じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

たとえ「お前は召使い」といわれても。

2006-07-16 02:41:01 | ブラックたまの毒吐き
※一部改稿しました(2006.7.16 08:44)
 また「ブラックたま」カテゴリです。本当に申し訳ないです。
 ヘビーな内容です。また改稿するかもしれませんが、とりあえずUPします…


/////////////


今週の日曜日。
じいたんの娘とその娘、そしてその赤ちゃんが祖父宅へ来訪する。
(私から見れば「叔母・従妹・従妹の赤ちゃん」)

そのこと自体がわたし、とてもうれしくて
(赤ちゃんは本当に可愛いし、従妹も祖父思いだし、
 叔母の明るい笑顔が戻ったのも喜ばしい。
 なによりじいが、ほんとうに幸せそうに笑ってくれる)

わたしは、今日は日曜の会合を良いものにしたくて、
じいたんの意向に沿うように
(そしてばあたんがいたなら準備したであろうことを考えて)
動いていた。


  母乳の関係で食べ物に制限が入っている従妹のために
  百貨店まで出向いて果物やゼリーを仕入れたり、
  四リットル分も麦茶や水を用意したり、
  彼女たちが安心して使えるタオルを選別したり、
  少し念入りに、赤ちゃんが触りそうなところを消毒したり
  ハウスダストをクリアにしたり
  祖父の認知の低下をカバーできるよう色々準備したり

そしてその合間に

  火曜に末の従妹が怪我をさせた、祖父の右腕の
  シップとサポーターを自前で差し入れしたり
  (赤ちゃんを抱けるように)

  じいたんの服の手入れをしたり
  (従妹がじいたんににプレゼントしたものを着せようと思って)

  じいたんが手詰まりになっていた「会計簿」の手直しを少ししたり


仕事のことも中途半端、そしてばうと私の記念日の買い物もそっちのけで。

じいたんにとって、スペシャルな楽しみだと分かっていたし
遠路はるばる会いに来てくれる従妹を喜ばせたかったし
じいたんに喜んで欲しかったから。


*****************


だけどじいたんは、疲れていたのだろうか
夜、会計をしているときに、突然こんなことをのたまった。

「娘とあの孫は、おじいさんにとって特別なんだよ。
 申し訳ないが、お前さんとは違うんだよ。分かるかい?」

  断っておくが、祖父は、会計がもうできなくなりつつある。
  (それでも祖父に家計簿をつけてもらっているのは、
   いくら計算が間違っていようとも、
   彼の仕事を取り上げてしまったらいけないと思うからだ)

  朝、電話を入れても、夕方には忘れているのがデフォルトだ。
  この夜も、祖父に頼まれて、会計を手伝っていたはずなのだ。
  何も問題はなかったはずなのに。


わたしが、内容を察して絶句していると

「お前さんは、おじいさんより頭がよいし気が利く。
 どこへ出しても、非の打ち所がないほど良くやってくれている。
 おじいさんおばあさんにとって非常に有用だ。

 なのに、たまらなく腹が立つんだよ。
 口は悪いが頭はよいし、気は利くし、他の人にも褒められる。
 だけど、可愛くないんだよ。娘やその娘のようにはね」

…ああ、このせりふ。知ってる。
かつてばあたんが、若かったわたしの母に投げつけたせりふだ。
それを聴いていた父は、怒ってその場で母を連れて東京へ帰ったっけ。


…だから、そんなじいたんの腹のうち、
わたしは良く知っている。でも聴きたくない。

誰もいないときはあれだけべったりわたしに甘えるのに
(妻に甘えるように。。。だ)
その口の根も乾かないうちにこんなことを口走る…。


わたしは何も言えずに黙っていた。するとじいたんはさらに続けた。


「お前さんは、明日オーダーした昼食を食べてくれ。
 おじいさんは、娘と孫とひ孫をつれてお寿司に行くよ。
 一人分浮けば、たいそうなご馳走を食べさせてやれるしな。」

まぁそれはそうだろう。それにそこまでいわれて一緒に行きたくない。
幸か不幸か、食あたりの後遺症で、わたしは寿司を食べられない。
なので「わかったよ。マンションのごはんは私が食べておくよ」とこたえると
なぜかじいたんはこう、のたまった。


「お前さんは、叔母さんや従妹と仲が悪いのかい?」

はぁ?
自分で「寿司は遠慮してくれ」といったくせにどうしてそうなる?

そんなわけないだろう!というか、そんなこと眼中にもない。
祖父の客である以上、最大限のもてなしを思ったから
今日だって走り回ったというのに。

どこかの三流雑誌の介護ゴシップみたいなことを言われてげんなりしたが、
わたしは、穏やかな口調で否定した。

「じいたん、わたしはね、日曜日に、
 たんぱく質の食あたりで38度熱が出てね、
 その後遺症が残っているんです。
 まだお寿司とかは、食べちゃダメなの。
 だから、おじいちゃんがオーダーしているお昼ご飯を
 代わりに食べて待っていようと思って。。。
 その方がおじいちゃんにも喜んでもらえると思って。。。」

と。そしたらじいたんは、こういった。

「そうかい、お前さん。ありがとう、助かるよ。
 お前さんが食べられないぶん、娘や孫にたらふく食わせられるしな。
 本当に気の利く、いい召使だお前さんは」


絶句しつつも考えた。
腹を立てるより解決策を、がセオリーだ。

そしてわたしはこんな提案をした。

「明日は、朝のうちにおもてなしの準備などをして、
 赤ちゃんに挨拶したら失礼するようにしましょうか。」

すると、じいたんは言う。

「できればお前さんもいておくれ。
 雑用をしてくれる人がいたほうが楽だからね」

「いずれはわしの下の世話もしてくれよ。
 ばあさんのときみたいに」

「娘には、下の世話とか汚いことはさせたくないからね。
 頼むつもりもないんだよ、おじいさんは。

 お前さんなら、嫌がらずにやってくれるだろう?
 お前さんがいてくれるおかげで、
 息子にも娘にもつらい思いをさせないで済んで、本当に助かるよ。」


「わたしの祖父」の言葉とは思えなかった…。

知っていても聴きたくない言葉というのはある。
 (例えばかつて、ある親戚が、わたしに
  「アンタに今妊娠されたら困るのよ!」と叫んだように)

