じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

身体で感じるということ。

2006-06-29 02:50:24 | 介護の周辺
柳田邦男の本「犠牲―サクリファイス―」の中に、こんな描写がある。

自死を図り脳死に陥った次男が、
もう脳波もフラットになりつつある状態にある。
それでも、筆者と交代で傍に添い続ける長男がこんなことを言った。

「不思議だね、身体で話しかけてくるんだよ」

とても的確に表現されているなぁ、と思った。


////////////


わたしは、ばあたんと一緒にいるとき
視覚の情報だけで…つまり彼女の言葉や表情のみで
ばあたんを感じるのではない。

むしろ、皮膚感覚に近いのだ。

たとえ言葉での意思疎通がむつかしくても
じかに手で触れ合うと
あるいは触れ合わなくても、
同じ場所で並んで座って、呼吸を合わせる
ただそれだけで
彼女の気持ちが流れ込んでくる気がする。

緊張しているか、心を閉じているか、
あるいは、リラックスしてくれているか、喜んでくれているか。


ただじっとして座っているだけで…
というと分かりづらいかもしれないので

割と気持ちがピンと来るときの様子を
ためしに書いてみると、たとえば


隣にすわったときや背中をさすったときに感じる
筋肉の微妙な緊張であったり、
(これは落ち着こうとしているサイン)

頬をくっつけてじっとしている時に伝わってくる
皮膚のわずかな緩みであったり
(これは、ほっとしているサイン)

手をつなぐ時の、一瞬のためらいであったり
(こういうときは私が誰だか分かっていない)

一緒に歩くとき
靴音にちらりと隠れた、朗らかさであったりする。
(楽しい気分でいてくれているのだ)


それらはほんの一瞬、現れて
すぐにまた通り過ぎてしまうのだけれど。

 丘の上で走る列車を眺めていたら
 車窓に、旧い友人の横顔を一瞬、見かけた気がする

 そんな感じで。


ばあたんは、どんなになってもわたしのばあたん。
病が深くなり、見た目にはどんどん様子が変わっていくけれど
ほんとうは、何も変わってなどいないのだ。
証明できないじゃないかと言われるけど、嘘じゃない。

接し方がわからないなんて心配しなくていい。
彼女は、未知のものになってしまったんじゃない。
確かに確かに、「ばあたん」なのだ。

もちろん、言葉の掛け方やスキンシップの取入れなど
そういうことは確かに幾らかの工夫がいる。

 (たとえば失明した友人がいたとすれば、手を貸すでしょう。
  たとえば聴力を失った友人がいたとすれば、筆談をするでしょう。
  そういう場合と同じように。)

けれど
こころは
(ここが難しいのだけど「こころ」は。
 誰かのふりをしつづけることもあるから)
昔と変わらず

「夫と妻」「母と娘」
「母と息子」「祖母と孫」

二人の関係性のままに、
愛していると伝えればそれで充分なのだと感じる。

そこに言葉がなくても、
ただ彼女のとなりに腰掛けていれば、

ただ心をこめて心をさすることができれば、それで。


犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日

文藝春秋

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非連携的なプレイ(笑い話風味)

2006-06-28 02:04:33 | 介護の周辺
五月のとある深夜、ばあたんは入院先の病院で転倒して頭を強打、
別の病院へ搬送された後、とある大学病院の救急へ再び搬送された。
そのときの話。


///////////////

それは、金曜の夜の出来事だった。

たまたま出張でこちらに出てきた伯父と二人、
ばあたんの後見人の申請に必要な書類を整理した深夜、
わたしは相方ばうと二人、祖父のマンションを出た。

自宅で餃子などをつつきながらおしゃべりを愉しんでいた真夜中、突然携帯が鳴った。
見ると、じいの住むマンションのフロントからだ。


「おじいさまが、こんな夜中にお一人でお出かけになるとおっしゃっているのですが…
 なんでもおばあさまが倒れられたとのことで…」


・・・???
いや、緊急事態というのは即座に理解した。
したんだけど

それになんでだ?わたしの携帯が第一連絡先だったはず。

というか、・・・伯父は?


「伯父様はさきほど、タクシーでお出かけになられました」

そこですぐ、祖父に電話をかわってもらったが、
祖父は興奮していてイマイチ話の要領を得ない。


横にいた相方が、気を利かせて、伯父の携帯へ連絡をとってくれる。
そして、事のあらましをとりあえず確認すると…

 祖母が転倒して頭に怪我をしたのだけど、
 外科の医師が当直していないので
 別の病院に搬送された、との連絡があったとのこと。

 電話を受けた伯父は、
 自分も慌てていたのであろうか

 じいたんのマンションに泊まっているというのに
 呆然とするじいをマンションに一人残して
 取るものもとりあえず
 タクシーで祖母の搬送先へ向かったらしい…orz


そしてじいたんはというと、
一人になってから「おばあさんのところへ行かねば」と思ったのだろう
ばあたんの転院先も良く分かっていないまま
夜の街へ飛び出そうとしていたようだ。


