じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

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去年の眼鏡に残っていたもの。

2006-11-16 13:51:40 | 介護の周辺
※ごめんなさい。某SNSの日記からの転載です。
 記された時刻にあわせてUPしておきますね。

----------------------------------

みなさんこんにちは。
たま@また一つ「伝説」を増やしつつある女です。

えっと。
昨夜未明から「眼鏡がない!」とお騒がせしております。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=269719400&owner_id=1109615
実はまだ、見つかっておりません…orz
↑4.5畳とDKでどないして失くせっちゅーねんや…
 
で。検討の結果。
去年の6月の交通事故(ブログ読者さまはみなご存知ですが)
その際に、めちゃめちゃになってしまった眼鏡を取ってあったので、
それをとりあえず使ってみようと思い立ち、出してきたのでした。


ところが。掛けてみて、愕然。

これはひでーや…この眼鏡…どゆこと?



いや、蔓の部分は仕方がないんですよ。
だって事故にあったんやからそんなもんですって。

問題は、レンズの部分。
汚いとか傷んでいるとか、そういったレベルじゃない。

はっきりいって、見えない。
表面がもう、月面クレーター状態。



こんなんでよく介護してたわ。わたし。



眼鏡を買いにいく余裕なんてなかった。
当時は、夜勤の仕事はもう辞めていたけれど、
入浴介助から転倒防止まで24時間つきっきりで介護していたのだから、
良く考えれば、眼鏡が傷むのは、必然といえば必然なのです。


だけども。
 

あんまりだ、これは…^^;

介護者である以前に、人間としてまずいやろ…orz


*************************************


さて、前置きはこれくらいにして。
ここからが実は、本当にわたしが書きたかったこと。


周囲の人たちによく言われていた言葉。

「自分を大切にしなさい」

当時のわたしには、その意味が全く以って理解できなかった。
ご厚意からのおことばだということは感じ取り、感謝しつつも。

だけど、今はわかる。

この、旧い眼鏡は、その、周囲の言葉を翻訳してくれた。
言葉ではなく、そのあるがままの姿、そのもので。


こういう偶然に出会うとき、
つくづくと、わたしは、感じるのだ。


やっぱり、どんな事件にも、できごとにも
それらのなかには 欲しがる人にしか与えられない
とくべつな宝物が埋まっているのだな、と。

「大切な学び」を得るための「材料」

それらは、求めさえすれば 

それこそ、無尽蔵に、与えて頂けるのだ、と。
 
 
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「にもかかわらず」ではなく「それとは関係なく」。

2006-08-12 19:33:29 | 介護の周辺
「アルツハイマー型老人性痴呆」という病気も含め、
認知症や脳疾患など一部の病では、
病気が進行するにつれ、どうしても
意思表示や感情表現が難しくなってくる側面がある。
だから一見、感情を持つこと自体も障害されてしまうと思われがちだ。
 
しかし、それは事実ではない。

 
今までも何度か記事にしてきたけれど、
病は病、本人は本人なのだ。

よく「歳をとると人は赤ん坊に戻っていくんだよ」と
訳知り顔で言う人がいるけれど、
それは実質の半分しか(あるいは少しだけしか)言い当てていないとわたしは思う。


  たとえば、
  ふたりきりになったときに、ぽつんとこぼれる
  ばあたんの本音。

  「わたしね 恥ずかしいのよ…
     こんな、なにも、できなくなって」

  突如、霧が晴れたように彼女の手の内に戻った表現能力は、
  数分たたないうちに彼女自身の意思を無視してかき消されてしまう。
  彼女はそれをめいっぱい使って、一瞬、わたしに気持ちを伝えようとする。


年老いた病人は、赤ん坊ではない。
たとえトイレに行くという動作を忘れてしまったとしても
感情までもが白紙に戻ってしまうわけではない。

生き抜いてきた人生、そのなかで培ってきた人格
ひとりの女性、ひとりの人間としての誇り

そういったものを、身体の芯まで沁み込ませたまま
老いや病とともに生きているのだ。
 
元気だった頃も、そして病を得て久しい今も、
ばあたんは確かにばあたんのままだ。

魂というものがもし目に見えるなら、
きっとわたしたちは見ることができるだろう。
彼女の魂が生き生きと、その肉体に宿っているのを。
 
 
////////////


少し、悲しいことがあった。
 
日常的に祖父母と過ごすようになって三年。
とくに祖母の病気のことで、悲しい言葉を聞くことは少なくなかった。
ある程度慣れることも必要だし、
相手に悪意があるときは、ちくりとやり返したりもした(笑