ちなみに捏造はない。一言一句たがわずメモしてきた。


本当は部屋を飛び出したいのをこらえて
(ここで喧嘩になったら明日が台無しだ)
泣き出しそうになりながら、一言二言だけ、反撃した。


「じいたん。…あのね…
 おばあちゃんを介護していたときね。
 とてもとても大変だったけど
 わたし、悲しい思いや、気持ちを傷つけられるようなことは
 一度もなかったの。

 そのときのご恩があるから、今も頑張れる。
 じいたんを大事にして、というのはばあたんの願いだから」

「わたしはふつつかもので、癇に障って
 じいたんにとっては、子供を護るための踏み台程度のもので
 しかも小賢しい性質で、至らないところだらけで、
 いろいろご不自由もご不快もあるかとは思います。

 ですが三年間、お二人の介護は私が主にやらせていただいてきました。
 それは誰もが認めてくださる事実ですし、これからもそうでしょう。
 
 わたしは、じいたんに快適に過ごしてもらいたいとは思っていますが
 じいたんに気に入られようと媚を売れる性格ではないんです。
 お引き受けした以上、精一杯のことはさせてもらいます。
 それで、なんとか勘弁してくださいね。
 では、また明日来ますね。」

そういって背中を向けて玄関へ向かった。


じいたんは背中にむかってこたえた。

「ああ、許してやるとも。

 玄関まで送ろう。
 明日の朝、買い物と、会計事務を頼むよ。
 それからもてなしの準備も頼むよ」


じいたんが、わたしを玄関に送るのは
それなりに何か悪いと思ったときの、決まりのやりかた。

わたしは、完璧に人を騙せる、プロの作り笑いで
「明日午前中に来て用事をするから、よろしくお願いしますね。
 今日は暑かったから、ぐっすりお休みになってくださいね」
とだけ言って、玄関をばたんと閉めた。






帰り道、せつなくて、
三十路のいい年したオバサンのわたしは
吼えた。

吼えて吼えて、
でも涙が出なくて苦しくて

公園によって何十分も、
木の幹に身体をぶつけ続けて
声がかれるまで叫び続けた。

身体が疲れないと、この悲しみは消えてくれない
そんな気がして
この悲しさを、明日まで持ち越したくないから
地面を踏み鳴らし、幹を殴りつづけた。

そして、地面も幹もびくともしなかった。


**************


それでも、少し落ち着いてみると

「なにかおかしいのでは」
(じいたんの頭の中で何か起こっているのでは)

という気持ちがぬぐいきれないので
わたしなりに、じいたんの気持ちを理解してみる。


++++-+--


じいたんは、ハイになっているのだと思う。

久しぶりの曾孫の来訪。
そして、秘蔵っ子の孫(娘の長女)、溺愛していた末娘が
日曜日に来てくれる。

いいところを見せなくちゃって躍起になっている。

…つまり、日常のなかではあれだけわたしに頼っていながら、
気を許しているように見せながら

(手をつなぐどころの騒ぎじゃないのだ。
 電車で頭を凭れかけさせるどころじゃないのだ。
 自宅で暑いと、パンツ一丁になって身体を拭かせるのだ。
 わたしの体の冷たいところ―二の腕やもも―で涼を取るのだ。)

そうしていたのは、
わたしが「あの女の子供、所詮は召使。娘に汚れ役をやらせないための」
だったからなのかもしれない。

だからこそ今日も、
従妹や娘の前では立派にふるまい
わたしの世話になっているところなんて見せたくない

そんな心理が働いているのだと思う。


それでも。
じいたんの気持ちを理解していても

叔母や従妹がそろっている席で
じいたんに、上のような訳の分からないことを言われたら
今のわたしには、それを笑って受け流す余裕はない…。


認知の低下のせい
(自分が何を言っているかわからない)
だと頭ではわかっていても、気持ちがついていかない。

だってじいたんの今日言った言葉は、事実だからだ。


************


…前からうすうす、わかっていたこと、なんだけど。
今日は、本当に心のおくまでこたえた。
なんだか、どっと疲れた。

じいたんは、ここのところ暑さで疲れ気味だ。
疲れたときは、ちょっとおかしなことを口にするし
繰り返しの話も増える。
だから、聞き流すべきだ―わたしの中の冷静なわたしが言う。

でも一方で、もう一人のわたしが言うのだ。
ふだんどんな美麗字句を口から流れさせていても、
疲れきった時に口にすることが、本音である場合がある…。




同じ血を分けた子供たちであっても、あるいは孫ならなおさら
自分にとって可愛い子と可愛くない子がいる。
それはたぶん、真実なのだと思う。

理解しているつもりだ。人間対人間だからね、不思議じゃない。


だからおじいちゃんに、「召使い」といわれるならそれでもいい。

 でも、わたしがおじいちゃんに口出しするのは
(ときには嫌がられることも、そっと口にするのは)
 おじいちゃんのために良いと判断しているからだ。
 
 それだけは誇りを持っていえる。


心だけは気高くもとう。
じいたんに召使だといわれても、自分は自分を信頼しよう。

じいたんになんていわれても
自己卑下をするのはやめよう。

(第一、これこそ認知の低下の一環だという気がする。
 何を会話しているか
 何を言ってよくて何を口にしてはいけないか
 それすらもう 判断できていないという そんな状態なんだ)


努力が足りないのか?
何が足りない?

