季節の「うえの」

上野周辺の四季折々の見所や、地元民ならではの楽しい情報を中心に、日本茶に関する話や明日から使える?発見をお届け致します。

上野に世界遺産を!【国立西洋美術館】

2008-10-30 15:47:49 | Weblog
世界遺産・・・

それは言わずと知れた人類にとっての偉大な財産です。


この度、フランス政府を中心に建築家<ル・コルビュジエ>の設計した

6カ国に所在する22の建物を共同推薦して、一括して世界遺産にという運動を、

この上野も応援しております。


<ル・コルビジュエ>とは、20世紀を代表する近代建築三大巨匠の一人です。

ル・コルビジュエとは・・・



その手がけた作品のひとつが「国立西洋美術館」です。




「国立西洋美術館・本館」は、日仏国交回復・関係改善の象徴として

フランスで活躍したコルビジュエ(1887~1965)の設計により

1959年(昭和34年)に竣工されました。


「国立西洋美術館」は、1920年代にパリいた松方幸次郎氏が

日本に西洋美術を紹介したいという思いで収集した「松方コレクション」が、

戦争によりフランス政府の管理下に置かれ、戦後関係者の尽力により、

フランス美術を展覧する為の新美術館建設という条件に、コレクションの

大半が寄贈返還されて建設されました。


国立西洋美術館の特徴としては、らせんを描きながら延びる順路や展示品の

増加に伴い渦巻きのように増床出来る平面計画など<ル・コルビジュエ>が

長年追求した「限りなく成長する美術館」の構想を具現化した貴重な例だそうです。

コルビジュエが設計した美術館はインドにも存在するそうですが、

国立西洋美術館本館は最も完成度の高い美術館として評価されているそうです。


世界遺産に登録されれば東京で初!!

上野は、区・商店街あげて世界遺産登録を応援しています




「広報 たいとう 世界遺産特集号より一部抜粋」
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「大琳派展」番外編

2008-10-16 16:58:13 | Weblog


こんにちは、今日の上野はぬけるような秋晴れです


最近、特別展の傾向として、会期を分けて作品が変わるという来場者泣かせの

展示方法がとられております。

東京国立博物館パスポートを持っている茶坊主として、実に困ります。

スタンプ欄は全部で6ヶ所ありますが、いち特別展につき一個のスタンプしかダメなんです。

だから会期が分れる時は、再度入場券を買って見に行きます。


なので、大琳派展後半はまたチケットを買います。


なぜか??

後半はいよいよ<俵屋宗達>の「風神雷神図屏風」が出てくるからです。

前半(10月19日)までしか見られないのは「国宝 燕子花図(かきつばたず) 屏風)です。

後半(10月21日~11月16日)はこれが「風神雷神」に変わります。(他にも多数作品が変わりますが)


