じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

父と交わした約束。

2005-09-06 02:29:40 | あの一言。
先ほどの記事を書いていて、思い出したことがある。
そう、先ほどまですっかり忘れていたけれど、
とても大切な、約束を。

今このタイミングに、思い出せたから、記事として書き留めておく。
みなさんへ、ありがとう、思い出させてくれて。


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核融合理論の研究者だった、私の父は、

32歳で脳腫瘍を発病し、
その後、七回の手術に耐え
家族たちの、裏切りとも見える所業に耐え

研究も続けながら、
11年間の闘病生活を、
一言の愚痴をこぼすこともなく、

嗅覚を奪われ、
家族を奪われ、
やりたい事を諦めざるを得ない状況に追い込まれてゆき、
ついには
美味しいものを食べる機会も
声も奪われながら、

彼の中の尊厳を崩すことなく

43歳になりたてで、この世を去った。


彼の人生は、果たして
つまらないものだったのだろうか?


わたしは、そうは思わない。


なぜなら、彼は、最後にまともな意識状態で私と会えた時、
私に向かって、心からの笑顔を投げかけてくれたからだ。
あの笑みの記憶が、
わたしに、そう、確信させるのだ。

死に近づいていった、ある日。

父の命の終わりを、肌で感じ取って
謝りながら泣き続けた私の頬を、
満面の笑みで、動かぬ腕で、
彼は何時までも撫で続けたのだ。


そして、死の当日。

医者にはもう、意識などないといわれていた状態。

わたしと二人きりの病室で父は
不意に目を開けた。

そして、傍にいるわたしを見つめ、
涙をひとすじ、流した。

そこには、
彼が精一杯、自分の生を生き抜いたからこその、
メッセージが溶け込んでいた。

「君よ、生き抜け」


あのとき約束したのだ。
何があっても私は生きるから、と。

どんな間違いを犯そうとも、
どんな生き恥をさらそうとも、
どんなに道に迷おうとも、
どれだけ泣き叫ぼうとも、

最後まで生き抜くから、と。

そうだった。
すっかり忘れていたけれど。


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父のいのちと引き換えの、約束を、思い出し、
濁流の中で
丸太につかまる力を
ふたたび取り戻す。


彼から渡された、見えないバトンを、
誰かに引き継ぐまで、

燃えろ、わたしのいのちよ。
いきろ、わたしのいのちよ。


誰かに、誰かに。
かけがえのない、存在に。

いとおしい、世界のいのちのみんなに、
バトンを捧げるために。