じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

じいたんと囲碁とわたし(2)

2005-10-31 11:12:55 | じいたんばあたん
前々から気にはなっていたのだ。


ばあたんが、発病した後でさえ
「囲碁きちがいなんだから」
と、半分冗談で、半分は本気でぼやいてみせる
それくらい
じいたんは囲碁が好きだった。

でも、ばあたんが発病して、
やがて部屋にひとりにしておけなくなってから
じいたんは、碁会所にいくのもやめてしまっていた。

でもわたしは、囲碁を打っているじいたんが、好きだった。
囲碁番組を熱心に見入る横顔も、大好きだった。


だったら、この機会に、
じいたんにしっかりと囲碁を教わろう。

囲碁だったら、じいたんもノリノリで付き合ってくれる。
わたしも、「自分が興味を持てる、新しいこと」にチャレンジできる。

なにより、
これといって役に立たなくても、遠慮なくそばにいられる。

じいたんもわたしも、二人ともハッピーだ!

一念発起して、勉強を始めた。


****************


まずは、じいたんから囲碁の本を借りて読む。
「覚えたいの」というと、じいたんは
とても喜んで、自分の持っている本を貸してくれた。

ルールを知らなくても、
ページを行きつ戻りつ読めば、案外楽しめる。
要するに「陣地を取り合うゲーム」なのだ、と概要確認。

並行して超初心者向けの囲碁サイトで、ごく基本的なルールを覚える。
(これは実は、まだまだ理解しきっていない(笑))

SNSの日記に、そのことを書いたら
抹茶プリンさんが手を差し伸べてくれて、ネット上で対局してくださる。
(もちろん、ハンデを信じられないほどつけてもらって^^;)


その対局の棋譜を、じいたんに見せる。

「ふふん、トンマだねぇ、お前さん」
と一瞥するが、頬がゆるんでいるのが分かる。

「ええ?どの辺が、トンマなの?」
と訊ねると

「ここに打つよりここに打ったほうがいいだろう、
 …とだけ言っておくさ。
 何しろ、四子も置石してもらっているんだからな」
 (↑破格のハンデをつけてもらっている)

わたしが一人、うなって悔しがっていると、

「お前さん、九路盤なんぞじゃなく
 まずは十九路盤で、覚えなきゃならんよ。

 …書斎から碁盤と碁石を持ってきなさい。」


******************


こうして、
夕食後は碁盤を二人で囲む…
そんな時間が、だんだん出来てきた。

最初は十九路盤(正式な囲碁の碁盤)でやろう、と
主張していたじいたんも、

「まず基礎を覚えるなら、
 対局するにはこれで充分かも知れんな」


九路盤(小さい碁盤)で譲歩して相手をしてくれる。

夜が来るのが楽しみになった。

置石を3つしてもらっても、気づいたら自分の陣地がない
…つまり、じいたんに、完全に負けるのだけれど
本気で悔しいし、本気で楽しいのだ。



散歩に誘うのも、なんとなくわざとらしくて遠慮していた私。
「喫茶店に行こうよ、デートしよ」と誘っても、
経済的な概念が違うので、なかなか乗ってくれないじいたん。
(↑こういう面でのギャップを理解して動くことが、
  介護に携わる上で、一番大切で、努力のいることだと思う…)

でも、囲碁のおかげで、
今週の金曜日には、近くの区民センターにある碁会所へ
二人で出かける約束をした。

「おじいさんの対局を、横で実際に見るのも
 お前さんには、いい勉強になるかも知れないな」

ということになったのだ。
じいたんと二人、出かけられるきっかけが出来た。
それも、用事じゃなく、「遊び」だ。


うれしい。すごくうれしい。

ひとつでも、こうやって、前に進めることがある
ささやかだけど、心から感謝できる、そんな、

じいたんとわたしの
あたらしい、たのしみ。

じいたんと囲碁とわたし。

2005-10-30 23:27:43 | じいたんばあたん
幼いころ、ひとつだけ、どうしても
父に仕込んでもらえなかった「遊び」が、ひとつだけある。

それは、囲碁だ。

小学校に上がったばかりのわたしに
「ナポレオン」というトランプのゲームを仕込むほど、
興味を示したことはたいてい教えてくれた父。

学生さんが頻繁に出入りする環境だったこともあり、
ゲームは何でも…それこそ
花札も将棋も麻雀も(麻雀だけはよく覚えていない)
ねだれば教えてもらえ、たまには相手もしてもらえたのだが
何故か囲碁だけは、絶対に教えてくれなかった。