精一杯やっているつもり、なのは自分だけで
何かが足りないからこんな悲しい言葉を聴かなければならないのだろう

改良の余地を常に探して
自分でやりがいを創り出して
介護者に徹しよう。

そう自分に言い聞かせるのに

認知の低下による言葉なんだと
割り切ることができない。


一人になったとき、時々はこうやって、泣きたくなることもある。

会社に勤めていたってこういうことはあるだろう。
だからこの程度のことは、全然、特別なことじゃない。

それでもこんなにきついのは
たぶん、血が繋がっているからなんだろうな…。

 
ごめんなさい。
こんな日もあるんです。
なるべく早く元気なわたしに戻ります。

少しの間だけ 落ち込むことを許してください。

ジレンマ―介護と、伴侶と―。

2006-07-11 23:54:32 | ブラックたまの毒吐き
※例によって、推敲なしのベタ打ちです。
 後に改稿するかもしれないのですが、とりあえずUPします。


わたしは、じいたんのことが、大好きだ。

そりゃもちろん、たまには喧嘩になっちゃうこともあるし
それから、ばあたんに対する気持ちとは違うところもあるし
悲喜こもごも、いとしいからこそ憎らしいところもあったりして

じいたんとわたしの関係は、言うなればとても人間くさい。

でも、だからこそ、
じいとわたしの関係は貴重で得がたいものだ
そうわたしは思っているし、

もうすぐ93になるじいたんが、
わたしとそういう人間関係を結んでくれることに
こころの深いところでは、いつも感謝の念にたえない思いでいる。

大事にしたい、そう思う。
「お前さんが頼りだよ」といってくれるじいを大事にしたいのだ。


*************


一方で、最近とくに悩んでいることもある。

じいたんのことはとても大事で
相方も交えて三人、楽しい夕方を過ごせたとき
とても充実した気持ちになるのだけれど

それとは別に

まだ、恋人同士であるわたしの相方と
たまにはふたりきりで、のんびりデートの時間を確保したいのだが、
それが不可能に近いということなのだ。

介護をはじめて三年ちょっとになるが
わたしと相方は、まともなデートをしたことが殆どない。
祖父母のことを何も心配しないで
普通の恋人のようなデートをしたことが、本当にないのだ。


というのも、
相方がやってくるということをうっかり
じいたんに話してしまうと
すっかりじいたんは喜んでしまうのだ。
「三人で過ごせる」と…。

そして相方が来るたびじいたんは、
「おじいさん家へ泊まっていきなさい」と強く勧める。

一年半くらい前のじいたんなら、少しは気を利かせてくれたかもしれない。
でも今のじいたんは、そういう気遣いをすることは難しくなっている。


「たまには、ふたりきりで
 普通の恋人らしいデートもしたいんだ、じいたん。
 行って来るの、許してくれる?」

そんなふうに切り出してみることもあるのだが

「おお、いいともお前さん、楽しんでおいで」
と返事をしてくれた、その後まもなく
「今日は何時ごろ、二人でこちらへ迎えに来てくれるのかい?」

となってしまう。
じいたんの気持ちと自分の気持ちとに挟まれて、つらい。


***************


相方は、本当に親切なひとだ。

たとえば。

じいに会う前にふたりで二時間ほど
お茶をしよう、と事前に計画していたとする。

でも、途中でじいたんに電話を入れたわたしが
少し心配そうな顔をすると、

相方はすぐに
じいたん宅への訪問(あるいは三人での行動)中心で
一緒にいられる時間を使おうとしてくれる。

あるいは、

正月やクリスマス、敬老の日、じいたんの誕生日などにも
じいたんを一人にしたくないと思うわたしの気持ちを汲んで
相方は、かに鍋やら車やらを用意して、出てきてくれる。


その背景には
相方がじいたんに電話を入れるたび
「ばうさん、次はいつ来てくれるんですか?」
と、客人を待ちわびる無邪気な子供のように尋ねるといったことがある。

  ここで問題なのは、
  彼と祖父が久しく会っていない訳ではないことだ。
  前日や前々日に、ばうが仕事帰りに立ち寄って
  じいたんと三時間くらい一緒に過ごしているにもかかわらず
  電話をすればこの調子なのである。
  (ちなみに相方は、二日に一度はじいたんに電話を入れてくれる。)

じいは、寂しいの半分、覚えていないの半分なのだろう。

今年に入ってじいたんは、とても朗らかに明るくなった。
そしてそれと引き換えに
無邪気になっていくような部分、
去年と明らかに違う、人柄が変わったような部分も目立ってきている。


 (親族は「年だから仕方ない」と笑って言う。
  それも真実なのかもしれない。
  そして、わたしもその場ではその言葉を否定しない。

  親族の目に嵌っている「楽観(あるいは…)」というコンタクトレンズを、
  わたしが無理やり取り替えることはできないからだ。

  そして親族は、わたしの心配を「若さゆえの神経質さだ」と看做して
  人生の先輩として、わたしを諭す気持ちで
 「歳だから」という言葉でわたしの気持ちを納得させようと考えているということを、わたしは理解できているからだ。

  けれど。
  そばで毎日看ている者が実際に背負う心配や負担について、
  甘く見積もっているし、人事だと思っているふしがあるように思う。
  この注意深さがあってこそ、今まで三年間の介護生活が成り立ってきたというのに。

  また、
  じいたん自身が、自らの老化によって不自由を感じる場面が増え
  内心、つらく思うことが増えている。。。わたしには話す。
  そんなじいたんの姿もたぶん、想像するのが難しいのだろう)


じいたんに対して「手は出さずとも気は配る」から
「手をそっと出しつつ、気を配っていることを悟られないようにする」という形へ
より繊細な対応をしていくことが必要になってきた気がする。

