じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

わたしも、少しだけ進化する。

2006-07-27 08:26:47 | じいたんばあたん
そうやって、ばあたんのところで半日過ごした火曜日。

帰りが遅くなったので
帰る途中、乗り換えのたびにじいに電話を入れた。

最後の乗換えをする前、少し時間が取れたので、
思い切って、主治医の意見
―旅行はやめておいてください―を、なるべくさらっと言ってみた。

じいたんは、電話口でひどくがっかりしていた。

「おじいさんは、不満だが、仕方がないんだね。でも不満だ」

それを延々繰り返すじいたんに、わたしは言った。

「私の力が及ばず、残念な結果しかお知らせできなくて、…心から申し訳なく、お詫びいたします」

じいたんは言った。

「お前さんの失敗だった、ということだろう?」

残念さの余り、じいたんは多分、だれかに当たり散らしたいのだ。


「ええ、おっしゃるとおりです。
 わたくしの力不足で、悲しい思いをさせてしまって申し訳ございません。」

とわたしが答えると、
じいたんは言った。

「それでいいんだよ、お前さん。お前さんがそういう風に言って詫びる態度をとって腰を低くしていれば、おじいさんも多少なりとも溜飲が下がるのさ」


一瞬、頭に血が上りかけたけれど
(旅行に行けないといわれてがっかりしているのは
 じいたんだけではないのだ)、

先週の事件のこともあったので、どうにか踏みとどまって、
何事もなかったかのように、穏やかに電話をいったん切る。
こういうときは、インターバルを取るに限る。

そして、地下鉄で移動した後に
もう一度、じい宅へ電話をした。

不機嫌そうに出たじいたんに、
フラットな気持ちで、優しく話しかけてみた。
感情の激しさを表現するのではなくて、言いたい事が伝わるように
それだけを念じながら。


「じいたん、一人でしょげてやしないかしらと思うとね
 悲しくなっちゃってつい、声をききたくて電話しちゃったの。
 
 あのね。今回はダメだけど、秋は大丈夫かもしれないし
 わたしも一所懸命、旅行以外でも色々、楽しいことを
 いっぱい考えるからさ、じいたん、元気出してね」


じいたんの声がぱぁっと明るくなった。

「おじいさんも、お前さんの考えに、大賛成だ!
 お前さんのそういう、前向きなところがおじいさん、大好きだ。

 おじいさんにとって一番大事な人は、おばあさんなんだよ。
 そしてその次が息子と娘。
 その次にお前さんが大事なんだよ。
 よろしく頼むよ。」


もう一度電話してよかった、と思った。

前回にくらべて、自分の気持ちが無駄に傷つかないように
少しは、わたしも頑張れたかな?

後見人。旅行の断念。主治医への感謝。

2006-07-26 00:10:17 | じいたんばあたん
先週末、家庭裁判所から通知が届いた。

「伯父とわたしの二名を、ばあたんの後見人に任命する」とのこと。
二週間以内に相続人各位からの不服申し立てがなければ、
八月にはこの審判が発効する。

今後は、ばあたんに関して法的な責任も背負うことになる。
伯父と二人でではあるが、
実務は殆どわたしがこなすことになるはずだ。


これでもう「退路は絶った」という思いと
これでもう「堂々とばあたんを護れる」という思いと。

緊張と複雑な感情とが一瞬にして頭の中を交叉する。


でも、伯父と一緒にできるのだから、よしとしよう。
そして、法的に権限を認められたぶん、しっかり働こう。

そんなわけで今、裁判所に提出する財産目録を作り直したり、
伯父と情報共有する方法を細かく考えたりしている。

それから、金融機関その他への連絡の準備も。

すみません、そんなわけで
要領の悪いわたしは、ここのところばたついております。


*************


そんな中、今日はばあたんの主治医と面談してきた。

かねてからじいたんが希望していた、ばあたんとの旅行。
旅行が可能かどうか、そして可能であればどんな準備がいるか。
そんなことを尋ねるつもりで、予約を取った。

…同時に「難しいでしょう」という言葉もどこかで期待して。

客観的に見れば、ばあたんの症状は重すぎる。
あんなに多動が目立ち、そして急に意識レベルが低下してくたっと倒れてしまったりするようでは、バリアフリーもない普通の宿に泊まるのはかなり危険だ。

(叔母夫婦のサポートで祖父母を旅行に連れて行くのは
 わたしにとっては案外、負担が大きかったりする。
 彼らの戸惑うような顔を見ると、どうしていいかわからなくなる…orz
 相方がサポートしてくれている時のようにはいかない。)



主治医の回答は、実を言うと、予想通りだった。

「ご家族のたってのご希望ということであれば、
 我々はお止めすることはできません。

 ご高齢のお祖父さまにしてみれば、これが最後かもという
 そんな切羽詰った思いもおありでしょう。

 我々としては、いつ旅行が中断して戻ってこられても良いように
 万全の体制でお待ちするしかありません。

 ですが、医師として率直に申し上げます。
 やめておかれたほうがいい。

 いまのお祖母さまは、旅行の刺激に耐えうる状態ではありません。
 入院された当初に比べ、病そのものは進行しています。
 ましてや、実質的に介護者として機能するのは、たまさん一人です。
 現地でヘルパーを利用してカバーできるレベルではありません。

 そして更に、…介護が必要なのはお祖母さまだけではありません。
 すでにお気づきかと思いますが、
 お祖父さまにも衰えが最近、現れています。
 患者様がおひとりなら何とかなるかもしれない。
 だけどお二人同時に介護となると話は別です。わかりますよね。

 正直、よくあなた一人でお二人の介護をなさってきた。
 わたしは驚嘆する思いで拝見していました。
 ですがこれ以上無理を重ねる必要はないですし、
 最悪、事故にでも繋がれは、みんなが苦しむことになります。
 
