じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

新しい支えをまたひとつ。

2006-08-30 23:59:35 | ブログ運営のこと
【notice】しばらくの間、この記事がトップに表示されるようにしています。
     8/12現在の最新記事は、この記事の下にある『「にもかかわらず」ではなく「それとは関係なく」。』です。
     お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

八月四日の深夜に、テレビ東京の「ブログの女王」という番組で
うちのブログを取り上げていただきました。

まだ風邪をひいていることもあり、
深夜、ひとりきりでPCの前に座って番組を観ました。

うちの、膨大な量のログに全部目を通して、
それをあんなにコンパクトに、そしてわかりやすく、
数分間の「作品」に纏めてあって、感動しました。

なにより、スタッフの皆様や出演者の皆様が、
とてもあたたかい気持ちで関わってくださってたこと

この数分のために
どれほどの労力を割いて頂いたのだろうと思うと
画面を見ながら、うれしくて泣けてきてしまいました。



実際のうちのブログには、
ブラックなカテゴリーもありますし、
お見苦しい部分も多々あるかと思うのですが

いちばん自分が、読者の方に見て欲しいと思っている部分

―じいたんばあたんの、本当に素敵なところや、
今までの介護生活を振り返って、今でもこころにぴかびか光っている、

言ってみれば、自分にとって「支え」になっている部分

そんなな場所を 番組の数分間のなかに
きれいに取り出して、あんな優しい映像にして頂けたこと、

本当にありがとうございます。
心から感謝申し上げます。


今回放映された映像は
わたしの一生の宝になると思います。
(じいたんにも、今日の夕方に観てもらいました。
 相方が、番組を録画して祖父宅に行ってくれたので…
  ↑わたしがまだ風邪で寝込んでいるので、代わりに)


これからの介護生活のなかで、
辛いことも、まだまだ沢山起こってくると思います。
そんなときに、元気を取り戻す糧にしたいので
大事に保存しておきます。

  うちの相方(ばう)とも言っていたのですが

  フラッシュの絵がとてもかわいらしくて、
  とくに祖母は雰囲気がそっくりで、
  観ていて、しあわせな気持ちになりました。
  本人に見せることができないのが残念です。


番組にしてくださった皆様にも、
それから、今までずっと傍にいてくださった読者の皆様にも、

本当にありがとうございます。
取り急ぎ御礼のみにて。


           八月五日記す。たま@まだ風邪っ引き


【追記】
テレビ東京さんでは四日の深夜に放送されたのですが、
他の地域では、少し期間が空いてから放送される予定とのことでした。
せっかくなので、スケジュールを書いておきます。
(※スケジュールは変更になる場合もあるそうです。ご容赦ください)

 ◆ティー・ヴィー・キュー
     九州放送 ⇒8月14日(月) 24:53~
 ◆テレビ大阪   ⇒8月15日(火) 25:00~
 ◆テレビユー山形 ⇒8月16日(水) 24:55~ 
 ◆福島中央テレビ ⇒8月17日(木) 25:20~
 ◆テレビ静岡   ⇒8月17日(木) 26:00~
 ◆テレビせとうち ⇒8月26日(土) 26:00~
 ◆テレビ愛知   ⇒8月30日(水) 24:58~

「にもかかわらず」ではなく「それとは関係なく」。

2006-08-12 19:33:29 | 介護の周辺
「アルツハイマー型老人性痴呆」という病気も含め、
認知症や脳疾患など一部の病では、
病気が進行するにつれ、どうしても
意思表示や感情表現が難しくなってくる側面がある。
だから一見、感情を持つこと自体も障害されてしまうと思われがちだ。
 
しかし、それは事実ではない。

 
今までも何度か記事にしてきたけれど、
病は病、本人は本人なのだ。

よく「歳をとると人は赤ん坊に戻っていくんだよ」と
訳知り顔で言う人がいるけれど、
それは実質の半分しか(あるいは少しだけしか)言い当てていないとわたしは思う。


  たとえば、
  ふたりきりになったときに、ぽつんとこぼれる
  ばあたんの本音。

  「わたしね 恥ずかしいのよ…
     こんな、なにも、できなくなって」

  突如、霧が晴れたように彼女の手の内に戻った表現能力は、
  数分たたないうちに彼女自身の意思を無視してかき消されてしまう。
  彼女はそれをめいっぱい使って、一瞬、わたしに気持ちを伝えようとする。