「たま、おじいさんは待たせておいてくれ」
と、一見冷静なようでいて
自分がもしも祖父の立場なら…とは考えられない状態の伯父と

「お前さんに止められてもわしは一人で行く」
と、和製ドンキホーテな発言をするじいたん。


わが身内たちの、
あまりの非連携的なプレイにめまいがした。


が、気を取り直して
まずフロントの人に、祖父が呼んだタクシーを追い返してもらう。

そして「おじいさんとマンションで待っていてくれ」という伯父には
後で申し開きをすることにして

 (老いた妻が頭を強打して別の病院に搬送されたと聞けば
  夫ならば真っ先に飛んでいきたいに決まっているからだ。
  高齢の夫婦であればこそ、なおさらなのである。
  もし検査の結果、いのちに係わるような異常がみつかったら…)

ダッシュで着替え、相方と二人、
タクシーでじいたんを拾って転院先へ向かうことに。

じいたん宅に着く前に、入院先へ連絡をした。
上にも書いたが、ばあたんが何かあったときの第一連絡先は
わたしの携帯にと頼んであったからだ。

聞くと、スタッフさんも慌てていたので、
保証人である伯父に連絡したらしい。
そして伯父は、上に書いたとおりとなったわけだ。

 でもわたしにくらい電話欲しかったな…。・゜・(ノД`)・゜・。 
 いや、寝かせて置いてあげようと思ってくれた気持ちはわかってるんよ。
でもね、どうせ現場での対処はわたしが一番たぶんよく分かってるし
 手術入院ということになればわたしが毎日通うわけだし
 なにより、じいたんの性格を考えて…orz


マンションに到着すると、
じいたんは、焦ったような泣きたいような顔で
ぽつんと、人気のないロビーのソファに腰掛けていた。

相方がナビをし、運転手さんと協力して病院に向う。
途中、予想通りまた別の病院に搬送されたのだが
(じいたんを捕まえておいて本当に良かった)
その辺も相方はそつなくやってくれている。

その様子を見ていて少しほっとしたのか、
じいたんはタクシーの中でずっと、

「何でお前さんに連絡が行くんだ」
とぷりぷり怒っていた(汗

結局、タクシーの車中で、
祖母の頭の中で出血が起こっていること
そして手術になるかもということが判明し
叔母宅にも連絡を入れないといけない事態になったので
最後にはじいたんも分かってくれたんだけど…


おかげさまで
祖母はさいわい、それほどひどい状態ではなく
(硬膜外血腫を起こしていたが手術しないで済んだ)
数日のうちに元の病院へ戻ることができた。

1~数ヶ月をかけて慢性硬膜内血腫に移行する例が
三割ほどあるとのことなので
まだ今は様子見段階なんですけれどね^^;


祖母の転倒に垣間見える彼女の状態に加えて、
我が一家の連携の現状がよく把握できた夜でした…^^;


これから先、こういうことは増えるだろうと思うので、

今回のことはいわゆる「予行演習」だったのだ
と思うことにしようと思う。


追伸:
 余談だが、今回の一番の功労者はフロントのSさんだ。
 わたしたちが祖父を迎えに行くまでの間、
 世間話をして、祖父の気をそらせていてくれたらしい…

 フロントのSさん、GJ!!
 マジでありがとう!!

世界で一番可愛いひと。

2006-06-27 12:25:37 | じいたんばあたん
これは四月の、ある小雨ふる日に
祖父と二人、祖母の見舞いに行った後書き残したメモです。
ほぼ、修正なしでそのまま転載します。


///////////////


今日のばあたんは、
薬が変わったせいか
徘徊などは落ち着きがない一方、
表情が豊かで、意識が清明だったように思う。

といっても認知はまた、冬に比べて一段、衰えたようだ。
接するときに、かなり工夫がいる。

 (たとえば呼びかけるとき、
  必ず彼女の正面に向き、あるいは手をとって
  彼女の名前を呼ぶようにする。

  話しかけるときはなるべく、
  「はい・いいえ」で答えられるような問いかけにする。

  何を言っているのか言葉の上ではよく分からなくても、
  彼女の全身から溢れている気持ちは感じられるから、
  「うん、うん。」といって
  優しく手や背中ををさすって肯定の意思を伝え続ける

  …といった具合に。)


傍に寄り、
「ばあたん、たまちゃんだよ」と手を握ると、
その、わたしの手を両手で優しく包んで
「ああ 冷たいねぇ かわいそうに」
と 何度も何度もさすってくれた。

「とっても、会いたかったよ」と目をみつめて言うと、
それまで全くの無表情だったばあたんが、ふわっと笑った。


ふざけて
ばあたんの口もとに自分の頬を寄せ
「強制チューだ!」って
すりすりしたら

ばあたんは、ふふふ、と恥ずかしそうに笑って
わたしのこめかみに優しく口付けてくれた。


じっと座っていることが苦手で
わたしの手を引いて、散歩に行こう、と促す。
そして
徘徊用の廊下を、何度となく回る。
ひざをかくんと折った、ちょぼちょぼ歩き…独立歩行の無理な足で。


