じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

Musical Batonをキャッチしました。

2005-06-28 23:31:24 | 音楽
今、巷で流行している、ミュージカル・バトン。
『デンドロ・カカリア』の、デンドロさんから受け取りました。

ふふふ。いい感じに、ブログの趣旨から外れてきています(何がだ)
せやけど、ホンマのとこ言うと

おもろかったら何でもOKなんやウチは!(ミもフタもない)

というわけで、遅くなりましたが、さて書いてみましょう。


◆Total volume of music files on my computer is: (今、パソコンに入っている音楽ファイルの容量)

ないしょでつ。とりあえず、PCに音楽あまり入れてないはず。
ちょこっと、ちょこっと習作が入っている程度です。


◆The last CD I bought was: (最近、買ったCD)

パブロ・カザルス バッハ無伴奏チェロ組曲(全曲)

Kenさんこの記事を読んで、すぐ入手。大当たりでした!

バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)
カザルス(パブロ), バッハ
東芝EMI

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関係ないけど、今狙っているのは、
同じくパブロ・カザルスの「ベートーウェン:チェロソナタ集(全曲)
です。


◆Song playing right now is: (今聴いている曲)

Sade: Love Deloux

Love Deluxe
Sade
Epic

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◆Five songs (tunes) I listen to a lot or mean a lot to me are: (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

ジャンルごとに五つずつじゃないのか!みたいな。はは。
どうしようかなぁ。ちぇ。


・「1996」坂本龍一

世界の舞台で、「日本人であること」をウリにしないで勝負する、
この人が大好き。
挙げたアルバムは、映画のテーマソングになった曲をくまなく網羅しているという点で、
私にとってのベストアルバムです。

「戦場のメリークリスマス」のラストシーン。
明日死刑になる日本人(北野武が)が、かつて自分が捕虜として捕らえ
虐待していた主人公に、こう、笑いかける。

「メリークリスマス!Mr.ローレンス」

"ただ感じて、泣く"ということを、あの時知りました。

1996
坂本龍一
フォーライフミュージックエンタテインメント

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ちなみに、坂本龍一の公式サイトはここ


・Holly Cole:Calling you

収録曲のうち、Calling you は多分、
聴いたら「ああ、これか!」と皆様お思いになると思います。

コーリング・ユー
ホリー・コール・トリオ, ホリー・コール, デビッド・ピルチ, アローン・デイビス, ジョニー・フリゴ
東芝EMI

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大学時代の前半、ほぼ毎日、平日の夜は工場で働いていました。
真夜中、アップダウンの激しい人気のない道で、
自転車を必死にこぎながら、大声で歌っていました(笑)


・ベートーウェン:ソナタ悲愴(全楽章)

父の葬式が終わるまで、誰もをあざむいて散々、嘘泣きをした後、
ただ驚き続けているだけの脳みそで
ひとりの時間は毎日、これを弾いていました。
あのときの、あの何とも言いがたい気持ちを、真正面から受け止めてくれた
この曲に感謝しています。


・Lullaby of birdland

小4のとき、クラスメイトが、教室のオルガンで弾いていた曲。
名前ももう思い出せない、彼女が、とても楽しそうに弾く横顔をみて
「ああ、そうだ、あたしもこんな風にピアノを楽しみたい」
と初めて思った。

シングス・ララバイズ・オブ・バードランド(紙ジャケット仕様)
クリス・コナー, エリス・ラーキンス
東芝EMI

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それから20年近く経ち、
教えていた女の子が、高校受験まっただ中だった、あの夏。
息抜きという口実で連れて行ったジャズ・バー(おい!)で、
この曲の題名をやっと、知ることが出来ました。
彼女は今高3。心理学方面に進んで、臨床心理士を目指すとの報告が
先日、ありました。嬉しかった…。


・Eric Clapton:Change The World

映画のテーマソングだった。その映画の題名がいま、出てこないけど。
歌詞を読んで、何て切ないんだろうって。
「もし僕が世界を変えることができたなら」
答えは決まっているの。変えることなんて出来ない。
それでも歌うこの曲が好きです。

チェンジ・ザ・ワールド~エリック・クラプトン・ボックス1983-1994
エリック・クラプトン
ワーナーミュージック・ジャパン

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・Letters:宇多田ヒカル


「Deep Rever」はどれも歌詞いいなと思うけれど、
やっぱりLettersが一番好きかなぁ。この曲出すのはめっちゃ恥ずかしいんですが(何でだ)

Deep River
宇多田ヒカル
東芝EMI

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◆Five people to whom I'm passing the baton: (バトンを渡す5人)

ええ?これも5人しか渡せないの~…?
でも巷には、このコーナーを書かないブロガーさんも結構おいでみたいなので、
まあそれを補うということで(笑)ちょっとルールからはみだしてみました。

怖いもの知らず、かつ腹黒に、
以下のみなさま方に、バトンを差し出してみます。

お願いしてみるだけならタダや!!