 医師として申し上げます。やめておかれたほうがいい。
 あなたが実は一番、そのあたりのことを理解なさっているはずです。
 お祖父さまやご親戚さまには、私が「医師として旅行は不可です」と言ったと伝えていただいて結構です。

 代替案として、うちの六階にあるゲストルームへの宿泊を
 お祖父さまとたまさんとお祖母さまと三人でなさる、
 ということを検討されてはいかがでしょうか。」

わたしは、一人で不安に思っていたことを改めて尋ねた。

 「先生、わたしは、こう感じていたんです。
 祖母は入院して穏やかになりはしたけれど、同時に症状も進んだな、と。
 治療をうけていても進んでいく病だという認識もありますし、
 実際に祖母のトイレ介助や食事介助をすると、以前とははっきりと違います。

 でも、周りの親族にはそろって「気にしすぎ」と楽天的に言われるので
 自分の観察眼にだんだん自信がもてなくてきていまして…
 旅行、ホントは無理なんじゃないかな、と思う気持ちがあって
 それで今日は先生のご意見を承りたいと思ってきたんです」

すると先生は言った。

 「たまさん、実際に間近で看てこられた方でないと分からない事は
  案外、たくさんあるんですよ。近親だからこその難しさもあります。
  だから、他のご親族さまの認識が甘くなるのは、仕方のないことだと
  割り切ってお考えになられたらよいですよ。
  少なくとも、旅行をとりやめたほうが良いという判断は、
  わたしもしておりますので…」

フランクに、話してくださったと思う。

この先生はこの七月で退職される。

最初の頃憔悴しきって、先生の前で涙を見せてしまったこともあった。
でも、本当によくばあたんの様子を見て、薬をこまかく調整して
ばあたんをここまで穏やかにしてくださった。

最後にお礼をお伝えすることができて本当に良かった。
そして、最後まで、穏やかな様子で、
まとまりのない相談に乗っていただけたこと、
いくら感謝しても足りないくらいだ。

 (この先生が出されている本がある。
  わたしは、先生と出会う前にこの本を読んでいたのだが、
  つい最近まで本の著者と主治医が同一人物だと気づかなかった。
  また、改めて紹介します。)


**************


面談(医師と看護師と別々に面談があったのだ)の合間、
昼前から夕方までばあたんと一緒にすごした。

あたたかな眼、柔らかい表情。
わたしを分かっている様子。
いとおしむように頭を撫でてくれる。

そして、自分のつらい感情を話してくれる。
分解しかかった言葉で、一所懸命。

おやつをお土産に出すと、昔と変わらず
半分に割って、大きいほうをわたしの口に運んでくれる。

じいたんがいないときのほうが意思疎通がうんと楽だという皮肉。
だから彼がいないときに、もう一日は確実に見舞いに行くのだ。

「ばあたんを独占できて嬉しいなぁ!」
と抱きついたら、ばあたんは
「わたしも、幸せよ」
と抱きつき返してきた。


旅行に行くことが不可となってほっとしていたのに、
じかにばあたんと触れ合うと、とても淋しい気持ちになった。
もう少し症状が進んだら、却って連れ出せるかもしれない。

でも、いまのばあたんにとって一番うれしい、心地よい状態というのは
どんな状態なんだろう?

そんなことを考えながらひたすら
廊下をぐるぐると徘徊し、おやつを食べ、ふたりで歌を歌って過ごした。
彼女の眼は、遠くを見つめて、時々わたしのところへ帰ってくる。
そのときには昔の彼女の面影がだぶるように重なる。
ふたりきりのときだけ見せてくれる、満面の笑顔。


なかなか立ち去りがたかった夕方。
ばあたんは帰り際になって、急にしゃきっとした。
それまで、ばらばらだった言葉が、正しいセンテンスに戻る。

「おばあちゃんはだいじょうぶだから
 たまちゃん、帰りが危なくならないうちに
 みんなのところにお戻りなさい。
 お行きなさい。」

それが、たとえ
わたしをわたしと認識していない上での言葉であっても。

わたしは涙が出るほど嬉しかった。
彼女の、深い愛情と理性に支えられた、本来の彼女らしさに
触れることができたからだ。


傲慢かもしれないけど。
思い込みかもしれないけれど。

ばあたんが、こんな、「ばあたんらしい心のありよう」を見せてくれるのは、わたしにだけ。

この人を愛している。護りたい。
成年後見、引き受けてよかった。
がんばろう。

お詫びと近況報告です。

2006-07-25 11:52:40 | Weblog
ブログを放置した状態のまま一週間が過ぎ、ご心配をおかけしております。

貴重なお時間を割いてコメントやメールをくださいました皆さま、
(ひとつひとつ携帯から大切に拝見しています)
それから覗きにきてくださっている皆さま、
大変申し訳ございません。そして、ありがとうございます。

前の記事で書いたことについては、
翌日の朝、よいかたちで解決することができました。
時間を少しおいてから、自分の気持ちを素直に伝えたのが良かったかなと思っています。
また詳細はのちほど記事にいたします。


今年は梅雨がなかなか明けず、例年より涼しい夏ですが
おかげさまで、じいたんもばあたんも、つつがなく過ごしております。

わたしのほうはというと
この一週間、事務作業などの用件がたてこんでいて、
なかなかパソコンの前にも落ち着いて座れない状態です^^;

用事が片付き次第(遅くとも金曜くらいまでには)復活できると思いますので
もう少々お待ちいただければ幸いに存じます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

最後になりましたが
冷えやすいせいか、お腹をこわしたりする方が多いようです。
どうぞみなさまくれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