前回もご紹介させて頂いたように、琳派は世代を超えたリスペクト(私淑)の継承です。

その頂点にいる<俵屋宗達>

光琳が先生の傑作を模範にして描いた、その模範作です。


と今回は作品からちょっとはなれて、その弟・尾形乾山について少しご紹介したいと思います。


ご存じの通り、尾形乾山は光琳の弟です。

光琳に同じく、いいとこのお坊ちゃまですが、派手に豪遊する光琳とは

また対照的で、静かに書を好む性格だったようです。

どこの兄弟も同じというか、兄が金を派手に使い、弟がコツコツ貯めた

お金を借りる・・・350年経ってもこの変わらない人間関係に親しみを憶えます。


乾山の作品は、茶坊主的には、とても細やかな心遣いというか

おもしろさ、驚きが隠れているような気がしました。

なにか暖かさみないなものを感じます。

そして、乾山の人生をひもとくと、上野にとてもゆかりのある人である

ということが分かりました。


乾山は亡くなるまでの晩生は「入谷~いりや~」で窯を開いて過ごしたそうです。

そうです、あの「朝顔市」で有名な、「おそれ入谷の・・・」入谷です。


そして晩年はこの地名を取って、「入谷乾山」と名乗っていらっしゃたそうです。


元々、この乾山のお墓も入谷の「善養寺」というお寺にありましたが、

線路の拡張工事の為、このお寺は巣鴨に移転し、乾山のお墓も現在はそちらにあります。



<善養寺が在った現在の場所付近>

鶯谷駅前、忍岡中学校下あたり





また、この乾山の足跡が入谷から消えてしまうのを惜しむ声で、寛永寺の境内に

尾形乾山墓碑・乾山深省蹟 (おがたけんざんぼひ・けんざんしんせいせき)が建てられ

また入谷の交差点には記念碑も建てられております。




大琳派展を見て、帰りに乾山ゆかりの場所を散策するというのも、とても素敵だと思いませんか??

鶯谷駅・入谷交差点、また寛永寺も、東京国立博物館からそれぞれ徒歩10分ほどです。


「大琳派展」この秋日本が誇る一大美術展であることは間違いありませんが、

それよりも、僕はこう言いたいと思います。


「おかえりなさい」


是非とも
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尾形光琳の生誕350年、「大琳派展」~継承と変奏~

2008-10-10 11:48:02 | Weblog
こんにちは、お久しぶりです

今日はまさに秋らしい、素晴らしい天気になりましたね。

昔、10月10日を「体育の日」に決めた方を尊敬する思いです。(今日が体育の日なら最高です)


さてさて、茶坊主の趣味のお茶は、先日まで「高級茶」を審査したり、売ったり買ったりする

<品評会>シーズンで、この僕も、熊本やら近畿やら静岡やら茶畑観光に行っており


そんな間に、おらが町・上野では、「大琳派展」がはじまっておりました。(10月7日~)


そして、早速行って参りました。


僕が行った日は、小雨が降る8日開門前。

もうすでに、チケット売り場には40人以上の人が並び、またチケットを持っている人の列も

その倍はいたでしょうか・・・



「琳派」といえば、その名の由来はまさに「尾形光琳~おがたこうりん~」を指し、


思い出されるのは、金色の屏風。そう、どんな人でも知っている「風神雷神」の絵もこの人です。


尾形光琳は生前にすでに「光琳ブランド」を確立して、時代の寵児、今で言う

敏腕アーティスト・デザイナーだったようです。


この尾形光琳が生まれてちょうど350年を記念して行われたのがこの特別展です。350年前といえば、世は徳川家光の子供、家綱公の時代。

そして、光琳がちょうど30才くらいの頃に花開いたのが「元禄文化」。

そんな時代の作品達です。


「琳派」とは、他の「~派」のように、師弟関係で受け継がれていく派とは異なり、

尾形光琳と弟の乾山が、100年前の大先輩「俵屋宗達」「本阿弥光悦」を、密かに師として(今風に言うとリスペクトして)

作品を作り上げていったのが特徴だそうです。

それを、さらに100年後の「酒井抱一」とその弟子の「鈴木其一」が慕って引き継がれました。


時代を超えて尊敬という形で継承された、それが「琳派」です。


では、「実際見応えはどうなの?」

というところでは、風神雷神の屏風はもちろん、学生時代の教科書や

様々な場面でみたことのあるものの本物が目の前にあるという感動は、

何ものにも代え難い嬉しさがあります。


そして何より、絵がうまい!当たり前ですが・・・それは作品の下絵を見てそう思いました。

こんな昔に、こんなにも色彩豊かに、力強く、楽しげに表現されている作品をみて、

きっと350年前も、様々な色に彩られた、大変な中にも笑いの溢れる

素晴らしい世の中だったんだろうと想像してしましました。


こんな色々な角度から楽しめる「大琳派展」。


錦秋にピッタリの、いや金秋の特別展です


是非とも上野にお越し頂きたいと思います




注)今回も会期中に展示作品が変わりますので、要チェックの上、お出かけください

大琳派展公式ホームページ
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