M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

「チェルト君のひとりごと」は電子ブックへ移りましたhttp://forkn.jp/book/4496

山歩き その2

2021-09-26 | エッセイ

下記の山歩きについては、その1をご覧ください。

1.大楠山  2.箱根明神ヶ岳 3.碓氷峠見晴台 4.大山( 丹沢山塊)5. 野反湖 

6.伯耆大山  7.赤城山 8.那須岳 9.横手山

 

10.妙高山 2454m

 

 この山の麓にある赤倉スキー場には、かなりの回数行った。会社の契約寮が赤倉温泉にあったからだ。僕の記憶ではどういうわけか二度も妙高山に登っている。1度は計画通りの単独行で、2回目は一人の男友達と一緒のはずだったが、山を見て、彼が登るのをおりてしまった。結果として単独行X2なったわけだ。

 今は赤倉から妙高山の中腹まで、妙高高原スカイケーブル(1984年~)ができているらしい。 そして山頂駅から妙高山を登り始めるのが一番簡単な方法のようだ。

 僕の頃にはこのケーブルカーはなかったので、燕温泉経由のルートで妙高に登った。標高差1300m位を4時間ちょっとで登ったと思う。最後の山頂へのアプローチは、結構厳しいものがあったと記憶している。 そこまでのハイキングの感じではなかった。

 この妙高山は実は新潟県の山だが、普通は「北信五山」として黒姫山とか戸隠と一括りで、語られているようだ。 北信というのは北信濃の事だと思う。おそらく昔は北信濃の山並みの一つだと思われていたのだろう。

 遠景の写真を見ると、独立した火山であって、その火口の中心に残ったのが妙高山だろうと推測している。

 

11.白馬岳2932mから唐松岳2695m、五竜岳2814m縦走

<白馬岳(しろうま)>

 あれは大学を卒業して、2年ほど経ったころだ。

 一番古い友達と二番目に古い友達と三人での縦走になった。大学時代に少し山を歩いていた僕が、この山歩きを提案したのかもしれない。山は、自分の体が山に慣れるまでは、本当に苦しい。しかし体の調子が上がってくれば、頂上に立った自分が大きくなったようでうれしいものだ。

 目的は、白馬大雪渓を歩いてみたかったのと、不帰のキレットを含む唐松岳への稜線を踏破し、五竜岳を上り、できれば山の形の美しい鹿島槍を歩いてみたかったからだ。


 日程は、3泊4日(車中を入れると4泊)。時期は自ずと7月末。山の天気は大体7月末から8月初めが安定しているというのが、その頃の定説だった。最近はどうもそれも怪しい。安定していないような年も多いようだ。

<大雪渓:この写真を今の絵と比べてみると、雪渓が解けているのがよくわかる>

 初日は辛い登りばかり。新宿からの夜行列車(今はなくなった大糸線・南小谷行)を降りるなり、バスで猿倉へ。歩き始めて白馬尻をへて、稜線まで5~6時間というところだ。アイゼンを付けるのは初めてで、大雪渓のガイドに確認してもらって、雪渓に踏み出す。ガシガシと一歩ずつ、アイゼンの前爪を立てて雪の上を歩いていく。急な斜面の目の前の足元だけを見つめて、心臓の音を聞きながら、呼吸を整えながらゆっくり登る。

 標高差1500mはきつくて、僕に高山病のような兆候が出て、みんなの足を引っ張った。一番きつかったのは小雪渓当たりのガレ場。尾根には、何とかたどり着いた。更に白馬山頂まで30分くらいはかかる。白馬山頂に立って、やっと立山・剱岳が見えた。風がきつかった。その夜は、頂上小屋で、ドロのように寝た。

 2日目は尾根道で、僕の体調も整って、稜線に出れば快適そのもの。気持ちよく歩けた。天気が良く、遠くには剱岳が、眼下には黒部ダムが見える。さらに遠くには槍ヶ岳がその姿を見せてくれる。すこし風があった。

<不帰のキレット 1>

 やがて、不帰のキレットと呼ばれる最大の難所にきた。はしごや鎖がなければ、僕たちの腕ではどうにもならない岩場だった。不帰のキレットの最初は2700mからの標高差400mもの大下りだ。滑らないように慎重に下った。緊張した歩きとなった。