相方はそれをわかっていて、黙って手伝ってくれているのだ。。


相方は言う。

「たまちゃんが、困らなければいいんだよ。
 笑っていてよ」

だけど。
わたしがつらいのだ。
恋人である資格がないように思うことがある。



どっちも大事だ。
だから、つらいんだ。


****************


日曜、わたしは38度の熱を出した。
原因は良く分からないけれど、食中りだったようだ。
そして、なぜか脱水を起こしていた。

それでも昨日は、祖父宅の用事を済ませたあと
夕方から、ファイナンシャルプランナーに会ってきた。

そして今日。
熱は下がったものの、肩の痛みと吐き気がおさまらないわたしを
相方は夕方遅く、近所の緑地へと、そっと散歩に連れ出してくれた。

「緑の中でなら すっきりするかもしれないし
 汗をかけば脱水でも水は飲めるようになるし
 肩こりは、散歩で取れるかもしれない」

相方はわたしの体に手を添えながら、十分な水分を用意し
「何かあったら担いであげるから」と
病院から出てきたわたしを拾って。
(彼はとても大柄で、剣道五段の鍛えた体なのだ)


相方と、わたしだけ。
ただ黙って歩く。
ときどき、珍しいものをみつけて
ふたりで微笑む。

ごく短い時間の、遊歩道でのひととき。


じいたんとばあたんが、夫婦として思い出を積み重ねてきたように
わたしと相方も、ささやかでも幸せな思いを貯金していきたい。

時間がたてばもっと、上手くやれるようになるのだろうか…。

手の出しすぎと、認識の甘さと。

2006-06-17 23:59:38 | ブラックたまの毒吐き
今日、じいたんは、20年来のお食事友達
(マンションのダイニングで一緒に食事を摂る人)を誘って、
初めて二人でお寿司を食べにいった。

相手の方は、わたしも大学時代から存じ上げている方。
ただ、骨粗しょう症をわずらって長く、
手押し車を押してゆっくりと歩行なさっている。

そんなこともあり、事前にじいたんから

「お前さん、お寿司を食べに行くから、付いてきてくれないか」

と頼まれていたので、
デイケアから戻ってきたのが確実な時間に、部屋を訪ねたのだが。


わたしの方も、相手の方を連れ歩くことについて
あれこれ心配していたので、つい、

「じいたん、お伺いする前に電話を入れておいたほうがいいよ」
とか
「あの道はだめだよ。手押し車じゃ傾斜がきつすぎるから。
 せめてご本人に、どの道が一番お楽か訪ねてみたほうがいいんじゃない?」
とか
「お迎えに行くならわたしもご一緒するけど」
とか
あれこれ先回りして、口出ししてしまった。


じいたんは、それがよほど気に入らなかったらしく

「お前さんはすぐ怒るね。黙ってなさい。」
とぶちきれてしまった。

最初はわたしも何でそんなことを言われるのかわからなくて
(だって理にかなったことしか言っていないのだ)

「あのね、怒ったりなんかしてないよ。
 わたしは、骨粗しょう症の女性を外へお連れするのに
 一般的に気をつけたほうがいいと思っていることを言っただけ。
 万が一のことがあったらいけないでしょう。」

と、思うままを説明した。
だがじいたんは、

「おじいさんが常識がないと言うのかい?
 そんなことを言うならお前さん、帰ってくれ。」

と、今度は声を荒げてわめきだした。

一瞬、頭にきたので帰ろうかと思ったが、
何度も何度も念を押すように土曜は付いてきてくれと
じいたんが言っていたことを思い出し、
(それなりに不安な面もあるということだから)
叔母にもちょっと電話を入れて、頭を冷やして

「お前さんがいいように全部采配すればいいさ。」
と、むくれたままのじいたんに付いていくことにした。


だが。

お寿司屋さん(マンションの目と鼻の先にあるのだ)で、
「卵はいかが?」
などと声を掛けても、ことごとく無視。

相手の方に気を遣わせるからと思い
じいたんと相手の方二人分取った皿も、無言で指で跳ね除ける。

子供みたいなことばかりする。

 (は~。こんなことなら何も言わなきゃよかったな。
  別にわたしが困るわけでもないし。)

そんなことを思いながら
なんとか笑顔で最後までやりすごし、

相手の方を部屋まで送り届けて
じいたんの部屋に電話を入れたら

「ちょっと寄ってくれ」

ちょっと後味が悪いままだったし、
ここはひとつ、お茶でも入れて和やかに帰ろうと思い、
部屋へもう一度立ち寄った。


そしたら。

じいたんは、わたしに毎月の謝礼を手渡しながら
こうのたまった。

「お前さん、明日から来なくてもいいから。」

・・・は?どういう意味ですか?と訊くと

「お前さんにしかられるのも、
 大きな声を出したりするのも嫌だからね」

「お前さんが来るとおじいさん、大きな声を出すだろう。
 それが嫌なんだよ」

「まあ、どうしても来たいと言うなら
 いくらでも来ればいい。
 それはおじいさん、駄目とは言わないけどね」


何を言いだすんだろうこの人は。
大体わたし、叱ってなんかいないし。

今日だって、何度も何度も頼まれたから
(数日前から、尋常じゃない時間に
 繰り返し繰り返し電話をしてきていた)
祖父と祖父の友人の会食にまで付き添ったのだ。

意味がわからない。

分からないので、最初はなるべく穏やかに
尋ね、あるいは説明していたのだが

「お前さんにおじいさんと呼ばれると気分が悪いんだよ。」

聞けば聞くほど話が迷走していく上、
わたしの母のことまで引き合いに出されて
(それはわたしには関係のないことだ)

情けなくなって、わたしは最後には泣いてしまった。
そして、謝礼を突き返して帰ってきた。
そこまで言われてこんなもん受け取れるか!と思ったのだ。


**************


自宅に帰ってからケアマネの友人に電話した。

愚痴を聞いてもらいたかったのもあるのだが、
わたしもきっとどこかが悪い、そんな気がしたからだ。

友人は、順序立てて説明してくれた。


「それはね。
 あれこれ口出しされるのが嫌だったのよ。おじいさん。

 あなたが言うことが的を得ていれば得ているほど
 先回りしてそれを言われたら嫌なものよ。

 あなたにしてみれば、
 他人様に怪我をさせてはいけない一心だっただろうけど、

 おじいさまにしてみれば、
 今日誘ったのが女性ということもあったから
 それなりに張り切っておいでだったのよ。」


でもね、普段でもこれくらいは言うのよ。
そういうのが嫌で、わたしに来て欲しくないなら
こないだ伯父叔母が来たときに彼らに言えばいいじゃない。


 「逆に言えば、そんなささいなことにも
  ナーバスになっているくらい、
  今日、おじいさんにとって、お寿司のお出かけは
  大きなイベントだったんじゃないの?

