じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

まごころが望むお役目を終えてはじめて

2006-11-21 00:44:54 | Weblog
人は、天寿を全うするのだ…と気づいた。

こころ では なく 
その奥底に 光っている まごころ
それが心底望むことをやり遂げるまでは
人間は、死なないのだ、と最近、思う。


もう一度書く。
人間は。やりとげたいと思うことをやりきるまでは
決して死ねない。


 例えば

 お年寄りの行動はしばしば我侭やと
 われわれには見える。

 だけどそうじゃない。


 彼らは、それをやらなければ死んでも死に切れないから
 一日一日を 自分のために 大事に生きたくて
 私たちから見たら「年寄りの冷や水だ」と思うようなことでも
 やるのだ。

 悔いなく生き切るために、いのちの最後の光を燃やしているのだ。

 人の人生は、流れ星のようなもの。
 その流れ星の最後の煌きがきっと、
 彼らのあの、老いたからだから発せられる眩しいパワーなのだろうな、
 とわたしは理解している。

ひとはそれぞれ、「まごころ」を持っている。

それを、改めて見つめ直し、
自分にも人さまにとってもより良い人生を生きるために
今後どのように生きていったらよいのか、ということを考えるべき時期が
人生の中で何度か訪れる。

今、わたし自身が、その時期のさなかにいる。
自らがPTSD(本来なら入院適応のケースだそうです)という「心の怪我」を負ってみて、思うことでもある。


わたしが発病してから今まで、影で表でずっと支えてくださった全ての皆さまに、改めて謝辞を述べたいと思います。


みんな、ありがとう。愛してるぜ!!!
 
 
たまより。


追伸)①

だからわたし、心配しなくていいんだ。と気づいた。

「明日死ぬかもしれない」なんて思わなくていい。

そのときがきたら、ただごく自然な現象として、
受け容れれば、それで、充分なんやわ。

でも、見送るほうが好きやからな。長生きせな。

追伸)②

※みなさまへ※
頂戴したコメントへのレス、大変ためてしまっております。本当に申し訳ございません。
最近、やはり調子がいまひとつなので、みなさまのところに伺わせていただくだけになっておりますが、もう少ししたら回復すると思いますので、どうぞご寛恕くださいますようお願い申し上げます。

追伸)③ これは私信です

まごころから諫言をわたしにくれた、君へ
(彼はおそらくここは、読んでいません)

わたしは、とても元気に、いつもと変わりなく(いえ、正確には小学生の頃のわたし自身のように)朗らかな気持ちで過ごしています。だからどうぞ、何も心配しないで、ゆったりと、お過ごしになっていらしてくださいね。

眼鏡、見つけました。

2006-11-20 13:02:56 | Weblog
※11/20の出来事です。


広くもない我が家で、亡くした眼鏡。

それが今日、午前中でしたか突然、出てきました。



なぜか毛布と毛布の間に…orz


(やたら寒く感じてしまうので今、毛布二枚かぶって、上から羽根布団です)


いやー。びっくりしました。

プディングの中に埋まっている干しぶどうのようだって思った。




眼鏡を失くしたとき。

「外から情報を得ようとする前に、しっかりと内面をみつめなさい」

と、自らの肉体から話しかけられたような気がした。



なので、眼鏡が出てきたとき。

「内面と対話できたからこそ、眼鏡が出てきたのかもしれない」

とふと思った。
全く論理的ではないけれど、そう思った。


(追伸)
ただの直観が案外、馬鹿にならなかったりすると個人的には思う。
 

燃える下心。(ちょっと手を加えました)