じいたんと父が、会うたび徹夜で囲碁を打っては
二人で盛り上がっている様子が
子供心に、うらやましくてならなかった。
ルールがわからないのが、悔しかった。


*************


じいたんの体調は今、絶好調に近い。
だから、介護というほどのことは、肉体的には必要がない。

もちろん、
場所・時間・空間の見当識や
たくさんの情報を総合して判断を下す能力には
低下が見られるので、
遠くへの外出…例えば、ばあたんの見舞いなど…は
口実を作って付き添うようにしているが、

じいたんが一人で出来そうなことは、
(介護者としては、危ないと思っても)
多少のことでは手を出さないようにしている。

ちょっとぐうたらすぎなんじゃないか、と
自分で思うくらい…
(一応、医師から「休め」とお墨付きをもらっているので
 だいじょうぶかな、とびくびくしながらなのであるが)

タオルの一本さえ、
じいたんの好きなように管理してもらう。


ただ、そうなってくると
…正直なところ、じいたんの家にいる時間をもてあます
そんな側面が出てきてしまう。

じいたんは、気が向かないと、おしゃべりはしない人だ。
だから、わたしは「話し相手」としてすら機能しない。

側にいてくれればそれで満足な人なのだと
わかっていても、

じいたんは書斎にこもりきり
わたしは多少の家事が終われば読書かPC
(正直なところ、体調がなかなか良くならない)

じいたんが書斎から出てきたところで、
いま、介護以外の悩みもいくつか持っているわたしは
話題にさえ自信が持てない。
自分の口が、ヘンなことを言わないか、怖い。
いい介護者じゃない。


「役立たずな自分」に、自己嫌悪が募る。


かといって、わたしが暗い顔をして
じいたんに気を遣わせてしまうのでは、
介護者としても家族としても、辛い。
(ただでさえ、体調のことで心配をかけているのだ)

何か「楽しいこと」を一緒にできたほうがいい。
それも、「会話」ではない、「楽しめる共同作業」が。
わたしとじいたん二人きりでも、無理なく楽しく過ごせる
そんな、何かが必要だ。