はれうさん
あじゃさん
のんさん
oyajiさん
The社会福祉マン!さん
カジイさん


絞りに絞ってみてこれかい…(生ぬるい笑い)
ブログ運営の趣旨上、応じていただけそうにない方にもバトンを差し出してみました。
空気嫁、と突っ込まれそうでびくびくしております(汗)


…あの、「おねだり」してみているだけなんで。
無視でも、全然かまわないので。

でも、もしお時間が許すなら、
…ちょこっとだけでも、書いていただければ嬉しいです。


好きな音楽という側面から、あなたを知りたい、聴きたい。

◆追記(7/19):「かっこうのつれづれ」のミュージカル・バトンにTBしました。

「家族で過ごす時間」

2005-06-26 09:29:39 | じいたんばあたん
昨日の夕方に伯父が帰っていった後、じいたんが、
穏やかな表情で、ぽつりと言った。

「なあ、お前さん。
 家族で集まって過ごすのは、やはり楽しいものだなぁ」



うん。そうだね、じいたん。
じいたん、ずっと頑張ってきたんだもんね。


前の夜、じいたんばあたんと、ばうたま、伯父、5人で過ごした。
私と伯父が色々話し、ばうがばあたんの相手をしている間
じいたんは、椅子でうたた寝をしていた。

気になって、「じいたん、布団に入る?」ってたずねてみたけれど、
じいたんは、目をふと開けて、「眠くないよ」と言った。
そしてまたうつらうつらしていた。

きっと、あの空気の中で
うとうとしているのが、幸せなのだ。
本当は、身体にはさわるけれど
じいたんの好きにさせてあげたいなって思った。


伯父の来訪で、
色んな、優しい、泣きたくなるような感情を
たくさん体験した。
どれを書けばいいのか、わからなかった。
それで夕べはとうとう、更新できないまま床に就いた。


でも、じいたんのこの一言に尽きる
そう思ったので

団欒の中で幸せそうに目をつぶるじいたんのことを
かきのこしておこうと思います。

じいたん、よかったね。
あたしも、うれしかった。
長生きしてね。

長生きして、もっといっぱい、人生のボーナスを受け取って。



追伸:

皆で食べた中華料理も、おいしかったね。
伯父さんが、取り分けてくれたの
おいしかったよね。

ばあたんと、伯父さんが手をつないで前をあるいていく
じいたん、その後姿を見て、笑っていたね。
嬉しかったんだね。

ばあたんが眠るとき、手を振ってくれた
伯父さんの笑顔、すごくすごく優しかったね。

いいこと、いっぱいあったね。

長生きしてね。
もっともっと、いいこといっぱいあるから。
毎日の普通の生活、積み重ねていこうね。
たまも、お二人のそばに、いるからね。


…ああ、

やっと、涙がでました。

ありがとう。

じいたんの行きたいところ

2005-06-24 00:00:35 | じいたんばあたん
”ばうたまじいばあ”四人で、夏、ちょっと遠出したいねぇ…
なんて、居間で話していたときのこと。

突然、じいたんが言った。

「お前さん、海外旅行なんぞに行ってみたいとは思わんのかね?
 まあ、いつも本さえあればお前さん、幸せそうにしているが、
 人生それではいけないよ」

それはそうだ。
でもさ。今、介護してて無理だし。
てか、行きたいところは安くすまないところだし…
と思いつつ、答えてみた。

「一応、行きたいところあるんやよ。ガラパゴス!」


私が無邪気に答えると、何故かじいたん、してやったりという顔で
こうのたまった。

「お前さんらしいなぁ。
 でも、おじいさんの行きたい所だって、すごいぞ

…んん?去年、「もう旅行なんて無理だ」って
ごねてたじゃん?

「お前さんはきっと知らんだろうさ。
 フィリッピンの下にある、あの、なんだ、…」

じいたん…?なんかさ、らしくないんだけど。

おそるおそる言ってみる。
「…オーストラリア?」

じいたんぱあっと顔を明るくして、
「それだそれだ、オーストラリアだ」と唾を飛ばした。

…すかさず、突っ込みを入れてしまった。

「なんかさー、今までの海外旅行と、傾向が違うんじゃない?」
 (「ばあたんが元気だった内に連れて行ってやってくれよ!!」、という皮肉がちょっぴり)


そうなのだ。
大体、じいたんはは、85歳くらいまで、


エジプトで、添乗員の制止を振り切ってピラミッドによじ登ったり、

中国の僻地の遺跡で、壁すらない穴だけのトイレを使って来たり、

メキシコ行ったついでにカリブ海でパンツ一丁で遠泳してみたり、

そういう「歴史と遺跡」みたいなものが関係しているなど、
変わった旅行をするのが趣味だったのだ。
(ちなみにばあたんは、内心、諦めて付き合っていたようだ)


だが、じいたんは何も、変わっちゃいなかった。

「そうでもないんだよ、お前さん。
 わしは、あの国にある、大きな一枚岩に登ってみたいんだ


…はぁ???

