こんにちは、今日の上野はぬけるような秋晴れです
最近、特別展の傾向として、会期を分けて作品が変わるという来場者泣かせの
展示方法がとられております。
東京国立博物館パスポートを持っている茶坊主として、実に困ります。
スタンプ欄は全部で6ヶ所ありますが、いち特別展につき一個のスタンプしかダメなんです。
だから会期が分れる時は、再度入場券を買って見に行きます。
なので、大琳派展後半はまたチケットを買います。
なぜか??
後半はいよいよ<俵屋宗達>の「風神雷神図屏風」が出てくるからです。
前半(10月19日)までしか見られないのは「国宝 燕子花図(かきつばたず) 屏風)です。
後半(10月21日~11月16日)はこれが「風神雷神」に変わります。(他にも多数作品が変わりますが)
前回もご紹介させて頂いたように、琳派は世代を超えたリスペクト(私淑)の継承です。
その頂点にいる<俵屋宗達>
光琳が先生の傑作を模範にして描いた、その模範作です。
と今回は作品からちょっとはなれて、その弟・尾形乾山について少しご紹介したいと思います。
ご存じの通り、尾形乾山は光琳の弟です。
光琳に同じく、いいとこのお坊ちゃまですが、派手に豪遊する光琳とは
また対照的で、静かに書を好む性格だったようです。
どこの兄弟も同じというか、兄が金を派手に使い、弟がコツコツ貯めた
お金を借りる・・・350年経ってもこの変わらない人間関係に親しみを憶えます。
乾山の作品は、茶坊主的には、とても細やかな心遣いというか
おもしろさ、驚きが隠れているような気がしました。
なにか暖かさみないなものを感じます。
そして、乾山の人生をひもとくと、上野にとてもゆかりのある人である
ということが分かりました。
乾山は亡くなるまでの晩生は「入谷~いりや~」で窯を開いて過ごしたそうです。
そうです、あの「朝顔市」で有名な、「おそれ入谷の・・・」入谷です。
そして晩年はこの地名を取って、「入谷乾山」と名乗っていらっしゃたそうです。
元々、この乾山のお墓も入谷の「善養寺」というお寺にありましたが、
線路の拡張工事の為、このお寺は巣鴨に移転し、乾山のお墓も現在はそちらにあります。
<善養寺が在った現在の場所付近>
鶯谷駅前、忍岡中学校下あたり
また、この乾山の足跡が入谷から消えてしまうのを惜しむ声で、寛永寺の境内に
尾形乾山墓碑・乾山深省蹟 (おがたけんざんぼひ・けんざんしんせいせき)が建てられ
また入谷の交差点には記念碑も建てられております。
大琳派展を見て、帰りに乾山ゆかりの場所を散策するというのも、とても素敵だと思いませんか??
鶯谷駅・入谷交差点、また寛永寺も、東京国立博物館からそれぞれ徒歩10分ほどです。
「大琳派展」この秋日本が誇る一大美術展であることは間違いありませんが、
それよりも、僕はこう言いたいと思います。
「おかえりなさい」
是非とも
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