ひとやすみできる幸せ。

2006-07-20 17:04:20 | きゅうけい
じいたんと二人、ばあたんの病院へ行ったその帰り道、
今日は、最寄り駅のひとつ手前でじいと別れた。

ばあたんの症状の悪化に伴い、色々考えることも増え
加えてじいたんのことも考えていたら頭がオーバーヒート。

だからどうしても、ひとりでぼんやりしたかったのだ。

さいわい今日はじいは、あまり疲れていない。
駅から自宅までは慣れた道だし、
携帯(そして名前などを書いた小さな札)をこっそり持たせてあるので
まず心配はないだろう。

じいたんは、快く「行っておいで」といってくれた。


駅の改札を抜けるとき、ふと、
祖母を自宅で介護していた去年の今頃までは、
こんな気ままなこともワンシーズンに一回できたかどうかだった
そんなことを思い出した。

一人で元気に帰宅してくれたじいたんに、心から感謝する。


駅の外へ出て、
頭をすっきりさせたい時に立ち寄ることにしている、
とあるカフェへ向かう。

途中、気に入りの本を持ち歩いていたにもかかわらず、
つい本屋へと足が向いてしまった。

そして、白いシャツを一枚買い足そうと取ってあったお金は、
あっというまに本に化けた(これでも数はかなり絞ったつもり)。



少し頭が疲れたなあと感じたときに
すぐ、こんな時間をぱぱっと確保できるって、
なんて素敵なんだろう。

それなりに課題も悩みもあるにせよ、
とりあえずは平和であるという証拠だ。

以前はわからなかったこと。

介護生活を経た今だからこそ、少しはわかるようになったのかもしれない。
以前よりもうんと、こういった時間を味わい尽くせている気がする。


そんなことをあれこれ思うと、
ちょっと目頭がツンときてしまうくらい、幸せ。

逃げて、逃げて。その先にあったのは。

2006-07-17 00:51:12 | 介護の周辺
「お前さんは召使だ」と言われた、その翌朝。

祖父宅に行く前に、じいたんに電話を入れた。
こんな気持ちのままで、じいたんの前に登場することはできない
ましてや、今日の祖父宅の準備を晴れやかに行うことは難しい
そう強く思ったからだ。

曇りをきれいになくしておきたかったから、思い切って電話を入れた。

電話に出るなり
「やあ、お前さん。もう来てくれるのかい?」
と声を掛けてくれるじいたんに

「じいたん、あのね。
 昨日、書斎でじいたんがわたしに言ったこと、覚えているかな。
 あの言葉は辛かったよ、本当に辛かったよ」
と切り出した。

どんな反応をするだろうか、内心心配だったけれど
とにかく、素直に感じたことを、落ち着いて話そうと腹をくくった。
ここを率直にクリアできなければ、介護者としての明日はもうない
そんな気がしたからだ。


わたしは昨日、祖父から言われたことを淡々と話した。

「きっと本音じゃないってわたし、信じているけれども
 じいたんに直接、ちゃんと否定してもらいたいんだ。
 でないと、辛いの…」

最後のほうは、言いながら涙声になってしまった。

じいたんは、とても驚いた様子で
でも、朝だったということもあって気持ちが落ち着いていたのか
一所懸命に答えてくれた。

「たま、それは可愛そうなことをおじいさん、言ってしまったね。
 済まなかった、本当に失礼なことを言って済まなかった。

 おじいさんは夕べね、疲れていたようで、
 昨夜の書斎での話し、細かいところはよく覚えていないんだよ。

 けれども、いつも気丈なお前さんを、こんなに泣かせてしまって
 お前さんが心から悲しがっていること、おじいさん、感じるんだよ。
 かわいそうに、本当に済まないことをしたね。」

と、わたしが幼かった頃のじいたんのように、優しく詫びてくれた。

怒りと悲しみでいっぱいだった気持ちが、
まるで何事もなかったかのようにすうっと落ち着いていくのを感じた。

そして何より、じいたんが
会話の内容を覚えていないというのにも係わらず、
わたしの言い分に耳を傾けてくれたこと。

そのことに対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

だいじょうぶ。水に流せる。

わたしは、今のじいたんが好きなんだ。
和製ドンキホーテでもなんでもいい。
長く過ごしていれば、許しがたい発言のひとつやふたつも出る。
それでも今の、このままのじいたんが好きなんだもの。
それが全てだから。


電話を切ってすぐにじい宅へ行き、
伯母と従妹とその赤ちゃんを迎える支度をした。
簡単な掃除やタオルケットなどの準備、
果物を冷やしておくなど、
用事はすいすい片付いていった。

そうやって、気持ちを切り替えられたつもりでいた。
彼らに会えるのは私だって楽しみなのだ。
そのはずだった。



だが。
彼らが来てから一時間ほどお相手したものの、
団欒のなかで、不意に昨日の祖父の言葉が何度もよみがえり
たまらない孤独感に身が削られる思いをする。

痛い。痛い。痛い。
こころが削れてしまう。

叔母たちへの嫉妬なのか、それとも
己を召使のように感じる気持ちからなのか。

結局、わたしは逃げ出してしまった。
「昨日急に、就職の面接が入ったの」と嘘をついて。
(まるっきりの嘘ではなかったが、翌日でも構わなかったのだ。
 採用説明会みたいなものだったから…)


一睡もしていない頭でいつ失言するか、とずっと緊張しっぱなしだった。

それに、彼ら―じいたんも含めて―の不用意な言葉
(決してそこには悪気はないのだけど、
 だからこそ聞く側が傷つく、そんな言葉だって、存在する。)
を聞いたら、今日のわたしは脆く崩れて思考停止してしまいかねない。
そう直感した。