じいたん、それって…エアーズロックのことでつか?(汗)


ああ、びっくりした。

でも嬉しかった。
「わしは早く死んでしまいたい」が一時、口癖だったじいたんが、
行きたい海外がある、って言えるようになったのだから。

日々進化してゆく、じいたん。 あなたの冒険は果てしないのね…



バッハ「インベンション」と、ショパン「幻想即興曲」

2005-06-23 13:54:56 | 音楽
※設定ミスで「コメント受け付けない」になっておりました(ToT)
 修正しましたので、どうぞどしどしお願いいたします…(修正6/25 6:18)

たかがアニメのエンディングテーマである
wind (明星)

以前のエントリでご紹介した、この曲を演奏してみようと試みるとき、

何故か、全然似ていないはずの、「幻想即興曲(ショパン)」を思い出す。
(ピアノを弾く方はなんとなく解ってくださるのでは。)


-------------------------


小学3年の終わりくらいのこと。

ソナチネは小2の夏で卒業し、
ソナタも簡単にやってすっ飛ばし、

私の先生が、私だけのために選んだ、カリキュラムは
バッハの「インベンションとシンフォニア」だった。
(ハイドンとかシューベルトとか、そういうのは弾かせてくれていたけど、 
 メインの教材が「インベンションとシンフォニア」だったのだ)

子供の私には本当に本当に苦しい訓練だった。

…けれど、
「両手の筋肉をバランスよく鍛え、全ての指のコントロールを均一にする」
という目的があったから、
すごい我慢しながら頑張った記憶がある。

曲は嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。
だけど、本当に本当に手ごわくて、奥が深くて、辛かった。


(間の時代は、複雑なので省略。またいずれ)


その後、とうに親元からも離れた16歳の頃、
バイト代で通っていた、新しいピアノの先生に
「たまちゃんは、本当はこっちのほうが向いているんじゃない?」
と、
ショパンの「幻想即興曲」を弾かせてもらえたときのこと。


愕然とした。


あれほど鍛えたはずの左右の手。筋肉のバランス。
苦しい苦しい訓練に耐えてきたはずの、あたし。
そんなものは土台に過ぎないと、思い知らされた。

あの、ダイナミックなのに繊細な曲を弾く感性を、
自分の中に育てる努力を怠ってきたのではないかと、怯えた。
楽譜を見るのが、怖かった。


だか、幻想即興曲を練習していくうちに、段々と、何かを「手が」理解した。

幻想即興曲は、聴き手に合わせて
弾き方を変えることができる、とても自由な曲なのだ。

確実な指の動き、音をコントロールできる筋力と持続力。
これがあって初めて、聴き手の心に、そして自分の心に
寄り添うような演奏を実現できるのだ。
 
そう思ったら、弾くのが、楽しくなった。
そうだ、あの訓練に耐えたからこそ今、あたしは自由に
この曲を弾けるんだ。

だったら、あたしにしか弾けないショパンを。
自信をもって。
上手くなくてもいい。精一杯のショパンをあたしは、弾きたい。


…今でも、介護に挫けそうなとき、あのときのことを思い出す。

下に紹介している本は、ショパンを割と本格的に、演奏してみたい人に
いいかなと思う練習本です。CDついてます。

私自身は、例の、あの、一曲ずつの楽譜で練習したのですけど、
アレ何ていいましたっけ?教えてはれうさん&偉い人!


珠玉のショパン名曲選〈幻想即興曲〉

ドレミ楽譜出版社

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◆追記(7/16)"三日でひとまわり"の、「バッハとわたし」にTBしました。

◆追記(7/19)"かっこうのつれづれ"「ミュージカル・バトン」にTBしました。

病気の症状としての「妄想」について、覚書。(症例)

2005-06-22 21:36:00 | 介護の土台
※一部、改稿いたしました(6/23 01:25)

前回、妄想に関する対処のしかたについて、自分なりの考えを書いてみました。
今回はそれを踏まえたうえで、
私の体験の一部を、参考までに書いてみたいと思います。

じいたんばあたんのケースではありませんが、
この症例が、私にとってのイニシアルケースであると言い切れる
そんな症例を紹介したいと思います。

その後の人生で、別の家族を看病した場面や、
また、現在、じいたんばあたんとの生活の中で、
時に現れる妄想のようなものに対処するとき、

この時の体験が、私を助けてきたと思っています。

そういう訳ですので、どうかご容赦ください。


/////////////////////////////////////


症例)私の父の場合(当時、父41歳、私は高1)