それでもなかなか慣れられない、こんな言葉。
 
「ボケちゃっていてもそんなことができるの?」

言った本人にまったく悪意がなかったとしても、
そこには無意識のうちに
「この病気になったら、人ではなくなる」という思いが紛れ込んでいる。

障害や病気を持つ人は、自分とはちがう世界の生き物だという感覚。
正しくは、「別世界のものであってほしい」という願望。

そのこと自体を責める気はない。
人それぞれ立場も生き方も色々だから、
そのときそのときのキャパシティに合った形で
自分の心をプロテクトすることは、むしろ大事なこと。
生きていなければ、先はないのだから。


けれど、これだけは知っていて欲しい。

認知症であるにもかかわらず愛情を示せる、のではない。
認知症とは関係なく、ばあたんは、
いま自分のおかれた状況の中で、持っている力を自然に発揮して、
自分の心に沿うように生きようとしている。
それだけなのだということを。


そしてこれは、認知症に限ったことではない。
祖母の病気よりも深く、意思表示や感情表現が障害される
そんな病気はたくさんある。
―あるいは、こん睡状態や脳死状態に陥るといった場合でも…

たとえこちらからのアプローチに反応しない状態だとしても、
それは「感情や意思がなくなってしまった」ということではない。
たとえ表現されることはなくても、
患者の意思も感情も確かにここに存在しているのだ。

彼らの想いの具体的な部分こそわからなくても、
そう確信を保ちながら看病や介護にあたる。
むしろそれが、わたしたちに出来る数少ないことのひとつだ。

少なくともわたし自身はそう思っている。
 
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逃げて、逃げて。その先にあったのは。

2006-07-17 00:51:12 | 介護の周辺
「お前さんは召使だ」と言われた、その翌朝。

祖父宅に行く前に、じいたんに電話を入れた。
こんな気持ちのままで、じいたんの前に登場することはできない
ましてや、今日の祖父宅の準備を晴れやかに行うことは難しい
そう強く思ったからだ。

曇りをきれいになくしておきたかったから、思い切って電話を入れた。

電話に出るなり
「やあ、お前さん。もう来てくれるのかい?」
と声を掛けてくれるじいたんに

「じいたん、あのね。
 昨日、書斎でじいたんがわたしに言ったこと、覚えているかな。
 あの言葉は辛かったよ、本当に辛かったよ」
と切り出した。

どんな反応をするだろうか、内心心配だったけれど
とにかく、素直に感じたことを、落ち着いて話そうと腹をくくった。
ここを率直にクリアできなければ、介護者としての明日はもうない
そんな気がしたからだ。


わたしは昨日、祖父から言われたことを淡々と話した。

「きっと本音じゃないってわたし、信じているけれども
 じいたんに直接、ちゃんと否定してもらいたいんだ。
 でないと、辛いの…」

最後のほうは、言いながら涙声になってしまった。

じいたんは、とても驚いた様子で
でも、朝だったということもあって気持ちが落ち着いていたのか
一所懸命に答えてくれた。

「たま、それは可愛そうなことをおじいさん、言ってしまったね。
 済まなかった、本当に失礼なことを言って済まなかった。

 おじいさんは夕べね、疲れていたようで、
 昨夜の書斎での話し、細かいところはよく覚えていないんだよ。

 けれども、いつも気丈なお前さんを、こんなに泣かせてしまって
 お前さんが心から悲しがっていること、おじいさん、感じるんだよ。
 かわいそうに、本当に済まないことをしたね。」

と、わたしが幼かった頃のじいたんのように、優しく詫びてくれた。

怒りと悲しみでいっぱいだった気持ちが、
まるで何事もなかったかのようにすうっと落ち着いていくのを感じた。

そして何より、じいたんが
会話の内容を覚えていないというのにも係わらず、
わたしの言い分に耳を傾けてくれたこと。

そのことに対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

だいじょうぶ。水に流せる。

わたしは、今のじいたんが好きなんだ。
和製ドンキホーテでもなんでもいい。
長く過ごしていれば、許しがたい発言のひとつやふたつも出る。
それでも今の、このままのじいたんが好きなんだもの。
それが全てだから。