心をこめて、義務は果たした。
これ以上ここにいる必要はないだろう。
なにより、今日のこの団欒を楽しみにしていたじいの気持ちを思えば
それを壊してしまうようなリスクは全部取り除きたい。

ならば。

逃げよう。逃げてやる。わたしは道化でもなければ修行者でもない。
ただの人間だ。

みんなに辞去のあいさつをして、
笑顔を向けたまま、祖父宅のドアを閉めた。



廊下に出て、エレベーターに乗った途端。
顔の左半分がぴくぴくしだした。

ばしばし叩いた。つねった。引っ張った。
でも止まらない。
そして喉をぎゅうっと詰められたような感触。

わたしは、フロントの人目を避けるようにして、裏出口から外へ飛び出した。


「家に着いたら履歴書を書こう、
 あるいはその足で面接にも顔を出せば建設的だ。
 無理やりもぎとった、わたしの時間なんだから
 有効に使わなければ。」

そう思っていたたのに。


いったん歩きだしたら、止まれなくなってしまった。


逃げて、逃げて、逃げて。
急いで、行かなければ。
どこでもないけれど行かなければならない場所なのよ。


見慣れない木の実を何とはなしに眺めながらふと

「ああ、徘徊する時ってきっと、こんな気持ちなんだろうな」

そんなことを今更、自分自身の身体と心でぼんやりと感じて。
いったい何から逃げているのかわからないまま歩き続けた。

(いつだって「未知なるもの」は、
 人を恐怖のどん底に突き落としかねない、
 不思議な種子を孕んでいるのだ、―そう、ふと思う)


いつも立ち寄る書店を素通りし、
広々とした公園を抜け、
森を迷い、道路を歩いて、橋を渡り、
知らないバス停の名前を確認して

気付いたらとある駅前にいた。


広場のほうからかすかに、ピアノの旋律と歌声が聞こえてくる。

見ると、黒髪の女性がソロで、
電子ピアノを―多分ラピュタのテーマだ―演奏していた。

一心不乱に演奏する彼女の、後ろ姿に目が引き寄せられた。

何人にも触れさせないと無言で告げる、しなやかな背中。
なのにその背中は同時に、ほのかな暖かさを放っている。


と、そこから見えない翼がみるみる伸びて、
ふわりと聴衆を抱き締めたのが見えた。


自分の足が止まったことに、ようやく気付く。
顎に冷たいものがすぅっと滴ってくる。

わたしは、人目もはばからずポロポロと泣いていたのだった。


「かみさまってきっといてはる」
そんなふうに思うのは、こんなとき。


逃げて、逃げて、感情から逃げて、
ただひたすら歩き続けることしかできずにいた。

そんなわたしにさえ、天は、自然な偶然の中に
こんなに豊かな空耳を織り込んで、さらっと届けて見せてくれる。

そのことに、ただ素直に感謝したいと思った。


祖父宅を出てから二時間がたっていた。

たとえ「お前は召使い」といわれても。

2006-07-16 02:41:01 | ブラックたまの毒吐き
※一部改稿しました(2006.7.16 08:44)
 また「ブラックたま」カテゴリです。本当に申し訳ないです。
 ヘビーな内容です。また改稿するかもしれませんが、とりあえずUPします…


/////////////


今週の日曜日。
じいたんの娘とその娘、そしてその赤ちゃんが祖父宅へ来訪する。
(私から見れば「叔母・従妹・従妹の赤ちゃん」)

そのこと自体がわたし、とてもうれしくて
(赤ちゃんは本当に可愛いし、従妹も祖父思いだし、
 叔母の明るい笑顔が戻ったのも喜ばしい。
 なによりじいが、ほんとうに幸せそうに笑ってくれる)

わたしは、今日は日曜の会合を良いものにしたくて、
じいたんの意向に沿うように
(そしてばあたんがいたなら準備したであろうことを考えて)
動いていた。


  母乳の関係で食べ物に制限が入っている従妹のために
  百貨店まで出向いて果物やゼリーを仕入れたり、
  四リットル分も麦茶や水を用意したり、
  彼女たちが安心して使えるタオルを選別したり、
  少し念入りに、赤ちゃんが触りそうなところを消毒したり
  ハウスダストをクリアにしたり
  祖父の認知の低下をカバーできるよう色々準備したり

そしてその合間に

  火曜に末の従妹が怪我をさせた、祖父の右腕の
  シップとサポーターを自前で差し入れしたり
  (赤ちゃんを抱けるように)

  じいたんの服の手入れをしたり
  (従妹がじいたんににプレゼントしたものを着せようと思って)

  じいたんが手詰まりになっていた「会計簿」の手直しを少ししたり


仕事のことも中途半端、そしてばうと私の記念日の買い物もそっちのけで。

じいたんにとって、スペシャルな楽しみだと分かっていたし
遠路はるばる会いに来てくれる従妹を喜ばせたかったし
じいたんに喜んで欲しかったから。


*****************


だけどじいたんは、疲れていたのだろうか
夜、会計をしているときに、突然こんなことをのたまった。

「娘とあの孫は、おじいさんにとって特別なんだよ。
 申し訳ないが、お前さんとは違うんだよ。分かるかい?」

  断っておくが、祖父は、会計がもうできなくなりつつある。
  (それでも祖父に家計簿をつけてもらっているのは、
   いくら計算が間違っていようとも、
   彼の仕事を取り上げてしまったらいけないと思うからだ)