手を引きながら、色んな歌を歌う。
もう彼女は、歌詞を殆ど忘れてしまった
それでも
わたしの歌声に合わせて、一所懸命声を出す。

彼女の手を取り おどけて
ダンスのように身体を揺らすと
彼女は、まるで朗らかな乙女のように 声を立てて笑った。

丁度、一年前くらいみたいに。


トイレ介助のとき
ばあたんの下着を「ありがとう」と声をかけながら脱がせてもらい、
尿漏れパッドを外し
身体を、脇からうんしょうんしょと抱えて
なんとか、便座に腰掛けてもらう
(もう、彼女は便座もトイレも認知できない)

そしてばあたんの手をとってしゃがみこみ
下から目をのぞきこむ。と、

「たまちゃん、どこに行っていたの?
 おばあちゃん、いま、うれしいわ」

一瞬、昔と全く変わらない瞳になって
うれしそうにわたしの手を握る。

もちろんそれは、五分もしたら消えてなくなってしまうのだけれど
それでもうれしい。


やがて眠いとつぶやき
かくんと身体の力が抜け出した彼女を
病室のベッドに連れて行く。

座る・立つなどの動作もちぐはぐになりがちなので
わたしは、自分の身体ごとベッドの上に乗り上げたりしながら
彼女の身体を抱え、ベッドの正しい位置に横たえる。


掛布をかけてやると
それまで閉じていたばあたんの目がすぅっと開いて
声のないまま、控えめにつぶやく

”どこにも、いかないで”

「一緒にいるからね」
そう、つぶやいて髪をすいてやると
ばあたんはとても素直に、目を閉じて
そのうち、眠りに落ちていった。

あどけない寝顔。


いとおしくていとおしくて
じいたんの存在も忘れて
わたしは
暫くの間ベッドに腰掛け彼女の髪をすいていた。


過去も未来も失い
焦燥と不安の只中にありながら
それでも、わたしに
かけがえのない、喜びを与えてくれる。

この人が、いとしい。
わたしにとっては世界でいちばん可愛い人。


わたしが誰かなんて分からなくていい
そこに生きていてくれる
ただそれだけで

あるがままの彼女が ただ いとしい。


**********


家に帰ってきて
昼間のことを思い出したら
不意に
涙が止まらなくなってしまった。

衰えを見れば見るほど
わたしのこの手で、介護したいと思う

でも一方で
わたしがたった一人で24時間看るのは無理だ
という現実が、いよいよ容赦なく迫ってくる。

ここ二ヶ月、転院先の候補や老健・特養・有料老人ホームなどを色々探す日々だった。(今の病院では予算的に少しオーバーなのだ)
一番の候補も、先日もう見学してきた。
(祖父の転居の可能性なども踏まえて…)

その作業の中で
澱のようにたまっていた何かが
こころの器から、あふれ出してしまった。

上手くかけないので、今日は、これでおしまい…


////////////////


追伸:
彼女の話す言葉の殆どが、いよいよ通じなくなってきている。
せいぜい一語か二語のみの短いセンテンスくらいしか…

でも、ここまで言葉が破壊されても
ばあたんと心は通じている、といつも感じる。

紫陽花の花に教えられ。

2006-06-21 05:06:30 | じいたんばあたん
一つの木に、色とりどりの紫陽花なんて珍しい気がして、携帯カメラでパチリ。
写真では少し分かりにくいかな?


********


先日じいとドンパチやって
翌日、ちゃんと仲直りしたはずだったのだけれど


昨夜、家計簿などファイナンシャル・プランニングに必要な
資料を、何時間かかけてチェックしていたところ、
何の前触れもなくじいたんが怒り出してしまった。

誤解があったようなので、それを解こうと話をしたのだが
却って油に火をそそいでしまう形になり
じいたんは、無かったことにするのが難しい暴言をのたまった。
今文字にしようとしても、喉が詰まって苦しくなるような。

そしてさらに

「お前さん、もう二度と来るな。
 ほれほれ涙が出るのかい?ざまあみろ!
 帰れ、帰れ!」

こうなると、もう作業どころではない。
伯父に電話を入れ事情を説明して
(本当に出入り禁止になった場合を考えてのことだ)
資料は持ち出し、自宅へ戻った。

帰り道、一人でとぼとぼ歩いていて
ただただ疲れだけを感じた。

泣いたりする気持ちもうせてしまって
自分の感情というものが、どこにあるか分からなくなった。


*********


朝目覚めても立ち直れないまま、近所に用事をしに出かけた。
帰り道、公園をとぼとぼと歩いていると
一つの木に色んな色の花をつけている、変わった紫陽花に出会った。




思わず近づき、花弁に触れた。
その手触りは、しっとりと優しく柔らかで

「辛いときは、泣いても、いいよ」

そう、紫陽花に慰められたような気がした。


たまたま朝、ちょうど紫陽花の花言葉に関するブログ記事を読んだ。

  そこには、

  紫陽花の花言葉は一般的には「移り気」
  だけど「ひたむきな愛情」という言葉もある

といったことが紹介されていた。



じいたんのこころに調和したいんだ、という素直な気持ちを
一番大切に、心をフラットにして今日を過ごせばいい。

こころって、自分のものであるはずなのに、自分の思い通りにはならない。
だからこそどうやって折り合いをつけていくかが大切なんだ。
滝川一廣「こころはどこで壊れるか」)