電話を切ってすぐにじい宅へ行き、
伯母と従妹とその赤ちゃんを迎える支度をした。
簡単な掃除やタオルケットなどの準備、
果物を冷やしておくなど、
用事はすいすい片付いていった。

そうやって、気持ちを切り替えられたつもりでいた。
彼らに会えるのは私だって楽しみなのだ。
そのはずだった。



だが。
彼らが来てから一時間ほどお相手したものの、
団欒のなかで、不意に昨日の祖父の言葉が何度もよみがえり
たまらない孤独感に身が削られる思いをする。

痛い。痛い。痛い。
こころが削れてしまう。

叔母たちへの嫉妬なのか、それとも
己を召使のように感じる気持ちからなのか。

結局、わたしは逃げ出してしまった。
「昨日急に、就職の面接が入ったの」と嘘をついて。
(まるっきりの嘘ではなかったが、翌日でも構わなかったのだ。
 採用説明会みたいなものだったから…)


一睡もしていない頭でいつ失言するか、とずっと緊張しっぱなしだった。

それに、彼ら―じいたんも含めて―の不用意な言葉
(決してそこには悪気はないのだけど、
 だからこそ聞く側が傷つく、そんな言葉だって、存在する。)
を聞いたら、今日のわたしは脆く崩れて思考停止してしまいかねない。
そう直感した。


心をこめて、義務は果たした。
これ以上ここにいる必要はないだろう。
なにより、今日のこの団欒を楽しみにしていたじいの気持ちを思えば
それを壊してしまうようなリスクは全部取り除きたい。

ならば。

逃げよう。逃げてやる。わたしは道化でもなければ修行者でもない。
ただの人間だ。

みんなに辞去のあいさつをして、
笑顔を向けたまま、祖父宅のドアを閉めた。



廊下に出て、エレベーターに乗った途端。
顔の左半分がぴくぴくしだした。

ばしばし叩いた。つねった。引っ張った。
でも止まらない。
そして喉をぎゅうっと詰められたような感触。

わたしは、フロントの人目を避けるようにして、裏出口から外へ飛び出した。


「家に着いたら履歴書を書こう、
 あるいはその足で面接にも顔を出せば建設的だ。
 無理やりもぎとった、わたしの時間なんだから
 有効に使わなければ。」

そう思っていたたのに。


いったん歩きだしたら、止まれなくなってしまった。


逃げて、逃げて、逃げて。
急いで、行かなければ。
どこでもないけれど行かなければならない場所なのよ。


見慣れない木の実を何とはなしに眺めながらふと

「ああ、徘徊する時ってきっと、こんな気持ちなんだろうな」

そんなことを今更、自分自身の身体と心でぼんやりと感じて。
いったい何から逃げているのかわからないまま歩き続けた。

(いつだって「未知なるもの」は、
 人を恐怖のどん底に突き落としかねない、
 不思議な種子を孕んでいるのだ、―そう、ふと思う)


いつも立ち寄る書店を素通りし、
広々とした公園を抜け、
森を迷い、道路を歩いて、橋を渡り、
知らないバス停の名前を確認して

気付いたらとある駅前にいた。


広場のほうからかすかに、ピアノの旋律と歌声が聞こえてくる。

見ると、黒髪の女性がソロで、
電子ピアノを―多分ラピュタのテーマだ―演奏していた。

一心不乱に演奏する彼女の、後ろ姿に目が引き寄せられた。

何人にも触れさせないと無言で告げる、しなやかな背中。
なのにその背中は同時に、ほのかな暖かさを放っている。


と、そこから見えない翼がみるみる伸びて、
ふわりと聴衆を抱き締めたのが見えた。


自分の足が止まったことに、ようやく気付く。
顎に冷たいものがすぅっと滴ってくる。

わたしは、人目もはばからずポロポロと泣いていたのだった。


「かみさまってきっといてはる」
そんなふうに思うのは、こんなとき。


逃げて、逃げて、感情から逃げて、
ただひたすら歩き続けることしかできずにいた。

そんなわたしにさえ、天は、自然な偶然の中に
こんなに豊かな空耳を織り込んで、さらっと届けて見せてくれる。

そのことに、ただ素直に感謝したいと思った。


祖父宅を出てから二時間がたっていた。
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水飲み場の珍客、森の中の相方。