<不帰のキレット 2>

 下りきると、こんどは急な岩場の上りが立ちはだかる。「ラック」って声を何度も聞いた。耳元を小岩が吹っ飛んで落ちてくる。誰かが、浮石に気づかず小石を転がすことが多かったのだと思う。残念ながら、ヘルメットは付けていなかった。

<不帰のキレット 岩場>

 登りきって唐松岳だ。結構きつい後半だった。二泊目はこの唐松小屋。

 

<唐松岳>

 三日目は余裕。唐松から五竜を眺めながら、一度下り、そこからきつい上りで五竜山頂。鹿島槍を眺めてゆったり過した。

<五竜岳>

 次の日はもう五竜から遠見尾根を下って、その夜には新宿にいた。満足だった。

 

(後立山の縦走については、前に独立して書いたのを再校したものです。再度読まされた方には、ゴメンナサイです)

追記

 山歩きで、一番高いところまで登ったのは何所だろうか、と調べてみた。

<プラトーローザ>

 一番高かったのは、スイス・マッターホルンの足元、プラトー・ローザ3490mだった。ここへはイタリア側のチェルヴィニアから、リフトを何回か乗り継いでたどり着いたところだ。スイス側からは、ツェルマットからの登山電車で登ってくることができる。そして二番目に高い山は、何度も登ったスイス・サンモリッツのピッツ・ネール3057mだった。

<ピッツネール>

クレジット情報:不帰のキレットの3枚の写真は、「VideoResearch OpenCafé」さんの「第87回後立山連峰縦走Part2」より、作者の了解を得てお借りしたものです。

P.S.

ヨーロッパ・アルプスの足跡は「足で立ったことのあるアルプスの山」

にまとめてあります。参考までに。


山歩き その1

2021-09-12 | エッセイ

 僕は「登山」という言葉は使っていない。 ハードなイメージがあるからだ。 僕は「山歩き」と言っている。

 学生時代から結構、山歩きをしているが、楽ちんで楽しいものから、三泊四日のきつい山々を歩いたこともある。 思い出す山をいくつか書いてみたい。

 標高の低いものから、順に山を並べてみたらこうなった。

1.大楠山  2.箱根・明神ヶ岳 3.碓氷峠見晴台 4.大山( 丹沢山塊)

5.野反湖 6.伯耆大山 7.赤城山 8.那須岳 9.横手山 10. 妙高山 

11.後立山連峰:白馬岳、 唐松岳、五竜岳

 この他にも、高尾山~景信山 、蔵王・刈田岳などがあるが、今回は思い出深い11の 山歩きを記録に残しておくことにした。

 1.大楠山 241m

  この山は三浦半島の主峰であるが、あまり知られてないと思う。 京急の「安針塚」から登り始めて2時間 、頂上につく。 ここからの眺めは素晴らしい。 大島が見える。富士山が見える。金時山が見える。天城山が見える。房総半島が見える。結構楽しい場所だ。 帰りは反対側の芦名口まで降りて、京急のバスに乗ることになるなる。 日帰りの山歩きとしては、初心者におすすめだ。山を歩くという実感が湧いてくる。なぜなら車ではいけない場所だからだ。ここには、大学時代のアルバイト先の女の子たちや、大学のクラブの連中を誘って、2回ほど歩いたことがある。特に危険なところはない。

2. 明神ヶ岳 1169 m

 この山は隣に箱根大文字が焼かれる明星ケ岳を従えて、箱根の早川の谷を見下ろしている。 ここもハイキングのつもりで気軽に歩ける山である。アルバイト先の人たちとか、大学時代の部の仲間で登ったことがある。小田原から大雄山線の終点から歩き始めて、3時間ぐらいの道だ。 熊笹の中を登りきると、パッと目の前に箱根が開ける。富士山も見える。開放的な山だ。箱根を見下ろしながら、あそこが宮ノ下だなどと話をしていると、気持ちのいい風が吹き抜けて行く。ここも、初心者におすすめの山といえる。危険はない。

