じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

強く、優しく。

2005-12-08 06:16:04 | あの一言。
アメリカのハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーが
確か、その作品のなかで
主人公の探偵、フィリップ・マーロウに言わせていた台詞だったと思う。


「強くなければ 生きてゆけない。
 優しくなければ 生きる資格がない。」


某CMに使われていた(20年以上前です)時には
何となく、子供心に安っぽく聞こえていたのです。

なのに

活字として、その言葉が目の前に現れた瞬間、
いのちを得て 滑り込むように
わたしの こころのなかに、すとんと、落ち着いたのでした。



今日は、祖父と一緒に、これから
祖母の見舞いに、行きます。


この美しい一対の老夫婦を 見つめ続ける 資格を

強さと 優しさを


どうかかみさま わたしに お与えください。

「大恩は謝せず」

2005-10-06 10:51:02 | あの一言。
以前、カジュアルな異業種交流会で出会った女性に教えていただいた言葉です。


大変な恩を頂いたとき、
それに敢えて何かのご恩返しをしようと考えず、

「ありがとうございます」

という感謝の心を抱き続け、
ご恩返しが出来ないという十字架を背負ったまま
生きてゆくことが大切だという意味らしい。


  そうか、そんな報恩のしかたもあるのだ。


目からうろこが落ちる思いだった。

沢山の人に助けられて、生きている。
そのおこころを無にしないような生き方をしたい。

父と交わした約束。

2005-09-06 02:29:40 | あの一言。
先ほどの記事を書いていて、思い出したことがある。
そう、先ほどまですっかり忘れていたけれど、
とても大切な、約束を。

今このタイミングに、思い出せたから、記事として書き留めておく。
みなさんへ、ありがとう、思い出させてくれて。


*******************


核融合理論の研究者だった、私の父は、

32歳で脳腫瘍を発病し、
その後、七回の手術に耐え
家族たちの、裏切りとも見える所業に耐え

研究も続けながら、
11年間の闘病生活を、
一言の愚痴をこぼすこともなく、

嗅覚を奪われ、
家族を奪われ、
やりたい事を諦めざるを得ない状況に追い込まれてゆき、
ついには
美味しいものを食べる機会も
声も奪われながら、

彼の中の尊厳を崩すことなく

43歳になりたてで、この世を去った。


彼の人生は、果たして
つまらないものだったのだろうか?


わたしは、そうは思わない。


なぜなら、彼は、最後にまともな意識状態で私と会えた時、
私に向かって、心からの笑顔を投げかけてくれたからだ。
あの笑みの記憶が、
わたしに、そう、確信させるのだ。

死に近づいていった、ある日。

父の命の終わりを、肌で感じ取って
謝りながら泣き続けた私の頬を、
満面の笑みで、動かぬ腕で、
彼は何時までも撫で続けたのだ。


そして、死の当日。

医者にはもう、意識などないといわれていた状態。

わたしと二人きりの病室で父は
不意に目を開けた。

そして、傍にいるわたしを見つめ、
涙をひとすじ、流した。

そこには、
彼が精一杯、自分の生を生き抜いたからこその、
メッセージが溶け込んでいた。

「君よ、生き抜け」


あのとき約束したのだ。
何があっても私は生きるから、と。

どんな間違いを犯そうとも、
どんな生き恥をさらそうとも、
どんなに道に迷おうとも、
どれだけ泣き叫ぼうとも、

最後まで生き抜くから、と。

そうだった。
すっかり忘れていたけれど。


************************


父のいのちと引き換えの、約束を、思い出し、
濁流の中で
丸太につかまる力を
ふたたび取り戻す。


彼から渡された、見えないバトンを、
誰かに引き継ぐまで、

燃えろ、わたしのいのちよ。
いきろ、わたしのいのちよ。


誰かに、誰かに。
かけがえのない、存在に。

いとおしい、世界のいのちのみんなに、
バトンを捧げるために。

実生活へフィードバック。

2005-08-03 16:45:12 | あの一言。
このブログを始めたときは、何故始めたのか自分でわからなかった。

でも、今その答えが見えた気がした。



そうだ。

これから「厳しい季節」に入っていくんだ。

その予兆を捉えてたから
このブログを始めたんだな、と。

そして、始めてみてよかったな、と、心から、思います。


助けられている
見えないあなたに助けられている。

たくさんのあなたに
コメントくださる皆様、
出入りさせていただいているブロガーさま各位。
そして
ただロムしてくださっているあなた。

あなたに支えられて、わたしはここにある。

厳しい旅に踏み出してしまったことに
時々、怯えます。
(多分、介護なんかしてなくても、そう。
 わたしは、怖がり)