2006-07-15 01:18:25 | 介護の周辺
ある日の夕方、ここのところ調子があまり良くないわたしを
(日曜からこっち、食あたり&脱水その他でかなり発熱したりしたのだ)
相方のばうが、散歩に連れ出してくれた。
会社のお休みを半分だけ使って。

少しずつわたしを庇いながら歩く、ばう。

どこへ行くのかな、と後をついて歩いていたら、
家の近所にある、広々とした緑地帯へ。

目と鼻の先にあるのにもかかわらず、三年も暮らしていたのに
一度もまともに歩いたことのなかった
そんな場所だ。
近隣の緑地帯とも道でつながっているので
全部歩くとかなりの距離になる。


それでもうれしい、歩くだけでもうれしい。
だって、まるで普通のカップルみたいだ。

ばうが、わたしを慰めるためだけに、
何も言わずに、ここでデートしようと連れてきてくれた、この森。
どんな豪華な旅行よりも、うれしい。


***************


歩き始めてしばらくすると、のどが渇いた。
ちょうどそのとき、きらりと光る銀色―水飲み場が見えた。
だがそこには、こんな先客が。



一見、なんてことない場所に居るように見えるのだが
実はここ、ちょっとばかり特等席っぽい雰囲気にあふれている。

少しカメラを遠ざけてみると、こんな感じ。



そしてさらに俯瞰図を捉えると、こんな感じ。



わたしたちが近づいても、逃げようともしないで
悠然と、涼しげに身体を横たえている。

相方は結局、水飲み場を諦めて
スポーツドリンクを買っていました^^:


*****************


とても蒸し暑かったのだけど
不思議と、歩くのは嫌じゃなかった。

空気がなんとも言えず、やわらかいのだ。

木々や草花がひっそりと吐息を漏らして
わたしの皮膚へとしっとりと沁みこんでくる。

風がそよぐたび、森の良い匂いが
鼻腔を、頬を、耳たぶを、やさしくくすぐる。

いろんな鳥の声や、ひぐらし、小動物の足音は
森の中の生態系の豊かさを、わたしの魂にそのまま供給する。


もともと山を切り開いて作った街であるだけに
自然な山にも似た気配をあちこちに残しているのかもしれない。
たとえば、本物の竹林などもしっかりとある。
竹林の静寂がこんなに心地よいなんて、はじめて知った。


沢に下りてみると、キノコを発見。



かさがすっかりめくれあがっているけれど、
却って想像を掻き立てられる。

見た目はまるで杯みたい。けれど本当は妖精の寝床だったりして。
「ばあたんの好きな、ティンカーベルが眠っていないかな」
なんて思ったり。



こちらは、「なんだか食べられそうな茸だな」というところが素敵。
でも、かわいそうだから摘めないんだけれど…^^;

そして、このキノコをカメラに収めようと苦戦していたわたしを
遠くから眺めていた、相方ばうばうの姿。



遠くからわたしをデジカメで撮ろうとしている。

この写真、たかが携帯カメラなのですが
わたしの中の相方のイメージに、すごく近い写真になった。

いつも一緒にいられるわけではない、わたしと相方。
だけど、遠くにいても、見守っていてくれる。
面と向かって護ってくれるのではなく
遠くから、影から、後ろからそっと支えていてくれる。

そして顔など見えなくても、わたしは知っている。
あたたかい表情で笑っていてくれていると。


*************


自然の中を、休み休み歩いているうちに、
出なくなってしまっていた汗が、少しずつ滲むようになった。
飲むと吐いてしまっていた水分が、のどから吸い込まれていく。
肩こりが和らいて、だんだんと頭がすっきりしてくる。