病名:脳腫瘍(悪性)再発何回目か。

状況:(うろ覚えですが確かこんな感じ)
   5回目か六回目の手術の後。
   腫瘍摘出のほか、
   正常圧水頭症によるシャント手術も施行後であったため、
   痴呆症状を呈しているのだろうということで、経過観察。
   幻覚・幻視を緩和する薬物治療は適応ではない。


脳圧があがってしまっているせいで、
「水頭症痴呆」が出ていた時期がありました。

父は、様々な妄想(幻覚や幻視)に苦しめられていました。
そのとき症状に応じて対処してきたわけですが、
一番、分かりやすく、また印象に残った事例を一つ、書きたいと思います。

例えば、
「足元に、黒猫が座って、どかないんだ。不吉だからどこかへ連れて行ってくれ」
と切羽詰ってわたしたちに、訴えるのです。

母はそんな父の変わりように、
「そんなものいないわよ、あなた。どうしたの、あなた」
と悲しみ、途方に暮れ、病室の外で泣き崩れていました。

でも、いっこうに症状はおさまらず、
他の妄想(向かいの部屋が霊安室だからいやだ、とか)も
強くなってきました。
父の手にはナースコールが握られたまま。

その時ふと思いついて、やってみたことを書いてみます。


たま「パパ、パパの足元には黒い猫がいるのね。」

父「そうなんだ。気味が悪いんだよ。たまこは分かってくれる?
  ママに言っても、信じてくれないんだ」

たま「うんとね、パパ。
   あたしには、黒猫がよく見えないんだ。
   でも、パパに黒猫は見えてて、すごく嫌なんだよね?
   たまも、同じようなことあったら、嫌な気分になっちゃうよ。
   
   だからさ、どの辺りにいるのか、教えてくれないかな。
   たま、がんばって捕まえるから、
   ちゃんと捕まえられたかどうか、教えてちょうだい。この辺?」

   (としばらく、ベッドの足元あたりを、探ってみる)

父「ああ、そこだ、そこだ。(笑顔になる)」

たま(抱き上げるしぐさをして)「ねえパパ、まだ、足元にいる?」

父「いや、たまが抱っこしているやつだけだ」

たま「そうなんだ~。じゃあこのまま、連れてって、外でえさでもあげてくるよ」

戻ってきたとき、父は落ち着きを取り戻し、ナースコールから手を離していました。

それからも時々、誰もいないときを見計らって、
父に、直接

「猫はいない?怖くない?たまには、見えないんだけど」
と問いかけるようにして、

「実はいるような気がするんだよ」
と打ち明けてくれたときには、上と似たような対処を繰り返しました。

そのうち、
父は「もう、猫はこなくなったよ。ありがとう。」と
笑顔で答えてくれました。

これが、脳圧が下がったせいなのか
対処が適切だったからなのかは、わかりません。
ただ、彼の気持ちが和らいだ結果、
症状を緩和することに多少は役立ったのではないかと思います。


//////////////////////////////////


こういった対処をたまたま出来たのは、

母が、悲しみをぶちまけてくれたおかげで、逆に私が冷静になれたこと
つまりたまたま、「家族」という枠組みのなかで、
こういった対処の仕方が発生し、機能したのだということ
(母がいなければ、私はこういった対処ができなかったと思います。
 母と私が逆であっても、同じ結果が出たかもしれません)

一見、キチガイじみたように見える私の対処と努力について、
妹”にゃお”が理解を示してくれ、協力してくれたこと
(妹がいなければ、この孤独な作業を続けることはできなかったと思います)

他の患者さんのご家族や、看護師さんたちが、
黙ってあたたかく見守ってくださったこと

この三点があったことを付け加えておきます。


家族や周囲の協力があってこそ、こういった対処が可能になったということを、
どうかご理解いただき、
苦しい闘病生活をなさっている方やそのご家族に、
何らかの希望を感じていただければ、さいわいでございます。

つたない文章を、
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


追記1:
父は、核融合理論の研究者でした。
11年の闘病生活の間、ぎりぎりまで研究職を続けました。
そして、43年の短い生涯を終えました。
最後まで、泣き言ひとつ言わず堂々と、生き抜きました。
彼の名誉のために、付記しておきます。

病気の症状としての「妄想」について、覚書。

2005-06-21 08:25:50 | 介護の土台
痴呆(という表現を敢えて使います)の症状としての
「妄想」について、
その理解のしかた、及び対処のしかたのコツを、
自らの体験から思うところを、少し書いてみたいと思います。