  朝、電話を入れても、夕方には忘れているのがデフォルトだ。
  この夜も、祖父に頼まれて、会計を手伝っていたはずなのだ。
  何も問題はなかったはずなのに。


わたしが、内容を察して絶句していると

「お前さんは、おじいさんより頭がよいし気が利く。
 どこへ出しても、非の打ち所がないほど良くやってくれている。
 おじいさんおばあさんにとって非常に有用だ。

 なのに、たまらなく腹が立つんだよ。
 口は悪いが頭はよいし、気は利くし、他の人にも褒められる。
 だけど、可愛くないんだよ。娘やその娘のようにはね」

…ああ、このせりふ。知ってる。
かつてばあたんが、若かったわたしの母に投げつけたせりふだ。
それを聴いていた父は、怒ってその場で母を連れて東京へ帰ったっけ。


…だから、そんなじいたんの腹のうち、
わたしは良く知っている。でも聴きたくない。

誰もいないときはあれだけべったりわたしに甘えるのに
(妻に甘えるように。。。だ)
その口の根も乾かないうちにこんなことを口走る…。


わたしは何も言えずに黙っていた。するとじいたんはさらに続けた。


「お前さんは、明日オーダーした昼食を食べてくれ。
 おじいさんは、娘と孫とひ孫をつれてお寿司に行くよ。
 一人分浮けば、たいそうなご馳走を食べさせてやれるしな。」

まぁそれはそうだろう。それにそこまでいわれて一緒に行きたくない。
幸か不幸か、食あたりの後遺症で、わたしは寿司を食べられない。
なので「わかったよ。マンションのごはんは私が食べておくよ」とこたえると
なぜかじいたんはこう、のたまった。


「お前さんは、叔母さんや従妹と仲が悪いのかい?」

はぁ?
自分で「寿司は遠慮してくれ」といったくせにどうしてそうなる?

そんなわけないだろう!というか、そんなこと眼中にもない。
祖父の客である以上、最大限のもてなしを思ったから
今日だって走り回ったというのに。

どこかの三流雑誌の介護ゴシップみたいなことを言われてげんなりしたが、
わたしは、穏やかな口調で否定した。

「じいたん、わたしはね、日曜日に、
 たんぱく質の食あたりで38度熱が出てね、
 その後遺症が残っているんです。
 まだお寿司とかは、食べちゃダメなの。
 だから、おじいちゃんがオーダーしているお昼ご飯を
 代わりに食べて待っていようと思って。。。
 その方がおじいちゃんにも喜んでもらえると思って。。。」

と。そしたらじいたんは、こういった。

「そうかい、お前さん。ありがとう、助かるよ。
 お前さんが食べられないぶん、娘や孫にたらふく食わせられるしな。
 本当に気の利く、いい召使だお前さんは」


絶句しつつも考えた。
腹を立てるより解決策を、がセオリーだ。

そしてわたしはこんな提案をした。

「明日は、朝のうちにおもてなしの準備などをして、
 赤ちゃんに挨拶したら失礼するようにしましょうか。」

すると、じいたんは言う。

「できればお前さんもいておくれ。
 雑用をしてくれる人がいたほうが楽だからね」

「いずれはわしの下の世話もしてくれよ。
 ばあさんのときみたいに」

「娘には、下の世話とか汚いことはさせたくないからね。
 頼むつもりもないんだよ、おじいさんは。

 お前さんなら、嫌がらずにやってくれるだろう?
 お前さんがいてくれるおかげで、
 息子にも娘にもつらい思いをさせないで済んで、本当に助かるよ。」


「わたしの祖父」の言葉とは思えなかった…。

知っていても聴きたくない言葉というのはある。
 (例えばかつて、ある親戚が、わたしに
  「アンタに今妊娠されたら困るのよ!」と叫んだように)

ちなみに捏造はない。一言一句たがわずメモしてきた。


本当は部屋を飛び出したいのをこらえて
(ここで喧嘩になったら明日が台無しだ)
泣き出しそうになりながら、一言二言だけ、反撃した。


「じいたん。…あのね…
 おばあちゃんを介護していたときね。
 とてもとても大変だったけど
 わたし、悲しい思いや、気持ちを傷つけられるようなことは
 一度もなかったの。

 そのときのご恩があるから、今も頑張れる。
 じいたんを大事にして、というのはばあたんの願いだから」

「わたしはふつつかもので、癇に障って
 じいたんにとっては、子供を護るための踏み台程度のもので
 しかも小賢しい性質で、至らないところだらけで、
 いろいろご不自由もご不快もあるかとは思います。

 ですが三年間、お二人の介護は私が主にやらせていただいてきました。
 それは誰もが認めてくださる事実ですし、これからもそうでしょう。
 
 わたしは、じいたんに快適に過ごしてもらいたいとは思っていますが
 じいたんに気に入られようと媚を売れる性格ではないんです。
 お引き受けした以上、精一杯のことはさせてもらいます。
 それで、なんとか勘弁してくださいね。
 では、また明日来ますね。」

そういって背中を向けて玄関へ向かった。


じいたんは背中にむかってこたえた。

「ああ、許してやるとも。

 玄関まで送ろう。
 明日の朝、買い物と、会計事務を頼むよ。
 それからもてなしの準備も頼むよ」


じいたんが、わたしを玄関に送るのは
それなりに何か悪いと思ったときの、決まりのやりかた。

わたしは、完璧に人を騙せる、プロの作り笑いで
「明日午前中に来て用事をするから、よろしくお願いしますね。
 今日は暑かったから、ぐっすりお休みになってくださいね」
とだけ言って、玄関をばたんと閉めた。






帰り道、せつなくて、
三十路のいい年したオバサンのわたしは
吼えた。

吼えて吼えて、
でも涙が出なくて苦しくて

公園によって何十分も、
木の幹に身体をぶつけ続けて
声がかれるまで叫び続けた。

身体が疲れないと、この悲しみは消えてくれない
そんな気がして
この悲しさを、明日まで持ち越したくないから
地面を踏み鳴らし、幹を殴りつづけた。

そして、地面も幹もびくともしなかった。


**************


それでも、少し落ち着いてみると

「なにかおかしいのでは」
(じいたんの頭の中で何か起こっているのでは)

