季節の「うえの」

上野周辺の四季折々の見所や、地元民ならではの楽しい情報を中心に、日本茶に関する話や明日から使える?発見をお届け致します。

苦しい時は・・・

2006-04-22 21:07:06 | Weblog
神頼み

昔から、困ったことがあるときや、日常の時にでも手を合わせてお願いをします。

そんな数ある仏様の中でも、観音様という仏様は結構多く見かけるのではないでしょうか?先日、八ヶ所めぐり~第七番札~でご紹介した「清水観音堂」も観音様です。
そして、浅草の浅草寺(せんそうじ)も観音様です。

観音様のいるところ、その町も栄えております。
そんな所からもお徳の高さがうかがえます。



その観音様のいらっしゃるお寺を、ふっ!と見上げられたことありますか?
そこにはこんな文字が書かれてはいないでしょうか?


「施無畏」・・・せむい・・・


浅草寺の本尊上あたり





上野清水観音堂



(ちょっとわかりにくいですが、入り口上です)

これは、観音様のお徳を表した言葉だそうです。
人間で言うと「人間性」と言うことになるのでしょうか。

施無畏とは、「無畏を施す(むいをほどこす)」と言う意味です。
無畏とは、畏れ(おそれ)が無い。すなわち、畏れが無いことを施してくれる。
ひらたく言うと、畏れが無い状態にしてくれる、「苦しみを取ってくれる」ということだそうです。
人々の苦しみを取ってくれる、そんな優しい仏様が観音様なのです。

観音と言う言葉は、「音を観る」と書きます。音は振動してやってきますので、
音が出た瞬間から時間差があります。
(例えば、花火の音は花火が開いたあと、聞こえてきます)
だから、音が生じた瞬間、人が苦しいと叫んだ瞬間、その瞬間、助けに来てくれる
という意味に由来します。

ある、生まれつき目の見えない子が、お母さんに感謝を込めて、想像でお母さんを絵に描いたそうです。その絵には、千手観音のようにたくさんの手が書かれていました。
「どうして?」とその子に尋ねると、
「お母さんは、僕に色々なことをしてくれるから、お母さんにはいっぱい手があるみたい」と言ったそうです。

手を尽くす、心を尽くす、千手観音はそんな姿を表しています。

そう思ったとき、観音様は、遠い存在ではなく、実は自分の中にある優しさを
表している姿なのです。たくさんの観音様、仏像はそんな人の本当の心を形にしただけなんです。だから、「手を合わせて、お願いする」という真摯な心になったとき、いろいろな問題の解決策がおのずと見えてきます。それをもって、「お陰様」と言うんです」



と、お坊さんが話してくれました。


なるほど

昔から観音様が人気があるのがわかる気がしました。
ちょっと、仏様を近い存在に感じます。


そうだ!上野に行こう
コメント (2)
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