  あなたという『お供』も連れて行って、
  頼りになるかっこいいおじいさんでいようと思っているときに、

  あなたから『これはこうしたほうがいいんじゃない?』って
  正しいことをさっと言われてしまったら
  自分の判断力が低下していることを嫌でも認めなければならない
  そういうことになるでしょう。

  うすうす分かっているのよ。
  あなたの言ったことは間違っていないって。
  むしろ、だからこそ『そういう言い方はカンにさわる』っていう
  ことにもなるわけ。」


「あっ」と思った。

言われてみれば、
そのお友達と食事の約束をした、今週の火曜あたりから、
じいたん、いきなりしゃきっとしだしたんだよな。
その一方で、言うことが時々変だったな。

やたら「一人でできる」だの何だの、訊きもしないのに言って
「おじいさん大丈夫だから、今日は来なくていい」とか…

普段は「何時ごろ来れる?」
行けば「今日は泊まっていかないかい?」
のオンパレードだったのに。

黙っていると友人はさらに続けた。


 「それにね、言いにくいんだけれど、
  ・・・認知の低下も進んでおられる気がする。

  論理的でなくカッとなるのもそうだし

  電車の中であなたの肩に頭を凭れさせたり、といった
  少し度のすぎたスキンシップが目立ち始めているとか
  孫には普通言わないような話をなさるとか 

  他にも色々思い当たることはあるでしょう。

  だから、そのあたりはね

  お祖母さまに接するように、お祖父さまにも接していく
  そういう時期に来ているんだなっていう認識を
  あなたの方が持たないと。

  お祖父さまは、あなたが腹を立てたという以上のことは
  たぶん全く理解なさっていないと思うわよ。

  むしろ謝礼を突き返されたことで、
  あなたに対して、分からず屋だという印象を持ったんじゃないかしら」


・・・言われてみればその通りだ。


 「あなたも少し、油断していたんじゃない?
  お祖父さまが可愛らしく甘えて下さるようになっていたから…

  あれこれ考えずものを言えるなら、それは理想的だけど
  あなた、以前自分でよく言っていたじゃない。

  老人介護の基本は、相手を、異なる文化圏の人だと思って
  接することだって。

  今日のことでも、「ああそうなの?」とにっこり言って
  聞き流して帰ってくればいいのよ。

  いくら正しいことを言っていても、
  今日みたいに言い争ってしまったら、
  お祖父さまのほうには「嫌な思いをした」という記憶しか残らないのよ。
  ぶつかるだけ損なんだよ。

  介護を続けるつもりなら、孫だということは忘れなさい。」


まったく以って、おっしゃる通りです…orz orz


そういうところ、少し前のわたしなら
細心の注意を払ってやってきていたのに。

それだけじゃない

祖母に比べれば、一見うんと元気そうに見えるじいたんに対して、
どこかで
「筋を立てて話せば分かってくれるはず」
といった気持ちが、出てきていた気がする。
まだまだ、じいたんは大丈夫なはずだ、と。


じいたんが言いたかったことは

「お前さんにあれこれ先に口出しされると腹が立つんだよ」

ただそれだけなんだろう。
でもそれを上手く表現できないのだ。

そして一旦「腹立ちスイッチ」が入ってしまったら、
もう自分でも、何を言っているか分からなくなっているに違いない。

それがじいたんの「心理的文化」なのだ。
若い頃からそういう傾向は多少あったと思う。
それが年老いて、些細な刺激で外へ出るようになっているのだろう。


だから、じいたんの「腹立ちスイッチ」が入らないよう
こちらから気をつけてあげなければいけないのだ。
残り少ないであろう時間に、腹が立つ時間は少ないほうがいい。

あとは、事故が起こったらそのときだ
あるいは、じいたんの身なりが整っていない位は仕方がない
そういった腹のくくりかたをしなければならない。

要するに覚悟が足りないのだと思う。


正直、じいたんが口走った様々なことについて
腹立ちが治まったわけではないのだけれど

介護者として適切でなかったのはわたしの方だ。
そのことを思って、今夜はひどくへこんでいる。

まあ、いつでも何もかも、上手くやれるはずもないし
と自分を慰めつつ

あとどれくらいの間、わたしが彼らに関わっていくにしても
今日みたいなことはもう二度とないようにしよう、と強く思った。
 
それにしても、自分にトホホな気分…


ユーモアを思う。

2006-02-08 02:52:23 | ブラックたまの毒吐き
どんなにつらいことがあっても、
ばあたんの介護を続けることができたのは、

そこにユーモアがあったからだ。


どんなに深い病の淵にいても

わたしが笑えないときはばあたんが、
ばあたんが笑えないときはわたしが、

互いに、補い合ってふたり、笑顔を取り戻せていたからだ。


ばあたんが入院し、離れて暮らすようになってから、

わたしは、ひとりでは
ユーモアあふれた生活をつくれないほど
未熟なのだ、

とつくづく思い知らされる毎日を過ごしている。


人のまく噂話や、ゴシップや、
…わたしの神経にさわるような聞き苦しい話も、

彼女の手にかかれば、やさしいユーモアに変わっていたのだ。
そこには悪意や欲はなく、人への信頼と愛情があった。

まるで魔法をかけるように。



ばあたんに、会いたい。
ほんの少しの時間でいいから、
昔のように、
ふたりきりで、笑って過ごしたい。

斉藤茂太の本を読んでいて
ユーモアについて書かれている項目を目にして
ふと気づいた。

前の記事で書いたようなことでいらいらするのも、
ユーモアのこころが不足しているから、なのだろうと思う。



去年の今頃、

発熱してせん妄を起こし、徘徊を繰り返す彼女と
ふたりで過ごした真夜中のことを思い出す。
懐かしくて、涙が出る。

線引きしないと無理だよ。

2006-02-08 02:45:16 | ブラックたまの毒吐き
じいたんが さみしがりやなのを 私は 知っている。
彼は 私が部屋にいるだけで満足する ということも。


