じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

灰とダイヤモンド。

2005-09-30 17:14:21 | 本棚
19世紀ポーランドの詩人、ノルヴィッドの詩。


 松明のごとく 汝の身より火花の飛び散るとき
 汝知らずや、我が身を焦がしつつ、自由の身となれるを。
 持てるものは、失われるべき定めにあるを。
 残るはただ灰と、嵐のごとく深淵に落ちゆく混迷のみなるを。
 永遠の勝利の暁に、
 灰の底深く、燦然たるダイヤモンドの残らんことを。


この詩が、大好きだ。
知るきっかけになったのは、むかしむかし、観た映画
『灰とダイヤモンド』の中の一場面。

当時はまだ子供だったけれど(何故この映画を観たのか、きっかけを覚えていない)
それこそ、白黒の映像の中で、
この詩が出てくるシーンが、ダイヤモンドのように燦然と輝いて見えたのを覚えています。


この歌を口ずさむと、勇気が沸いてくる。


映画の方も、良い作品でした。
好き嫌いが分かれると思いますが、下に
作品解説へのリンクを張っておきます。

灰とダイヤモンド〈下〉

岩波書店

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たま、じいたんを、迷子にする。

2005-09-28 23:51:31 | じいたんばあたん
バスで寝過ごし降り損なった。
先週の火曜日の、見舞いのときのことだ。


ばあたんの病院へ行くためには、地下鉄のほか、途中でバスを乗り継ぐ。
所要時間は、片道約1時間半。

その乗り継ぎ点は、バスの終点だったのだが、
じいたんだけが降りてしまい(席が離れていたのだ)、
わたしは爆睡したままバスに運ばれていったという訳だ…orz

折り返して二駅のところで
バスの運転手さんが気付いて、起こしてくれた…orz


ああ、じいたん、ごめん~(T_T)(T_T)(T_T)


焦りまくりながら駅まで、走って走って、

じいたんがいるであろう南口まで、
北口から回りこんで(道がよくわからなかった)、

南口のバス降り場から電車乗り場に上がる階段の中途で、
運よくじいたんを発見。


「じいた~ん!」


じいたんは、私が先に、次の乗り換え場所にいってしまい、
自分は置いてけぼりを食らったと思っていたらしい(;^_^A

自力で病院まで私を追っかけなければ、
と乗り換え駅のバスターミナルをうろうろしたらしいが、

あの複雑な乗り換え場所が、分かるはずもない。
じいたんは、見当識が著しく低下しているのだ。


謝って、ことの顛末を説明し
(じいたんが理解するまで…30分くらい。
 置いてきぼりにされた、と、ずっと怒っていた(;^_^A
 そんなじいたんが、可愛くてたまらないわたし^^)
それでも腑に落ちないという顔をしているじいたんに、

あたしが、じいたんを置いていくはずないでしょ( ̄□ ̄;」

と言うと、


「お前さんが、そんな(バスの終点で寝過ごすような)
 トンマだとは思わなかったから( ̄~ ̄)ξ」


と、じいたん。


二人で顔を見合わせ、大爆笑。


ああでも。笑い話程度で済んで本当に良かった。
これで祖父の身になにかあったら、取り返しがつかなかったところだ。

祖父母とわたしの、かかりつけ医のこと。

2005-09-27 03:15:57 | 介護の周辺
祖父母のかかりつけ医は、
わたしにとってもかかりつけ医である。
主たる介護者の心身についても、親身になって
面倒をみてくださる、そんな先生だ。

この先生がいてくださるから、頑張れる。


笑顔がとても素敵な、女医さんだ。
地域でも信望篤く、在宅医療を支援する往診にも
毎日、診察の合い間に出かけていらっしゃる。

専門は神経内科(脳神経外科の、内科版)なのだが、
今は内科医として開業されている。

午後の患者さんたちは往々にして、
往診に出かけてしまった彼女の帰りを一時間以上待つ。
だが誰も、それに不満げな顔ひとつみせず、
待合室で待っている。

みんな、先生に診てもらいたいのだ。



今日、祖父の通院のついでに、受診してきた。

今までは、軽い睡眠導入剤その他、必要なものを
処方してもらっていたのだが、
休んでもなかなかよくなる気配がないので、


これ以上、あの多忙を極める先生の手を煩わせるのに忍びなくて
(内科の再診料で、きめ濃やかに対処してくださるのだ。
 して頂いていることに見合った報酬を、
 お渡し出来ていないのではないかと思うと、
 辛くなってしまった)