*****************


そんなふうに焦りを覚えていたある日、
ふと思いついたのが、囲碁を覚えることだった。


記事が書けない

2005-10-27 02:46:49 | お知らせ
ご無沙汰、いたしております。

いろんなバイアスがかかってしまって、記事が書けないまま
こころが固まってしまったまま、
しばらくのあいだ、過ごしてしまいました。

でも、このままというわけにもいかない気がして、
今、ひょっこりここへ出てきました。

***********


わたしの「主観」から見た祖父母その他、
「介護」というテーマに隠れた
「生きるということ」とは何かという命題
それについて思うまま自由に書く、という方針で、

このブログは今まで書き綴られてきました。

あくまで「主観から」書く、ということであり
事実を追うということではなく。


もし、わたしのブログが
「事実を追う」ということを中心にせざるを得ないのであれば、
それは、即 わたしのブログの中の命が途絶えるということになると思います。

「わたしにとっての真実」を
書いてきています。

その場その場の、限られた情報の中で
わたしの心の中に写っているものを
忠実に、再現する

そういう意味においては、嘘偽りはひとつも、ありません。


記事が書けなくなっている原因
どうやってこのバイアスを断ち切るか


もう少し、時間を、ください。

柿を剥いて、差し出す仕草を見て。

2005-10-21 03:16:01 | じいたんばあたん
わたしの不調は、
わたしがやったヘマは、

全て祖父母に、ダイレクトに跳ね返ってしまう。


わたしが不調だったり、表情が暗かったり、
あるいは、聞きたくない話が耳に入ったりしたら
じいたんが胸を痛めることは、想像にかたくない。

やってしまったことはもう仕方がないが

ヘマをしないように
そして
もっと精神力をつけて
健康も回復して


継続することでのみ、空けた穴は埋められる。


目標再確認。


わたしの目的は
祖父母の最晩年を、彼らの希望を最大限にかなえた形で
過ごして頂くということ。

じいたんとばあたんの今置かれている状況を
正確に見極めて
自分に出来ることはなにか
それを考えて行動に移していく。それだけ。
目的しか、頭には置かない。
改めて、確認。


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今日、病院で寄り添う、じいたんとばあたんの後姿をみて、
つくづくそう思った。

「おじいさんが剥いてあげたものを、
 おばあさんに食べさせてあげたいんだよ、お前さん」

そういって、
病院内のくつろぎスペースで
日の差し込む窓辺で

ばあたんのために、ゆっくりと
だけど器用に
丁寧に柿の種を取り除いて
ひときれひときれ、ばあたんに手渡すじいたんの横顔を。

うれしそうに、受け取って、ほおばるばあたんの
瞳が、笑みをうかべた、その瞬間を。


これを護りたいのだから。それだけなんだ。

秋の中の、女性。

2005-10-20 02:29:25 | きゅうけい
公園を抜けて、祖父母宅へ向かっていたとき
見かけた、女性の横顔を。

彼女の表情と風景が溶け合った瞬間を
少しでも描き残しておきたくて。


気配を消しているかのように、
静かに公園にたたずんでいた彼女。

秋の生命が よろこびの歌を纏い、彼女の周りに集う。

でも、彼女は、そんなことなどお構いなしで
目を閉じ 静かにそこに 立っていたのだ。

秋を味わいつくすように。

ばう母さん。

2005-10-20 01:40:46 | 介護の周辺
注)「ばう」というのは、わたしの相方の仇名です。

先日の夜のこと。


疲れきって帰宅したわたしが
例によってぼんやりPCに向かっていると

台所で、相方が、
あれこれおかずを作っている様子が聞こえてきた。


じゅわじゅわ… たんたんたんたん…


ご飯が出来ていく音を聞きながら
パソコンで遊んでいる

その、シチュエーションが、
何とも言えず
幸せ感をもたらしてくれて

まるで子供に還ったような気がして
つい、ちょっとふざけて、声を掛けた。

「…ねえ、ばう母さん」


ばう母さんは

「なあに?」

と、菜箸を持ったまま振り返った。


「いい匂いだね、ばう母さん。
 たまおは、ばう母さんのご飯が、大好きだよ」

笑顔で、無邪気に滑り出た言葉に、はっとした。


そうだ。

あたしには二度と、手に入らないだろうと思っていた、
こんな、
ごく普通の家庭のような、時間。

本物の、安らぎ。

顔色に、動揺が出た、と思う。


ばう母さんは、気づかぬふりで、にこにこしながら

「たまお、しっかりお食べなさいね」と
ユーモアたっぷりに、返してくれた。


何気ないひととき。
だけど、少なくともあのとき

「護られている」と実感した。


ばう母さんの背中に、顔をこすりつけて、
少しだけ、泣いた。

通夜のあと。

2005-10-17 14:35:44 | じいたんばあたん
訃報は、突然入ってくるものだ。

先日、じいたんと二人、通夜に出た。
正確には じいたんの甥っ子夫婦が迎えに来てくれたのだ。


行き先は、乗り換え三回、道もややこしい場所。


じいたんは最初

「孫を供につれていくなど、おじいさんにとっては恥だよ。
 だから一人で行くからね、お前さん」

などと言って聞かなかったのだが、


 (90超えたご老体が、夜一人で通夜の席に現れることが
  どれほど 遺族側に要らぬ心配をかけるか、などとは
  よう いえなかった。

  実はこっそり 尾行するつもりでいた。
  都会のど真ん中の、ラッシュアワーは半端ではない。
  しかも夜だ。目印も見えないだろう)