一本に色々な色の花をつける紫陽花を眺めながら
紹介されていた花言葉を思い出すうち、
気持ちがゆっくりとシフトチェンジしていった気がする。


***************


午後、ファイナンシャル・プランナーの方に
祖父母の、今後の介護に伴う経済計画などを相談しに行った後、
思い切ってじいたんに、電話を入れた。
昨日のことには一切触れず、何事もなかったように。

じいたんも、昨日のことには触れなかった。
それでも声には安堵の色が混じっていた。

今日の相談の概略や、明日税金を代理で納めにいくこと、
ズボンのすそ直しとクリーニング、手洗いのものが仕上がったこと
そしてそれらを届けに明日訪ねることなどを伝えると、

「ああ、いいとも。お前さんに全部、お任せだ。
 おばあさんだって、お前さんを一番頼りに思っていなさるよ。
 くれぐれもよろしく頼むよ。明日、待っているからね」


また、爆発はいつ起こるかわからない。

そういうときは多分
無理に解決しようとしないで、

時間がたつのを待つのが、一番いいのかな。

本来だったらはっきりさせたい部分も
昨日のトラブルの中にはある。だけど、

あいまいなことを、あいまいなままで置いておくこと

灰色なら灰色のままで、それを受け容れて
そうやって、「いま・ここ」を大切にすること

それが、自分の意思を、気持ちを大切にすること
―ありのままの祖父を愛するということに繋がるのかもしれない。
そんな気が今は、している。


◆TB:『紫陽花の花言葉「ひたむきな愛情」』(magnoria




(昨日のことも、もしかすると忘れてしまったのかもしれない。
 一週間前の、伯父と叔母と相方の来訪ももう覚えていないくらいだから。

 それでも、いい。きっと自然な気持ちで受け容れていける。)

男性同士の友情のかたち。

2006-06-19 03:08:29 | 介護の周辺
先日の日曜日の朝のこと。

マンションで最近、じいたんと親しくなった男性が、
とても珍しい花をプレゼントしてくれた。

「奥様にぜひ一輪、持っていって差し上げてください」

手渡されたのは、ホタルブクロ。
ごく薄い紫が控えめに差す、やわらかな色合いが素敵だ。



その方は既に80歳前後だと思う。
弓道6段、剣道5段の腕前で、
袴姿の美しい立ち姿が遠めにもすがすがしい。
奥様はとうに亡くされ、
今はお一人で、じいたんと同じマンションで暮らしている。

きっと彼は、鍛錬のために行き来する道端で
この花を見つけたのだと思う。



何気ない気持ちで、少しばかりの危険を冒して
(ホタルブクロは、採りづらいところに自生していることが多い)
この花を数輪、手折ってきてくれたのだ。
妻を思う、じいたんのために。

道端で摘んできた珍しい花をさりげなく渡してくださる
そのお心が、うれしかった。




じいたんは手近にあった、きれいに洗った牛乳パックに
ホタルブクロを活けて、

「どうだい、お前さん。なかなかいい思い付きだろう」
と、すこぶる満足そうに笑った。


<参考>ホタルブクロ
http://contents.kids.yahoo.co.jp/zukan/plants/card/0602.html

仲直り―そして二度とすまいと思った。

2006-06-18 21:13:51 | じいたんばあたん
昨日の夜、久々に喧嘩した、わたしとじいたん。

朝になって、
自分が至らなかったところを素直にじいたんに謝ろう
そういう気持ちである一方、

いくら認知が低下しているとはいえ、
あそこまで啖呵を切られてしまった以上、
(ちょっと普通でない発言もあったのだ)
直接電話するのはためらわれる気持ちもあり…。

伯父叔母にとりあえず状況を伝えておこうにも
あいにくの留守で。

謝礼も突き返してしまったし、
とりあえず先にフルタイムの仕事を見つけておこう、と
ネットで求人を漁ったりして過ごしていた。

そうしているうちふと、
ばあたんの病院の請求書が届いていないことに気づいた。
支払期日は二十日ごろだったはず。

じいのところに届いているかもしれない。
気まずいなどと言っていられず、電話してみた。


************


電話に出たじいたんは、緊張したような声だった。

 「お前さん、昨日はご無礼した。」

・・・ん?予想していたのと反応が違う。
いえ、こちらこそ、と返すと

 「お前さんが泣いて帰ってしまったから
  もう電話もくれないんじゃないかと思っていたよ」

すっかりしょげかえった声で続ける。
言い争っても、それとこれとは別なのに。

仲直りのチャンスだ。

 「じいたん、わたし昨日、泣いて怒っちゃったけど、
  だからといって突然、何もかも放り出したりは絶対にしないよ。
  それよりね、

  じいたん、わたしこそごめんね。
  ゆうべ部屋に戻ってから考えてみたんだけれど

  昨日はじいたん、わたしを”招待”するつもりでいたんだよね。
  なのにわたし、お連れの方のことばかり心配していて
  せっかく張り切っていたじいたんの、気持ちをくじいてしまった。