自然のなかで愛情に包まれる。
自分のなかの力が、少しずつよみがえる。


まだしんどさが残っているものの、完全復帰まであと少し。
コメント

身体で感じるということ。

2006-06-29 02:50:24 | 介護の周辺
柳田邦男の本「犠牲―サクリファイス―」の中に、こんな描写がある。

自死を図り脳死に陥った次男が、
もう脳波もフラットになりつつある状態にある。
それでも、筆者と交代で傍に添い続ける長男がこんなことを言った。

「不思議だね、身体で話しかけてくるんだよ」

とても的確に表現されているなぁ、と思った。


////////////


わたしは、ばあたんと一緒にいるとき
視覚の情報だけで…つまり彼女の言葉や表情のみで
ばあたんを感じるのではない。

むしろ、皮膚感覚に近いのだ。

たとえ言葉での意思疎通がむつかしくても
じかに手で触れ合うと
あるいは触れ合わなくても、
同じ場所で並んで座って、呼吸を合わせる
ただそれだけで
彼女の気持ちが流れ込んでくる気がする。

緊張しているか、心を閉じているか、
あるいは、リラックスしてくれているか、喜んでくれているか。


ただじっとして座っているだけで…
というと分かりづらいかもしれないので

割と気持ちがピンと来るときの様子を
ためしに書いてみると、たとえば


隣にすわったときや背中をさすったときに感じる
筋肉の微妙な緊張であったり、
(これは落ち着こうとしているサイン)

頬をくっつけてじっとしている時に伝わってくる
皮膚のわずかな緩みであったり
(これは、ほっとしているサイン)

手をつなぐ時の、一瞬のためらいであったり
(こういうときは私が誰だか分かっていない)

一緒に歩くとき
靴音にちらりと隠れた、朗らかさであったりする。
(楽しい気分でいてくれているのだ)


それらはほんの一瞬、現れて
すぐにまた通り過ぎてしまうのだけれど。

 丘の上で走る列車を眺めていたら
 車窓に、旧い友人の横顔を一瞬、見かけた気がする

 そんな感じで。


ばあたんは、どんなになってもわたしのばあたん。
病が深くなり、見た目にはどんどん様子が変わっていくけれど
ほんとうは、何も変わってなどいないのだ。
証明できないじゃないかと言われるけど、嘘じゃない。

接し方がわからないなんて心配しなくていい。
彼女は、未知のものになってしまったんじゃない。
確かに確かに、「ばあたん」なのだ。

もちろん、言葉の掛け方やスキンシップの取入れなど
そういうことは確かに幾らかの工夫がいる。

 (たとえば失明した友人がいたとすれば、手を貸すでしょう。
  たとえば聴力を失った友人がいたとすれば、筆談をするでしょう。
  そういう場合と同じように。)

けれど
こころは
(ここが難しいのだけど「こころ」は。
 誰かのふりをしつづけることもあるから)
昔と変わらず

「夫と妻」「母と娘」
「母と息子」「祖母と孫」

二人の関係性のままに、
愛していると伝えればそれで充分なのだと感じる。

そこに言葉がなくても、
ただ彼女のとなりに腰掛けていれば、

ただ心をこめて心をさすることができれば、それで。


犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日

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非連携的なプレイ(笑い話風味)

2006-06-28 02:04:33 | 介護の周辺
五月のとある深夜、ばあたんは入院先の病院で転倒して頭を強打、
別の病院へ搬送された後、とある大学病院の救急へ再び搬送された。
そのときの話。


///////////////

それは、金曜の夜の出来事だった。

たまたま出張でこちらに出てきた伯父と二人、
ばあたんの後見人の申請に必要な書類を整理した深夜、
わたしは相方ばうと二人、祖父のマンションを出た。

自宅で餃子などをつつきながらおしゃべりを愉しんでいた真夜中、突然携帯が鳴った。
見ると、じいの住むマンションのフロントからだ。


「おじいさまが、こんな夜中にお一人でお出かけになるとおっしゃっているのですが…
 なんでもおばあさまが倒れられたとのことで…」


・・・???
いや、緊急事態というのは即座に理解した。
したんだけど

それになんでだ?わたしの携帯が第一連絡先だったはず。

というか、・・・伯父は?


