じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

「帰ってきたこと」を、生まれて初めて

2006-01-20 16:32:45 | 自分のこと
わたしが、ここへ帰って来れないままでいる間、


コメントを、そっと置いていってくれた方
毎日、そっと覗いてくださっていた方

何気ないメールを、ひらひらと、届け続けてくださった方
応援の長いお手紙をくださった方

そして、なにも言わず毎日、更新されていないか
ひたすら、覗きにきてくださっていた沢山のみなさま


この身には過分な、濃やかなお心遣いを頂き、
本当に 本当に ありがとうございます。




わたしは
怖ろしい旅に、出ていました。

真っ黒い、真っ黒い、海へ。

過去という名の、永遠のカオスへ。
未来という名の、永遠の架空へ。
身体を現実の「いま・ここ」に縛られたまま。



わたしは とっても 弱っちいから

途中 
首がちぎれるかと思いました。




だけど、

わたし、

帰って来ました。


やっと、やっと、帰って来ました。

ここへ。



わたしから、わたしを、取り戻して
この場所まで

―わたしの、もう一つの、いのち。


この、商業的価値も何もない、
凡百の身のこころを綴る、

この、ささやかだけどたいせつな、ブログまで。


うれしい。うれしい。うれしい。
キーを叩く手は止まらないけれど、嗚咽も止まりません。



わたしはずっとここに、ここに帰りたかった。


家などとうの昔に喪った自分のために、
自分でコツコツと作った、こころの家。

いくら出来が悪くても、ここだけはわたしの家。
ここだけは、血族だろうがなんだろうが冒させはしない。



途中、

もう、だめもしれないと思っていました。
本気で もう だめだ と思った。


だけど、生き残れた。
この編集ページにログインすることが、出来た。

gooの巡回先すら読めないほどだったのに。




ごめんなさい。
大騒ぎ。


でも まさか 生き残れるなんて。
あたしは今度こそ破綻すると思ったのに。


決して大げさなのではなく

生まれて初めて
「生き残ったこと」を
こんなにも うれしく思った。

それはきっと
今のあたしには 帰る場所があるからだ。
このブログが。あるからだ。


自分が生き残れたこと
ただそれだけが、うれしいんです。
なんて身勝手なんでしょう。


自分が生き延びたことが


みなさんともう一度 ここで お目にかかれる
そのことが ひたすらひたすら


・・・うれしいんです・・・




久々に、かの地へ。

2006-01-07 08:54:02 | 自分のこと
今日、広島へと発ちます。
妹の結婚式(1/8)に出席するためです。

ああ、でも、胃に穴が開きそう…。・゜・(ノД`)・゜・。

じいたんがどうやら、風邪気味…。
なのに、ショートステイその他は嫌みたい…orz


わたし自身、正月前後張り切りすぎたのか、
この二日間発熱してへろへろになっておりました。
(とりあえず風邪ではないらしいです)
いや、それでも to do は何とか片付け…たか?あと一歩。

やっと先ほど熱がさがってきて、
頭痛も治まってくれ、ホッとしています。

あとはじいたんをどうするか。
幸い、今は落ち着いているので、
介護職のかたと、従妹に、頼んで…


あ、そうそう、takeさんところで頂いたものを、
ちまちまと紅茶で食べて、体力を維持しております。

何故かこれだけはおいしくいただける。
めっちゃ感謝です。ありがとう>takeさん


健康って大切ですよね。
当たり前のことに思っているけれど、そうじゃない。


年が明けて、インフルエンザが猛威をふるい始めています。
風邪も、みんな、引いているみたい。

皆さまもどうかお体にはくれぐれも気をつけて…

天国からのラブレター。

2005-12-31 10:23:35 | 自分のこと
数日前に、夢を見た。

人生の節目に見る、重要な夢だと直観した。


年末のご挨拶に代えて、皆さまへ、届けます。

親である人、まだ子供の立場の人、みんなに読んで欲しいです。


***********


場面は、妹の結婚式の、当日の朝。
(実際に、妹は1/8に結婚する)


先に妹を式場に送り出し、わたしは必死で花を生けている。
(ブーケを作り、家中を花だらけにしている)