  1. 旧碓氷峠の見晴台 1252m

 碓氷峠の見晴台は、当然知られている場所だ。ここからは浅間山、離山、八ヶ岳も見えるが、特に素晴らしいのは、群馬県の岩だらけの妙義山が眼下にはっきり見えることだ。

 僕が歩いた道は、アプト式で有名だった登山電車で横川から登り、アプト式は単線だったから、上り下りのすれ違いの為の駅、熊ノ平駅で降りた。駅員さんに尾根への道を教えてもらい、トンネルを歩いて行ったことを記憶している 。そして右側の尾根に直登して、尾根を歩き、旧碓井峠に向かって旧中山道をたどったわけだ。 結構きつい登りで、道も良くは整備をされてない中を、ガサゴソ登っていった。右の谷底には霧積温泉があったはずだ。 妙義山を左に見ながら、尾根道を2時間ほど登って旧碓氷峠に着いた。最近はこのアプト式の線路の跡をハイキングコースとして開放しているので、こんな山道を登る人はいないと思う。

4.丹沢山塊の大山  1252 m

 僕が歩いた道はヤビツ峠から、大山までの一時間半ぐらいの上りの道だ。 ヤビツまでは秦野駅からバスが出ている 。帰りは阿夫利神社経由で、ケーブルカーで降りてきた。東海道新幹線に乗るたびに、大山を見て綺麗な山だなと思っている。

5.野反湖 1513m

 ここは山とは言えないが、人知れず静かに僕を待ってくれているロックフィルダムの湖だ。  女友達との思い出の地で、ここには計3回もやってきたことになる。野反湖まで登ってしまうと、新潟へ続く山脈が見えるだけだが、途中に左手に志賀高原の横手山が見える。いつだったか一人で5月に来た時には、まだ雪がダムの堰堤を埋めていて、目的のキャンプ場にはたどり着けなかった。 夏にしか、客は来ないところだ。静か。

6.大山(鳥取)1709m

<米子からの大山>

 僕のルーツは岡山県の蒜山なので、東京から飛行機で米子まで飛び、レンタカーで米子道を走って、蒜山 IC 経由で上徳山訪ねることにしている。

<南壁 夏 冬 蒜山の亀さん田舎暮らしよりお借りしました>

 大山は大山寺までしか行ったことはないが、ここで語りたいのは、大山が米子から見る山容と全く異なる、大山南壁を知ってもらいたい為だ。 米子から見えるのは、伯耆富士と呼ばれるように、富士山そっくりのおとなしい山に見えるが、南の方から見ると、想像できないくらい険しい山の肌が見える。これは大山のふもとの道を走っている時に見つけたもので、あまり知られていない山容なので紹介したかった。

7.赤城山 1826m

 この山も、大学の連中と二回ほど行ったことがある。一回目は夏。山頂には 早くも赤とんぼが飛んでいて、秋が近いと山が教えてくれた。大学1年の頃、その頃付き合っていた女の子と一緒だった。もう一度は真冬に赤城大沼にワカサギ釣りに行ったこともある。 テントを張ってコンロを跨いでいても寒くて逃げ出したこともある。なぜ、赤とんぼは山頂に集まるのだろうと、不思議な思いを今も残している。

8.那須山 1915m

 ここには会社の連中と一度。そして個人的に2度程登っている。もちろんケーブルカーを使ったから、歩く距離はほんの少しだった。 会社の連中とは、湯本温泉のホテルが貸貸し切り状態だったので、水中騎馬戦をやったりと馬鹿なことしたことを思い出す。那須の斜面は、相鉄が別荘地と売り出したが、あまり芳しくなかったようだ。 その理由は、結構、湿度が高いのだ。 だから高原とは呼べなかったのだろう。

9.横手山 2307m 

 最初は、始めてスキーを履いて三日目に、先輩に連れられて無謀に山頂までもロープウェイで登った。下りはスキーで降りてきた。 初心者だから、きっとボーゲンで降りてきたんだと思う。途中で片方のスキーを 流して、先輩に追っかけてもらった。 幸い誰かにぶつかって、ケガをさせるということはなかった。 でもやはり無謀な横手山だったと今でも思う。もう一度は夏。女友達とやはりロープウェイで山頂まで登った。 そこで見たのは日本の山ではなかなか見られない、レストランとパン屋さんが店開きをしていたことだ。 ヨーロッパの山では、山頂に立派なレストランや店があるが、日本では、ここでしか見たことはない。 聞くところによると、今もパン屋さんは営業しているようだ。頑張って欲しいと思っている。

山歩き その2(妙高山~)に続く。

 

P.S.