という気持ちがぬぐいきれないので
わたしなりに、じいたんの気持ちを理解してみる。


++++-+--


じいたんは、ハイになっているのだと思う。

久しぶりの曾孫の来訪。
そして、秘蔵っ子の孫(娘の長女)、溺愛していた末娘が
日曜日に来てくれる。

いいところを見せなくちゃって躍起になっている。

…つまり、日常のなかではあれだけわたしに頼っていながら、
気を許しているように見せながら

(手をつなぐどころの騒ぎじゃないのだ。
 電車で頭を凭れかけさせるどころじゃないのだ。
 自宅で暑いと、パンツ一丁になって身体を拭かせるのだ。
 わたしの体の冷たいところ―二の腕やもも―で涼を取るのだ。)

そうしていたのは、
わたしが「あの女の子供、所詮は召使。娘に汚れ役をやらせないための」
だったからなのかもしれない。

だからこそ今日も、
従妹や娘の前では立派にふるまい
わたしの世話になっているところなんて見せたくない

そんな心理が働いているのだと思う。


それでも。
じいたんの気持ちを理解していても

叔母や従妹がそろっている席で
じいたんに、上のような訳の分からないことを言われたら
今のわたしには、それを笑って受け流す余裕はない…。


認知の低下のせい
(自分が何を言っているかわからない)
だと頭ではわかっていても、気持ちがついていかない。

だってじいたんの今日言った言葉は、事実だからだ。


************


…前からうすうす、わかっていたこと、なんだけど。
今日は、本当に心のおくまでこたえた。
なんだか、どっと疲れた。

じいたんは、ここのところ暑さで疲れ気味だ。
疲れたときは、ちょっとおかしなことを口にするし
繰り返しの話も増える。
だから、聞き流すべきだ―わたしの中の冷静なわたしが言う。

でも一方で、もう一人のわたしが言うのだ。
ふだんどんな美麗字句を口から流れさせていても、
疲れきった時に口にすることが、本音である場合がある…。




同じ血を分けた子供たちであっても、あるいは孫ならなおさら
自分にとって可愛い子と可愛くない子がいる。
それはたぶん、真実なのだと思う。

理解しているつもりだ。人間対人間だからね、不思議じゃない。


だからおじいちゃんに、「召使い」といわれるならそれでもいい。

 でも、わたしがおじいちゃんに口出しするのは
(ときには嫌がられることも、そっと口にするのは)
 おじいちゃんのために良いと判断しているからだ。
 
 それだけは誇りを持っていえる。


心だけは気高くもとう。
じいたんに召使だといわれても、自分は自分を信頼しよう。

じいたんになんていわれても
自己卑下をするのはやめよう。

(第一、これこそ認知の低下の一環だという気がする。
 何を会話しているか
 何を言ってよくて何を口にしてはいけないか
 それすらもう 判断できていないという そんな状態なんだ)


努力が足りないのか?
何が足りない?

精一杯やっているつもり、なのは自分だけで
何かが足りないからこんな悲しい言葉を聴かなければならないのだろう

改良の余地を常に探して
自分でやりがいを創り出して
介護者に徹しよう。

そう自分に言い聞かせるのに

認知の低下による言葉なんだと
割り切ることができない。


一人になったとき、時々はこうやって、泣きたくなることもある。

会社に勤めていたってこういうことはあるだろう。
だからこの程度のことは、全然、特別なことじゃない。

それでもこんなにきついのは
たぶん、血が繋がっているからなんだろうな…。

 
ごめんなさい。
こんな日もあるんです。
なるべく早く元気なわたしに戻ります。

少しの間だけ 落ち込むことを許してください。

水飲み場の珍客、森の中の相方。

2006-07-15 01:18:25 | 介護の周辺
ある日の夕方、ここのところ調子があまり良くないわたしを
(日曜からこっち、食あたり&脱水その他でかなり発熱したりしたのだ)
相方のばうが、散歩に連れ出してくれた。
会社のお休みを半分だけ使って。

少しずつわたしを庇いながら歩く、ばう。

どこへ行くのかな、と後をついて歩いていたら、
家の近所にある、広々とした緑地帯へ。

目と鼻の先にあるのにもかかわらず、三年も暮らしていたのに
一度もまともに歩いたことのなかった
そんな場所だ。
近隣の緑地帯とも道でつながっているので
全部歩くとかなりの距離になる。


それでもうれしい、歩くだけでもうれしい。
だって、まるで普通のカップルみたいだ。

ばうが、わたしを慰めるためだけに、
何も言わずに、ここでデートしようと連れてきてくれた、この森。
どんな豪華な旅行よりも、うれしい。


***************


歩き始めてしばらくすると、のどが渇いた。
ちょうどそのとき、きらりと光る銀色―水飲み場が見えた。
だがそこには、こんな先客が。



一見、なんてことない場所に居るように見えるのだが
実はここ、ちょっとばかり特等席っぽい雰囲気にあふれている。

少しカメラを遠ざけてみると、こんな感じ。



そしてさらに俯瞰図を捉えると、こんな感じ。



わたしたちが近づいても、逃げようともしないで
悠然と、涼しげに身体を横たえている。

相方は結局、水飲み場を諦めて
スポーツドリンクを買っていました^^:


*****************


とても蒸し暑かったのだけど
不思議と、歩くのは嫌じゃなかった。

空気がなんとも言えず、やわらかいのだ。

木々や草花がひっそりと吐息を漏らして
わたしの皮膚へとしっとりと沁みこんでくる。

風がそよぐたび、森の良い匂いが
鼻腔を、頬を、耳たぶを、やさしくくすぐる。

いろんな鳥の声や、ひぐらし、小動物の足音は
森の中の生態系の豊かさを、わたしの魂にそのまま供給する。


もともと山を切り開いて作った街であるだけに
自然な山にも似た気配をあちこちに残しているのかもしれない。
たとえば、本物の竹林などもしっかりとある。
竹林の静寂がこんなに心地よいなんて、はじめて知った。


沢に下りてみると、キノコを発見。



かさがすっかりめくれあがっているけれど、
却って想像を掻き立てられる。

見た目はまるで杯みたい。けれど本当は妖精の寝床だったりして。
「ばあたんの好きな、ティンカーベルが眠っていないかな」
なんて思ったり。



こちらは、「なんだか食べられそうな茸だな」というところが素敵。
でも、かわいそうだから摘めないんだけれど…^^;

そして、このキノコをカメラに収めようと苦戦していたわたしを
遠くから眺めていた、相方ばうばうの姿。



遠くからわたしをデジカメで撮ろうとしている。

この写真、たかが携帯カメラなのですが
わたしの中の相方のイメージに、すごく近い写真になった。

いつも一緒にいられるわけではない、わたしと相方。
だけど、遠くにいても、見守っていてくれる。
面と向かって護ってくれるのではなく
遠くから、影から、後ろからそっと支えていてくれる。

そして顔など見えなくても、わたしは知っている。
あたたかい表情で笑っていてくれていると。


*************


自然の中を、休み休み歩いているうちに、
出なくなってしまっていた汗が、少しずつ滲むようになった。
飲むと吐いてしまっていた水分が、のどから吸い込まれていく。
肩こりが和らいて、だんだんと頭がすっきりしてくる。

自然のなかで愛情に包まれる。
自分のなかの力が、少しずつよみがえる。


まだしんどさが残っているものの、完全復帰まであと少し。

ジレンマ―介護と、伴侶と―。

2006-07-11 23:54:32 | ブラックたまの毒吐き
※例によって、推敲なしのベタ打ちです。
 後に改稿するかもしれないのですが、とりあえずUPします。


わたしは、じいたんのことが、大好きだ。

そりゃもちろん、たまには喧嘩になっちゃうこともあるし
それから、ばあたんに対する気持ちとは違うところもあるし
悲喜こもごも、いとしいからこそ憎らしいところもあったりして

じいたんとわたしの関係は、言うなればとても人間くさい。

でも、だからこそ、
じいとわたしの関係は貴重で得がたいものだ
そうわたしは思っているし、

もうすぐ93になるじいたんが、
わたしとそういう人間関係を結んでくれることに
こころの深いところでは、いつも感謝の念にたえない思いでいる。

大事にしたい、そう思う。
「お前さんが頼りだよ」といってくれるじいを大事にしたいのだ。


*************


一方で、最近とくに悩んでいることもある。

じいたんのことはとても大事で
相方も交えて三人、楽しい夕方を過ごせたとき
とても充実した気持ちになるのだけれど

それとは別に

まだ、恋人同士であるわたしの相方と
たまにはふたりきりで、のんびりデートの時間を確保したいのだが、
それが不可能に近いということなのだ。

介護をはじめて三年ちょっとになるが
わたしと相方は、まともなデートをしたことが殆どない。
祖父母のことを何も心配しないで
普通の恋人のようなデートをしたことが、本当にないのだ。


というのも、
相方がやってくるということをうっかり
じいたんに話してしまうと
すっかりじいたんは喜んでしまうのだ。
「三人で過ごせる」と…。

そして相方が来るたびじいたんは、
「おじいさん家へ泊まっていきなさい」と強く勧める。

一年半くらい前のじいたんなら、少しは気を利かせてくれたかもしれない。
でも今のじいたんは、そういう気遣いをすることは難しくなっている。


「たまには、ふたりきりで
 普通の恋人らしいデートもしたいんだ、じいたん。
 行って来るの、許してくれる?」

そんなふうに切り出してみることもあるのだが

「おお、いいともお前さん、楽しんでおいで」
と返事をしてくれた、その後まもなく
「今日は何時ごろ、二人でこちらへ迎えに来てくれるのかい?」

となってしまう。
じいたんの気持ちと自分の気持ちとに挟まれて、つらい。


***************


相方は、本当に親切なひとだ。

たとえば。

じいに会う前にふたりで二時間ほど
お茶をしよう、と事前に計画していたとする。

でも、途中でじいたんに電話を入れたわたしが
少し心配そうな顔をすると、

相方はすぐに
じいたん宅への訪問(あるいは三人での行動)中心で
一緒にいられる時間を使おうとしてくれる。

あるいは、

正月やクリスマス、敬老の日、じいたんの誕生日などにも
じいたんを一人にしたくないと思うわたしの気持ちを汲んで
相方は、かに鍋やら車やらを用意して、出てきてくれる。


その背景には
相方がじいたんに電話を入れるたび
「ばうさん、次はいつ来てくれるんですか?」
と、客人を待ちわびる無邪気な子供のように尋ねるといったことがある。

  ここで問題なのは、
  彼と祖父が久しく会っていない訳ではないことだ。
  前日や前々日に、ばうが仕事帰りに立ち寄って
  じいたんと三時間くらい一緒に過ごしているにもかかわらず
  電話をすればこの調子なのである。
  (ちなみに相方は、二日に一度はじいたんに電話を入れてくれる。)

じいは、寂しいの半分、覚えていないの半分なのだろう。

今年に入ってじいたんは、とても朗らかに明るくなった。
そしてそれと引き換えに
無邪気になっていくような部分、
去年と明らかに違う、人柄が変わったような部分も目立ってきている。