わたしの身支度は半分程度、済んでいる。
化粧が、まだだ。



ふと、母が、まだ眠っていることに気づく。

わたしは、何度か彼女を起こそうとする。
でも母は
「もう少し、眠らせて…」と、起きる気配がない。

仕事三昧で疲れているのだろうから
着物の用意だけして、
ギリギリまで寝かせてやろう、と思う。
多少、いらいらしながら。



そのうち、何故か来賓が家に、次々と押し寄せてくる。
会場に行くはずの客が、続々と。

散らかった室内を慌てて片付けながら
コーヒーを出し続け、
合い間に、母に目覚めるように促す。

それでも彼女は、まるで睡眠薬でも効いているかのように
目覚めようとしない。


客の接待を続けながら、私は半分やけになって、
使えない花を処分しようと手にする。
心の中で「本当にこれは処分していいの?」と問いながら。

そのとき、

母の隣の布団に、父が眠っているのに気づいた。
彼は夢の中でも病気がちだ。


父に問う。
「ねえ、お母さんが起きてくれないの。どうしたらいい?」

父は答える。
「お母さんの好きにさせてあげなさい。
 君は、だいじょうぶ。」

少しばかり、意味がわからないまま、
わたしは父の助言に従って、
母に声を掛けながら、客の接待をし続ける。



結婚式の時間が近づいている。
どうしよう。どうしよう。間に合わないわけにはいかない。
お客様も、式場につれていかないと。


たまりかねて、呆然と花を握るわたしに、父が言う。

「たま。自分を信じなさい。
 僕は、たまがもう一人前の女性だと知っている。」

そういったあと、父は、極上の笑みをわたしに返し、
とても満足げに目を閉じる。


不意に、


現実では、父が既に亡くなっていることを思い出す。

ああ、これは夢なのだ、と悟る。
でも信じられない。

たった今、あんなに大事な言葉を投げてくれたばかりだというのに。


・・・父にそっと、近づく。


穏やかな表情。だけど、…息をしていない。

「ああ、そうだ。お父さんは、…」

わたしは、彼の死を改めて確かめようと、父の頬に手を伸ばす。


頬に触れられる、まさにその瞬間、


目が覚めた。


************


目覚めて、しばし呆然と、半身を起こしていた。


そして突然、気づく。


この夢は、

今、決断につぐ決断、厳しい状況のなかで
迷いと悩みのさなかにいるわたしを、
自然に助けるために、現れた、メッセージだ。


父が…わたしの中で生きている父が、
…そして、彼を抱き続ける、心の奥のわたしが、

わたしへと、届けてくれたラブレターだったのだ、と。

父の形見―自分の身体―を抱きしめて、慟哭。



  現実の母は、人間として魅力ある女性だ。ただ、
  「母親」という役割にはあまり向いていない人。
  夢に出てきたとおり。

  だけど、そんなことに、捕まらなくていいのだ、もう。
  あるがままの彼女を、あるがまま愛し続ければいい。

  そしてわたしは、何も心配しなくていいのだ。
  自分の女性性にも、母性にも。

  わたしは、自立を果たしたのだ。
  そう、改めて、自覚してもいいのだ。


わたしは、自分を、認め、赦していいのだ。


お父さん。天国にいる、お父さん。

思春期にあなたを喪ってから、

さんざんわたし、迷走してきた。
お父さんを泣かせるような回り道も、してきた。


だけど、あなたの愛は、こんなにも深い。
そしてそれは、今でも、変わることなく生きているのだ。

たとえ、この世の人でなくなっても、わたしの中で。



ありがとう。ありがとう。ありがとう。


あなたの娘に生まれたこと、
育ててくれたこと、

こころから、感謝します。


***********


ブログでめぐり合えた、沢山の読者様へ

両手いっぱいの、愛と感謝をこめて

2005年、大晦日に記す。

告白。

2005-12-07 05:24:00 | 自分のこと
少し、重い内容です、ご承知置きください。


ここ二ヶ月ほど更新が滞っていた理由、それを
書きたいと、思います。


病気なんかで同情を引きたくない
それに、ご心配をおかけしたくない

希望と愛を、生きることの素晴らしさを伝えるのが、
わたしのブログの目的。

だから、病の真っ只中では、お話できませんでした。


ですが、おかげさまで、山は、越えつつあるように思います。
いや、完全に超えるために

告白することを、許してください。


***********


更新が滞りがちになっていたこの二ヶ月ほどの間
わたしは、

闘病していました。


診断名は「うつ病」です。


もともと素質はあるという自覚があるので、
予防の意味で

かかりつけ医に訳を話して、必要な薬を処方してもらいながら、
介護をしてきた二年半を駆け抜けてきました。


ですが、ばあたんを入院させたことをはじめとして、
その後のじいたんばあたんの生活のこと、
親戚との葛藤、叔母の病気、妹の結婚をめぐる問題
自分の将来のこと、相方とのすれ違いなど

色々なプレッシャーが
突然一気に襲い掛かってきたこの秋…

それらが、自分を押しつぶし始めている
と自覚したある日、


吐き気とめまい、食欲不振と便秘、睡眠障害という形で、
それは現れました。

暗算や、書類作成にミスが出るようになり、
いつも笑顔が自然に出ていた、それが、出なくなりました。


多少そういった方面に明るいわたしは、
ああ、これは「プチうつ」だな、と思い
生活を変える努力を、してきました。

最初、それで何とか乗り越えられそうな様子もありました。



でも、そのうちに、
自分の意思とは関係なく、

怖ろしい考えが、間断なく襲ってくるようになりました。


 (皆様がご存知の通り、わたしは、将来に夢を持っています。

  介護を最後まで、もし許されるならやりとおすこと。
  そして分不相応な夢を、だけど諦めないで持ち、
  トレーニングを続けていること。
  自分の殻を、破って、成長し続けること。)