  わたしも、心配で頭がいっぱいだったから
  つい悪気なく、あれこれといってしまったのだけど
  じいたんにしてみれば、否定されたみたいに感じたんだよね。」

すると、じいたんは

 「おお、そうだ、全くその通りなんだ。
  お前さんは、頭がよくて助かるよ」

一瞬、声に元気を取り戻した。そして

 「おじいさんも、実を言うと、何を言ったかよく覚えていないんだ。

  ただ、言ってはいけないことまで言って、
  お前さんを泣かせてしまったということは、分かっているんだよ」

とまた、しょんぼりした声。

そうか…やっぱりよく分からなくなっちゃっているんだな。
わたしはつとめて明るく言った。

 「そんなのいいよ。家族なんだし。
  わたしだって、じいたんの気持ちを分かってあげられへんかったもん。
  でも、分かった以上は、こういうことがないように頑張るからね。
  かんにんしてや。

  そうそう、今日もね、じいたんのところで用事したいのよ、
  そちらに伺っていいかしら?」

 「おお、いいとも。お昼過ぎにおいで。
  おじいさん、楽しみに待っているからね。
  …お前さん、おじいさんと仲直りしてくれるのかい?」

 「当たり前やんか、じいたん。
  じいたんこそ、色々辛抱も多いやろけどかんにんしてね。」

 「いいとも、いいとも、じゃあ、待っているよ。」


ほっとして、うきうきしながら求人のWebを閉じ
今日は父の日なので、少し変わった差し入れを買って
わたしは、じいたんのマンションへ向かった。


 「じいた~ん!こんにちは~!」

いつにもまして元気に玄関の扉を開けた。
すると、じいたんはよろよろと書斎から飛び出して、

 「やあ、お前さん。どうだい?これ…
  こないだお前さんが、父の日にと買ってくれた上着を、
  おじいさん、着てみたんだよ」

と、服のすそをひらひらさせて見せた。

そして突然、わたしの身体にぎゅーっと抱きついて、

 「たまちゃん、おじいさんが悪かったよ~。
  お前さんを泣かせてしまって、ごめんよ~。

  もう、お前さんに嫌われてしまったかと思ったよ~。
  おじいさん、何を言ったかよく覚えていないんだよ~。
 
  ひょっとしたら、
  お前さん、二度とおじいさんを訪ねてくれなくなって、
  どこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと思って、
  ゆうべはおじいさん、眠れなかったんだよ~。

  お前さん、また来てくれてありがとう、本当にありがとう。」

と何度も、少ししゃがれた大きな声で言うのだった。

しわだらけの頬をわたしの頬にすりつけ、
力いっぱいわたしの肩や胸や腕にしがみつく、

そんなじいたんが突然、ひどく頼りなく見えた。
昨夜はきっと、ろくに眠れなかったのだろう。

かわいそうなことをしてしまった。
後悔といとおしさとで胸がいっぱいになった。
わたしは、しっかりじいたんを抱きしめ返した。

 「じいたん、ごめんね。本当にごめんね。
  こんな思いをさせてしまって、本当にごめんね。
  たまちゃん、思いやりが足らんかったね。かんにんしてや。」

繰り返し、声をかけながら、
心なしか小さく感じるじいたんの背中を、何度も何度も撫でる。
じいたんも、わたしの肩口にぎゅうっと顔を埋めてくる。

こぼれそうになる涙をこっそりぬぐって

じいたんを、こんなに不安にさせるようなことは、
二度とすまい、と思った。


*************


ケアマネをしている友人が、
夕べの電話で言っていたひとことが脳裏によみがえる。

 「あなたが思っているより、お祖父さまは衰えていらっしゃる」

確かに昨日の激怒ぶりといい、
今日の妙な、どこか子供のような様子といい、
(なんというか、感情がむき出しになっているような印象)

最近、センサーに引っかかっていたことは、やはり
「気のせい」ではないのかもしれない。
そんなことも、今回のことで改めて思った。

もっと、気を配って接していこう。
じいたんは、確実に歳をとっていっているのだ。


今回、じいたんに辛い思いをさせてしまったその分、
これからの毎日をより幸せに過ごしてもらえるように、
今日のことを忘れずにいようと思う。
 
 

手の出しすぎと、認識の甘さと。

2006-06-17 23:59:38 | ブラックたまの毒吐き
今日、じいたんは、20年来のお食事友達
(マンションのダイニングで一緒に食事を摂る人)を誘って、
初めて二人でお寿司を食べにいった。