ヨーロッパ・アルプスの足跡は「足で立ったことのあるアルプスの山」

https://blog.goo.ne.jp/certot/e/b2039ec610d3db1d110558c192adae96

にまとめてある。参考までに。


ワイン飲みの悩み

2021-08-29 | エッセイ

 僕は基本的には、ワインしか飲まないことにしている。

 昔は、それこそウイスキーのオンザロック、ジンやズブロッカのマティーニとか、辛口の日本酒「菊正の樽」だとか、いろいろ飲んでいたが、この30年ぐらいワイン以外はほとんど飲んでいない。

 一週間に二日は休肝日にしている。 その日は仕方がないのでノンアルコールビール。元々、僕は日常的にビールを飲むことはなかったから”とりあえずビール”という言葉は僕にはない。本当にビールを飲むということになると、ベルギーのシーメイという銘柄だ。 他の日本のも、ドイツのビールも、イギリスのエールも、アメリカのビールも飲みたくはない。さらにラテン系のビール、フランス、イタリア、スペインのビール等は甘くて飲めない。

<シーメイ>

 話をワインに戻すと、ワイン、特に赤ワインを大量に消費しているということになる。 一回に平均すると、500cc(≒ハーフボトル)くらい飲んでいると思うから、ワインの購入量も半端ではない。自ずと高いワインには手が出ない。

 イタリアでは、ワインは基本的には量り売りで安く買えた。自分で、入れ物を持ってワイン屋さんに買いに行って、何リッターと決めてお金を払う。1 L:500円ぐらいのワインから、まあ1000円払えば立派なワインが飲める。

 それを日本で再現しようとするのだから、とてもではないが簡単にはいかない。

 結果から言うと赤ワインの「バッギンボックス」と呼ばれる、箱入りのワインを買うことになる。これが結構、難しいのだ。

  ワインの種類もだんだん決まってきて、赤はカベルネ・ソーヴィニヨンになっている。 本当に大好きなのはブルゴーニュ系のワインなのだが、フランスのものは日本ではとても高い。 白ではシャブリと決まっている。イタリアのワインも結構高い。

<ピノノワール フランス>

<シャブリ フランス>

<モンタルチーノ イタリア>

 ワイン購入履歴を調べてみると、チリ産のワインから始まっている。 2005年、ある酒屋から最初の購入という記録がよめる。「エルトキ」と言う銘柄を、仙台の会社の「やXや」で見つけて、ずっとそれを飲んできた。 しかし世界中の酒飲みが集中して、その箱ワインを買ったのだろう、急に品質が悪くなったり、品不足になったりした。ワイン飲みには大変な問題だ。

<エルトキ>

  ここで新しい箱入りワイン探しの旅が始まる。まずは、「やXや」のカタログチェックからだ。

 次に目を付けたのは、オーストラリアの「ハーディーズ」のカベルネ・ソーヴィニヨン。一箱に2リッター入った商品だった。 しかしこのワインも長くは続かなかった。寄っていたかって、飲み干してしまったようで商品の供給が途絶えた。 仕方がないので「やXや」に相談して紹介してもらったのが、オーストラリアの「クイーンズ・アデレード」の箱ワインだった。 このワインには2016年から2020年いっぱいまでお世話になった。 全部で何リッター飲んだか計算したことがない。 とにかくお世話になったことは間違いない。

<クイーンズ・アデレード>

  僕だけではなくて、日本にもワインを大量に消費する人が沢山いるようで、2年で開拓されたワインを飲み尽くしてしまうということになった。 呑みつくしたら、何を飲むのかというのが、ワイン飲みの辛いところだ。

 従来から、なぜ日本産のワインは、僕の口には合わないのだろうという素朴な疑問を持っていた。 試しに甲州の箱ワインを購入して飲んでみたけど、ピンとこない。 何回か試したけれど、諦めてしまった。なんとなくフルーティーで、やはり甘いのだ。肉料理にはとても合わない。

  とはいえ、日本製のワインが世界でグランプリを取ったというニュースなどに出くわすと、やっぱり日本製の供給の安定したワインを探したいと思うのは当たり前。

 先日テレビを見ていたら、甲州のワイン専門家の店の名前を知ることができた。 早速積年の質問をぶつけてみた。 なぜ日本ではカベルネ・ソーヴィニヨンワインを作っていないのでしょうか? 甲州ぶどうでワインを作っているのは分かっているのですが、試しに飲んでもどうもしっくりこない。 何か安くて良い大量のワインを買う方法はないのかを聞いてみた。

