人の多くは、英語は自分の言葉だから、外国人も当然、同じように英語がしゃべれるものと勘違いしているようなところがある。そういうことで、ヴァンクーバーの人たちの優しさを感じたのかもしれない。
<ヴァンクーバーの街>
帰りのエア・カナダでは、日本人の学生が強制送還されているのに出くわした。なぜ強制送還だったのかは、分からないままだ。そういえば、ヴァンクーバーは僕が日本脱出を計画した時の候補の一つだったが、寒さと、雨が多いのでやめた記憶がある。
・シャーロット
<シャーロット空港>
ミネアポリスから、ローリーに行くためにここで乗り換えた。その飛行機が滑走路に出ようと誘導路で待っていたら、目の前で、タッチ・アンド・ゴーを見た。民間航空機が、こんなことをやるとは思っていなかったから、他の乗客と一緒に声を出して、「エーッ」と叫んでいた。ランウエイへのタッチダウンが遅すぎたったのだろう。軍用機のタッチ・アンド・ゴーは見るけど、大型の民間の航空機が目の前でこれをやるとは思わなかった。こちらが、怖くなった。
・ダラスとオースティン
多品種、少量生産の電子回路基板の組み立て工程支援のために、何か良いシステムはないかと調べていたら、テキサスの州都オースティンのIBMに、そんなシステムがあると聞いた。こういう時には、ベテランSEを連れて、実際を見るしかない。
<でかいダラス空港>
ダラス経由でオースティンに飛んだ。コンセプトは、今では日本でもよく見かける、5~6段のコンべアー式のカルーセル型の倉庫のような筐体に、組み立て用のステーションをいくつでも自由に組付けられるラインだった。このステーションをコンピューター制御で、組立てる製品は個別に動いていく。こんな生産形態は見たことがなく、とても面白いと興味が湧いた。これなら、ユーザーの要望にも応えられると踏んで、日本への導入を支援してくれるように、オースティンのマネジメントに話をつけた。
<オースティン空港>
日本のマネジメントの了承を得て、日本への導入のため、システムを細かく調査し、検証をしてもらうため、二人のSEを連れて訪れた。日本へのピックアップ作業の開始のための準備だった。このプロジェクトのため、信頼していたベテランSEの一人を3か月も、オースティンに張り付けた。
<IBMアオースティン>
楽しいことは、たくさんあったが、いくつか挙げてみると、
・テキサスの女性は、とても女らしく、フェアリーな存在だったと発見したこと
・下町のダン・マクロスキーのステーキハウスが、生肉の注文から、始まって、サービスまで、
素敵なレストランだったこと(いまはもうなくなっている)
・テキサス州都オースティンには、昔の南軍の連邦旗が堂々と掲げられていたこと
・サンフランシスコ
サンノゼへ行くには、仕事の場合は大体サンフランシスコに降りて、そこからレンタカーでルート101を南下して、サンノゼに向かうのが常だった。そのころのシリコンバレーの中心的なIT産業の存在の一つがIBMだった。いまは、GAFAにお株を奪われて久しい。
<サンフランシスコの上空マップ Google>
サンフランシスコは何度行ったか分からない。アメリカで住むとしたら、サンフランシスコが一番だと思っている。理由は簡単、車がなくても生活できるからだ、人間は、歩いているのが一番。サンフランシスコはバートもあるし、ケーブルカーもあるし、人間が歩いて生活できるように作られている。
<サンフランシスコのケーブルカー:ライセンスはCFDL 1.2>
ニューヨークのマンハッタンも、車なしでも生活できるが、あまり好きではない。人がせかせかし過ぎている。サンフランシスコンは、ゆとりを感じていた。
これで、ビジネスで使ったアメリカの空港は終わりだ。あとは私用での空港だ。
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