相手の方は、わたしも大学時代から存じ上げている方。
ただ、骨粗しょう症をわずらって長く、
手押し車を押してゆっくりと歩行なさっている。

そんなこともあり、事前にじいたんから

「お前さん、お寿司を食べに行くから、付いてきてくれないか」

と頼まれていたので、
デイケアから戻ってきたのが確実な時間に、部屋を訪ねたのだが。


わたしの方も、相手の方を連れ歩くことについて
あれこれ心配していたので、つい、

「じいたん、お伺いする前に電話を入れておいたほうがいいよ」
とか
「あの道はだめだよ。手押し車じゃ傾斜がきつすぎるから。
 せめてご本人に、どの道が一番お楽か訪ねてみたほうがいいんじゃない?」
とか
「お迎えに行くならわたしもご一緒するけど」
とか
あれこれ先回りして、口出ししてしまった。


じいたんは、それがよほど気に入らなかったらしく

「お前さんはすぐ怒るね。黙ってなさい。」
とぶちきれてしまった。

最初はわたしも何でそんなことを言われるのかわからなくて
(だって理にかなったことしか言っていないのだ)

「あのね、怒ったりなんかしてないよ。
 わたしは、骨粗しょう症の女性を外へお連れするのに
 一般的に気をつけたほうがいいと思っていることを言っただけ。
 万が一のことがあったらいけないでしょう。」

と、思うままを説明した。
だがじいたんは、

「おじいさんが常識がないと言うのかい?
 そんなことを言うならお前さん、帰ってくれ。」

と、今度は声を荒げてわめきだした。

一瞬、頭にきたので帰ろうかと思ったが、
何度も何度も念を押すように土曜は付いてきてくれと
じいたんが言っていたことを思い出し、
(それなりに不安な面もあるということだから)
叔母にもちょっと電話を入れて、頭を冷やして

「お前さんがいいように全部采配すればいいさ。」
と、むくれたままのじいたんに付いていくことにした。


だが。

お寿司屋さん(マンションの目と鼻の先にあるのだ)で、
「卵はいかが?」
などと声を掛けても、ことごとく無視。

相手の方に気を遣わせるからと思い
じいたんと相手の方二人分取った皿も、無言で指で跳ね除ける。

子供みたいなことばかりする。

 (は~。こんなことなら何も言わなきゃよかったな。
  別にわたしが困るわけでもないし。)

そんなことを思いながら
なんとか笑顔で最後までやりすごし、

相手の方を部屋まで送り届けて
じいたんの部屋に電話を入れたら

「ちょっと寄ってくれ」

ちょっと後味が悪いままだったし、
ここはひとつ、お茶でも入れて和やかに帰ろうと思い、
部屋へもう一度立ち寄った。


そしたら。

じいたんは、わたしに毎月の謝礼を手渡しながら
こうのたまった。

「お前さん、明日から来なくてもいいから。」

・・・は?どういう意味ですか?と訊くと

「お前さんにしかられるのも、
 大きな声を出したりするのも嫌だからね」

「お前さんが来るとおじいさん、大きな声を出すだろう。
 それが嫌なんだよ」

「まあ、どうしても来たいと言うなら
 いくらでも来ればいい。
 それはおじいさん、駄目とは言わないけどね」


何を言いだすんだろうこの人は。
大体わたし、叱ってなんかいないし。

今日だって、何度も何度も頼まれたから
(数日前から、尋常じゃない時間に
 繰り返し繰り返し電話をしてきていた)
祖父と祖父の友人の会食にまで付き添ったのだ。

意味がわからない。

分からないので、最初はなるべく穏やかに
尋ね、あるいは説明していたのだが

「お前さんにおじいさんと呼ばれると気分が悪いんだよ。」

聞けば聞くほど話が迷走していく上、
わたしの母のことまで引き合いに出されて
(それはわたしには関係のないことだ)

情けなくなって、わたしは最後には泣いてしまった。
そして、謝礼を突き返して帰ってきた。
そこまで言われてこんなもん受け取れるか!と思ったのだ。


**************


自宅に帰ってからケアマネの友人に電話した。

愚痴を聞いてもらいたかったのもあるのだが、
わたしもきっとどこかが悪い、そんな気がしたからだ。

友人は、順序立てて説明してくれた。


「それはね。
 あれこれ口出しされるのが嫌だったのよ。おじいさん。

 あなたが言うことが的を得ていれば得ているほど
 先回りしてそれを言われたら嫌なものよ。

 あなたにしてみれば、
 他人様に怪我をさせてはいけない一心だっただろうけど、

 おじいさまにしてみれば、
 今日誘ったのが女性ということもあったから
 それなりに張り切っておいでだったのよ。」


でもね、普段でもこれくらいは言うのよ。
そういうのが嫌で、わたしに来て欲しくないなら
こないだ伯父叔母が来たときに彼らに言えばいいじゃない。


 「逆に言えば、そんなささいなことにも
  ナーバスになっているくらい、
  今日、おじいさんにとって、お寿司のお出かけは
  大きなイベントだったんじゃないの?