-----------------------------

「お財布を誰かに取られた。嫁の仕業にちがいない」
「○○が、俺を拉致しようとしている」
「妻が、浮気をしている」

妄想に伴う病者の行動や言動に、
介護者や家族は初め、どうしても戸惑いを感じると思います。

なぜなら
「妄想を持った病者の”行動・言動”」にばかり目がいってしまい、
彼らが今どういう気持ちで「妄想」の中に埋まっているのかを
考える距離感を、しばしば持ちにくいからです。

-------------------------------

  あ、そうだ、本論に入る前に、大前提をひとつ…。  まずは「痴呆に似た症状を呈する身体疾患がないか、専門医に必ず調べてもらうこと」 ご承知おきくださいませ。
   
********************************


では、どうやったら距離感をある程度保てるのでしょうか。
そのコツを
(あらかじめ予備知識として頭に入れておいていただければ、
きっと楽になるであろうということ)
少し書いておきたいと思います。


病者が「妄想」を訴えた(あるいは行動化した)時、
まず介護者が即座に認識すべきことは、

①「妄想」という症状が、本人にとっては非常に苦しく、
怖ろしいものとして体験されているということ

②彼らにとって、「妄想」は現実として「体感」されているということ

この二点だと思います。
頭でだけでもいいので、了解しておくことだと思います。


**************************************


でも、こんな風に書いてみたところで、読者のみなさんは、あまり、
ぴんとこないですよね。


というわけで、たとえ話をひとつ。
何処で見かけたのか忘れてしまったのですけど、
「これは上手い言い方だなぁ」と思ったので…


「妄想」を、「耳鳴り」だと考えてみてください。

「耳鳴り」は、自分自身には聞こえます。
それはそれは、うっとうしく嫌なものです。
でも、他人に「自分の耳鳴り」を
一緒に聞いてもらうのは不可能です。

逆もまた真なりで、
他人様が耳鳴りで苦しんでいるということを、
本人から教えてもらえば理解できるのだけれど、
それが実際どのようなうっとうしいものか、推察はできても
他人様の耳鳴りそのものを体験する=聞くのは不可能です。


妄想(幻覚・幻視・幻聴)も、これと似たようなものです。


病者にとっては、
「自分にとっては絶対に「真実」としか思えないけれど、
 他人には取り合ってもらえない。どうしたらいいんだ…」

病者以外の人にとっては、
「病者の妄想は、「現実ではない」とはっきり否定できるけれど、
 目の前で、病者は、妄想に苦しめられている。どうしたらいいのか…」


これが「妄想」が発生したとき、
病者と、介護者(及び家族)との間に生ずる
ギャップなのではないかと思います。


*********************************************


では、どのように接すれば、患者の気持ちが楽になるのか。
ポイントを書いてみます。


①彼らの妄想の「内容」を、決して、否定しないこと。

②ただし、彼らの妄想の「内容」を、肯定もしないこと。←これすごく大事。

②’適切な時期を見計らって、
 「自分には、病者の見聞きしているものが、見聞きできない」という事実を、
  穏やかに正直に伝える。
      ↑これが、非常に重要だと思います。

③ ①②②’を踏まえたうえで(←これらは病者に伝えるかどうか、ケース・バイ・ケースです)
 彼らが、今「とても辛い状態におかれているのだ」という、
 その「辛さ」の感情に対して、十分な共感を示すこと。

③その上で、「じゃあどうやって解決しましょうか」という働きかけをする。
 患者自身に要望がある場合もあるし、
 こちらから色々アプローチする必要がある場合もある。
 (解決方法を考える力がその時点で、衰えている場合も多々ありますので)

 ただ「一緒に、解決している」という気持ちに病者がなれるように、
 周囲は動く必要があると思います。


(注)
 統合失調症の病者へは、安易に応用しないでください
 (精神科医の意見をまず重視してください)
 統合失調症に関しては薬物療法がまず第一選択で、
 とにかく、激しい症状を一旦抑えて、「患者を楽にする」ことが先決です。
 また「妄想・幻聴」などが起こるメカニズムも、痴呆によるそれとは異なります。

 逆を言えば、痴呆症の場合、簡単に薬物を使えない場合が多々あるので、
 周囲の理解がとても大切になってくるのだと思います。


専門家の方から、そうでない方からのご意見、お待ちしております。
私は、まだまだ学びたいです。ご協力をいただければ幸いに存じます。

なお、次回、
こういった認識を持つに至った経過をご理解いただくために、
ひとつ、私が体験した事例をご紹介したいと思います。
よろしければそちらも、お読みいただければと思います。

『斉藤孝の実践!日本語ドリル』

2005-06-20 23:57:55 | 本棚
タイトルに騙されないで、是非この本を手にとってみて下さい。

斉藤孝さんは、色々な本を出されているかたです。
でももしあなたが、初めて斉藤孝の本に手を出すのなら、
まずはこの本を、プロフェッショナルのはしくれとしてお薦めしたいと思います。