じいたんの甥っ子夫婦が、
「たまちゃんも是非」と言ってくれたらしい。

じいたんも納得してくれて、お供することになった。


***********


亡くなったのは、じいたんの従姉。享年96歳。
わたしから見て六親等にあたる。ぎりぎり親戚のラインだ。
遺影を拝見したら、とても美しいおばあちゃまだった。

じいたんはは久しぶりに、少年時代から見知った人とも
逢うことができたらしい。

通夜の後、用意されていた宴席で、
じいたんは、久しぶりに屈託のない笑顔を見せていた。


**************


だが、ここからが、今日、一番書きたかったことである。

じいたんの甥っ子夫婦に、帰りも送ってもらって、
祖父母宅に着いたら、九時ごろだった。

頂き物の仕分けや、明日のデイケアの準備、
洗濯物の取り入れなどと同時並行で、
自宅へ戻る支度をしていると


祖父が不意に


「おい、たま
 お前さんのパジャマはどこだね?」

とクローゼットを覗きながら言うのだ。


すぐ、どういう意味かぴんと来た私だったが

予め「今夜は帰るから」と言ってあったこともあり
ちょっととぼけた、言葉を返した。


「う~ん、あたしのパジャマ、こっちに入っているけど」

すると、じいたんはすかさず


「お前さん、もう寝る時間だから、支度しなさい」


時計は九時を指している。

…早すぎる。
いつもなら、まだ余裕で祖父と二人、
おやつを食べたりする時間である。


つまり、じいたんは、


「今夜は、泊まっていかないかね」

のひとことを、上手く言えないのだ。
この唐突な行動は、
「帰らないで」という暗黙の意思表示なのだ。


そのとき丁度、彼氏から
「今夜の夜中、たまの部屋に泊めて」とメールがあった。
彼氏には、合鍵を渡してあるので、
「いいよ」と返した。

でも、わたしは、自宅には帰らなかった。

一晩中
眠れなかった。


************


最近のじいたんが、よく口にする

「お前さんに相談するんじゃなかった」
「お前さんに余計な心配をかけるからもう、相談はしない」

といった言葉。


 (ここ、数日の間、急にそういうことを
  言うようになった。
  理由はうすうす見当がついているので、
  そっとしておく)


そして
そういう頑なな態度は全く逆の、

不器用で、子供のような、
でも、必死で何かを伝えようとする、振る舞いと。



…愛おしさで、胸がいっぱいになる。



野良猫と、雨粒と、わたし。

2005-10-10 07:43:04 | きゅうけい
一晩じゅう起きていたらしい。
窓の外を見たら、明るくなっていた。

あいにくの空模様。

しぶきを飛ばしながら車が通り過ぎる。
窓からは、雨音。


どうせ、もう少ししたら、じいたんに電話を入れるし
(長袖だけじゃなくて、チョッキも着ないと寒い)

午前中にはケアマネにも、電話しなければならない。
(カンファレンスの結果報告と、
 ばあたんの退院が長くなりそうなことに伴う、
 じいたんの介護プランの見直しと、退院後の目処についてのことなど
 報告とお願いをする。)