  あなたという『お供』も連れて行って、
  頼りになるかっこいいおじいさんでいようと思っているときに、

  あなたから『これはこうしたほうがいいんじゃない?』って
  正しいことをさっと言われてしまったら
  自分の判断力が低下していることを嫌でも認めなければならない
  そういうことになるでしょう。

  うすうす分かっているのよ。
  あなたの言ったことは間違っていないって。
  むしろ、だからこそ『そういう言い方はカンにさわる』っていう
  ことにもなるわけ。」


「あっ」と思った。

言われてみれば、
そのお友達と食事の約束をした、今週の火曜あたりから、
じいたん、いきなりしゃきっとしだしたんだよな。
その一方で、言うことが時々変だったな。

やたら「一人でできる」だの何だの、訊きもしないのに言って
「おじいさん大丈夫だから、今日は来なくていい」とか…

普段は「何時ごろ来れる?」
行けば「今日は泊まっていかないかい?」
のオンパレードだったのに。

黙っていると友人はさらに続けた。


 「それにね、言いにくいんだけれど、
  ・・・認知の低下も進んでおられる気がする。

  論理的でなくカッとなるのもそうだし

  電車の中であなたの肩に頭を凭れさせたり、といった
  少し度のすぎたスキンシップが目立ち始めているとか
  孫には普通言わないような話をなさるとか 

  他にも色々思い当たることはあるでしょう。

  だから、そのあたりはね

  お祖母さまに接するように、お祖父さまにも接していく
  そういう時期に来ているんだなっていう認識を
  あなたの方が持たないと。

  お祖父さまは、あなたが腹を立てたという以上のことは
  たぶん全く理解なさっていないと思うわよ。

  むしろ謝礼を突き返されたことで、
  あなたに対して、分からず屋だという印象を持ったんじゃないかしら」


・・・言われてみればその通りだ。


 「あなたも少し、油断していたんじゃない?
  お祖父さまが可愛らしく甘えて下さるようになっていたから…

  あれこれ考えずものを言えるなら、それは理想的だけど
  あなた、以前自分でよく言っていたじゃない。

  老人介護の基本は、相手を、異なる文化圏の人だと思って
  接することだって。

  今日のことでも、「ああそうなの?」とにっこり言って
  聞き流して帰ってくればいいのよ。

  いくら正しいことを言っていても、
  今日みたいに言い争ってしまったら、
  お祖父さまのほうには「嫌な思いをした」という記憶しか残らないのよ。
  ぶつかるだけ損なんだよ。

  介護を続けるつもりなら、孫だということは忘れなさい。」


まったく以って、おっしゃる通りです…orz orz


そういうところ、少し前のわたしなら
細心の注意を払ってやってきていたのに。

それだけじゃない

祖母に比べれば、一見うんと元気そうに見えるじいたんに対して、
どこかで
「筋を立てて話せば分かってくれるはず」
といった気持ちが、出てきていた気がする。
まだまだ、じいたんは大丈夫なはずだ、と。


じいたんが言いたかったことは

「お前さんにあれこれ先に口出しされると腹が立つんだよ」

ただそれだけなんだろう。
でもそれを上手く表現できないのだ。

そして一旦「腹立ちスイッチ」が入ってしまったら、
もう自分でも、何を言っているか分からなくなっているに違いない。

それがじいたんの「心理的文化」なのだ。
若い頃からそういう傾向は多少あったと思う。
それが年老いて、些細な刺激で外へ出るようになっているのだろう。


だから、じいたんの「腹立ちスイッチ」が入らないよう
こちらから気をつけてあげなければいけないのだ。
残り少ないであろう時間に、腹が立つ時間は少ないほうがいい。

あとは、事故が起こったらそのときだ
あるいは、じいたんの身なりが整っていない位は仕方がない
そういった腹のくくりかたをしなければならない。

要するに覚悟が足りないのだと思う。


正直、じいたんが口走った様々なことについて
腹立ちが治まったわけではないのだけれど

介護者として適切でなかったのはわたしの方だ。
そのことを思って、今夜はひどくへこんでいる。

まあ、いつでも何もかも、上手くやれるはずもないし
と自分を慰めつつ

あとどれくらいの間、わたしが彼らに関わっていくにしても
今日みたいなことはもう二度とないようにしよう、と強く思った。
 
それにしても、自分にトホホな気分…


四つ葉のクローバー?

2006-06-14 10:11:20 | きゅうけい
昨日、じいたんと郵便局で用事を済ませた、
その帰り道のこと。

モデルルームの周りに咲いている花を
のんびり眺めながら歩いていたら、

四つ葉のクローバーらしきものを見つけた。

自分の知るクローバーより葉の色が濃いのと、
クローバーに似た四つ葉の植物もあるらしいのとで、
これがいわゆるクローバーなのか、本当のところはわからない。

ただ、花を見る限りは
いわゆる「シロツメクサ」のそれに見えるので、
たぶんクローバーじゃないかなと思う。





摘みたいな、と一瞬思ったけれど

ひょっとしたら、わざわざ植えたものかもしれないし
それに
新しくこの家に住む人に、
幸せがちゃんと行ってほしいなと思ったので
携帯のカメラに収めるにとどめておいた。