 すると思いがけない言葉が戻ってきた。 日本ではカベルネ・ソーヴィニヨンを作ることは 出来ないのです。甲州の土地、気候などが、ヨーロッパ系のワインの育成には向いてなくて、結果として日本産のぶどうでワインを造るということになっているのです。ですから甲州産のカベルネ・ソーヴィニヨンというものは、存在しえないのですと答えられた。

  本当にがっかりした。日本産のワインは僕の口に合わないということだ。 ということは、これからも僕のワイン探して世界を放浪することになるということだ。 少し変わって、例えばピノ・ノワールはどうかと聞いたが、これも甲州の土にはあわない品種だということだった。もう基本的には日本製のワインを飲むことは諦めるしかないのだと、心に教え込んだ。

 またまた、遠い国からの輸入ワインを探すことになってしまった。去年あたりからは、オーストラリアの「バンロック」というワイン会社が作っているカベルネ・ソーヴィニヨンを購入せざるを得ないという状況だ。 今までのワインに比べて値段も高くなった。 しかし、 悔しいけれど、これを買って呑むしかない。代替品がないのだから。

<バンロック>

  イオンとかのリカーショップのワインを時々試しているが、今のところやってみた10品種以上は、残念ながら僕の好みではなかった。 やはりワイン難民状態は続くわけだ。残念だ。 もちろんお金持ちであれば高いボトルワインを購入できるが、僕みたいに呑み助で、しかもカベルネ・ソーヴィニヨンにこだわっている者には、海外ものに頼るしかないのかなと寂しく感じるこの頃だ。

 オーストラリアのヤラ川の谷で作られている、「バンロック」のボックスワインを、今日も飲んでいる。ここではピノ・ノワールも作っているから、なくなったらそのワインに乗り換えるかもしれない。

  新商品開発にノウハウを持っている「やXや」さんに、ハッパをかけて新しい銘柄を世界中から 発見して供給していただきたいとお願いしてある。 それがいつ可能になるのか、全くわからない。

<やXや>

 イタリアのボックスワイン、フランスのボックス ワイン、スペインやポルトガルのボックスワインを試してみたけれど、やはりイマイチだ。とにかくまずい。イタリアで、量り売りで飲めたような安くて美味いワインを日本では飲むことはできないのかと、ワイン難民はボヤイている。

 どなたか赤ワインのバギンボックスをご存知であればお知らせください。本当に日々の悩みです。皆さんは、こうしたワインに関する悩みをお持ちではありませんか?

バカみたいな悩みをもっているワイン難民です。


肉といえばステーキ

2021-08-15 | エッセイ

 色々な国で、色々なステーキを食べたのを思い出したので、それらを書いてみようと考えた。

 

 肉といえば 僕にとっては牛肉であることは間違いない。鶏肉は、モモをそのまま塩焼きをしたのは美味しいと思う.。豚肉は、生ハム、アイスバインなどに出会うと、うまい肉だなと思う。ラムチョップも美味しいと思う。 忘れるわけにはいかない。しかし、なんといっても 牛肉に収れんすることは、やはり否めない。

 僕が若い頃、駐在していたミラノでのステーキといえば、会社のメンサ(社員食堂)でのビステッカとなる。 昼飯でも、みんな赤ワインの小瓶を1、2本飲んでいるから、水でビステッカを食べるわけではない。コントルノ(付け合わせ)としてのバターソテーしたホウレン草とは、とても相性がいい。ほとんど毎日食べていた。

<イタリアの会社>

 フィレンツエのビステッカといえば、アッラ・フィオレンティーナというティーボーンステーキに出会うことになる。とても大きな塊でヘタをすると300g 位食べる覚悟がないと挑戦できない。ジューシーに焼けたフィオレンティーナは、本当にうまい赤肉だと思う。 トスカーナだからワインも選び放題。僕の好きなトスカーナワインはモンタルチーノだ。モンテプルチァーノのほうが有名なようだが。

<ビステッカ アッラ フィオレンティーナ>

<ブルネッロ モンタルチーノ>

  アメリカでの肉。ニューヨーク州では、あまりうまい肉には出会わなかった。日本の銀座の店が、コックが恰も 日本ショーのような肉の焼き方をして、 高い値段をぶっかけていたが、とても許せるものではなかった。 リアルな日本を知れば、ばかばかしいステーキハウスだった。