だから、
気分を切り替えたくて、
雨に打たれに出ることにした。


お風呂を沸かして、玄関先にタオルを用意してから、外へ。
今朝の雨は、肌に少し痛いくらい、大粒だ。
頬や手の甲に跳ねる、雨粒の感触が、気持ちいい。


佇んでいると、

軒先から、いつもの野良猫が、出てきた。
じっとわたしの様子を伺うそぶり。


彼女は、思わせぶりにいつもわたしをみつめては、
撫でようとすると、すっと身をかわしてしまう。

なのに今朝に限って
にゃー…、と、鳴いて、優しく身体を添わせてくる。

抱き上げて、この子に目線を合わせよう、
と、しゃがんだわたしの腿に、
彼女は身体をすりよせた。
いつのまにか膝の上に鎮座している。

あたたかくて柔らかな背中を、そっとなでると、
手やら何やらに、顔を身体ををすりつけて、
手の甲を、おいしそうに、ぺろぺろと舐めてくれた。


雨粒は、どんどんわたしを濡らしていく。

猫を雨に濡らさないよう、だっこしながら、
(本当は、心臓の下に、あたたかい彼女の塊を抱いていたかったのだ)
幸せな気持ちになった。

頬から、髪から伝う水を、払いのけることもせず、
自然の恵みを、ただ受け続けた。
いまはただ、それを、味わおう。

いつか、分子に還元されて、大気の中へ還る日が来る。
そのときには、すべてが、光のなか。

時を、待とう。


…猫が、わたしの心臓に、肉球をぽんぽん、と当てた。

るーちゃんへ(壊れた記事のこと)

2005-10-09 01:02:52 | 介護の周辺
今、渋谷のネットカフェです。
ばうばうに頼んで、寄ってもらいました。


キッチンパーティが終わって(八時半ごろ)、
携帯で、メールチェックして、
るーちゃんのメールをみつけて、ものすごくうれしくて。

ありがとう、っていいたくて、ネットカフェに寄ったの。
ちょっと文章がぐちゃぐちゃかもしれないけれど、
伝わるべきものは伝わると思うから、ごめん、このまま送るね。




るーちゃん、

何と感謝の気持ちを伝えたらいいか、言葉がみつかりません。
ありがとう。ありがとう。
わたしは、しあわせものです。


あの記事を載せようと決めたとき、怖くてたまらなかった。
誤読される覚悟で、載せた。

それでも、伯父とわたしのために、
(そして、うちのブログで目指していること
 …少しでも情報になることを、残したいというこころのために)
書き残さなければならないと思って、朝まで迷って書いて、載せたの。




実は最初、「伯父に一本とられた!」っていうタイトル
(と方向性)で記事にしようと思ったのね。
自宅に着いたときは、もう、そういう気持ちになっていたから。

でも、わたし、見過ごせなかった。
あたまの裏側で鳴り響く、警告を。

今なんとなく丸くおさまった、伯父へのあたたかい気持ちは、
また、何かのきっかけで簡単にひっくり返るかもしれない、ということ。

それに、気づいている自分がいるのなら、わかっているのなら、
いま、そういう自分の殻を、少しでも破りたいと思った。


********************


もちろんこの記事を書いた動機のひとつに、
「わたしのブログが目指している方向性を極めるため」
ということは、念頭にあったの。


介護をめぐって、血族との間に改めて浮き上がる「不和」
(それは介護がなければ多分、蓋をされてしまってあろうこと)というものは、
多分どこにでもあることだと思う。

うちの場合は少し、特殊な事情があるけれど、大枠ではどこも、こんなものだろうと思う。
だから、書き残しておきたかった。

同じような苦しみの渦中にある人たちへ、立場の違う人たちへ、
まだこういう問題にぶつかっていない人たちへ




でも、ブログの方向性云々の前に、
こころの求めるものに従ったというのが、正直なところなの。


誰かにはっきり、言ってほしかった。


自力では、とても恐ろしくて「確信」にできないものを。
「だいじょうぶだよ」と。

(確信がもてないと正直に書くことさえ拒む、
 強い無意識が、働いたんだな、といま、記事を読み返して、思った。)

伯父の「たまが、いやでなければ」という言葉。
これは、
わたしが感じ取った、伯父の愛情なんだ。
その感じ方で、間違っていないのだよ、と

誰かに言ってほしかった。

わたしが信頼している
(フェアなジャッジメントをしてくれる、
 …必要なときには、厳しいこともちゃんと言ってくれると
 信じられる)、誰かに。


だから、あの記事を書いたのだと思う。
こころの求めるものとして。


****************


過ちを犯した女の、子供、として生きることの苦しさ。

そして、母というスケープゴートに、
すべてを擦り付けて自分たちの責任を看過しようとした
(ように、見えた…思春期には)血族全員。

なにより、14歳のとき、親を棄ててでも自分が生き残る、
ということを選んでしまった、自分自身への憎しみ。
(それは正しかった、14歳のわたしにできた、
 最善の決断だったのだ、と頭ではわかっていても)