「伯父様はさきほど、タクシーでお出かけになられました」

そこですぐ、祖父に電話をかわってもらったが、
祖父は興奮していてイマイチ話の要領を得ない。


横にいた相方が、気を利かせて、伯父の携帯へ連絡をとってくれる。
そして、事のあらましをとりあえず確認すると…

 祖母が転倒して頭に怪我をしたのだけど、
 外科の医師が当直していないので
 別の病院に搬送された、との連絡があったとのこと。

 電話を受けた伯父は、
 自分も慌てていたのであろうか

 じいたんのマンションに泊まっているというのに
 呆然とするじいをマンションに一人残して
 取るものもとりあえず
 タクシーで祖母の搬送先へ向かったらしい…orz


そしてじいたんはというと、
一人になってから「おばあさんのところへ行かねば」と思ったのだろう
ばあたんの転院先も良く分かっていないまま
夜の街へ飛び出そうとしていたようだ。


「たま、おじいさんは待たせておいてくれ」
と、一見冷静なようでいて
自分がもしも祖父の立場なら…とは考えられない状態の伯父と

「お前さんに止められてもわしは一人で行く」
と、和製ドンキホーテな発言をするじいたん。


わが身内たちの、
あまりの非連携的なプレイにめまいがした。


が、気を取り直して
まずフロントの人に、祖父が呼んだタクシーを追い返してもらう。

そして「おじいさんとマンションで待っていてくれ」という伯父には
後で申し開きをすることにして

 (老いた妻が頭を強打して別の病院に搬送されたと聞けば
  夫ならば真っ先に飛んでいきたいに決まっているからだ。
  高齢の夫婦であればこそ、なおさらなのである。
  もし検査の結果、いのちに係わるような異常がみつかったら…)

ダッシュで着替え、相方と二人、
タクシーでじいたんを拾って転院先へ向かうことに。

じいたん宅に着く前に、入院先へ連絡をした。
上にも書いたが、ばあたんが何かあったときの第一連絡先は
わたしの携帯にと頼んであったからだ。

聞くと、スタッフさんも慌てていたので、
保証人である伯父に連絡したらしい。
そして伯父は、上に書いたとおりとなったわけだ。

 でもわたしにくらい電話欲しかったな…。・゜・(ノД`)・゜・。 
 いや、寝かせて置いてあげようと思ってくれた気持ちはわかってるんよ。
でもね、どうせ現場での対処はわたしが一番たぶんよく分かってるし
 手術入院ということになればわたしが毎日通うわけだし
 なにより、じいたんの性格を考えて…orz


マンションに到着すると、
じいたんは、焦ったような泣きたいような顔で
ぽつんと、人気のないロビーのソファに腰掛けていた。

相方がナビをし、運転手さんと協力して病院に向う。
途中、予想通りまた別の病院に搬送されたのだが
(じいたんを捕まえておいて本当に良かった)
その辺も相方はそつなくやってくれている。

その様子を見ていて少しほっとしたのか、
じいたんはタクシーの中でずっと、

「何でお前さんに連絡が行くんだ」
とぷりぷり怒っていた(汗

結局、タクシーの車中で、
祖母の頭の中で出血が起こっていること
そして手術になるかもということが判明し
叔母宅にも連絡を入れないといけない事態になったので
最後にはじいたんも分かってくれたんだけど…


おかげさまで
祖母はさいわい、それほどひどい状態ではなく
(硬膜外血腫を起こしていたが手術しないで済んだ)
数日のうちに元の病院へ戻ることができた。

1~数ヶ月をかけて慢性硬膜内血腫に移行する例が
三割ほどあるとのことなので
まだ今は様子見段階なんですけれどね^^;


祖母の転倒に垣間見える彼女の状態に加えて、
我が一家の連携の現状がよく把握できた夜でした…^^;


これから先、こういうことは増えるだろうと思うので、

今回のことはいわゆる「予行演習」だったのだ
と思うことにしようと思う。


追伸:
 余談だが、今回の一番の功労者はフロントのSさんだ。
 わたしたちが祖父を迎えに行くまでの間、
 世間話をして、祖父の気をそらせていてくれたらしい…

 フロントのSさん、GJ!!
 マジでありがとう!!
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男性同士の友情のかたち。

2006-06-19 03:08:29 | 介護の周辺
先日の日曜日の朝のこと。

マンションで最近、じいたんと親しくなった男性が、
とても珍しい花をプレゼントしてくれた。

「奥様にぜひ一輪、持っていって差し上げてください」

手渡されたのは、ホタルブクロ。
ごく薄い紫が控えめに差す、やわらかな色合いが素敵だ。



その方は既に80歳前後だと思う。
弓道6段、剣道5段の腕前で、
袴姿の美しい立ち姿が遠めにもすがすがしい。
奥様はとうに亡くされ、
今はお一人で、じいたんと同じマンションで暮らしている。