 (親族は「年だから仕方ない」と笑って言う。
  それも真実なのかもしれない。
  そして、わたしもその場ではその言葉を否定しない。

  親族の目に嵌っている「楽観(あるいは…)」というコンタクトレンズを、
  わたしが無理やり取り替えることはできないからだ。

  そして親族は、わたしの心配を「若さゆえの神経質さだ」と看做して
  人生の先輩として、わたしを諭す気持ちで
 「歳だから」という言葉でわたしの気持ちを納得させようと考えているということを、わたしは理解できているからだ。

  けれど。
  そばで毎日看ている者が実際に背負う心配や負担について、
  甘く見積もっているし、人事だと思っているふしがあるように思う。
  この注意深さがあってこそ、今まで三年間の介護生活が成り立ってきたというのに。

  また、
  じいたん自身が、自らの老化によって不自由を感じる場面が増え
  内心、つらく思うことが増えている。。。わたしには話す。
  そんなじいたんの姿もたぶん、想像するのが難しいのだろう)


じいたんに対して「手は出さずとも気は配る」から
「手をそっと出しつつ、気を配っていることを悟られないようにする」という形へ
より繊細な対応をしていくことが必要になってきた気がする。

相方はそれをわかっていて、黙って手伝ってくれているのだ。。


相方は言う。

「たまちゃんが、困らなければいいんだよ。
 笑っていてよ」

だけど。
わたしがつらいのだ。
恋人である資格がないように思うことがある。



どっちも大事だ。
だから、つらいんだ。


****************


日曜、わたしは38度の熱を出した。
原因は良く分からないけれど、食中りだったようだ。
そして、なぜか脱水を起こしていた。

それでも昨日は、祖父宅の用事を済ませたあと
夕方から、ファイナンシャルプランナーに会ってきた。

そして今日。
熱は下がったものの、肩の痛みと吐き気がおさまらないわたしを
相方は夕方遅く、近所の緑地へと、そっと散歩に連れ出してくれた。

「緑の中でなら すっきりするかもしれないし
 汗をかけば脱水でも水は飲めるようになるし
 肩こりは、散歩で取れるかもしれない」

相方はわたしの体に手を添えながら、十分な水分を用意し
「何かあったら担いであげるから」と
病院から出てきたわたしを拾って。
(彼はとても大柄で、剣道五段の鍛えた体なのだ)


相方と、わたしだけ。
ただ黙って歩く。
ときどき、珍しいものをみつけて
ふたりで微笑む。

ごく短い時間の、遊歩道でのひととき。


じいたんとばあたんが、夫婦として思い出を積み重ねてきたように
わたしと相方も、ささやかでも幸せな思いを貯金していきたい。

時間がたてばもっと、上手くやれるようになるのだろうか…。

七夕、ある意味せつない笑い話。

2006-07-08 13:50:19 | きゅうけい
去年の七夕には、まだばあたんも祖父宅で暮らしていた。

七夕当日はショートステイにいたものの、
ふたりで短冊を書いたり、七夕っぽいデザートを作ったり…

介護をしていなかったころよりも充実した日をすごしていたような気がする。


だけど今年は、少し物悲しいようなユーモラスなような…


(その1)

 夕方から、祖父宅で必死こいて家計簿を解読
 (じいの字は非常に読みづらいのだ)しているうちに
 夜がとっぷりと更けてしまった。

 家計簿やらなにやら、貴重品がいっぱいだったので
 今夜はうっかり、帰宅時にタクシーを利用してしまった。

 そして自宅で、SNSの友人の日記を拝見して
 今夜が七夕だったことを思い出した。

 「空を見上げながら帰ろう」と思ってたのに…。・゜・(ノД`)・゜・。



(その2)

 そういえば。

 昼間、ショッピングモールに行くと短冊を飾る笹が。
 こういうとき、つい嬉しくていっぱい書いてしまうわたし。
 思いっきり張り切って
 じいたんばあたんの分だけでなく、家族の分、友人の分も書いた。

 あんまりたくさん短冊を書いては
 どんどんつるしてしまったので
 (10枚くらい?)

 ちょっと白い目でみられたかもしれない。
 (もう三十路半ば近いのに…)

 …来年は、ちゃんと自分で笹を買おうと思った。。。



(その3)

 そして、たった今思い出したのだけど。


 自分の願い事、書くのを忘れた…
 




*********************


そういえば、じいたんも似たようなことをしょっちゅうしている。

近所のコンビニへ、牛乳を買いに行ったのに
ばあたんへのお土産ばかり山ほど手にして
そして、肝心の牛乳のことはすっかり失念したまま帰ってくる

この祖父にしてこの孫ありということですね

すべては相対的な。

2006-07-06 08:24:47 | Weblog
5月のある日のメモ。

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どんなことも、見方を変えてみれば

それは必然だった、としか
いいようがない

そういうものなのかもしれない。


たとえば
わたしたちにとって、ばあたんの行動や言葉が理解を超えるものであっても、
ばあたんにしてみれば、彼女の行動は常に合理的であるように。


「正常」という、何かを判断するにあたっての枠組み、あるいは軸足。

この枠付けは、所詮、相対的なものでしかないということ
この軸が足を下ろしているのは「暫定的な場所」でしかないということを
常に、頭の隅に置いておける自分でいたい。


暫定的な、相対的な判断基準というのは
日常生活の、あらかたの場面では役に立つ。

だが、すべての場面で有用なわけではない。
とりわけ、誰も悪くないのに悲しいことが起こったときには。

死も病も、現象としてはただの「自然」である。それ以上でもなければそれ以下でもない。
そして、こんなに不自由になっても、今、彼女は生きている。
この現実がすべてだ。


今更ながらそんなことを思った、
祖母と過ごす午後。