  テキサス州のオースティンで出会ったステーキハウス、「ダン・マクラフスキー」のステーキは絶品だった。 オーダーさえ、素敵な方法で受けていた。 若い女の子が現物の肉の塊を持ってテーブルに来て説明して、どの部位をお選びになりますかと聞いてくれる。 もちろん量も聞いてくれる。 焼き方も注文に応じて焼いてくれる。 出てくるステーキは、まさにオーダーメイドだ。焼きあがるまで待っていると、煙とにおいに刺激されて口の中に唾液が出てきてしまう。 楽しい店だったけれど、今ググってみても見当たらない。潰れたとしたら残念なことだ。

  フランスの思い出で言うと、南仏のモンペリエに「トロワ・ロワ(3人の王様)」というステーキハウスがあった。 ここでは大きな炉で目の前で肉を焼いてくれる。 特に思い出すのは、とても辛いペッパーステーキだった。 肉は分厚くてその周りに、胡椒の粒がまんべんなく贅沢についている。 これにブルゴーニュのワインを傾ければ、こんな贅沢なステーキはないと思う。 モンペリエには仕事で3ヶ月間いたから、この店には週に一度は通ったと思う。 だいたい四人で動いていたが、うちの会社は元々割り勘が当たり前だったから、先輩や上司からおごられた記憶はない。 ここでも割り勘。食べ物の種類、ワインの量に無関係に勘定書きの4等分していた。

<ペッパーステーキ>

  僕はワインが好きだから、割り勘負けしたことがないが、親しい友人はアルコールをちょっと飲むと、すぐ真っ赤になって飲めなくなってしまう 。彼も含めて、常に割り勘だから、間違いなく彼は割り勘負けしていたと思う。悔しかったからかもしれないが、日本に帰ってきて、偉くなったら、自分でアルコールが飲めるように努力して、まあ一応飲めるという形にはなっていた。涙ぐましい努力だった。

  日本でのうまいステーキの記憶は、やはり一番は浅草の「松喜」のそれだろう。親父を驚かそうと、女友達と一緒だったけれど、そのことは言わないで浅草の店で待ち合わせ。 松喜のステーキは、全てとても高くて、普通のステーキとしての金額では食べられないものだった。 結果としては親父に、たかったわけだ。親父は僕一人に会うつもりでいたらしい。僕がガールフレンドを連れていたので、びっくりしたようで、そそくさと食べて谷中に帰ってしまった。とりあえず食べる前に、彼女を紹介することができたのはいい思い出だ。

<松喜:レストランは閉店したらしい 肉屋さんのみになってる>

  自分で食べる牛肉は、決して立派なものではない 。率直に言うと、僕はサシの入った脂っこい和牛ステーキは大嫌いだ。日本人の味覚は間違っているのではないかとさえ思う。 あんなに脂肪だらけの肉を食べて、柔らかくてとろけるように美味しいというのは、どういう舌なのかわからない。やはり肉は奥歯で噛みしめて、その肉の味を楽しむのが肉の本当の食べ方だと僕は思っている。 さらに、日本の肉はめちゃくちゃ高い。こうした肉は、僕は絶対に食べない。

<和牛のサシの入った肉>

 そういうことだから、僕が娘の家族に贈る肉も、サシの入った柔らかい肉ではない。 彼女は子供二人と旦那の家庭。 だから最低4枚のステーキを送ることになる。

<ランプステーキ>

  最初は仙台牛のランボソと いう部位を、江戸川区の肉屋に勧められて贈っていたが、どんどん値段が高くなって、これはたまんないということで、次のおすすめをお願いしたらランプステーキだった。200 gで3000円弱だから、簡単に12000円を払うことになる。 これは赤肉だから、しっかり噛んで牛肉の美味しさを味わうことができる。彼女の子供達にも 、サシの入った柔らかい和牛を、そのまま食べさすわけにはいかないと思っているからだ。 娘の飼うシュナウザーのエマも、そのご相伴にあずかっていると思う。毎年、 娘の誕生日とクリスマスにその肉を贈るのが恒例になっている。