今日は、どこか先生が信頼している精神科医を
紹介してもらおうと、そう思って、先生を訪ねたのだ。


でも、先生は、わたしがその話を切り出す前に、
先に察したのだろう。
さりげなく、こんな風に、話を切り出してくれた。


「たまさん、あのね。
 焦る気持ちは、分かるけれど
 それでも、とにかく休みなさい。
 ココロを鬼にしてでも、休みなさい。

 今、たまさんに必要なのは、
 自分に出来ることには限界があるのだということを
 正しく認識するということなの。

 そして、あなたには、それを自力で成し遂げられる力が、
 私はあると思うのよ。

 何もかも放り出して休んだって、後で取り返せるのよ。
 今は、とにかく眠りなさい。休みなさい。 
 そして、不安なときは、遠慮なしに訪ねていらっしゃい

 あなたに精神科への通院が必要だと思ったら、
 すぐ紹介するからね。
 …でも、大丈夫よ。私の指示を、落ち着いて、守って」


…うれしかった。
先生に、お世話になっていて、いいんだ。
そう思うと。うれしかった。

そして、先生が「大丈夫」って言ってくださると、
大丈夫なような気がするから、不思議だ。


この先生は、女医さんで、お子さんもおいでで、
…頼りがいのあるお姉さんの顔と、母親としての顔が
ときどき、ちらつく。

先生が、真剣にアドバイスしてくださるお気持ちが
ふとした瞬間に伝わってくるとき、

いい医師に巡り合った幸運に、限りなく感謝する。


明日は、祖母の見舞いに行く。

「焦らないで。頑張らないで。」
という言葉をお守りに、祖父と二人、出かけてこようと思う。

泣き言。(2)

2005-09-22 01:53:45 | ブラックたまの毒吐き
ばあたんのいない「敬老の日」などを何とかやり過ごし、

(この前後はまた、素晴らしいことがいっぱいあった。
 記事にまだできないけれど)

先日も見舞いにゆき、
・・・でも、記事が書けなかった。


何を表現したいのか分からないまま、

今日などは
明け方からずっと、夜までひたすら眠り続け、
ストーリーのしっかりとした、でも「不可解な」夢を
みつづけた。




今、この時間になって、ふと気づいた。




…連れて帰りたい。
ばあたんを、早く連れて帰りたい。

どこへ? 今の家へは無理だ。
もう彼女には。
どこへ?


そう、彼女の症状を抑えるだけじゃなくて、
あらたな住まいを検討し、用意する、時間稼ぎのためにも

今は耐えなきゃ、駄目、分かっている。
だけど、ごめんなさい、
わたしは



つらい。つらい。つらい。
ごめんなさい。
こんなことを書きなぐっていいのかわからない、
ここは公共の場で、

でも、この言葉を出さなきゃ、次に進めない。

わたしは、
いま 泣かないと 前へ進めない。

ごめんなさい、わたしはこんなにも 弱い。



ばあたんが、いない。
ばあたんの側に、いられない。

つらい。



外へ、出るのも、つらい。



いま、
街のどこを歩いても、

ばあたんと散歩していた過去の私が、
元気だった頃の、過去のばあたんが、
そこにはいる。


本屋に気晴らしに、何かを漁りにいっても、

去年はとなりにいた、ばあたんが、
今は、いない。
ばあたんが、いない。


「もう二度と、ここを二人で歩くことはないのか」

そう思うと、

打ちのめされて、一歩も前へ進めない。
玄関から出る行為さえ。



…そうか、だから部屋から出られないのか。



みっともない。全くみっともないよ。わたし。
馬鹿野郎だ。
一番辛いのは、あたしじゃないんだよ。



それでも。
この気持ちを書き残して、先へ進もう。


抱えたままで うずくまっているわけには いかないの。

泣き言。(1)

2005-09-22 01:53:13 | ブラックたまの毒吐き
病院へ見舞いに行くたび、ばあたんは、
側にいる数時間の間、
感情の「晴れと雨」が激しく入れ替わる。