「ドリル」と題されていて、確かに問題も載っているのですが、
(しかもその「問題」は「これ以上ないほど洗練されている」)
ドリルであるという以前に、この本は、
「単なる読み物」として十分に耐えうるポテンシャルを持っています。

載っている問題を解くのが面倒なら、
すっとばして本文と解答を読んでしまえばいいです。全く問題ないです。

ところで、
この人の本はどれも、比較的読みやすいものが多いですが、
今回ご紹介したこの本の、良いところの一つに、
「うすい」ということがあります。
薄いのに、中身が濃い。

しかも、「問題を解く」形式になっているにもかかわらず
「問題を解かされている」という感覚には不思議とならない本。
大人になっていても、この本で力を伸ばすきっかけを作れる。

色々な点で、お買い得な本だと思います。


ですが
「この本を推したい」、個人的な理由は

「日本語力は、文章のうまい下手を超えて、考える力に直結している。」

と、

「日本語力が何故必要なのか」という命題について、明確に答えを読者に示している点が、すばらしいと感じたからです。


今までいくつかの仕事を経験してまいりましたが、

その中で思ったことなんですが、
日本語力というのは、特に
「生活の中で、楽しみながら」叩き込むほうが、よいのです。


総合的学習がなんたらとか、学校では色々言っていますが、
それを、「生徒が楽しめるように」やれる能力のある教員は
残念ながら、ごくわずかだと思います。

特に中学では、内申の問題があるので、
先生のほうもあまり、余裕はありません。

また、生徒は生徒で、内申がかかっていますから、
先生の授業に嫌々でも付き合っている場合がいっぱいあります。

「いやいや」している勉強では、
定期テストで点数を取れても、
実際の生活に、学んだことを応用していく力は、つきません。

この本は、実際の生活に応用していける力がつくという点でも
すばらしいのです。


もし読者様が親なら、子供さんと一緒に、
あるいは、恋人や伴侶、飲み仲間と一緒に、
この本で楽しく遊んでみてください。


斎藤孝の実践!日本語ドリル―日本語力がみるみる身に付く50題

宝島社

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じいたん、折り合いをつける。

2005-06-19 23:47:02 | じいたんばあたん
最近、じいたんはばあたんを連れて、二人で散歩に行く。


本当は医師からは止められているのだが

「お前さん、先生には内緒にしておけばいいじゃないか」
というじいたんの屁理屈に勝てず、
諦め半分で、二人で散歩に行ってもらう。

じいたんとしては
「たまの負担を少しでも軽くしよう」
という気持ちも、あってのことなのだ。
(いや、それなら、頼むからショート使ってくれ…と
 ツッコミを入れたくなるけど、猫には口はないのだ(笑))

いちおう、
「車の通るところはなるべく歩かないでね、公園とかにしてね」
 (ばあたんは、歩道と車道の区別がつかない。信号も分からない)
と”おねがい”だけはしているのだが
   ↑※ここポイント。”おねがい”するだけなら
     じいたんも圧迫感なく聞いてくれるし、
     考えてくれる。

じいたんは
「わかってる、わかってる」といいながら
翌日には
「○○のバス停まで歩いていって、帰りはバスで還ってきたよ」
と、嬉しそうに私に報告してくれる(笑)
 (それでこそ、じいたんなのですが…)


でも今日は、

母方の祖母のこともあるので、私は昼も自宅にいた。
心配でたまらなかった。
だから、
ちょっとだけ、泣き落としてみた。

たま
「今、わたし、怪我で自由が利きにくいでしょう。
 これで今、じいたんたちに何かあったらどうしようって
 すごい心配なんよ…
 その気持ちだけはわかってや。口うるさくて、かんにんな。」

じい
「ああわかっているとも。公園に行くから心配しないで
 待っていておくれ。」


…仕方なく、待った。
 散歩から戻ったら、電話をくれるだろうと思いながら。


そしたら。
何と。
じいたん、散歩先から私に、電話してきたのだ。

「やあ、お前さん。おじいさんだよ。
 お前たち(私と妹)がくれた携帯電話を持って来たんだ。
 今、○○公園の高台でおばあさんと二人、休んでいるのさ。
 ここなら電波も通じるだろうと思ってな。」


あれほど携帯を使うのをいやがっていたじいたんが、
(教えても教えても覚えられず、それが辛かったようだ)

私の心配と、じいたんの欲求の折り合う位置を見つけて、
がんばってくれたのだ。

「じいたん!かっこいい!!
 めちゃめちゃかっこいいよ!!」
と叫ぶ私に

「そうか?」
と、少し嬉しそうなじいたん。

じいたん、ありがとう。
実は、携帯くらいじゃ心配が減るわけじゃないんだけど、
その気持ちが、
あたしのために、新しいことにトライしてくれるじいたんが、
うれしかったよ。