でも、どうしても じいたんのところへ行く気になれない
それで今日は 行かなかった。


  違う。正確には昨日も一昨日も行っていないんだ。
  自転車で10分足らずの距離なのに。

  最近ずっとこの調子。



猫のようにしよう、と、決めている。

―まごころで出来ないときは やらない―

それが私の最低限の「介護との線引き」だ。

でなきゃ、心のバランスが取れない。



まあ、こんなことを言っていられるのも

じいたんが今は 一応 自立出来ている状態だということ
(介護士さん&デイケア利用でも)
それから、マンションの囲碁大会で優勝したりして
精神的に元気がある

だからこそ、なんだけど。


そう、正直「今のうちだけ」。
いつでも待っている「どんでん返し」

祖父宅を訪ねないなら訪ねないで、
事務処理やら、ばあたんの施設さがしやらは
こなしているわけだし

いずれにせよ、じいたんが熱でも出したら、
こんな呑気なことは、いっていられなくなる。

だから、今の状況に感謝しなければ、とは思うのだけれども。



***************


 営業の仕事と塾のお仕事、オファーがあった。
  でも断った。残念だけど、微妙に「時期」が合わない。

 来年の受験さえ、ままならないかもしれない。
  年齢的なリミットを思うと、時々あせる気持ちにはなる。

―この程度のことなら
我慢もできるし、工夫もして何とか道をみつけられる。



けれど、じいたんの口から、事あるごとに聞かされる
「あること」だけは、
いまのわたしの神経には、ひどく、さわる。
気持ちがつい、昏いほうへと引きずり込まれるのだ。


 わたしは今、ばあたんの介護にかかる経費を
 なんとか削減して(今、入院しているところは高すぎるのだ)
 二人にとっていい老後になるように
 あちこち施設を調べたり、足を運んだりする毎日を送っている。


 けど、じいたんが、言う。たびたび言う。

 他の、めったにこちらには関わらない、親戚たちの話。
 それは自慢話であったり、わたしが聞くべきではない話であったりする。
 (たとえば、経費削減を真剣に考えている折に、
  そんな努力をするのがばかばかしくなってしまう、そんな類の)

 孫という立場にあって、ひとり介護と向き合っていて
 本来いっしょに頑張ってくれるべき(この考えがいけないのかもしれないが)
 そんな人たちについて、
 まるで、他人に自慢するように、わたしに話すじいたん。

 でも、わたしは、彼らについて
 (彼らを憎んでいるとか嫌いだということではないけれども)
 …結局は、じいたんが辛いときには、寄り添ってくれない人たち
 という気持ちになってしまうときも正直あるのだ。
 
 それでも
 その手の話を聴く時の、わたしの顔は、
 いつだって、笑っている、と思う。

 じいたんは、ただ、わたしに聞いて欲しいだけなのだ。
 「あの人」に、これだけのことを、してやれたんだよ、と。
 親の「情」として嬉しかったことを、報告したいだけなのだ。
 深い考えなどそこにはないし、もうそんなことを要求するのも酷だろう。

 だからわたしはいつでも

 「良かったね、じいたん。
  してあげられることがあるって、とてもいいことだよ。」
 
 と、本音の半分だけを、じいたんに返すのだ。
 残りの半分は、とりあえず飲み込んで。

 いままで、ずっと、そうしてきた。


 けれど、先日のその話のあと、
 自宅へ向かう道中で、突然、歩くのが嫌になった。

 コップに一滴ずつ垂れていた水が、
 満杯になって溢れ出してしまったかのように、

 当分、この道を歩くのは無理だ、と、思った。



こんなことで、
悶々とした気持ちを抱えてしまっているとき、

じいたんと顔を合わせることは、とてつもなくつらい。

つらいなら、ためらうなら、行かない。
会わないほうが、安全だもの。


これだけのキャパしかないんだ。という現状。

自分がきちんとこころの品位を保ってさえいれば
どうってことがないはずのことが、
少し、こころが弱っていると、
必要以上にいらいらしたものに感じられてしまう。

でも、湧いてくる昏い気持ちに振り回されてしまっては
まごころが、くもってしまう。腐ってしまう。

こういうときはたぶん
先に、溢れてしまったコップの中の水をどうにかしないと。



ああ、忘れるところだった。
明日は、ばあたんの見舞いの日だから・・・


(また、書き直すかもしれません。
 奥歯にモノが詰まったような書き方でどうにもすっきりしない)


じいたんばあたんにとって、いちばんいい老後を、と思う。
それだけを考えていられたらいいのに。


わたしは、すべきことを、自分に恥ずかしくないよう
やっていけばいいのだ。

人なんてどうでもいいじゃない。



今日は、カンファレンス。

2005-10-07 03:46:08 | ブラックたまの毒吐き
午前11時から、ばあたんが入院している病院へ、行く。
入院して七週間経った。治療方針も大体固まったらしい。

