季節の「うえの」

上野周辺の四季折々の見所や、地元民ならではの楽しい情報を中心に、日本茶に関する話や明日から使える?発見をお届け致します。

「大琳派展」番外編

2008-10-16 16:58:13 | Weblog


こんにちは、今日の上野はぬけるような秋晴れです


最近、特別展の傾向として、会期を分けて作品が変わるという来場者泣かせの

展示方法がとられております。

東京国立博物館パスポートを持っている茶坊主として、実に困ります。

スタンプ欄は全部で6ヶ所ありますが、いち特別展につき一個のスタンプしかダメなんです。

だから会期が分れる時は、再度入場券を買って見に行きます。


なので、大琳派展後半はまたチケットを買います。


なぜか??

後半はいよいよ<俵屋宗達>の「風神雷神図屏風」が出てくるからです。

前半(10月19日)までしか見られないのは「国宝 燕子花図(かきつばたず) 屏風)です。

後半(10月21日~11月16日)はこれが「風神雷神」に変わります。(他にも多数作品が変わりますが)


前回もご紹介させて頂いたように、琳派は世代を超えたリスペクト(私淑)の継承です。

その頂点にいる<俵屋宗達>

光琳が先生の傑作を模範にして描いた、その模範作です。


と今回は作品からちょっとはなれて、その弟・尾形乾山について少しご紹介したいと思います。


ご存じの通り、尾形乾山は光琳の弟です。

光琳に同じく、いいとこのお坊ちゃまですが、派手に豪遊する光琳とは

また対照的で、静かに書を好む性格だったようです。

どこの兄弟も同じというか、兄が金を派手に使い、弟がコツコツ貯めた

お金を借りる・・・350年経ってもこの変わらない人間関係に親しみを憶えます。


乾山の作品は、茶坊主的には、とても細やかな心遣いというか

おもしろさ、驚きが隠れているような気がしました。

なにか暖かさみないなものを感じます。

そして、乾山の人生をひもとくと、上野にとてもゆかりのある人である

ということが分かりました。


乾山は亡くなるまでの晩生は「入谷~いりや~」で窯を開いて過ごしたそうです。

そうです、あの「朝顔市」で有名な、「おそれ入谷の・・・」入谷です。


そして晩年はこの地名を取って、「入谷乾山」と名乗っていらっしゃたそうです。


元々、この乾山のお墓も入谷の「善養寺」というお寺にありましたが、

線路の拡張工事の為、このお寺は巣鴨に移転し、乾山のお墓も現在はそちらにあります。



<善養寺が在った現在の場所付近>

鶯谷駅前、忍岡中学校下あたり





また、この乾山の足跡が入谷から消えてしまうのを惜しむ声で、寛永寺の境内に

尾形乾山墓碑・乾山深省蹟 (おがたけんざんぼひ・けんざんしんせいせき)が建てられ

また入谷の交差点には記念碑も建てられております。




大琳派展を見て、帰りに乾山ゆかりの場所を散策するというのも、とても素敵だと思いませんか??

鶯谷駅・入谷交差点、また寛永寺も、東京国立博物館からそれぞれ徒歩10分ほどです。


「大琳派展」この秋日本が誇る一大美術展であることは間違いありませんが、

それよりも、僕はこう言いたいと思います。


「おかえりなさい」


是非とも
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