血のつながりがあるということ=信用できないということ
という図式が染み付いてしまっている自分。




小さいころから…父が発病してから、
間違っているとわかっていても訂正できない、思い込み。

『父の代わりに、わたしが、病になればよかったのに』

その思いは、父が死んで、彼から脳を取り上げた瞬間に、こう切り替わった。

『父の代わりに、なぜわたしが、死ななかったんだろう。
 わたしであれば、家族が空中分解することはなかった。
 母も、妹も、これほどまでには、苦しまずに済んだ。
 父にも好きなだけ、研究をさせてあげられた。』


馬鹿じゃないかこの女は、と普通の人は、思うと思う。

きれいごとを言っている、とか、悲劇のヒロインぶって、とか、

当のわたしにしてみれば、ちゃんちゃらおかしい、
可笑しくて腹の皮がよじれる、そんな、誤解をすると思う。


わたしの中のこころの真実として、
この思い込みが、文言どおり、言葉どおりに
わたしを苛んでいるということ。
このことを
正確に理解してくれるような人は、そう、いないと思う。

(妹を除いて。…この話はまた、いつか別の機会に)


*****************


こんな苦しさを、誰に直接ぶつけることができるものか。
誰にぶつけたって、迷惑に決まっている。

そう、思いながら、迷いながら、綴った気持ち。

それに、


るーちゃんが、思いがけない形で、こたえてくれた。

ほかの誰でもない
るーちゃんが、こたえてくれた。

そのことが、本当に、本当に、うれしかった。

そらが ひかりが わたしの上に、差した、と思った。


ちゃんと、教えてくれたのが、うれしかった。

今日は、泣いてばっかり。うれしくて。
メール、本当にありがとう。
何度も何度も、かみしめて、読みます。

また、道を迷っていると思ったら、どうか、どうか、
本当の忠告を、わたしに、恵んでくれたら、うれしいです。

どうぞこれからも、不肖の友ですが、よろしくお願いします。


感謝をこめて たまより。

じいたんがくれた、心のボーナスに泣く。

2005-10-08 06:14:05 | じいたんばあたん
じいたんに、カンファレンスから家裁のことまで
事の顛末を、夜、報告した。

事務的なこと…今日のカンファレンスの内容はもちろん、
ばあたんに後見をつけなければならないだろう、という
新しい情報に加えて、

泣きわめいて、医者に食って掛かったことも、
伯父さんに、心のドスを突きつけたことも
(「いい年して、親の「大丈夫」に甘えんなや!」
 といった内容を怒鳴ったことも、父のことも)
家裁で、出しゃばってあれこれ、口出ししたことも、

全部、洗いざらい。


じいたんの代わりを、果たせなかった
という悔いで、とぼとぼ帰ってきたわたし。

それから、何より
じいたんの息子を傷つけたこと、嫌な思いをさせたこと
じいたんがどれだけ息子を大事に思っているか知っているのに


だから、謝りたかった。
じいたんの気持ちを改めて考えると
一瞬差した魔で、伯父の名誉を傷つけたこと、
取り返しがつかず、泣く資格もないのに泣きそうで。


でも。
すみませんでした、と土下座しようと思った瞬間、


じいたんの手が、わたしの肩をぽんぽん、叩いた。

「お前さん、良く言ってくれたね。
 それだけのことは、お前さんでなければ、言えないさ。」

わたしが、ぽかんとしていると、じいたんは続けた。

「おじいさんとおばあさんのために、
 お前さんは、恥も外聞もかき捨てて、
 お前さんの判断で、
 精一杯やってきてくれたんじゃないか。」

「なかなか、それだけ手厳しいことを、ずばりと
 目上の人に、率直に言うことは、できないものさ。

 おじいさんは、お前さんの、その性分を、
 とても気に入っているよ。

 …わしに、鬼のように怒るのは勘弁願いたいがね」

と、茶目っ気たっぷりに、満面の笑みで許してくれたのだ。


うおううおう、泣いてしまった。
じいたんの膝の上で。


大恩は謝せず。
…じいたんの愛情、一生忘れない。