<エマ>

 僕自身には、 こんな高い肉は買えないので、オージービーフのサーロイン 一枚1000円位の肉を週一で食っている。

<普通のオージービーフ>

 江戸川の肉屋との付き合いは、仙台牛から始まっているのだが、いつも子供達に送りつけるだけで、自分は食ったことがなかった。どんな肉を贈っているのか知っておこうと昨年、ためしに自分に送ってもらって食べてみた。 ボリュームもあって噛めば噛むほど、本当の肉の味がする良い肉だ。 当面、変更する気はない。

<江戸川区の肉や>

 最近はサーロインだけではなくて、柔らかいフィレにも手を出している。 これは僕自身が若いころのように、奥歯で肉を強く噛み締めて楽しむことが、危っかしくなってきたからかもしれない。 この場合も、サシの入ってないものを選んで買っている。この分厚いフィレの焼き方はサーロインと違って難しく、ネットで焼き方を勉強している。 とは言っても週一で食べることは不可能だから、半年に1回ぐらいということになる。大好きな部位であることは間違いない。

 どちらにしても、やはり肉といえば牛肉。そしてステーキに優るものはないと確信している。


焼き鳥の店たち

2021-08-01 | エッセイ

 これまで、沢山の店に行ったけれども、記憶に残る店は数少ない。

  焼き鳥と言うと本当の鶏の方、ネギ間などを思い出すとかもしれないが、僕が言っているのはもっと安いもつ焼きで、関西では ホルモン焼きといっている店の話だ。

 関わりの古い方から話していくと、まずは浅草の 鈴芳ということになる。 もう50年以上通っている店になった。 最初、この店を見つけたのは、もう亡くなった親友の炬口勝弘と浅草を歩いた帰りだった。貧乏な学生二人が、金がないけれども何か飲みたいということで、見つけたのは浅草寺の裏の方にある、薄暗い屋台をつないだような店の一つだった。

<煮込み通り>

  毎年、1回は必ず女将の顔を見に行くことになっている。注文するものは常に決まっている。飲み物はまずレモンハイ、そして焼き物としては、タン、カシラと、お新香は必ずだ。 大体は、もつ煮も追加するのが定番だ。時には、ツブ貝という珍しい一皿を取ることもある 。

<ツブ貝>

 ここの女将は、口数少なく淡々とお客を扱っている。 顔見知りだからと言って、愛想もない。いらっしゃいとも声はかからない。僕にとってはそれが普通だけれど、口コミなどを見ると、つっけんどんだと映ることもあるらしい。それはそれでいい。一つ嫌なことを挙げるとすれば、それは禁煙ではないことだ。もともとは浅草の馬券売り場の近くで、競馬新聞を見ながらラジオやテレビを見ているという客たちの姿が思い出される 。僕も、タバコ好きだったけれど、あるきっかけであっさりやめた。その後、タバコの煙が気になってしょうがない。人っていい加減なものだ。一度、女将さんにその話をしたけれど、ここは禁煙にはできないと断られた。 競馬の客のおじさんたちが大多数だったのだから、当然だった。

 女将の焼き物は、本当にうまい。もともとは本当の炭で焼いていたが、最近は違うようだ。しかし、時間をかけてじっくり中まで遠赤外線で火を通した焼き物は、しかし、柔らかい。これはやっぱり一つの技術だと思う。

 一度、40年も前から来てるよと声かけたら、旦那を覚えてるかいと聞かれて、僕は覚えてなかった。話はそこで切れた。

 もともとは女性の客は見られない店だったが、最近は客層もどんどん変わって、女性一人で飲みに来るという姿も普通になった。 子供連れで飲みに来る客もいる。チビたちが騒いでいる前で、レモンハイを飲んでるのには、ちょっと違和感があるが仕方がない。

 コロナのせいで、この一年ほどは一度も行っていない。 店は大丈夫だろうかと思いながら、僕自身が ウィルスの抗体ができるまではと我慢している。 

 次に古いのは、やはり今もやっている新宿の思い出横丁にある宝來だ。

<第一宝来>

 ここは元祖、もつ焼きの店と言われている。最近10年ほど行ってないけれど、大学時代は、ここでウンとお世話になった。大学の助教授Mさんが、西武新宿線の下井草に住んでいたので、他の友達と一緒に遅くまでMさんをはさんで、間口の狭い店で呑んでいた。ここは、隣の人と肩と肩が触れ合うようなカウンターだけの店だ。 ここでも、タン、ハツ、レバー、そしてレモンサワーとお新香は欠かせない。問題は、すごい煙(焼き鳥とタバコ)で煙いということと、混んでいて必ずしも座れないということだろうか。 並んで待つしかないけど、でも入りたい店だ。