年老いた病人は、赤ん坊ではない。
たとえトイレに行くという動作を忘れてしまったとしても
感情までもが白紙に戻ってしまうわけではない。

生き抜いてきた人生、そのなかで培ってきた人格
ひとりの女性、ひとりの人間としての誇り

そういったものを、身体の芯まで沁み込ませたまま
老いや病とともに生きているのだ。
 
元気だった頃も、そして病を得て久しい今も、
ばあたんは確かにばあたんのままだ。

魂というものがもし目に見えるなら、
きっとわたしたちは見ることができるだろう。
彼女の魂が生き生きと、その肉体に宿っているのを。
 
 
////////////


少し、悲しいことがあった。
 
日常的に祖父母と過ごすようになって三年。
とくに祖母の病気のことで、悲しい言葉を聞くことは少なくなかった。
ある程度慣れることも必要だし、
相手に悪意があるときは、ちくりとやり返したりもした(笑

それでもなかなか慣れられない、こんな言葉。
 
「ボケちゃっていてもそんなことができるの?」

言った本人にまったく悪意がなかったとしても、
そこには無意識のうちに
「この病気になったら、人ではなくなる」という思いが紛れ込んでいる。

障害や病気を持つ人は、自分とはちがう世界の生き物だという感覚。
正しくは、「別世界のものであってほしい」という願望。

そのこと自体を責める気はない。
人それぞれ立場も生き方も色々だから、
そのときそのときのキャパシティに合った形で
自分の心をプロテクトすることは、むしろ大事なこと。
生きていなければ、先はないのだから。


けれど、これだけは知っていて欲しい。

認知症であるにもかかわらず愛情を示せる、のではない。
認知症とは関係なく、ばあたんは、
いま自分のおかれた状況の中で、持っている力を自然に発揮して、
自分の心に沿うように生きようとしている。
それだけなのだということを。


そしてこれは、認知症に限ったことではない。
祖母の病気よりも深く、意思表示や感情表現が障害される
そんな病気はたくさんある。
―あるいは、こん睡状態や脳死状態に陥るといった場合でも…

たとえこちらからのアプローチに反応しない状態だとしても、
それは「感情や意思がなくなってしまった」ということではない。
たとえ表現されることはなくても、
患者の意思も感情も確かにここに存在しているのだ。

彼らの想いの具体的な部分こそわからなくても、
そう確信を保ちながら看病や介護にあたる。
むしろそれが、わたしたちに出来る数少ないことのひとつだ。

少なくともわたし自身はそう思っている。
 

「かわいい、かわいい」と。

2006-08-10 22:53:21 | じいたんばあたん
先日、ばあたんと一緒に過ごしていたときのこと。
 
その日、ベッドで眠っていたばあたんを起こすと、
彼女は目を覚ますなり淡く微笑んだ。

「わたし、まだ眠いわ。」

と口では言うのだけれど
それなら、と思いもう一度寝かしつけようとしても
眠気にさらわれまいとするかのように、必死で起き上がろうとする。

日によっては起きないときもあるし、
じいたんがいても無関心な日もあるので
「ああ、今日はよさそうかな」
と内心よろこんだ。

 
でも、起こしてからが少し大変だった。

薬の量を少なめにしているせいか、
比較的表情豊かで、自分の意思も伝えようとするのだけれど、
一方で多動が収まらない。
とにかくじっとしていないのだ。
 
例えば、お昼の時間、
わたしやじいたんが行っているときは
わたしたちがばあたんの食事を介助するのだが、
ばあたんは、一口食べたら立ち上がってしまう。
 
どうやら「食事の支度をしなければ」と思っているらしい。
 
けれど、ばあたんはもう、一人で歩くのは危険な状態なので
わたしとじいたんが、周囲を一周しては
また、ばあたんを食卓につかせて、
食事の続きをする、といった具合だ。
 
ばあたんは、じいたんに
「こちらへ行かなくてはだめでしょう」
など、色々と指示をしたりして(その指示の内容はよく理解できないのだが)、
元気だったころの面影をのぞかせる。

普通の声がけだと最後まで食べてもらえそうにないので、
「調理実習で作ったの。先生、味見をしてね」
 (ばあたんは高校と短大で家政科の先生をしていた)
などと声をかけたりしながら、なんとか最後まで食事をしてもらう。
 