2006-11-14 11:09:03 | Weblog


えっと。派手なタイトルですが(笑



わたしが介護を続けてきた理由について
改めて、書いてみようかと、ふと思いたち筆を執りました。



祖母の病気に気づいた瞬間、
「身体が先に動いてしまった」というのは事実です。

彼ら「一対の夫婦」を護ることが
その時自分にとって最もプライオリティが高いと判断して。

祖父母を愛しています。こころから愛しています。
世界の中心どころか宇宙のど真ん中から叫んじゃうくらい。



だけどね。それだけじゃないの。



わたし自身にとっても、利益があると判断したからなんです。
もう、下心が燃えまくって燃えまくって。


「老夫婦のみの家庭に介入し」
「孫という立場で」
  (孫が祖母を看ているのは全体の3%。祖父を見るのは0%。
   つまり貴重な「症例(?)」となるわけです)
「彼らの生き様、死に様を、特等席で観察させてもらえる」
「人の最晩年の、最も佳き伴走者として
 どのように接していくのがプロとして正しい態度なのか
 実際に、身内を使って体験できる。この年齢で、一人で。」
 (これは貴重な機会―たとえば外科医は身内をオペできないから。)


つまりですね。
明らかにわたしにも、メリットが出るのです。


こんな美味しい体験、逃してたまるか!!



そのまま医学部に行くより(受かる準備はできていたけど)
全くもって利益が高いわけです。

臨床医になりたいのであれば。

あるいは、病・老・死について教えるべく
NPO法人を立ち上げて動かしていくのであれば。

そして出来れば、世界の大学の教壇に立って教えてみたい。
(それ夢でかすぎやから>わたし)


ふふふ。こういう「下心」

―言い換えれば「生きることへの静かな情熱」があってこそ、
介護は楽しくやれるんですよ^^



わたしの場合は、たまたま、これが動機。

理論と実践の摺り合わせを常に求めるこころ。

より自分の人生を豊かに生きたいと願う、燃える下心。

この情熱あってこその介護人生でございます^^


だから決して自己犠牲精神なんてわたしは持ち合わせていない。
やれるだけのことはやり、頂くものはちゃんと頂いています。
そしてその収穫は、予想以上のものでした。
まだまだ、そういった「ベネフィット」は転がり込んでくるでしょう。

ね?これぞ「燃える下心」でしょ?うふふ。



ちなみに、タイトルに釣られた方は手をあげてね!*^-^*


from たま@写真は13日夜撮影。
       かささぎの出産に立ち会った後に。


【追記】

以前わたしは『病と幸福は両立する』という記事を書きました。
それを今、わたしは自分自身のこころとからだで実感できています。


PTSD(に準ずる)との診断を受け容れるのも苦しかったし、
症状が起こったときはもっと激しいし苦しい。辛い。

だけどその症状のさなかでも、わたしは言い切れます。


もし明日突然に、天からお迎えが来たとしても、
わたしは笑ってその運命を受け容れるでしょう。


わたしは、幸せです。

わが人生に、悔いなし!


(もちろんまだまだやりたいこと満載なので、
  この表現は「今までについて」ということで(笑))





わたしはかぶっていた猫を脱ぎ捨てました。

本来の姿は、ごらんのとおり「鳥」です。
       ↑従妹や叔母は私をこう呼ぶの(笑


そして、届けたい。オリーブの枝を。

皆さまのお心の中にある、ノアの箱舟へと。

(筋金入りの無宗教ですけどね^^;)
 
 

近況報告&記事UP状況のご案内です。

2006-08-03 06:31:26 | Weblog
またもや、だいぶ間があいてしまいました。
ご心配をおかけしています。

復活しようと思っていた矢先、重い腹痛の後
外出先で夏風邪を貰ってしまい、寝込んでおりました。
(ちなみに、じいはピンピンしています^^ 昔の人は強いです)

まだ微熱が残っているのですが、おかげさまで随分と回復しました。

ようやく梅雨明け宣言が出ましたが、朝夕は秋のように涼しいので
皆さまもどうぞ、お風邪を召されませんよう、お大事になさってください。


****************


コメント返信も遅れております。もう少しだけお時間を頂ければと思います。

明日(というより今日ですね)熱がさがっていたら
じいたんに付き添って、ばあたんに会いに行く予定なので
下手をすると、返信は夜になると思います。
いつもこんな感じで申し訳ないのですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 (追記:コメントを下さっていた皆さま、
     返信が大変遅くなり申し訳ありません。
     ようやくお返事できました。
     待っていてくださってありがとうございます。)



