前々から気にはなっていたのだ。
ばあたんが、発病した後でさえ
「囲碁きちがいなんだから」
と、半分冗談で、半分は本気でぼやいてみせる
それくらい
じいたんは囲碁が好きだった。
でも、ばあたんが発病して、
やがて部屋にひとりにしておけなくなってから
じいたんは、碁会所にいくのもやめてしまっていた。
でもわたしは、囲碁を打っているじいたんが、好きだった。
囲碁番組を熱心に見入る横顔も、大好きだった。
だったら、この機会に、
じいたんにしっかりと囲碁を教わろう。
囲碁だったら、じいたんもノリノリで付き合ってくれる。
わたしも、「自分が興味を持てる、新しいこと」にチャレンジできる。
なにより、
これといって役に立たなくても、遠慮なくそばにいられる。
じいたんもわたしも、二人ともハッピーだ!
一念発起して、勉強を始めた。
****************
まずは、じいたんから囲碁の本を借りて読む。
「覚えたいの」というと、じいたんは
とても喜んで、自分の持っている本を貸してくれた。
ルールを知らなくても、
ページを行きつ戻りつ読めば、案外楽しめる。
要するに「陣地を取り合うゲーム」なのだ、と概要確認。
並行して超初心者向けの囲碁サイトで、ごく基本的なルールを覚える。
(これは実は、まだまだ理解しきっていない(笑))
SNSの日記に、そのことを書いたら
抹茶プリンさんが手を差し伸べてくれて、ネット上で対局してくださる。
(もちろん、ハンデを信じられないほどつけてもらって^^;)
その対局の棋譜を、じいたんに見せる。
「ふふん、トンマだねぇ、お前さん」
と一瞥するが、頬がゆるんでいるのが分かる。
「ええ?どの辺が、トンマなの?」
と訊ねると
「ここに打つよりここに打ったほうがいいだろう、
…とだけ言っておくさ。
何しろ、四子も置石してもらっているんだからな」
(↑破格のハンデをつけてもらっている)
わたしが一人、うなって悔しがっていると、
「お前さん、九路盤なんぞじゃなく
まずは十九路盤で、覚えなきゃならんよ。
…書斎から碁盤と碁石を持ってきなさい。」
******************
こうして、
夕食後は碁盤を二人で囲む…
そんな時間が、だんだん出来てきた。
最初は十九路盤(正式な囲碁の碁盤)でやろう、と
主張していたじいたんも、
「まず基礎を覚えるなら、
対局するにはこれで充分かも知れんな」
と
九路盤(小さい碁盤)で譲歩して相手をしてくれる。
夜が来るのが楽しみになった。
置石を3つしてもらっても、気づいたら自分の陣地がない
…つまり、じいたんに、完全に負けるのだけれど
本気で悔しいし、本気で楽しいのだ。
散歩に誘うのも、なんとなくわざとらしくて遠慮していた私。
「喫茶店に行こうよ、デートしよ」と誘っても、
経済的な概念が違うので、なかなか乗ってくれないじいたん。
(↑こういう面でのギャップを理解して動くことが、
介護に携わる上で、一番大切で、努力のいることだと思う…)
でも、囲碁のおかげで、
今週の金曜日には、近くの区民センターにある碁会所へ
二人で出かける約束をした。
「おじいさんの対局を、横で実際に見るのも
お前さんには、いい勉強になるかも知れないな」
ということになったのだ。
じいたんと二人、出かけられるきっかけが出来た。
それも、用事じゃなく、「遊び」だ。
うれしい。すごくうれしい。
ひとつでも、こうやって、前に進めることがある
ささやかだけど、心から感謝できる、そんな、
じいたんとわたしの
あたらしい、たのしみ。
ばあたんが、発病した後でさえ
「囲碁きちがいなんだから」
と、半分冗談で、半分は本気でぼやいてみせる
それくらい
じいたんは囲碁が好きだった。
でも、ばあたんが発病して、
やがて部屋にひとりにしておけなくなってから
じいたんは、碁会所にいくのもやめてしまっていた。
でもわたしは、囲碁を打っているじいたんが、好きだった。
囲碁番組を熱心に見入る横顔も、大好きだった。
だったら、この機会に、
じいたんにしっかりと囲碁を教わろう。
囲碁だったら、じいたんもノリノリで付き合ってくれる。
わたしも、「自分が興味を持てる、新しいこと」にチャレンジできる。
なにより、
これといって役に立たなくても、遠慮なくそばにいられる。
じいたんもわたしも、二人ともハッピーだ!
一念発起して、勉強を始めた。
****************
まずは、じいたんから囲碁の本を借りて読む。
「覚えたいの」というと、じいたんは
とても喜んで、自分の持っている本を貸してくれた。
ルールを知らなくても、
ページを行きつ戻りつ読めば、案外楽しめる。
要するに「陣地を取り合うゲーム」なのだ、と概要確認。
並行して超初心者向けの囲碁サイトで、ごく基本的なルールを覚える。
(これは実は、まだまだ理解しきっていない(笑))
SNSの日記に、そのことを書いたら
抹茶プリンさんが手を差し伸べてくれて、ネット上で対局してくださる。
(もちろん、ハンデを信じられないほどつけてもらって^^;)
その対局の棋譜を、じいたんに見せる。
「ふふん、トンマだねぇ、お前さん」
と一瞥するが、頬がゆるんでいるのが分かる。
「ええ?どの辺が、トンマなの?」
と訊ねると
「ここに打つよりここに打ったほうがいいだろう、
…とだけ言っておくさ。
何しろ、四子も置石してもらっているんだからな」
(↑破格のハンデをつけてもらっている)
わたしが一人、うなって悔しがっていると、
「お前さん、九路盤なんぞじゃなく
まずは十九路盤で、覚えなきゃならんよ。
…書斎から碁盤と碁石を持ってきなさい。」
******************
こうして、
夕食後は碁盤を二人で囲む…
そんな時間が、だんだん出来てきた。
最初は十九路盤(正式な囲碁の碁盤)でやろう、と
主張していたじいたんも、
「まず基礎を覚えるなら、
対局するにはこれで充分かも知れんな」
と
九路盤(小さい碁盤)で譲歩して相手をしてくれる。
夜が来るのが楽しみになった。
置石を3つしてもらっても、気づいたら自分の陣地がない
…つまり、じいたんに、完全に負けるのだけれど
本気で悔しいし、本気で楽しいのだ。
散歩に誘うのも、なんとなくわざとらしくて遠慮していた私。
「喫茶店に行こうよ、デートしよ」と誘っても、
経済的な概念が違うので、なかなか乗ってくれないじいたん。
(↑こういう面でのギャップを理解して動くことが、
介護に携わる上で、一番大切で、努力のいることだと思う…)
でも、囲碁のおかげで、
今週の金曜日には、近くの区民センターにある碁会所へ
二人で出かける約束をした。
「おじいさんの対局を、横で実際に見るのも
お前さんには、いい勉強になるかも知れないな」
ということになったのだ。
じいたんと二人、出かけられるきっかけが出来た。
それも、用事じゃなく、「遊び」だ。
うれしい。すごくうれしい。
ひとつでも、こうやって、前に進めることがある
ささやかだけど、心から感謝できる、そんな、
じいたんとわたしの
あたらしい、たのしみ。