じいたんなどはしびれをきらしてしまう
(それは「夫」として当然だと思う)けれど、

わたしは、そんなばあたんが、
愛おしくてたまらない。



会話も殆ど成り立たなくなってしまった。

ばあたんが言いたいことも、分かりづらく、
また、
わたしの言葉を、理解してもらうのも、難しくなった。

ばあたんが入院している病院のスタッフも、
皆が全員痴呆への対応が上手いわけではなく、
好きでこの仕事をしているわけでもない。

だからなおさら、ばあたんの苛立ちと悲しみは
私が来たとき、ダイレクトにわたしにぶつけられる。

でも、その痛みさえ、いとおしい。


***********************


ここまで症状が進行しても、まだ、通じる言葉がある。


「たまちゃんは、おばあちゃんが、大好きだよ。
・・・愛してるよ。」


ばあたんは、必ず、返してくれる。
もう、言葉も殆ど通じない状態なのに、これだけは。


「おばあちゃんも、たまちゃんが、大好きよ。」



一昨日の見舞いの日、
病院のスタッフの方や、他の見舞い客、
何人もの人に、言われた。

「"たまちゃん"ですよね。
 おばあさまが、いつも、お名前を呼んでおいでですよ」



・・・ちくしょう、なんで、

なんで、こんな真夜中すぎの時間に、
こんなことを、思い出すねん。

これじゃ記事もコメント返信もでけへんやん。


不意打ち画像(お笑いモード)。

2005-09-17 11:22:57 | きゅうけい
時折、まるで不意打ちのように、
彼氏から
「ばう@新宿(などの地名)」というタイトルで、
メールが送られてくる。


「お、仕事あがったのか?」


とわたしは、ひとこと「お疲れさん」だけでも言おうと
反射的にメールを開けてみる。


だが、時々不意打ちで「こんにちは」するのは
上のような、写真である
どうやら移動中、このキャラを見つけるたび、
メールせずにいられないらしい




そして

肝心のメッセージには、


「たま~、何でこんなところで、バイトしてるの?」
とか、

「何、公衆の面前でくつろいでいるの?」
とか。


・・・

なぁ、彼氏よ。



…マジでアンタ、シメるよ。覚悟しいや。


このキャラクター、
首都圏・仙台・関西圏にお住まいのかたにはお馴染み、
JR東日本のICカード「Suica」のマスコットキャラ。
名前は確かスウィッチー…orz


このキャラの動作ひとつひとつが、
私に似ているのだそうです

まあ、確かに


「慌てると、頭にお尻がついていかない」とか、
「希少価値があるくらいちっちゃな、つぶらなお目々」とか
「いつもごきげん、いつも能天気モード」とか


他人とは思えん。


というわけで、否定はしないけどさ。


あたしたちの間にロマンスがない理由が
よく分かった気がしたよ。


この際、自分の悪彼女ぶりは棚上げじゃぁぁぁ


追伸:
さっき電話でちょっと追及してみたら、
「さみしいばう!ばうもたまには皆に褒められたいばう!」
「たまの面影を駅で見つけたら、うれしいばう!」
と、何かばうばういっていました…。

…ちなみに「目指せシェパード!」が彼の合言葉です

本気で叱ってくれたこと、覚えてる。

2005-09-16 03:42:51 | 友人
3年前、左足にひどい捻挫をした。

はるか昔、会社の内定式の朝、
地下鉄の階段でてっぺんから転がり落ち、
両足の靱帯を損傷した。

(骨が丈夫すぎて、靱帯がやられたらしい(笑)
  でも当然、内定式には出た私^^;)

そういうわけで、もともとあまりいい状態ではない、私の足。


きっちり副木を装着され、
松葉杖がないと歩けない状態だった。
医者には「副木が取れるまでは安静にね」といわれていた。


だが、わたしはじっとしていることが出来なかった。

普段なら、こんなときには誘わないはずの叔母が、
「たまちゃん、長いお休みくらい、うちで過ごしなさいよ」
としきりに勧めてくれる、その様子に、
ちょっとした違和感を覚えた…何か、嫌な予感がしたからだ。

それで、多少の無理をして、
当時住んでいた場所から、今の住まいの近くへ
新幹線で、訪れた。
友人の制止も無視して。


祖母の発病に気づいたのは、この来訪がきっかけだった。
(だから、やっぱり少し無理をして良かったと、今でも思ってはいるけれど)


帰路へ着く頃には、私の左足は
ひどい痛みがぶり返し、パンパンに腫れ上がっていた。


そのとき、私のわがままなSOSに、
文句ひとつ言わず
新幹線乗り場まで迎えに来てくれた友人。
彼が、本気で私を叱咤した言葉を
いまでも、宝物のように、覚えている。