いま、四つ葉のクローバーらしきものに巡り合えた
それだけでうれしい。

今度じいたんと散歩する時には、ここを歩こう。

こんなピンぼけ写真だけれども、うれしかったので、
みなさまに気持ちだけでもおすそ分けです


◆TB:『災い転じて福産物』(「** 介護ライフ ** 在るがままに」
 

一文字一文字、いとおしむように。

2006-06-13 22:38:12 | じいたんばあたん
昨日、ばあたんに後見人をつける申立てを
伯父叔母と一緒にしに行った。

その際、夫であるじいたんの承諾書が必要とのことで、
夕方わたしは、叔母を送っていったあと
家裁から預かった書類を持って、
デイケアから帰ってきたじいたんを訪ねた。

今朝まで伯父が泊まっていて、
昨日などは叔母やバウちゃん(わたしの彼)も来て
にぎやかだったせいか、
今日のじいたんはなんだか、とっても朗らかで元気だ。


書類のことを説明して、サインしてねと言うと

「お前さん、傍で見ていてくれないかい。」

じいたんは、毎日日記(のようなメモ)を欠かさず書いている。
けれど最近になって、色々と書く欄があるそんな書類を書くときは、
少しばかり自信がないようだ。

じいたんの横に座る。
こんな、書類書きの作業でさえ最近は、
じいたんとわたしにとって、結構楽しみなひとときなのだ。


じいたんは、几帳面な人である。

この手の書類にサインするときは、えんぴつでまず下書きをし
その下書きをボールペンでなぞりながら清書して
最後に消しゴムをかけて仕上げる。

とても真剣な顔つきだ。

ここ1年くらいだろうか、
じいたんは字を書くとき手が震えるようになった。
ペンの先が、紙の上で随分と迷っている。

「これであっているかい、お前さん」

下書きの文字につられるのか
書き順が少し変だったり、字の形がおかしかったりもする。

それでも、とても丁寧に、
ゆっくりといとおしむように
じいたんは一文字一文字を大切に綴っていく。


そんなじいたんの姿こそが、いとおしい。
 

介護者として人を観察するということ。

2006-06-12 20:55:20 | 介護の周辺
介護者として相手を観察する上で大切なのは

相手と接しているときに
ふとした瞬間に感じた「違和感」を
心にとどめておくということだと最近思う。

その「違和感」は、一種の「皮膚感覚」のようなものなので
明確に言葉にして表現することは難しい。
どこが以前と変化したのか、何が気になるのか
明確に指摘できない場合が多いのだ。


たとえば、

 通勤で使う駅に掲げられている、見慣れた広告看板に
 一箇所だけ、まちがい探しの絵のような
 「いたずら」が施されているとする。

 どこが違っていたとはぱっとは答えられないのだけれど
 「なんか変だなぁ…」
 という感覚だけがちらっと
 ―それこそ一瞬で忘れてしまいそうな程度に―
 頭をかすめる。

 だけど出勤途中なので
 その場でまじまじと広告を見直すわけにはいかない。
 ともすればそのまま忘れてしまいそうな、そんな違和感。

あるいは

 棒の先に鈴が、ぶどうの粒のようについていて、
 それを振ると「しゃらん」と音がする
 そんな楽器があるとする。

 その鈴のうちひとつふたつが、
 ある日ただの金属の玉にすりかえられている。
 楽器を鳴らすと、微妙に前と何かが違う「気がする」のだけど

 「気がした」自分の感覚を一瞬、疑ってしまう程度の
 感覚へのかすかなひっかかりがあるだけで
 何がどう違うということを明確に表現できるほどではない。 
 ましてや 音を聴いた瞬間に
 「実は金属の玉が混じっている」とは気づけない。

そういった感じである。


いちいちその、感覚的な違和感について神経質になっていたら
ノイローゼになってしまう、そういった意見もあるかと思う。

だからこそ「心に留めておく」のにとどめるのだ。
振り回されない程度に、覚えておく。


その場では「…あれ?」と一瞬思うのだけれど
うっかりすれば忘れてしまいそうな
(他のことに気をとられていれば気づかない、その程度の)
相手のちょっとした「昨日までと違うところ」
つい「気のせい」だと流してしまいそうなこと

そういったことを、やんわりと
心の片隅にメモしておけることが大切なのだと思う。
あいまいな違和感を、間に合わせで定義づけせず
あいまいなままで保留しておいて
相手と接しつづけること、とでも言えばいいのだろうか。


そうやって、何度か違和感と触れ合っているうちに
違和感の正体に気づくときが必ずくる。

人というのは基本的に、変化というものを嫌う生き物であるが、
何か起こったときに、より早くその変化に順応し
落ち着いて必要な手立てを打てるのだと思う。


いま、じいたんと日々接していて、
前の日記に書いたような変化をうれしく思う一方
こめかみの皮膚にぼんやりと、こういった違和感を感じることがある。

だからといってすぐ大騒ぎするというのではなく、
その場で手は出さずとも、見守る目は離さないようにすること
それがたぶん、わたしとじいたんを護ることになる

そんな気がするのだ。