以前なら、食事が終わったら、病院の最上階まで散歩に出ていた。
けれど最近のばあたんは、その距離ですら連れて出るのが難しくなった。
その日も、やはり入院しているフロアを歩き回るのが精一杯だった。

歩くの自体はとてもよく歩くのだ。
というより、じっと座っていることがとても苦手なようだ。
ただ、突然身体の力が抜けてその場に座り込んでしまったり、
その座り込んでしまった身体で、足元も確かめずに
また、立ち上がろうとしたり…
 
お手洗いに行きたくなったときも、知らせるのがうまくいかず、
いろいろ不具合が出て、病棟の看護師さんを呼ばざるを得ないときも増えてきた。

この日はお手洗いの後、おしもを綺麗にするまでに
ばあたんの不安が大きくなってしまい、
「表へ出してちょうだい」(言葉にならないときもある)と、
わたしの身体を押しのけて、
下着もつけないまま外へ向かおうとする…そんな状態だった。

トイレ騒動で少ししょんぼりしたのか、
じいたんはやがて、来客用のソファで転寝をしはじめた。
 

  ばあたんにはいつだって、彼女自身の意思があって、
  それに基づいて動こうとしているのだ。
  そんなとき、ばあたんは本当に一所懸命だ。

  だけどわたしは、その全てを理解することはできなくて、
  観察の末、見当をつけては色々とためし、
  失敗してはまた観察をして…と、そんなことの繰り返しに終始する。

  そしてそのうち、ばあたんはくたびれてしまう。
  脂汗が額や首筋に浮いてきて、つらそうだ。
  それでも彼女は歩くことをやめようとはしない。
 

  多分…多分だけれど
  ばあたんは、必死で逃れようとしているのだと思う。
  漠然とした不安から、意識をにごらせようとする眠気から、
  それから、ただじっと座って記憶が消えてしまうのを待つ恐怖から。

  その「逃れようとする」というのは決してネガティブな意味ではなく
  ばあたん流の、精一杯の「戦い方」なのだと思う。
  「わたしはわたしでありたい」という彼女の叫びだとわたしは思っている。
 

それでももうくたびれ果ててしまったときには
ばあたんは、少しでも自分の記憶にある場所
―自分のベッドへ戻ろうとする。
 

//////////////
 

その日もやがて、ばあたんはベッドへ戻ろうとしはじめた。

今日もじいたんに淋しい思いをさせたな…
と、来客用のソファで転寝しているじいたんを振り返りつつも、
もう精一杯がんばっているばあたんを
見るに忍びなくなったわたしは
じいたんを放ったらかしにしたまま、ばあたんについていくことにした。