「お前は自分をサイボーグか何かだと思ってるのか?
 ちがうぞ。お前は、生身の人間なんだぞ。
 ちゃんと自覚を持てよ。
 
 この足の"替え"は、世界のどこにもないんだぞ。
 もっと大事にしてくれ、頼むから」


目からうろこが落ちるような思いだった。

本当は「思い上がるな!」と怒鳴りたかったであろう彼の、
肩を震わせながらの、ひとこと。

普段は言葉少なく物静かな、彼。

本当に申し訳なく思い、
頭を下げて謝ったのを覚えている。




先日、歩いていて、突然、サンダルが壊れた。


祖母を入院させてからというもの、
本当は調子が悪いのに
ごまかしごまかし、走ることを止められない自分に、
遠くから、彼が、「だめだよ」と言ってくれた気がした。

最近、彼とは疎遠になっているのだけれど、
ここにせめて残しておきたい、感謝の気持ち。

ありがとう、君よ。

君の真剣なあのひとことが、
今のわたしを、護ってくれている。

君はいまどうしているだろう?
どうか、元気で、幸せで、いてほしい。

皮肉。…だけど、幸せ。

2005-09-15 15:57:46 | じいたんばあたん
ばあたんが入院して、四週間めに入った。


今はまだ、見舞いに行く間隔を
控えめにしなければならない時期で、

(今のばあたんにとっては、
 刺激をなるべく避けて静かに過ごすことと、
 病院に慣れて治療に移れる体制を整えることが
 最優先なのだ)
 
わたしとじいたんは、
毎週火曜日に、二人でばあたんを見舞うことにしている。

電車とバスを乗り継いで、片道1時間半以上かけて。


もうすぐ誕生日を迎え、また一つ年齢を重ねる
90代の我がじいたんにとって、決して楽な道のりではない。


それでもじいたんは、懇願する。

「たま、すまないけれども、
 おばあさんのところへ連れて行っておくれ。
 もうおじいさんは、一人では行くことが出来ないから」

…わたしひとりで見舞いに行ってくれるな、と哀願する。


*****************************


道中、じいたんとわたしは、お互いを気遣い合う。
なるべく、楽しく過ごせるように。

普段は決して行かないようなお店で食事をしたり、
花屋に寄ったり、
ちょっと道順を変えてみたり、
…それから、バスの窓から見える風景を
二人で眺めて、喜んでみたり。