きっと彼は、鍛錬のために行き来する道端で
この花を見つけたのだと思う。



何気ない気持ちで、少しばかりの危険を冒して
(ホタルブクロは、採りづらいところに自生していることが多い)
この花を数輪、手折ってきてくれたのだ。
妻を思う、じいたんのために。

道端で摘んできた珍しい花をさりげなく渡してくださる
そのお心が、うれしかった。




じいたんは手近にあった、きれいに洗った牛乳パックに
ホタルブクロを活けて、

「どうだい、お前さん。なかなかいい思い付きだろう」
と、すこぶる満足そうに笑った。


<参考>ホタルブクロ
http://contents.kids.yahoo.co.jp/zukan/plants/card/0602.html
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介護者として人を観察するということ。

2006-06-12 20:55:20 | 介護の周辺
介護者として相手を観察する上で大切なのは

相手と接しているときに
ふとした瞬間に感じた「違和感」を
心にとどめておくということだと最近思う。

その「違和感」は、一種の「皮膚感覚」のようなものなので
明確に言葉にして表現することは難しい。
どこが以前と変化したのか、何が気になるのか
明確に指摘できない場合が多いのだ。


たとえば、

 通勤で使う駅に掲げられている、見慣れた広告看板に
 一箇所だけ、まちがい探しの絵のような
 「いたずら」が施されているとする。

 どこが違っていたとはぱっとは答えられないのだけれど
 「なんか変だなぁ…」
 という感覚だけがちらっと
 ―それこそ一瞬で忘れてしまいそうな程度に―
 頭をかすめる。

 だけど出勤途中なので
 その場でまじまじと広告を見直すわけにはいかない。
 ともすればそのまま忘れてしまいそうな、そんな違和感。

あるいは

 棒の先に鈴が、ぶどうの粒のようについていて、
 それを振ると「しゃらん」と音がする
 そんな楽器があるとする。

 その鈴のうちひとつふたつが、
 ある日ただの金属の玉にすりかえられている。
 楽器を鳴らすと、微妙に前と何かが違う「気がする」のだけど

 「気がした」自分の感覚を一瞬、疑ってしまう程度の
 感覚へのかすかなひっかかりがあるだけで
 何がどう違うということを明確に表現できるほどではない。 
 ましてや 音を聴いた瞬間に
 「実は金属の玉が混じっている」とは気づけない。

そういった感じである。


いちいちその、感覚的な違和感について神経質になっていたら
ノイローゼになってしまう、そういった意見もあるかと思う。

だからこそ「心に留めておく」のにとどめるのだ。
振り回されない程度に、覚えておく。


その場では「…あれ?」と一瞬思うのだけれど
うっかりすれば忘れてしまいそうな
(他のことに気をとられていれば気づかない、その程度の)
相手のちょっとした「昨日までと違うところ」
つい「気のせい」だと流してしまいそうなこと

そういったことを、やんわりと
心の片隅にメモしておけることが大切なのだと思う。
あいまいな違和感を、間に合わせで定義づけせず
あいまいなままで保留しておいて
相手と接しつづけること、とでも言えばいいのだろうか。


そうやって、何度か違和感と触れ合っているうちに
違和感の正体に気づくときが必ずくる。

人というのは基本的に、変化というものを嫌う生き物であるが、
何か起こったときに、より早くその変化に順応し
落ち着いて必要な手立てを打てるのだと思う。


いま、じいたんと日々接していて、
前の日記に書いたような変化をうれしく思う一方
こめかみの皮膚にぼんやりと、こういった違和感を感じることがある。

だからといってすぐ大騒ぎするというのではなく、
その場で手は出さずとも、見守る目は離さないようにすること
それがたぶん、わたしとじいたんを護ることになる

そんな気がするのだ。
コメント (4)

月のひかりの、ゆりかごのなかで。

2006-02-13 02:19:13 | 介護の周辺
土曜、身内にちょっとした心配な出来事が起こった旨、報せが入った。
それで、この週末は、
あちこちに連絡や問い合わせをするなど、多少ばたばたしていた。