 大人数の時には、当時第三宝来と呼ばれた、中央線のすぐ下にある大きな店の方に行っていた。 ここには、二階もあって、大勢でも集まることができたので、M先生を交えて、飲み会をここやったこともある。今は第二宝来と言っているようだ。

 話し足りないと、下井草の先生の家まで押しかけて深夜まで酒を飲みながら話したものだ。新婚の奥様には、大迷惑な学生たちだったに違いない。大学時代の先生との交流としては、この M先生が一番深い付き合いになった。しかし、僕の卒業後、70年安保では学生との大学側の交渉役となって、最後には大学を変られたと聞いている。残念ながらもう故人だ 。今でも、人を引き込む笑みを思い出すことができる。

 三番目に古い店は、大阪難波の焼き鳥だと思う 。

<カンテキ>

 関西ではホルモン焼きという。小さな七輪 (関西ではカンテキと言っていたと思う)で、客自身で焼くことになっている。ここには親しい友達と大阪・神戸の旅のスナップとして、昔の市大時代の記憶をたぐりながら探し当てた店だった。 焼き物はもつ。 なぜか関西ではホルモン焼きという。 東京と違うのは細く刻んだ柔らかい青ねぎがふんだんに乗っけられて、香味として使われていることだ。焼く人は客自身。店の人は焼き加減を見ていて、食べ頃を教えてくれる。

 一緒の友達と東京弁で喋っていると、店の人は2回目には覚えていて、肉の盛が良くなった気がする。 南海の難波駅から千日前に向かう通りの、店の前にはカンテキが並べられて、炭をバタバタしながらカンテキに炭火を入れている様子が懐かしく思い出される。 大きな声の関西弁で店の人が、客とおしゃべりを楽しんでいたことを思い出す。 コロナなんかでは、どうなっちゃったんだろうと心配している。

 四番目に記憶があるのは僕が 自由が丘に住んでいたころ、駅を降りて左の方に道を辿って行くと右側にモンブランがある。その手前を左に曲がっていくと、これが自由が丘かと思うほど細い地味な道が続いていて、その 入り口には豊川稲荷と書かれた鳥居が立っている通りにある店だった。

<豊川稲荷の赤鳥居>

 自由が丘を離れてからも、何度か覗いて楽しんでいたの だが、最近無くなったようだ。残念。 ここへは、一人で行ったことの方が多いと思う。一人の客を一人にしておいてくれる店は、僕はいい店だと思う。

 最後は、ちょっと気になってもいるのだが、コロナのせいで行ってない店がある。お加代だ。

<お加代>

 横浜駅西口を鶴屋町の方向に歩いて行くと、運河の手前にある店だ。ここも小さな店で、カウンターのみで10人も入ったらいいところだ。ただ裏道から登っていくと2階もあるから、同じものをそこでも食べることができる。こことの付き合いも長い。

 今は息子さんが店を継いでいるが、最初に行った頃は、強烈なジャイアンツファンの親父が居て、ジャイアンツの話をお客としていたことを思い出す。 ちなみに僕はアンチ・ジャイアンツなのだが、店に惚れて通っていた。 ここは タン、ハツの他にも、気になるネタを焼いてくれた。いわしだとか、じゃがいもだとか、野菜類も串焼きで焼いてくれる。銀杏が大好きだから、必ず注文していた。 もちろんお新香は焼き鳥にはつきものだから、必ず頼んでいた。 焼き鳥は目の前で焼いてくれるが、2階が料理の厨房になって居て、料理を運ぶための木製の箱のエレベーターが、下と二階を往復していた。

  ただここで問題だったのは、まずは隣の人が平気でタバコを吸うこと。飲み物にレモンハイがなかったことだ。しょうがないから 焼酎をウーロンで割って飲んでいた。 コロナが要求する「客と客との距離」をどう稼ぐか、見てみないとわからない。 でも必ず行ってみたい店だ。

 付録として、銀座で昼間に酒を飲みたくなったら有楽町のガード下、とんとんがおすすめ。昼間は、なかなか居酒屋は見つからない銀座だ。緊急避難的な店としておすすめする。

<登運とん>