それでも、やはり見舞いの後のじいたんは
たいてい、無言だったりするのだけど。



そういうときは、そっとしておく。


そして、頃合を見計らって、
小さかった頃のわたしに戻ってみる。

ちょっとめまいがするから、手をつないでって頼む。
薬を飲ませて、とベンチに座る。

美味しい食べ物やさんを、さがす。
とってもおなかが空いたよ、と言って。
あのパン食べてみたいよ、って、おねだりをして。


*****************************


前々回の見舞いの帰り道は、

「90超えた祖父と孫、ふたりきり」では
ふつう、決して、入らないような、
かなり渋いお店で夕食をとった。


基本的には焼き鳥がメインの居酒屋なのだけど、
手打ちのそばも食べさせてくれる、そんなお店。

店員さんは、ひとめで、わたしたちが
祖父と孫とわかったようで、
少しゆったりと、サービスしてくれた。


わたしが、おいしい、おいしい!と
あっという間に蕎麦をたいらげてしまうと、

「お前さん、もっともっと頼みなさい。
 お前さんが遠慮しているのは、おじいさんお見通しだよ」

お品書きを差し出して、とても嬉しそうに笑う。
さっきまでの淋しそうな表情は、そこにはない。


*****************************


介護を始めたころは
よく「舅と嫁」に、勘違いされていた、わたしたち。

今になって、やっと、こんなかたちで
「ごく普通の祖父と孫」に戻れる時間を持てる。

なんだか皮肉。

だけど。
とてもとても、幸せ。

最善を尽くす。それしか、ないよね。

2005-09-14 23:21:08 | じいたんばあたん
要介護3だったばあたんの、
介護認定の見直し結果が、先日、届いた。

書類に記載されていた介護度は


 「要介護5」 


…もう、そんなところまで来てしまったのか。

正直、もう少し先のことだと思っていた。

「ばあたんは、まだ大丈夫」
心のどこかでわたしは、そう思っていたかったようだ。



認定のとき、調査員の方は、
直接、ばあたんとも面接して様子をつぶさに見てくださった。

かかりつけ医も、こまめにばあたんの様子を観察しながら、
ときには出先から、様子を訊ねるお電話をくださったりして、
本当に本当に濃やかなお心遣いをくださっていた。

そんな、プロの目からみた、ばあたんの状態。
そこからでた、結論。

やっぱり家族は、
「現実」より少し良さ目に
患者の状態について認識していたい、と
無意識に思ってしまうのだろう。



先日の見舞いの際、病棟の看護師長からも、
こんな言葉を告げられた。

「この状態では、在宅介護はまず無理だと思います。
 私たちはプロですが、それでも率直に申し上げると、
 周辺症状への対応に苦慮する場合があります。

 入院なさるまでよく、持ちこたえて来られましたね。」


やっぱり、客観的に見れば、そうなのか。
少々ショックを受ける自分を自覚する。



それでも、頭では、わかっているのだ。
ばあたんの疾患=アルツハイマーの性質上
在宅で最後までというのは、やはり厳しいということを。

アルツハイマー型認知症は、れっきとした「病気」だ。

対症療法的な治療や、病状に合った住環境を整えることで
もう少しだけでも、ばあたんを楽にしてあげられるかもしれない。



そして、ばあたんのことだけじゃなく、
じいたんのこと。

介護に疲れ果て、
穏やかに二人が育んで来た情愛を
いつくしみの気持ちを
損なってしまうことのないように、

じいたんとばあたんが、
慈しみ合いつつ最後まで添い遂げられるように

そのことを、いつも、心に思う。
強く、とても強く。



在宅介護を選択した場合、
じいたんが、
ばあたんの介護を24時間、目の当たりにすることになる。

そうすると、じいたんのQOLは著しく損なわれてしまう。
それは、入院前の生活で嫌というほど思い知らされたことだ。

ばあたんの入院後、やっと
本来の自分の生活ペースを取り戻しつつある
じいたんの姿。

そして、じいたんのために、わたしが、
充分に時間を割くことができるようになって
ある意味安定した、じいたんの心。


それを見て、心底ほっとしているわたしがいる。




当のじいたんは、

「お前さん、おじいさんは、決心したよ。
 新しい住まいを探してくれたまえ。
 昼間でも暗い場所が、この家には多すぎる。
 おばあさんのためなら、おじいさんは、
 できることならどんなことでも、してやりたいんだよ」
 
と、あっさり言い切った。
ようやく、腹をくくったようだ。


そしてわたしも、現実には

退院後(随分先になるが)
・どのような手順でばあたんを受け入れて、
・どのようなタイプの施設を最適と判断し
 (介護つき有料老人ホームだけではなく、いろんな選択肢を探して)
・今の住居をどのような形にするか
 (転売するのが非常に難しい物件なのだ)

など、To Do リストを作り、優先順位を考え、
ケアマネや居宅介護事業所の方などに相談するなど、
動き始めている。


こころが、どこかついていかないまま。


そして、
こころがついていかなくても

現実を捌いていくということの大切さを、
繰り返し、確認しながら。



追伸(呟き):

できれば最後まで在宅で看たい、という気持ちを
どこかでわたしは、捨てきれないのだと思う。
祖父母の世代にとっては、それが自然なことだと
日々接していて思うからだ。

(じいたんと話していると、
 言葉の端々にそういう想いが見え隠れする。
 そしてわたしは、その気持ちが痛いほどわかる)