こういうときは、92歳の祖父の名代としても動くので
心身ともに引き締まる。

目上の親族と話をするときはもちろん、外と交渉するときも、
祖父の代わりとなると色々。
親の代理をする倍、細やかになる。
やはり祖父や他の家族に恥をかかせないようにと思うので…

でも、こういう機会をたくさん与えられて、
どんどん社交的なことで鍛えられていく
というのも、

今のポジション(祖父母の主たる介護者、あるいは代理人)をつとめる醍醐味。


仕事のなかで覚える、さまざまな対応のコツとは、ちょっと質が違うのだ。

貴重な経験をさせてもらっている、とありがたく思う。


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最初に書いたこととは別に、
昨夜から、ちょっとした面倒ごとがあった。

そんなわけで、あれやこれや…が一段落して、
ひとりぼっちになったら、
ふと、とてつもなく寂しくなった。

寒い部屋で、日曜の深夜に、ひとりきりで。


月一のお客さんでお腹は痛いし、

手足を暖めても暖めても、
冷え切ったまま全然温かくならなくて。
気がついたら冷蔵庫にも、からっぽに近いし。


この疲労感は、
他人様に振り回されすぎたせいもあるんだろう。
これはあかんわ、とおもったら、何があってもスルーが賢いのだ。
ばあたんが遠い昔、わたしに教えてくれた言葉を思う。


午前零時を過ぎたらお酒は飲まないと決めているのだけど、
軽く飲んで寝よう。今夜だけは。


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こんな、どこか情けなくて頼りない気分の夜には、
カカオ風味の温かいお酒がいい。
アイリッシュコーヒーとか、カルーアミルク風の飲み物とか。

何か、一杯作ろうと台所に立ったら、
あいにく、コーヒーやミルクまで切らしている。

それで、コートを引っ掛け、家のすぐ近くの自動販売機まで、
缶コーヒーを買いに飛び出した。


外へ出ると、それほど寒くはなくて、
天の高いところに、満月が燦然と輝いていた。

しばらく、見とれていた。




わたしの大切な人たちの上に、
この満月の光が、わけへだてなく降り注いでいる


そう思うと、じわりと、無条件のうれしさが
静かに、こみ上げてきた。


みんな、あたたかくして眠ってくれていたらいいな。
月のひかりの、ゆりかごの中で。


心がすうっと慰められた。
ちゃんと寝て、明日も元気なわたしでいないと。


ありがとう。ありがとう。

みんな、ありがとう。

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未明の鎮魂歌。

2006-02-06 03:31:08 | 介護の周辺
 昼は比較的穏やかだった空が、日が沈むとともに雲と風を孕んだ。夜が更けていくにつれ、風は嵐へと姿を変えた。
 熱っぽい頬を、髪を打ちつけるその力に何故かあかるい開放感を感じて、わたしは、分子が集まり怒涛のように駆け抜けていく先を…夜空を見上げた。

 部屋に帰り着き、食事をとり、相方が寝息を立て始めてから、今日ブックオフで入手した柳田邦男の「犠牲―サクリファイス―わが息子・脳死の11日間」を開き、ルービンシュタインのショパンを聴きながらこの夜を過ごす。
 今夜、ぴったり17回忌を迎えた父とわたしのために。父は大の音楽好きだった。とりわけショパンをこよなく愛していた。

 心停止の直後、医師からオファーを受けた死後脳の提供。半狂乱の母を説得し、承諾書にサインをしたのはわたしだった。
 拒否もできたオファーを敢えて承諾したその「本音」を、わたしは誰にも話したことはない。けれど、ひとかけらの誤魔化しもなく憶えている。忘れられるはずもない。これは十字架だ。
 一生背負っていこうと決めたのだ。なにかひどく眩しい光がわたしを照らした、あの怖ろしい未明に。

 あれから16年が経ち、わたしは生きている。そのことに、ようやく、かすかな喜びを感じるようになった。あの凍えるような夜の嵐に打たれることさえ、幸福の証だと感じる自分を、見つけつつある。
 未明に漏らしてしまった嗚咽で、相方を起こしてしまった。
 でも、生きている。


 止まってたまるか。止まってたまるか。
 わたしは今、生きている。
 こころがそう、感じて震えている。
 わたしは、自由だ―

 17回忌を営めなかった父へ、手作りのmourning work.
 そして。

 夜が明けたら
 また、
 わたしは、
 前へと進みつづける。
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