「そうやで。めっちゃかっこいいで。
 90代になってから携帯使えるようになる人なんて、
 そんなにいてへんで~!
 じいたん、ありがとうな~!!」

じいたんは照れている。

そこで間髪いれずに
「少しでも気分が悪いと思ったら、三番と、青いボタン押してね。
 自分でかけられへんときは、
 近くの人に、電話渡してね。
 たま、すぐ飛んでいくからね」

そう、少しずつ、そろ~り、そろ~り、
用心深く、待つのだ。
じいたんが、少しずつ、色んなことを
受け入れながら、
自分の力で、尊厳を護れるようになるのを。

「介助犬ばう」のこと。

2005-06-18 23:42:39 | 介護の周辺
前回のエントリについての、Kenさんのコメントを読ませていただいて、
色々考えてみたんですが…
(といいつつ、話が微妙にずれるんですけれど)

介護猫一匹では、老夫婦の介護を十分には、できなかったと思います。

---------------------------

「介護猫たま」には、そしてじいたんばあたんには
「介助犬ばう」がついています。

私の彼氏=「ばう(もともと”ばう”というあだ名)」は、
まるで「介助犬」のような人です。

「ごく具体的な援助」を惜しまずしてくれる、彼は
まるで介助犬のような人です。

祖父母宅でのばうは、一緒にじいたんとテレビをみたり、
くつろいでいて、あまり余計なことはしないし、言わないけれど、

たとえば、
じいたんが話したそうにしているときは、
いっぱいお話し相手をします。

たとえば、
じいたんの会計に私がつきっきりで、
ばあたんに構ってあげられないときは、
二時間くらい、しりとりやら、紙風船やら、
色んなことをして、ばあたんの遊び相手になっています。

たとえば、
じいたんとお風呂に入りに行くとき、ばうばうは
そーっと、傍にいて
じいたんが、ふら~っとしたときや
しりもちをついたときだけ
ささっと手助けをします。

たとえば、
ばあたんが、大勢の来客のなか
おいてきぼりになったような気分を味わっているとき
介助犬ばうは、さりげなく
「おばあちゃん、ばうちゃんと散歩に行きませんか?」
と、ばあたんを連れ出します。

たとえば、
介護猫たまが、事故に遭って
じいたんばあたんのところにいけなかった日、
介助犬ばうは、人間たまに
やるべきことリストをメールで送らせて、

会社帰りに、自分ひとりで祖父母の家を訪ね、

服薬、ヘルパーの記録のチェック、そして、
じいたんが困っていることがないか、
男同士の立場で色々とリサーチして、たまのところへ寄り、
二時間かけて自宅へと帰っていきます。


じいたんやばあたんに甘えたりすることはありませんが、
静かにそこにいて(あ、口は悪いけど(笑))、

「信頼しています」というメッセージを常に、送り続けます。


そして、何より

介護猫たまが、祖父母宅から出て「人間たま」に戻り、
今後の介護の行方、皆がハッピーに過ごせる方法を
色々考えながらうんうん悩んでいるとき
具体的な提案をいくつも出しながら、一緒に問題を考えてくれます。

介護猫が、人間に戻れなくて、ごはんをつくる気力がないとき
台所に立ってごはんをつくってくれます。

介護猫は、猫ですので
自分の生活をきちんと維持していくことが、苦手です。
介助犬ばうは、そういうとき、ささっと
スケジューリングや、プライオリティ付けをして、
水先案内をしてくれます。

そして、たまが、悲しくておいおい泣くときは
黙って横にいてくれます。

不思議な、不思議なひとです。

私が「介護猫」でいることができるのは、
介助犬のように、ばうが、寄り添ってくれるからかもしれません。


追伸:
もちろん、お世話はちゃんとしなければなりません。
介助犬ばうが大好きなのは、耳かきや、頭のマッサージです。
それから、あたたかく二人で眠る時間です。
二人でいろんなことを話すのが好きです。
かまってあげないと、すねます。

普段のばうは、めちゃめちゃ活動的な人です。
でも「忙しい」という言葉を一度も言ったことがありません。
(そこを私は一番、信頼しています)
ちょっと風変わりな、うたれづよい、謎のひとです。

わたしは、介護猫。介助犬ではないのです…

2005-06-17 00:22:55 | ブラックたまの毒吐き
※一部、改稿いたしました(6/17(金)14時)

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私の介護での役割は、
「たま」という介護猫に、なりきることです。

「たまこ」という、個人としての属性を、一旦、完全に捨てることです。


このブログを読んでくださっているみなさまの中には、
祖母と祖父と私との関係について、
過去から今に至るまで、ごく順調で穏やかなものだったと
理解されている上で読まれている方が、
たくさんおいでになるような気がします。


