※これは、2006年11月18日04:18 に綴られた記事です。
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もう余力がなくなりつつあるけれど、
(というのは、この前に怒涛のように文章を書いたからだ)
とりあえず。今日、じいとふたりで、
どんだけハッピーに過ごしただけ、残しておきたい。
病院から帰ってきて、じい宅と我が家の中間点にあるカフェで待ち合わせ。
マイミクさんからリアル友へと変わっていく方や、
親しい友人、大切なお客様にお運びいただいたときに
わたしがいつも使う、そのお店で。
15分送れてやってきた、じい。
彼を一人で歩かせるのは心配だったけれど、
誰かをこうやって待っている時間がわたしは大好きだ。
そしてやっと会えたじい。
数日会えなかっただけなのに、本当にうれしくて。
じいとぎゅっと手を握り合う。
じいは、足の悪い私を、さりげなくエスコートしようと
自分も少し足が悪いのに、がんばってくれる。
じいはどこまでも、「正しい男性」なのだ。
そんなじいと、ゆったり話しながら食べたら、お皿はからっぽ!
そして、色々なことを話す。
大阪行きのことやら、進路のことやら、色々。
じいはただこういった。
「お前さんのやることは、おじいさんは信頼している。
おばあさんと過ごすようにね。
のびのびと やりなさい。 お前ならできる。」
そしてわたしたちは、色んな話をした後、
ツリーの前で写真を撮った。
だって、来年があるかどうかなんてわからない。
それはお互いに、わかっていることだから。
やっと、じいと、ふたりきりで、デートを楽しめる
そんなところまで 来れたんだ
好きだよ、じい。 って遠慮なく言える
そんな間柄に。
食事のあと、お店の中のツリーの前で、
携帯カメラで写真を撮ってもらう。
最初はちょっとだけ照れていた、じい。
だけど、こそばゆそうに、とってもうれしそうにじいは笑った。
そしてわたしも、とても幸せだった。
だから、いつもどおり、じいにチュウをした。
目をとじて、リラックスしてくれているのが肌から伝わる。
いとしいいとしい、じいたん。
わたしの、祖父。
祖父だけど
気難しいしへそ曲がりだし理屈っぽいし
わが道を突っ走るし 年寄りの冷や水なんて解さないし
だけど
ここというところでは、必ず、優しさを発揮してくれる。
言葉でも、言葉ではない部分でも。
じいは、言葉で表現することを全く怖れないひと。
あの時代に、妻に短大の先生を、70さいまでさせていた人。
本当に、自由で繊細で優しいひと。
介護でうとうとしている私に、黙って毛布をかけてくれる人。
わたしはわたしで、気づかないふりをしながらこっそり泣いたりして。
ああ、どうかかみさま、来年も
じいとクリスマスを過ごせますように!
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もう余力がなくなりつつあるけれど、
(というのは、この前に怒涛のように文章を書いたからだ)
とりあえず。今日、じいとふたりで、
どんだけハッピーに過ごしただけ、残しておきたい。
病院から帰ってきて、じい宅と我が家の中間点にあるカフェで待ち合わせ。
マイミクさんからリアル友へと変わっていく方や、
親しい友人、大切なお客様にお運びいただいたときに
わたしがいつも使う、そのお店で。
15分送れてやってきた、じい。
彼を一人で歩かせるのは心配だったけれど、
誰かをこうやって待っている時間がわたしは大好きだ。
そしてやっと会えたじい。
数日会えなかっただけなのに、本当にうれしくて。
じいとぎゅっと手を握り合う。
じいは、足の悪い私を、さりげなくエスコートしようと
自分も少し足が悪いのに、がんばってくれる。
じいはどこまでも、「正しい男性」なのだ。
そんなじいと、ゆったり話しながら食べたら、お皿はからっぽ!
そして、色々なことを話す。
大阪行きのことやら、進路のことやら、色々。
じいはただこういった。
「お前さんのやることは、おじいさんは信頼している。
おばあさんと過ごすようにね。
のびのびと やりなさい。 お前ならできる。」
そしてわたしたちは、色んな話をした後、
ツリーの前で写真を撮った。
だって、来年があるかどうかなんてわからない。
それはお互いに、わかっていることだから。
やっと、じいと、ふたりきりで、デートを楽しめる
そんなところまで 来れたんだ
好きだよ、じい。 って遠慮なく言える
そんな間柄に。
食事のあと、お店の中のツリーの前で、
携帯カメラで写真を撮ってもらう。
最初はちょっとだけ照れていた、じい。
だけど、こそばゆそうに、とってもうれしそうにじいは笑った。
そしてわたしも、とても幸せだった。
だから、いつもどおり、じいにチュウをした。
目をとじて、リラックスしてくれているのが肌から伝わる。
いとしいいとしい、じいたん。
わたしの、祖父。
祖父だけど
気難しいしへそ曲がりだし理屈っぽいし
わが道を突っ走るし 年寄りの冷や水なんて解さないし
だけど
ここというところでは、必ず、優しさを発揮してくれる。
言葉でも、言葉ではない部分でも。
じいは、言葉で表現することを全く怖れないひと。
あの時代に、妻に短大の先生を、70さいまでさせていた人。
本当に、自由で繊細で優しいひと。
介護でうとうとしている私に、黙って毛布をかけてくれる人。
わたしはわたしで、気づかないふりをしながらこっそり泣いたりして。
ああ、どうかかみさま、来年も
じいとクリスマスを過ごせますように!