逃げて、逃げて。その先にあったのは。

ひとやすみできる幸せ。

後見人。旅行の断念。主治医への感謝。

ここで懺悔。じい、ごめん。

先に、書きあがっている記事をUPします。

ブログにアクセスできない間、SNSのほうに
ちまちまと、携帯からいくつか記事を綴りました。
そのなかのいくつかを、上のとおり作成日どおりにUPしますので
もしよろしければ読んでいただけると嬉しいです。

(かなり荒削りなので、のちに加筆訂正を加えるかもしれません)

今後ともどうぞよろしくお願いいたします^^

お詫びと近況報告です。

2006-07-25 11:52:40 | Weblog
ブログを放置した状態のまま一週間が過ぎ、ご心配をおかけしております。

貴重なお時間を割いてコメントやメールをくださいました皆さま、
(ひとつひとつ携帯から大切に拝見しています)
それから覗きにきてくださっている皆さま、
大変申し訳ございません。そして、ありがとうございます。

前の記事で書いたことについては、
翌日の朝、よいかたちで解決することができました。
時間を少しおいてから、自分の気持ちを素直に伝えたのが良かったかなと思っています。
また詳細はのちほど記事にいたします。


今年は梅雨がなかなか明けず、例年より涼しい夏ですが
おかげさまで、じいたんもばあたんも、つつがなく過ごしております。

わたしのほうはというと
この一週間、事務作業などの用件がたてこんでいて、
なかなかパソコンの前にも落ち着いて座れない状態です^^;

用事が片付き次第(遅くとも金曜くらいまでには)復活できると思いますので
もう少々お待ちいただければ幸いに存じます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

最後になりましたが
冷えやすいせいか、お腹をこわしたりする方が多いようです。
どうぞみなさまくれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

すべては相対的な。

2006-07-06 08:24:47 | Weblog
5月のある日のメモ。

///////////////


どんなことも、見方を変えてみれば

それは必然だった、としか
いいようがない

そういうものなのかもしれない。


たとえば
わたしたちにとって、ばあたんの行動や言葉が理解を超えるものであっても、
ばあたんにしてみれば、彼女の行動は常に合理的であるように。


「正常」という、何かを判断するにあたっての枠組み、あるいは軸足。

この枠付けは、所詮、相対的なものでしかないということ
この軸が足を下ろしているのは「暫定的な場所」でしかないということを
常に、頭の隅に置いておける自分でいたい。


暫定的な、相対的な判断基準というのは
日常生活の、あらかたの場面では役に立つ。

だが、すべての場面で有用なわけではない。
とりわけ、誰も悪くないのに悲しいことが起こったときには。

死も病も、現象としてはただの「自然」である。それ以上でもなければそれ以下でもない。
そして、こんなに不自由になっても、今、彼女は生きている。
この現実がすべてだ。


今更ながらそんなことを思った、
祖母と過ごす午後。

長い間ご無沙汰しておりました。

2006-06-05 23:29:55 | Weblog
思うところがありまして、
しばらく、お休みさせていただいておりました。


何も言わずに更新を止めてしまっていたのにもかかわらず
こまめにコメントを残してくださったあなたさま、

メールなどで応援してくださったあなたさま、

そして、
こっそりと時折のぞきに来て下さっていたあなたさま、

本当にご心配をおかけいたしました。
そして、ありがとうございます。

心より御礼申し上げます。


少しまた、書けそう。そして―書けるうちは書きたい

まだしばらくの間、公共の場をお借りして、
「じいたんばあたん観察記」を綴っていきたいと思います。

どうぞよろしくお付き合いくださいませ。


*********
 

二月ごろからどのようにすごしていたかについては、
次に載せる予定の記事「じいたんの笑顔がまぶしい」にて
少しだけ触れております。

ここから下はそれとは別に、思うところを書いてみたいと思います。



公の場所に文章を綴るということ
それから
このままブログを続けていくことに、
非常に迷いを感じておりました。

なるべく客観的に綴りたい
いろんな立場を踏まえながら…と願いながらも、

この手の文章というものは、究極のところ
「わたしがどう感じたか」という部分に柱を置いてでしか
綴ることはできないし、
またそうでなければ綴る意味が無いというのが
わたしの、正直な感想です。