ですが、それは事実ではありません。


祖父母と私(と死んだ父、生き残った母)との間には、
かつて、壮絶で残酷な歴史がありました。

祖父が昔吐いた暴言や、親への仕打ち。
祖母の、母としての息子への冷たさ
姑としての嫁=私の母への冷たさ
(と、子供であった当時私が感じたもの)。

忘れたわけでは、決してないのです。
水には、とうに流したけれど、


たとえば、
父が最初に死にかけ手術室に運ばれるまさにそのとき、
「お前たちにはびた一文、やらん」
と、憔悴しきった母に開口一発、言い放った祖父。

そのとき私は七歳になったばかりでしたが、
生まれて初めて「殺意」というものを覚えました。

父が死ぬ前、
「お前たち(私と妹)は高校出れば
 自力で生きていけるだろう。
 わしには関係ない」
と、言い切った、祖父。

父が死んだとき、

…正直、過去においては、
その手の話には枚挙にいとまがないのです。



だけど。だけど。だけど。

そんな話は、過ぎたことです。

どうして祖父母がそういった「酷い態度」をとっていたのか
少しずつ理解しようと、大学時代からずっと努力を重ねてきました。

そして今は、
彼らの立場に立って、理解を示すことができるようにもなりました。

(彼らは、ひどく「ありえない現実」に対して混乱していたのです。
 息子を失うかもしれないという、最悪の不幸に。
 それだけなのです。
 今は、それがよく分かります)

そんな過去の経過をふまえたうえで、
現在の穏やかな関係があるのです。


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祖母は今、病を得て、
全てを忘れ去り、
「ばあたん」になりました。

ばあたんは、おそらく、「私」について、
「そばにいてくれる、親しい間柄の女性である」という以上の
認知は、していない。

他人様の前ではいきなり、しゃきっとして
「孫娘がよくしてくれるので…」などと発言して
周囲を驚かせるのですが、

それは彼女がアルツハイマーを発症してから、
血のにじむような努力で、新たに学習しなおしてくれたことなので。
「私」を傷つけまいとして、必死で覚えてくれたこと。
(そう、彼女はとても聡いひとなのです)
だから、彼女の中に、幼い日の私の記憶は、ありません。

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二年前、私が来た時にはすでに、私が誰の子供か分からなくなっていた、ばあたん。
それどころか、死んだ彼女の息子…すなわち私の父のことも、
弟か息子かわからない、そんな状態でした。

だから、彼女の気持ち、彼女が私に注ぐまごころと愛情は、
実は、私個人に対して向けられたものでは、ありません。

精神科のプロフェッショナルたちに負けないくらいに
自分を鍛え続けながら、
祖父母が味わっている絶対の孤独を、違った形で共有すること。
私に出来るのは、ただ、それだけです。


介助犬みたいに、多少の役に立てばよいけれど、
わたしは、せいぜい介護猫です。

だから、「たま」というハンドルなんです。


祖父母に残された、残り少ない時間を、
美しく、ユーモアに溢れたものにしていくためなら、
お迎えの朝「幸せだった」と
彼らが思えるように、今の生活を作っていくためなら、

わたしは全ての自我を脱ぎ捨てて、猫にだってなる。

それだけが、愛情の証。
彼女へ与えることのできる、愛。

愛すること、そのエネルギーが沸くのは
理屈ではないんです。



誤解のないように伝えておきます。



「いま・ここ」のじいたんばあたんを、泣きたいほど愛しています。



それだけが、私を突き動かすのです。
今現在のじいたんばあたんを、抱きしめたい。
ただ、それだけ。


光がまばゆいほど、影も、濃いのです。

できれば、読者の皆様に、すこしだけでも
そのあたりを了解した上で
当ブログにお付き合いいただけたらと思います。

このエントリを残せるかどうか、自信がないけれど
どうか、どうか、ご容赦ください。


「もともと仲が良かったのね。可愛がられていた孫なんだね。
 だから耐えられるのね」

なんて安直な理解は、ちょっと淋しいので

(幼いころ、うんと可愛がられていたって、
   平気で踏みにじる奴は、踏みにじりますよ?)

自分勝手に、このログを残します。



生きることを、「人」を、心から愛すること
愛に溺れず、客観的な目をなるべく失わずにいること、
そして、介護=生活そのものを楽しめるよう、あらゆる工夫を凝らし続けること

それが、わたしと祖父母の介護生活です。
普通に生活し人生を生きるということと、なんら変わりはありません。


祖父母が今、生きていてくれること
ここまで生きて、待っていてくれたこと、

「存在の愛」を教えてくれたこと

感謝の気持ちで一杯です。


そして、ここまで付き合ってくださった、読者のみなさまにも。


最後まで読んでくださってありがとうございます。