彼らにとってなるべく自然なかたちで、
お別れの朝まで、過ごせるようにセッティングしていく


「最善をつくす」

それしか、ないよね。

ひらりと飛び立った、愛。

2005-09-13 01:07:01 | 介護の周辺
じいたんが、ベランダで蝉を拾った。


命からがら、うちのベランダへたどり着いたのだろう。
「彼」のいのちはもう、尽きていたから、
正確には「蝉のなきがら」だ。

ばあたんが入院してから、実質的に
男の一人住まいになってしまった、じいたんは、
大事にその蝉を、そっと、テーブルの上に鎮座させていた。


「お前さんに、見せたくてな。
 こうして、とっておいたんだよ。

 ほら、こんなにきれいな姿をしているんだ」


と、私の手のひらの上に、そのなきがらを
優しく乗せた。

確かに「彼」は美しかった。

生きていた時そのままの、透き通った羽。
慎ましく、小ぢんまりと折りたたまれた、繊細な六本の足。
そして静かにそこに在る、姿。

「ほんとうに、きれいだね、じいたん」

暫くの間、無言で「彼」を見つめていると、
じいたんは、手のひらからそっと「彼」を取り上げ

「お前さん、見てくれてありがとう。処分しよう」
と、ゴミ箱を取り出した。



「待って」
とっさにわたしは言った。

「ねえ、じいたん。わたし、土に還してくるよ。
 だって、いのちの終わりに、わざわざ、
 うちに来てくれた蝉なんだもの。」

言わずにいられなかった。


じいたんはふと手を止め、少し躊躇うように訊ねる。

「…いいのかい?お前さん。手間ではないかい?」

「そのくらい手間でもなんでもないよ。
 じいたんとわたしのいるところに来た子だよ。
 ちゃんと、うちらしく、送ってあげようよ」


わたしがそう、重ねて言うと、
じいたんの顔が、みるみる笑顔になった。

「"うちらしく"、か…。
 …お前さん、ありがとう。すまないねえ。
 じゃあ、頼んだよ」

そういって、じいたんは、「彼」を私に手渡すと、
淡い笑みのまま、いつものまどろみの中へ落ちていった。

わたしは、柔らかいティッシュに「彼」をくるんで
自分のかばんの中の、一番安全なところへとしまった。



****************************



帰り道、自転車を走らせながら、
「彼」の新しい寝床を探す。

丁度、台風が一旦落ち着いたとき。
風は強かったけれど、幸い雨は小降り。


 そうだ、毎日通る、あの公園へ埋めよう。


公園の生垣のなかにまぎれた、桜の木の下に
「彼」を還してやることに決め、
わたしは、
その辺に転がっている小枝やらなにやらを使って、
穴を掘り始めた。


さく。さく。さく。さく。…
雨後の土は、しっとりと柔らかい。
「彼」が眠るのに充分な大きさの穴は、すぐに出来上がった。




だが。
かばんの中をさぐって
「彼」の包みが手に触れたとき、

突然私は


言いようのない恐怖に襲われた。



指先に触れた柔らかい塊の軽さ。

 ここにはかつていのちが宿り、
 でも今は、そこにいのちがない。

そのことにふと、思い至ったのだ。



周りには人どころか猫一匹の影もない。
天候がまた、荒れてきている。

急ごう。


冷えてしまった手で、「彼」を包んでいたティッシュを
少しずつ、はがしてゆく。
だが、雨で湿ったせいか、
白い紙の布は、指にまつわりついて、うまく開かない。


風が、私の髪とスカートの裾をひどく乱す。
雨は、容赦なく私の体を湿らせ、土と混ぜ合わせようとする。

光は、生垣に遮られ、

 私も、「彼」のための穴も、闇の中だ。


やっと開いた、白い紙の布に、在る「彼」。

躊躇した。
このまま包みから開けて
「彼」を、土の中に入れていいのだろうか。
だって、いかにも寒そうだ。わたしなら、いやだ。

水がしみこむここに、「彼」を置き去りにして
そこを毎日、わたしは知らぬ顔でこれから通り過ぎられるだろうか。




じっと迷ったまま動けなかった、その時。




「彼」が一瞬、きらりと羽を光らせて、
わたしの手のひらから、ひらりと、飛び立った。

そして、風の導くままに、高く高く舞い上がり、
街頭のまばゆい光のなかで
もう一度、虹色に羽をきらめかせて

視界から、消えた。



わたしは反射的に、スカートのまま生垣を乗り越え、
ヒールの靴も省みず「彼」を追った。

でも、やはり「彼」は、見つからないのだった。




雨の中、傘をさすのも忘れ、泥だらけで、
わたしは暫くそこに、立ち尽くしていた。

なきがらを軽やかに わたしからさらった
(あるいは なきがらが発したのかもしれない)
不思議な「意思」を、

改めて、全身に感じながら。



ひらりと飛び立った、愛。

たしかにあの夜わたしは、それを見たのだ。


追伸:
この先、何か辛いことがあったとき、
ベランダに出て、光る風に当たれば、
わたしは、この出来事を思い出すような気がします。
へんてこりんな文章でも、書きとめておきたかったのです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。