 
ほとんど思うように動かない足をひきずり、
わたしの手をひっぱって、
自分の部屋を探し当て、ベッドへたどり着こうとした
その瞬間、
 
ばあたんの身体が、大きく傾いだ。
その向こうには、ベッドの鉄の柵が。
 
 
「あっ…」

とっさに、ばあたんの身体の下に自分の身体を敷きこむ。
ばあたんの全体重が自分の上にかかる。
下はベッドのマットレスだから背中は痛くない。

だけど、
  「こないだ頭に大怪我をしたときは、
   真夜中に、ひとりぼっちで、
   このスピードで、これだけの重みがかかった状態で転んだのか」

そう思うとぞっとして、そしてひどく悲しくなって、
わたしはばあたんを抱きとめたまま、暫くの間呆然と転がっていた。
 
 
すると。


「かわいい、かわいい。よしよし。」
 

頭の上から、ばあたんの声が降ってきた。

見上げると
身体を起こしたばあたんが、
わたしを抱きしめて、頭や身体をさすってくれている。
さっきまでは殆ど意思疎通ができなかったのに。


「ばあたん、だいじょうよ…」

言いかけて、はっとした。


ばあたんは、うっすらと涙ぐんでいた。

鼻のあたまを真っ赤にして、それでも満面の笑顔で
わたしの頭を自分の胸に抱え込もうとしている。

 
「たまちゃん、かわいい、かわいい。
 かわいい、かわいい。よし、よし。」
 
たぶん他の語彙が出てこないのだろう。

それでも、ばあたんの指の先から全てが伝わってくる。
 

暫くの間わたしは、目を閉じて
ばあたんのなすがままになっていた。
 


携帯の中にいた、ばあたん。

2006-08-09 02:00:44 | じいたんばあたん
風邪引きでろくに動くことも出来なかったある日、
思い立って、携帯のデータを整理した。

わたしはデジタルカメラを持っていない。
だから、じいたんばあたんの写真を撮る時にはいつでも
携帯のカメラ機能を使う。

今までも随分整理してきたものの、
いつでも、取り出して眺めたいものだけは
携帯の中にデータを残している。


そこで、たまたま
二年前の秋の、ばあたんの動画を発見した。


動画を撮影した当時のばあたんは、
まだ、会話をすることはそれほど困難ではなかった。
記憶は残りづらくなっていたけれど(10分程度だろうか)
医者に行くために、わたしと二人遠出することも可能だった。

テレビとは何かということも理解できていたし、
 (「どうして箱の中に人が出てくるのかしら?」と、
   子供のような目で問うてくれる姿が可愛かった。
   彼女は疑問があれは素直に確かめようとする、
   そんな少女であったにちがいない)

携帯には「メール」というものがあり
「電気の信号で、文字情報を送ってやりとりしている」
ということも理解できていた。
メールの着信音を覚え、携帯が鳴ると
「たまちゃん、たまちゃん」
と、別の用事をしているわたしのところへ持ってきてくれたりしたものだ。
 
そんなとき、彼女が興味を持ったのが
携帯の持つさまざまな機能だった。

ばあたんの好きな音楽をダウンロードして聞かせてあげたりすると
ばあたんは、目をきらきらさせて、
「たまちゃん、それじゃあ、この曲は?
  ♪~いかにいます父母 恙なきや友垣~♪」
とせがんでくれたり、

ある別の日に、友人から動画が届いたときには、
ばあたんは、動画のなかで話している友人にいちいち
「はい、はい^^ わかりましたよ^^」
と返事をしてくれたりしては、何度もわたしに再生をねだった。
 


そんな二年前の日常の中で、わたしは
ばあたん自身を、偶然カメラの動画に収め保存していたらしい。

ファイルを見つけたときは驚いた。
はやる気持ちを抑えながら、おぼつかない手つきで再生する。


そこには、二年前の、まだ多少元気だったばあたんの姿が映っていた。

カメラを向けながらばあたんに声をかけるわたしに、
最初はいぶかしげな表情を向けるばあたん。

でも、最後の瞬間、


ばあたんは、恥ずかしそうに、ふんわりにっこりと、笑った。
 
明らかに、あの頃の―わたしをまだ分かっていた頃の―、
わたしを労わるように微笑んでくれた、ばあたんがそこにいた。
 


動画を見て、そのときのことを鮮明に思い出す。

ばあたんを撮って、ばあたんに見せてあげて遊ぼうと思ったのだ。
夕方の不安が強くなる時間、少しでもそれをやわらげたくて
でも、アルバムなどをめくるのも少しネタ切れがちだったので、
わたしは、はじめて携帯の動画機能を使ったのだった。
 
撮影できた後、ばあたんに見せてあげると、

「たまちゃん、もう一回みせてちょうだい。
 すごいわねぇ、すごいわねぇ!
 今はこんなことも出来るのねぇ。
 …わたしの兄妹の姿も、これを使ったら見れるのかしらねぇ」

と頬をほのかに上気させながら喜んでくれていた。
そしてやがて、わたしの手をとって

 「たまちゃん、ありがとう。
  おばあちゃんね、生きているって気がするわ…
  いつもね、とても淋しいのよ。だけど今は楽しいの。」

とぽつんとつぶやいたのだった。


ああ、でも、ばあたん。
本当に思いやりのあったのは、ばあたんの方。


こんなところにかくれんぼして、
こっそり、わたしを待っていてくれたんだ…
 
未来のわたしのことを。
 
本当は恥ずかしがりやさんなのに、
あのとき、撮らせてくれたのは、きっと。 


静かに涙が流れるのを感じながら、
わたしは繰り返しばあたんの笑顔を再生した。
そして
携帯の中のばあたんは、
何度も何度もわたしに笑いかけるのだった。
 
 

桃と、そして彼らの好物と。

2006-08-07 23:28:59 | じいたんばあたん
今夜じいたんは、叔母の家族と一緒に近場の温泉へ一泊している。
わたしは一人、自宅でゆったり過ごさせてもらっている。