一方、わたしがこのブログで扱っているのは、
「祖父母の介護」と、それにまつわる、ごくデリケートなテーマであります。

つまり
日常は人様にさらすことの無い部分
―わたし自身の生い立ちなどにも触れるような記事も、
いくつか書いてきています。

なかには、
身内の恥を晒す、行儀の悪い所作だといわれても仕方のない
あるいは
面と向かって言えないことを、記事という一方的な形で吐き出している
そんなお見苦しい記事もあるかと思います。

そういった、いわば
大事な誰かを―自分をも含めて―傷つける可能性を孕んだ記述
リスクを負いながら書き続けていくことが、
果たしてよいことなのかどうか

そこまでして何をわたしは書きたいのか
書くことに確かな価値があるのか

そのあたりを、自分のなかでクリアにすることができなくて
しばらくの間、編集画面に向かうことができませんでした。


(その間、
 SNSの日記に細々と、ごく簡単に
 日々のできごとなど、気持ちなどを綴っておりました。)


好きなだけ 逃避してみて
四ヶ月近くでしょうか
最後に、こんな気持ちが残りました。


伝えたいこと、まだ、山ほどある。


普通の30代とは少し毛色の違う、今の生活。
途中、気分がやさぐれちゃうこともあるけれど
ときには、怖くて足がすくむこともあるけれど

そんな中に

ささやかだけど、とびきりすてきなこと
目立たぬけれど、一生心に残るような瞬間が
確かに存在しています。

たぶん、こういったことは
介護という文脈では、あまり語られない部分だと思うので
拙くても、少しでも、書き残しておきたい。

毒吐きのようなことも含めて
何故なら
それがない生活なんて嘘だし
そんな苦しい時間があるからこそ、喜びもまばゆいのだから

だからもう、迷うのはやめようと思いました。

(直近の記事については、読み返すと結構暗いので
 そのへんのさじ加減をもう少し考えつつ)

多分わたしのことだから、
またすぐに、うだうだ悩んだりもするのでしょうが
それでも、細々と続けていけたら、嬉しいです。


最後までお目通しくださいましたあなたさま、心より感謝申し上げます。

駅は目の前。なのに

2005-12-08 10:05:29 | Weblog
昨夜、早く(といっても午前零時過ぎだけど)寝たのが裏目に出たようだ。

四時半に早朝覚醒、どうしても眠ることができない。

いやな汗をかく。なんとも言えない気持ち。

めまい、息をするのが苦しくて、公園で座り込んでしまった。


どうして…?


あたしは、夢に出てくるほど、ばあたんに会いたい。

じいたんと、帰りにコーヒーを飲む約束だってしている。


なのに今、駅へ向かう道の途中、公園のど真ん中で、

快活な表情で出勤していく人たちを眺めながら

携帯を取り出して、記事を打ち込んでいる。

駅まで徒歩であと五分の場所で。



書いているうちに、気持ちが落ち着いてきました。

祖父といま、移動中。

ありがとう、行ってきます


宣言。

2005-11-08 23:37:35 | Weblog
いま、あなたに嫌われようが、見損なわれようが
わたしは生きていけるでしょう。

(多少、不具合が生じるにせよ)



だけど

今、書くことを取り上げられたら、
わたしは確実に、駄目になるでしょう。

たとえあなたに、本意が通じないとしても。


わたしは、わたしのために



わたしが生き残れる道を選びます。

ごめんなさい

2005-08-15 08:41:50 | Weblog
行く前に、
書かないと、行けない。
ひとりでいるうちに。

からだじゅうから液体が流れ出す。
涙も、胃の中身も、汗も。


…添い寝ひとつ、かなわないなんて、いやだ。
ばあたんに頬ずりできない毎日なんて、いやだ。

あんな本格的な精神科病院に入れるなんていやだ。
面会もかなわないような。
ましてや入れっぱなしなんて。

…泣くな。考えろ、私。
泣いてるひまなんかない。

何かいい方法があるはずなの。


だって、ばあたんは、まだ、生きているんだもの。