なのに、それでも、
その怖ろしい化け物は、

わたしの意思とは関係なく、わたしをさいなむようになりました。


「わたしは、この世からいなくなるべきだ」


明るい時間に、外へ出かけるのが怖ろしくなりました。

じいたんのことが気ががりなのに、
じいたんに、この状態を悟られるのが怖くて、
訪問することも出来ず、ヘルパーさんに指示を出し、
じいたんとの会話は、毎日の電話でしのぐ日々が続きました。


相方=ばうが、心配して、
食べられないわたしに食事を作り、風呂に入れてくれて、
サポートをしてくれていることについても
罪悪感ばかりが募り、

取り繕って笑うことも、辛くなりました。


気分を変えようと、囲碁を学んでみたり、
将来の夢を再確認して、独りの時間に勉強をしたり

そして、少しでも眠いときは眠って、

SNSの日記(ブログより気軽に書ける)に、一日一回、
短い日記をつけて、自分を保っていました。


それでも、その「想念」は消えない。


気が付くと、

一番迷惑をかけない死に方を、
真剣に検討している自分が、いました。

夜になると、気分がすこしましになるので
表へ、出るのですが

ぼんやりと「事故死ならみんな、諦めてくれるだろうか」
そんな、不埒千万な考えが浮かびます。

一番費用のかからない自死の方法を見つけて
行動に移そうとして
でも、片付けてくれる人のことを思い、思いとどまり…

そんな日が、続きました。



この「襲ってくる想念」が、
明らかに間違ったものである、ということは、
理性では十二分に理解できているのです。


「死」ほど周囲に打撃を与えるものは、ありません。
わたしは、先立たれる辛さを知っている人間です。

ましてや自死は、「自分以外の世界の全員を殺害する」
そういう行為だと、わたしは認識しています。
(自死をとげた人を、責めるような気持ちは持ったことはないですが…)

大切な人たちに、そんな思いを味わわせるなんて、絶対にいや。
生き延びて、皆を見送ることに耐えるほうが、百倍まし。



それでも、
生き延びることの大切さをこれだけ身をもって知り、
愛する人たちがたくさんいて
力をもらって、これだけ幸せであるにもかかわらず


その想念―死ななければという思い―を、
コントロールすることが難しい状態に陥りました。


察しのよい、大学時代の悪友が
ブログを読んで、「だいじょうぶ?」と電話をしてきてくれたり
やっと、関東に越してきて出来た優しい友に
愛をわけてもらったり
じいたんに、これだけの愛情をかけてもらっているのに

どうにも「その怖ろしい化け物」を除去することが、できないのです。

情けなくて、情けなくて、自分が、
でも何処かで「これは病気だ」とも判断していて、
かといって、メンタルクリニックを調べる気力もなくて





そんな矢先、かかっている整形外科の先生が、
何気ないそぶりで、
メンタルクリニックへの紹介状を書いてくださいました。

「一度行って、いやなら、やめてもいいから。
 僕に気遣いなく、とにかく、一度だけ
 お試しのつもりで行ってみて下さい。」


紹介状は普通、有料です。
でも先生は、紹介状の費用を請求なさいませんでした。

先生のお気持ちを裏切ってはいけない
それに、治るのなら治したい
その一心で、必死で、門をくぐりました。


いま、通い始めて一ヶ月ほどです。
抗うつ剤と、強めの睡眠薬を処方されています。


まだ、睡眠障害や身体症状はあまり改善されてはいないし
外へ出るのがおっくうだという気持ちは消えないけれど、

少なくとも、その
「怖ろしい考え」だけは、浮かばなくなってきました。


うつ病は、脳のなかの物質のバランスが崩れる病気です。
治療すれば、時間がかかっても、必ず、治る。

今は、早く以前のわたしに戻りたい、
という気持ちでいっぱいです。


ちくしょう、この程度のプレッシャーで
こんな病気になるなんて

自分のことが情けなくて、恥ずかしくて
消えてしまいたい、と思う


けど、逃げたくないから


「情けない自分」をも、ちゃんと、認めて
より円熟した人格を獲得したいから

そして、ありのままの自分を書き残すこと
それがたぶん
読者の皆様に対して、誠実であるということだと信じるので


そして愛する人たちを護れる、強いわたしになれるように
願いをこめて


カミング・アウトを、させていただきました。


身勝手は承知です。
でもどうか、どうかご寛恕くださいますよう、
平にお願いする次第です。


お見苦しい箇所もあったかと存じます。
最後までお目を通してくださって、ありがとうございます。


追伸:

一番怖ろしいところはもう、乗り越えたからこそ、
記事にしたので…ご報告をしたので、
ですので、どうぞご心配は、なさらないでください。
わたしはだいじょうぶです。

わたしは、もともと、楽天的な性格で、
人生を愛していて、
病気なんかに、負けるタマじゃないんです