本当ならわたしも一緒に行くはずだったのだけど、
相変わらず夏風邪が治ってくれず
微熱や咳がなかなか止まらないといった調子なので、
今回は、お休みさせてもらったのだ。
 
週末もずっと、ほとんど安静にしていた。
相方が代わりに、じいのところへ顔を出してくれた。

*********


土曜日、じいたんの主治医のところへ行った。
風邪がなかなか治らないので見てもらうついでに、
じいたんの最近のことを色々話したりしたくて。
 
先生から、
「こないだお越しになったとき(1日)、
 おじいさま、少し元気がないような、不安げな様子だったから
 あれ?と思ってね」
という話を聞く。
 
わたしは風邪を引いてから、じいたんとは直接接触しないで
もっぱら、朝夕に電話で話をするようにしていた。

朝は30分程度、そして夜は
一回、1時間~2時間くらいだろうか。
じいたんが「じゃ、そろそろ切ろうか」というまで。

  というより実は、切ろうにも切れない状態だったというのが正しい。
  よほど淋しいという気持ちが強かったのだと思う。
  それから夜は、疲れのせいか、我慢がきかないようなところも
  見受けられたように思う。

  電話で話すのはそれほど好きではなかったはずなのに、
  話が、あちこちに飛び、蛇行し、切るタイミングがない。
  「お薬を飲みたいから一旦、電話を切ってもう一度かけるね」
  といっても、なかなか理解が難しい様子だったりする。
  以前のじいたんなら、考えられないことだ。

この一週間とちょっとで、
ずいぶん、じいたんに負担をかけてしまった。

ほとんど毎日来てくれていた人が来なくなる。
一人の時間がうんと増える。
そういった変化も、じいたんにとっては辛いものなのだ。
 

体調管理を第一にと思い、温泉行きを断ったものの
なんとなく、割り切れないような思いが残っていた。

だって、じいたんにとっては一番楽しみな、
「家族の団欒を味わえるひととき」なのだ。
それも、温泉だ。特別なイベントだ。
ひとりでも頭数は多いほうがいいに決まっている。
 
 (しかも、
  「ばあたんとの旅行がだめになった分、何かしたい」
  と叔母に頼んだのは、わたしだったのだ)
 

**************


そうやって、そろそろ出かける時間だなぁ、と
布団で時計を見ながら、少しはらはらしていた午後。
 
ピンポーン。…叔母が訪ねてきた。
手には小さなビニール袋。
 
「たまちゃん、今回は残念だったわねぇ。
 はい、これ、おじいちゃんからあなたへ差し入れですって。」

袋の中には、きれいな桃がふたつ。
底の方にも何か入っている。
 
「今日はホンマにごめん。何かあったらいつでも電話して」

と叔母に詫びて、そそくさと部屋へ戻り、袋を開けた。
 

さっそく袋を開けて、桃を確かめる。
紙の箱にきれいに座っている。

そして、ビニール袋の底を探ってみると、
入っていたのは、食べかけの(袋の開いた)
じいたんの大好物「アスパラガスビスケット」と
ばあたんの大好物「松露」という砂糖菓子だった。
 

たぶんじいたんは今朝、この暑い中を
スーパーまで歩いて、この桃を買ってきたのだろう。
じいたんの足だと、片道20分くらいかかる、あの店まで。
わたしが桃を大好きだから。

そして、それだけじゃ何となく物足りなと思って、
お菓子の棚をごそごそ探して
自分がいつも食べている気に入りのお菓子と、
毎週すこしずつばあたんに持っていってあげるお菓子を
両方、袋に入れてくれたのだろう。

あの世代の人にとって、お菓子は贅沢なものである。
自分たちの楽しみに買うものは、とても慎ましい。
でも、それをたぶん、あるだけ全部わたしにくれた。
簡単に買い与えるのとは、意味が全然違うのだ。
 
そしておそらくは、
自分が見舞いに行くと却ってわたしに心配をかけるから、
娘が来るのに合わせて桃を用意して、
彼女に届けさせるよう、気遣いをしてくれたのだと思う。
 
 (でも桃をどうやって用意したか察しができちゃったので
  やっぱり心配だったりするのだけど…
  今夜あたり、脱水ぎみでぼんやりしていないか)
 