正直、色々と不安だ。



カンファレンスには、伯父夫婦も来る。
当然、わたしも出席する。


…伯父は、保証人であり、長男。
わたしは主たる介護者であり、孫娘。

立場の違いを、思う。



医者は、わたしの、介護者としての見解をあまり、
ちゃんと聞いてくれていない。

悔しい。

…でもどうか どうか
じいたんとばあたんにとって最善の提案がなされますように。



そして医者やスタッフへ
楽観的なことを伯父に言わないで欲しい。

伯父は言葉を、額面どおりに受け取りたがる。
祖父の「大丈夫だから」さえ。

息子だから、仕方ない。分かっている。


でもその呑気さが、
親への甘えだということ、

何時までたっても親にとって、子供は子供。
親を失ったことのない奴には分からないことなのか。


そう思う一方で、諦めているわたしもいる。
やけっぱちになっているわたしがいる。

誕生日、電話ひとつかかってこなかったこと、
ぽつり淋しそうにつぶやいた、祖父の顔を忘れられない。


喧嘩を売りたいんじゃないの。
わかってるの。

ひとにはそれぞれ考え方も事情もある。
そしてそれらは全て違う。
伯父には伯父の、叔母には叔母の、
他の孫たちには他の孫たちの事情がある。

じいたんばあたんに淋しい思いをさせることさえ
彼らにとっては理由あってのことなのだ。
電話一本できないのだって、理由あってのことなのだ。

そのツケは、彼らが自分の人生で払うだろう。



改めて、自分の気持ちを確認しておく。

じいたんばあたんのココロにさえ添えれば、いい。

わたしの真心を親戚に利用されることが、
前はいやだった。
でも
そんなくだらない想いは、思い切り振り切って

宇宙の外へ捨ててやる。

来るなら来い。やるならやれ。
わたしは、死なないし、泣かない。

泥の中から、光る魂を生んでやる。



追伸

「あんたが介護を続けている動機は、"意地"よ」

前回お越しになったときの、貴女のことば。
思いもよらない、想像を絶する、言葉でした。
意地で介護が出来ると思っているんだ…って。

苦しかったですとても、苦しかった。
憎しみが湧く一歩手前でした。

でも、わたしはあなたを許します。わたしが自由になるために。

泣き言。(2)

2005-09-22 01:53:45 | ブラックたまの毒吐き
ばあたんのいない「敬老の日」などを何とかやり過ごし、

(この前後はまた、素晴らしいことがいっぱいあった。
 記事にまだできないけれど)

先日も見舞いにゆき、
・・・でも、記事が書けなかった。


何を表現したいのか分からないまま、

今日などは
明け方からずっと、夜までひたすら眠り続け、
ストーリーのしっかりとした、でも「不可解な」夢を
みつづけた。




今、この時間になって、ふと気づいた。




…連れて帰りたい。
ばあたんを、早く連れて帰りたい。

どこへ? 今の家へは無理だ。
もう彼女には。
どこへ?


そう、彼女の症状を抑えるだけじゃなくて、
あらたな住まいを検討し、用意する、時間稼ぎのためにも

今は耐えなきゃ、駄目、分かっている。
だけど、ごめんなさい、
わたしは



つらい。つらい。つらい。
ごめんなさい。
こんなことを書きなぐっていいのかわからない、
ここは公共の場で、

でも、この言葉を出さなきゃ、次に進めない。

わたしは、
いま 泣かないと 前へ進めない。

ごめんなさい、わたしはこんなにも 弱い。



ばあたんが、いない。
ばあたんの側に、いられない。

つらい。



外へ、出るのも、つらい。



いま、
街のどこを歩いても、

ばあたんと散歩していた過去の私が、
元気だった頃の、過去のばあたんが、
そこにはいる。


本屋に気晴らしに、何かを漁りにいっても、

去年はとなりにいた、ばあたんが、
今は、いない。
ばあたんが、いない。


「もう二度と、ここを二人で歩くことはないのか」

そう思うと、

打ちのめされて、一歩も前へ進めない。
玄関から出る行為さえ。



…そうか、だから部屋から出られないのか。



みっともない。全くみっともないよ。わたし。
馬鹿野郎だ。
一番辛いのは、あたしじゃないんだよ。



それでも。
この気持ちを書き残して、先へ進もう。


抱えたままで うずくまっているわけには いかないの。

泣き言。(1)

2005-09-22 01:53:13 | ブラックたまの毒吐き
病院へ見舞いに行くたび、ばあたんは、
側にいる数時間の間、
感情の「晴れと雨」が激しく入れ替わる。

じいたんなどはしびれをきらしてしまう
(それは「夫」として当然だと思う)けれど、

わたしは、そんなばあたんが、
愛おしくてたまらない。



会話も殆ど成り立たなくなってしまった。

ばあたんが言いたいことも、分かりづらく、
また、
わたしの言葉を、理解してもらうのも、難しくなった。

ばあたんが入院している病院のスタッフも、
皆が全員痴呆への対応が上手いわけではなく、
好きでこの仕事をしているわけでもない。

だからなおさら、ばあたんの苛立ちと悲しみは
私が来たとき、ダイレクトにわたしにぶつけられる。

でも、その痛みさえ、いとおしい。


***********************


ここまで症状が進行しても、まだ、通じる言葉がある。


「たまちゃんは、おばあちゃんが、大好きだよ。
・・・愛してるよ。」


ばあたんは、必ず、返してくれる。
もう、言葉も殆ど通じない状態なのに、これだけは。


「おばあちゃんも、たまちゃんが、大好きよ。」



一昨日の見舞いの日、
病院のスタッフの方や、他の見舞い客、
何人もの人に、言われた。

「"たまちゃん"ですよね。
 おばあさまが、いつも、お名前を呼んでおいでですよ」



・・・ちくしょう、なんで、

なんで、こんな真夜中すぎの時間に、
こんなことを、思い出すねん。

これじゃ記事もコメント返信もでけへんやん。


ブログよ今夜もありがとう。

2005-08-22 04:29:04 | ブラックたまの毒吐き
「明日の朝、近所の手伝いがあるから、今夜は帰るね」
じいたんにそう言って、なんとか帰宅したわたし。

