M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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「エンカウンター・グループ」で、僕は本当の僕になった

2017-08-13 | エッセイ



 何回か前の、「紅葉坂とモラトリアム人間」の延長線上で、TA(交流分析・心理学)の周辺領域の本を読んでいる。現役は退いたとはいえ、やはり、この領域には依然として興味がある。

 読書の記録リストにある170冊の中で、改めて読み直してみると、あたかも僕の実体験の記録ではないかと思うような本に出合った。



 <本とパンフレット>

 本は、カールロジャースの日本名、「エンカウンター・グループ」(人間信頼の原点を求めて)だが、原題の方がぴったりとくる。“Carl Rogers on Encounters Group”:カールロジャースのエンカウンター・グループ理論”という方がいいと思う。(人間信頼の原点を求めて)という副題は、ちょっとミスリードしそうだ。カールロジャースは、人間の信頼の原点に、人間がいると言っているだけで、方法論的に原点を求めているわけではない。



 <タホ湖>

 僕が、このエンカウンター・グループを体験したのは、TAの創始者、エリック・バーンの数少なくなった直系の弟子、ミュリエル・ジェームズ博士のカリフォルニアのタホ湖でのワークショップの中だった。1週間単位の独立したワークショップがあって、僕はその3つに連続して出席した。



 <ミュリエルと>

 この4週間の休暇は、IBMの25年勤務のサバティカル(Sabbatical:研究休暇)として与えられ、ワークショプの費用も会社が持ってくれるという幸運に恵まれたからだ。ちょうどその頃、僕はIBMを退職してからのセカンド・ライフの設計中だった。僕自身が、日本人の故岡野先生の指導に影響を受けて、20年くらい前からTAの勉強を独自に自費でやっていた。

 岡野先生の薦めもあって、僕はこのワークショップに3週間を当てることにして、休暇を取ったのだ。



 <ワークショップ風景1>

 ワークショップには、世界中から、20名強の人が参加していた。目的はTAの研究、勉強と、各々の持つ自分の問題の解決という、二つの主流の命題だった。参加した人たちは、人種、国籍、宗教、性別、言語、年齢、職業、金持ちか否か、肌の色、などなどのすべての個人の持つ属性を超越して、世界中からの参加者がいた。



 <ワークショップ風景2>

 TAの命題は、このエッセイの目的ではないから、もっぱら、エンカウンター・グループ体験について書いてみる。(TAの研究の中身、体験については、僕の本「父さんは足の短いミラネーゼ」の「タホ湖」を参照ください。http://forkn.jp/book/1912/)

 エンカウンター・グループが行われたのは、最初の1週間のワークショップの、3日か4日目だったと思う。それまで同じコンドミニアムで、5つの模擬家族で活動していたから、エンカウンター・グループの15のプロセス(過程)の中の、「6:グループ内における瞬時の対人感情の表出」までは、終わった状態になっていた。つまり、ワークの準備は完了していた。



 <ワークショップ風景3>

 このグループワークの目的は、「個人をひも解くこと」と「孤独を和らげる方法」ということにミュリエル博士が定義した。これは、ロジャースが言っている命題でもある。

 そして、具体的な導入部としての切っ掛けを語った。

 “あなたの記憶している一番古い思い出、悲しい思い出を思い出してごらんなさい”だった。そして、20人位のグループの中で各自、一人だけで、自分の過去の古い思い出を探した。そして、簡単なメモに取った。

 僕は、自分の過去を紡いでみた。思い出したのは、“小さな僕が、暗い大きなガランとした映画館に一人で座っている姿”だった。周りには、父も母も、だれもいなかった。それは、間違いなく、寂しさだった。“そうか、僕は一人ぼっちで、さみしかったのだ”と思った。それまで、僕は、僕の心の奥深く潜んでいたこの寂しさを、認識していなかった。ちっちゃな子供の心が、そう感じていたのだ。

 順番に、皆が、自分の話を始めた。僕の順番が回ってきた。その思い出を話し始めた。話していくうちに、突然、涙が込み上げてきた。僕は、他の人の前では涙を見せたことがなかったが、話していると、止めようもなく涙が、大粒の涙がこぼれ落ちてきた。止めようはなかった。何時か大声で泣いていた。

 それは僕のさみしい姿を自分で見つけたからだ。自分で、自分がさみしがり屋だと自覚したからだった。後は、グループみんなからの慰めと、好意的なフィードバックを受けた。それは、“みんなに、あなたの寂しさは伝わってきた”とか、“状況を客観的に話していた”とか、“もうだいじょうぶだよ”とか、僕がそこで追体験したさみしさを慰め、僕を励ましてくれるグループの力だった。



 <グループ>

 それは、ロジャースの言う、グループの持つ自然な治癒力そのものだった。と同時に、僕自身が、そのような自分をそのまま受容することだった。従来身に着けていた、仮面を脱ぎ去ることだった。大きな変化の始まりだった。

 ロジャースの理論でいえば、自己を「不適応状態」から、「適応状態」へ転換することが、皆の力を借りて出来たということだった。つまり、自分を自由にする、素直にするグループの治癒力の発揮だった。



 <自己概念の形成>

 僕は許されたと安心した。自分をさらけ出せると、好意的なフィードバックが教えてくれた。僕は、新しい自分をさらけ出せると自信がついた。そして、自由になったと実感した。

 その後、僕の生き方は、変わった。家族への接し方、友達への接し方、同じTA研究会のメンバーへの接し方、会社の人たちとの接し方が、自然のままでよく、自分で楽ちんになった。

 体験したことは、まさにロジャースが言う、クライアント中心療法(Client Centered Therapy)の、“人間は成長するもの、人の性格は本能であり、成長可能なもの”とみる考えそのものだったと認識した。ロジャースの言っている“孤独が和らげられる方法としてのグループ経験”であり、僕は“ありのままでいいのだ”と安心したのだ。

 タホ湖のワークショップの終わりに、皆で、お互いへのメッセージを交換した。添付の寄せ書きは、今でも僕の宝物。


 <フィードバック1>


 <フィードバック2>

 P.S.
 個人を意識した“クライアント中心療法”が発展して、グループ力による治癒、“エンカウンター・グループ”理論に発展したのだと、確信している。