じいたんらしさがおかしくて、クスッと笑いがこぼれた。
そして、それだけ心配をかけているということに
ひどく胸をしめつけられる気持ちになった。
 
わたしはしばらく台所で、桃を眺めていた。



じいたん独特の、心地よいあたたかさ。
(それは同時にばあたんの温もりでもある)

昔から、知っていた。ほんとうは。

じいたんも、ばあたんも、何気ないところで
本当に見返りを求めない愛情を、人に注げる人だった。
それは、老いが進んだ今でも、ぜんぜん変わらない。
 
誰が忘れても、わたしは忘れない。

あの二人ならではの優しさを、
ずっとずっと大事に、心に留めておこうと思う。

近況報告&記事UP状況のご案内です。

2006-08-03 06:31:26 | Weblog
またもや、だいぶ間があいてしまいました。
ご心配をおかけしています。

復活しようと思っていた矢先、重い腹痛の後
外出先で夏風邪を貰ってしまい、寝込んでおりました。
(ちなみに、じいはピンピンしています^^ 昔の人は強いです)

まだ微熱が残っているのですが、おかげさまで随分と回復しました。

ようやく梅雨明け宣言が出ましたが、朝夕は秋のように涼しいので
皆さまもどうぞ、お風邪を召されませんよう、お大事になさってください。


****************


コメント返信も遅れております。もう少しだけお時間を頂ければと思います。

明日(というより今日ですね)熱がさがっていたら
じいたんに付き添って、ばあたんに会いに行く予定なので
下手をすると、返信は夜になると思います。
いつもこんな感じで申し訳ないのですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 (追記:コメントを下さっていた皆さま、
     返信が大変遅くなり申し訳ありません。
     ようやくお返事できました。
     待っていてくださってありがとうございます。)



逃げて、逃げて。その先にあったのは。

ひとやすみできる幸せ。

後見人。旅行の断念。主治医への感謝。

ここで懺悔。じい、ごめん。

先に、書きあがっている記事をUPします。

ブログにアクセスできない間、SNSのほうに
ちまちまと、携帯からいくつか記事を綴りました。
そのなかのいくつかを、上のとおり作成日どおりにUPしますので
もしよろしければ読んでいただけると嬉しいです。

(かなり荒削りなので、のちに加筆訂正を加えるかもしれません)

今後ともどうぞよろしくお願いいたします^^

ここで懺悔。じい、ごめん。

2006-08-01 21:11:43 | じいたんばあたん
今朝、目が覚めたら8月1日とは思えない清清しさだった。

起きて、ぱむだTシャツとジーンズに着替えて、じい宅へ。
保険証を預かっていたので届けに行った。


じいは今日、かかりつけ医に行く日なのだが、わたしは付き添えない。
医者から「熱が下がって咳が止まるまではお祖父さんとは接触しないように」
と、きつーいお達しがあったからだ。

熱は微熱程度に収まってきたのだけど、結構咳が出るので
じいに会うと確かに移しちゃいそう。
90を超えた人にとって風邪は文字通り命取りになりかねない。

なので、じいの食事中
(二階のダイニングで友達と一緒に朝食をとる)を狙って
保険証を届けに行った。


鍵を持っているので、少しだけ部屋を覗いてみる。

金曜からこっち、4日ほど顔を出せていないせいか、
どことなく部屋が荒れていた。もの寂しい気配。

一瞬、片付けていこうかと思ったが、
今日は幸いヘルパーさんの来る日なので、
電話かファックスで色々お願いしておこう(風邪菌を残しても困るし)
と思いなおし、
一番目立つ場所へ、目立つ色の袋に入れた保険証と手紙を置いて祖父宅を後にした。


じいは、病院から帰ってきてから、ちゃんと「無事帰ったよ」と電話を入れてくれた。(普段は連絡もなしでふいと出かけてしまうのだが)

よほど淋しいのだろう、
わたしが熱を出していると分かっていても
じいは、電話を切ることがなかなかできないでいる。
しきりに「かわいそうにねぇ、お前さん」と繰り返している。


じい、ごめん。

昨日はデイケアだったから、つい、じいに黙って、
東京まで出てきてくれた教え子に会いに行ってきたんだよ。
熱があっても、ひと目どうしても、顔を見たくて…。

それで多分治りが遅いんだ、わたし。

わたしの具合が悪くてデメリットを蒙るのは、じいたんなのに…
ホントごめんなさいorz

夜までに熱が下がれば顔だけでも出せるんだけど…