だが。

冒頭の、わたしの言葉は、じつは事実ではない。
ときおり、「どうしても」というときに使う、
常套句の「嘘も方便」である。

これには、オリジナルがある。
「アパートの、ゴミ捨て場の掃除当番が当たってるから」
今は、子供たちの夏休みだから、ちょっと加工。


じいたんに嘘をついたのは、

本当のことを上手に伝えられないほど、
いっぱいいっぱいになっている自分の状態を、
じいたんに悟られるのが、怖かったからだ。
少なくとも、今の、
ひとりぼっちで夜をすごす、じいたんには。

そして、
睡眠時間そのもの、というよりはむしろ、
この二年間の間に失われた「ひとりになれる時間」を、
いま、この「現在」できっちり
取り返しておかなければ、

これから先の、長い長い道のりをゆくための必須アイテム、
「終わりの見えない闘いを愉しむこころ」が
決定的にスポイルされてしまいそうだと直観したから、

だから、自宅に戻りたかった、というのが真相なのだ。
でも、嘘をついた。
嘘をついて、帰ってきてしまった。



祖父母の家は、祖父母の家であって、わたしの家ではない。

「帰るところ」のうちの一つではあるのだけれど、
 (玄関をくぐるとき、
   「ただいま」と言うのが癖になってしまった)

祖父母宅には「わたしの部屋」がない。
それがたまらなく息苦しいのだ。

正直なところ、この程度のストレスに
まさか自分が負けるとは、思ってもみなかったのだけれど、

ひとりになれる時間が持てないということが
今のわたしにとっては、厳しい負荷として
ずしり、と、のしかかってくる。

それで今夜、嘘をついて、
じいたんを一人にして
帰ってきてしまった。

この判断は、多分正しいはずなのだ。

もし同じ立場に、友人がおかれていたとしたら、
絶対に「帰れ」ってアドバイスするもの。




でも。


自宅に帰ってきてシャワーを浴びているとき、

ノズルから噴き出す水の音が、
かすかに聞こえてくる携帯の着信音のように聞こえて
何度も、風呂場のドアを開けてしまいそうになる。

(開けたらおしまいだという気がするので、
    耳をすませるのみにとどめ、踏みとどまる)



狂ったようにネットで遊んで、よそさまを巡回して、
こころからいっぱい、笑って、感動してから
寝る支度をし、PCの電源を一旦、落としたのに、

かかりつけ医にリクエストして、せっかく処方してもらった、
ごく軽い睡眠薬(ロクに効かないやつ)さえ、
「何かあったとき起きれなかったらどうしよう」
という思いにとらわれ、飲むのをためらってしまう。

(なんとか、口には入れる。
  けど、半減時間から逆算して1/2錠。
     効く量飲まなきゃ意味がないのに。
          合理的な行動を取れていない。)




大誤算。
ひとりになれさえすれば大丈夫だと思っていたのに。


こんなんだったら、嘘なんてつかなきゃよかった。



でも、そう思う一方で

「これは、嘘をついておいて正解だったのだ」
と判断しているわたしも同時にいる。

優しい嘘は、美徳だ。
「たてまえ」がたいせつな場面だと
もうひとりの自分は、判断しているのだ。

建前というカーテンをうっすらしいて、危機をやりすごすのは、
ある場面では、社会的な智慧であり思いやりだ。
誠実であるということは、嘘をつかないということと
イコールではない。

それに、とりあえず
自分の欲求に対してはなるべく誠実でいなければ
とたんにバランスを崩して、
介護に支障をきたすであろうことは目に見えている。



なにより

「祖父母の家は、祖父母の家であって、わたしの家ではない」
この、あまりに当たり前の事実を、
いまのじいたんには、突きつけたくない。
突きつけたく、ないのだもの。


それでも…、それでも。

何で正直に言わなかったんだろう。
こんな未明になって、後悔するくらいだったら。




嘘をついた代償を背負った分、
明日からまた気持ちを切り替えていこう。

トライ&エラーの連続でしか、わたしは学べない。
これが、今のあたしのキャパの限界なのだ。
ああ、ちいさいわ。ホント悔しいったら。

でも。そうだ。そうじゃん。
現在のわたしの、キャパが把握できただけでも
今夜、嘘ついて帰ってきて、収穫だったよ、わたし。
よしよし。おりこう、おりこう。

なんて、殆どこじつけで自分を励まして(笑)


…ああ、ここまで書いてみて、
やっと、眠れそう。


ありがとう。ありがとう。
嘘ひとつ抱えきれない、ちいさな私を
なんとかコンテインしてくれる

ブログという真っ白な宇宙に、
今夜も、ありがとう。

猫かぶっていられないかも。

2005-08-09 08:17:23 | ブラックたまの毒吐き
今日あたり、主治医から
ばあたんのための、紹介状をいただくことになるだろう。

精神科病院への入院のための。

じいたんは説得した。
というか、納得するまで追い込んだ。
(鬼だな)

それでも、この人の我侭についていくのには
限界がある。
ばあたんが入院した後、
わたしはこの人と、かかわっていけるのだろうか。
自信がない。


だって、わたしはこの人の妻じゃない。
妻の役割までは背負いきれない。
演じることだってぞっとする。

夫であるひとのためならば、
いくらでも我慢ができるものだが、
あるいは「仕事」であるならば、
いくらでも耐えてもみるのだが。

(なぜならそれが契約であり
 責任を負うということだから。)

猫になりきるのだって、あやういというのに

このままでは
猫を脱ぎ捨ててしまわなければならなくなる。


でもやっぱり猫でいるしかないのだけど。

猫でいられなくなったら、広がるのは
天と地のはざま

ある
あまねく修羅だ。