でも
ここに書き残したスケッチがあれば

そして
スケッチしている地点からは見えない、
励ましのメッセージを空(くう)からフィードバックしてくださる
見えない雨のような、優しいお心遣いを思い出せば

わたしは歩いていける。
大丈夫。やれる。

こうやって、現実に確実にフィードバックされていく
あたたかい心の反射を感じるとき、

現実から逃れるためじゃない。
現実を生きるために、

現実を受けとめ、わかち合い、共に乗り越えるために

私は書き続けたい。

そう、思う。


追伸;
「現実」という表現を使っていますが、ネットの上も勿論、現実です。
ここでは「肉体のある場所での実生活」というような意味だと捉えていただければと思います。

「初恋」(TB練習版お題)

2005-05-22 13:45:53 | あの一言。
『友情は、翼のない恋である』
…バイロンの言葉。
この言葉を書いたバイロンの真意はわからない。
でも、高校1年の夏、その意味を悟った。

高校一年の夏。
クラスになじめず、いつも独りで漫画の原稿を書き、本を読んでいた私。
そんなとき気がついたらとなりにいたのが「のんちゃん」

彼女はいつも昼休みになると、そっと私のとなりに座り、弁当箱を開ける。
そして必ず、一緒に帰る。
物静かで、自分のことはほとんど話さない。
でも、芯の強さと穏やかさを兼ね備えた彼女は、私にとってとても魅力的だった。

「変わった人」と噂されて、傷ついていたあの頃。
私は彼女が大好きだったから、言った。

『なあ、のんちゃんお願い。私の傍から離れたほうが、ええよ。
 のんちゃんまで変な人って思われたら、嫌や私…』

のんちゃんは答えた。
『なんで?誰を友達にするかは、私の自由やん。
 私は、たまさんといるのが、好きやねん』

私は混乱した。
『何で、あたしの傍に、いてくれるん?
 のんちゃんがいてくれて、うれしい。うれしいねん。
 でも、あたしには、のんちゃんが、
 だまって、傍にいてくれる、その理由がわからへんねん。
 のんちゃんに、どんなメリットがあるんか、わからへん』

のんちゃんは、静かに答えた。
『たまさんは、絶対に、人の噂話や悪口を言わへん。
 安易にそういったものに加わらへん。
 私、ずっと見ててん。それで、
 この人なら、大丈夫やて思うてん。それだけや。』

…今でも忘れられない、ひとこと。

彼女の信頼を裏切らないように毎日を生きていたい。

人を信頼すること
穏やかな情愛をいだきつづけること
ただ傍にいるしかできなくても、傍にい続けることの
大切さを教えてくれた、彼女への感謝をこめて。

『蓮は、泥の中から咲く花だ』

2005-05-07 23:51:43 | あの一言。
なるしまゆり『不死者あぎと』の中の言葉。

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初めてこの言葉を目にしたとき、
「ちくしょう先に書かれちまったぜ!」
と、悔しいような嬉しいような
妙な気分になったものだ。

自分がどうしようもなく追い詰められたと感じたとき、
私が昔からイメージするのは、決まって
泥の中で咲く、白い蓮の花。

蓮の花のように生きたい自分を、確認するのだ。

本当にいつでも、泥にまみれ、もがいている。
目を背けようのない現実の中で。

でも、生き抜くと決めたのだ。
なんでもありの泥の中から養分を吸いとって、
珠のような花を産み落としたいと
願い続けながら。

泥に溺れて、腐ってたまるか。
泥に磨かれて、光を生んでやる。

そして、もしも叶うなら

泥の中で蓮根をこっそり太らせて、
後に繋がってゆく命たちに捧げ、
天に還りたい。