じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

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「にもかかわらず」ではなく「それとは関係なく」。

2006-08-12 19:33:29 | 介護の周辺
「アルツハイマー型老人性痴呆」という病気も含め、
認知症や脳疾患など一部の病では、
病気が進行するにつれ、どうしても
意思表示や感情表現が難しくなってくる側面がある。
だから一見、感情を持つこと自体も障害されてしまうと思われがちだ。
 
しかし、それは事実ではない。

 
今までも何度か記事にしてきたけれど、
病は病、本人は本人なのだ。

よく「歳をとると人は赤ん坊に戻っていくんだよ」と
訳知り顔で言う人がいるけれど、
それは実質の半分しか(あるいは少しだけしか)言い当てていないとわたしは思う。


  たとえば、
  ふたりきりになったときに、ぽつんとこぼれる
  ばあたんの本音。

  「わたしね 恥ずかしいのよ…
     こんな、なにも、できなくなって」

  突如、霧が晴れたように彼女の手の内に戻った表現能力は、
  数分たたないうちに彼女自身の意思を無視してかき消されてしまう。
  彼女はそれをめいっぱい使って、一瞬、わたしに気持ちを伝えようとする。


年老いた病人は、赤ん坊ではない。
たとえトイレに行くという動作を忘れてしまったとしても
感情までもが白紙に戻ってしまうわけではない。

生き抜いてきた人生、そのなかで培ってきた人格
ひとりの女性、ひとりの人間としての誇り

そういったものを、身体の芯まで沁み込ませたまま
老いや病とともに生きているのだ。
 
元気だった頃も、そして病を得て久しい今も、
ばあたんは確かにばあたんのままだ。

魂というものがもし目に見えるなら、
きっとわたしたちは見ることができるだろう。
彼女の魂が生き生きと、その肉体に宿っているのを。
 
 
////////////


少し、悲しいことがあった。
 
日常的に祖父母と過ごすようになって三年。
とくに祖母の病気のことで、悲しい言葉を聞くことは少なくなかった。
ある程度慣れることも必要だし、
相手に悪意があるときは、ちくりとやり返したりもした(笑

それでもなかなか慣れられない、こんな言葉。
 
「ボケちゃっていてもそんなことができるの?」

言った本人にまったく悪意がなかったとしても、
そこには無意識のうちに
「この病気になったら、人ではなくなる」という思いが紛れ込んでいる。

障害や病気を持つ人は、自分とはちがう世界の生き物だという感覚。
正しくは、「別世界のものであってほしい」という願望。

そのこと自体を責める気はない。
人それぞれ立場も生き方も色々だから、
そのときそのときのキャパシティに合った形で
自分の心をプロテクトすることは、むしろ大事なこと。
生きていなければ、先はないのだから。


けれど、これだけは知っていて欲しい。

認知症であるにもかかわらず愛情を示せる、のではない。
認知症とは関係なく、ばあたんは、
いま自分のおかれた状況の中で、持っている力を自然に発揮して、
自分の心に沿うように生きようとしている。
それだけなのだということを。


そしてこれは、認知症に限ったことではない。
祖母の病気よりも深く、意思表示や感情表現が障害される
そんな病気はたくさんある。
―あるいは、こん睡状態や脳死状態に陥るといった場合でも…

たとえこちらからのアプローチに反応しない状態だとしても、
それは「感情や意思がなくなってしまった」ということではない。
たとえ表現されることはなくても、
患者の意思も感情も確かにここに存在しているのだ。

彼らの想いの具体的な部分こそわからなくても、
そう確信を保ちながら看病や介護にあたる。
むしろそれが、わたしたちに出来る数少ないことのひとつだ。

少なくともわたし自身はそう思っている。
 
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12 コメント

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寄り添うということ (iso)
2006-08-12 22:27:59
 「帰らせて~」「何でこうなんだろう」「私はこのままあかんようになっていくんかなあ・・・。」高齢者と携わる仕事をしていて、たくさんの葛藤の呟きを聞かせていただきました。朗らかな方、いつも不機嫌な方、少しうつ状態の方、言語の表現ができない方など様々おられます。でも、自分の思うまま生きておられるんですよね。言葉や身振りや目の光・手を握る強さ・呼吸・・・全てで伝えてこられます。伝えたい核の理解は難しいですが、その想いがあることを受け止めたいと改めて思いました。



 どんなことにおいてもそうなのかもしれませんが、実際に寄り添うことでしか、理解を得ることができないのかもしれませんね。ある認識にカチンときたり、どっと疲れたこともありましたが、自分も違う面では同じことをしていたかもしれないと考えて落ち着かせてます。
isoさんへ (介護人たま)
2006-08-13 00:56:55
彼らのそんな呟きを聞くとき、言葉が見つからなくてただ背中や手をさするだけだったりするんですけれど、一方で「そういう思いを吐き出してもらえてよかったかな」とも思ってみたり…

黙って耐えていられないほど苦しいのだということだけは、わかるから…



>伝えたい核の理解は難しいですが、その想いがあることを受け止めたい

 

本当に、そうですよね。寄り添うというのは多分そういうことなんだろうな。

 

>自分も違う面では同じことをしていたかもしれないと考えて

 

内省的になれる機会に恵まれるというのもまた、介護に携わる恩恵なのかもしれません。もちろん、介護に限らず生活の色々な場面で何かを学ぶチャンスはあるのでしょうけれど、自分には今のこのポジションは案外合っている気がします^^
恐いです (Neko50)
2006-08-15 11:36:20
>「別世界のものであってほしい」という願望、確かにそうかもしれません。

裏を返せば、自分も周りの大切な人たちも同じような状況になりうるという恐怖感から、出来るだけ目を逸らせていたい心理があるからです。大方は悪意がない。だから許してとも言えませんが…。

 それでもこうして、介護に携わっているあなたが、真実を教えてくれるから、いざ、わが身内の事になったときにあわてずに向き合えるかもしれないと思うのです。

 でも、我が事になったと考えると恐ろしい。私も、ボケたら何も判らなくなると思っていました。自尊心や威厳を失くす事態になっても、自覚することはなくて、辛い現実を認識する苦悩からも開放されるのだと思っていました。介護する人は大変ですが、本人にとっては幸せなことだとも思っていました。そうではないなんて、私には、重い重い現実です。

 そんな状況になったとき、あなたのように分ってくれようと言う人がいるというのはこの上ない幸せなことだと思います。
Neko50さんへ (介護人たま)
2006-08-16 00:19:57
 あ、あの…そういうことを言う人を、責めるつもりは毛頭なく(もしそんな風に読めてしまっていたらごめんなさい)、ただ、伝えたかっただけなんです。

 それに、わたしも怖いんですよ^^

 「目の前で彼らが困っているという現実」のほうがより大きいというだけで…。そう、現実が目の前にあるから、それだけなんです。



 この三年の間介護に係わってきて、「老いるとはどういうことなのか」ということを日々肌で感じて来ました。

 時には「いずれはわが身だ」という思いが頭をよぎり、がけっぷちに立たされたような気持ちになることも正直あります。なぜなら、介護を受けねばならないということは、とても辛い事だから…

 一方で、こんなに身に恐怖が迫るなかでも、介護を受けながらでも、祖父母はいつも最善を尽くして生きようとしている。その事実に驚かされます。

 そういったことを肌で感じ、何かを吸収していける立場に今現在いることに、深い恩恵を感じずにはいられません。

 怖れている自分を認めながら、それでも前に進みたいし頑張りたい…その気持ちを大切にしようと思っています。
テレビ見ました。 (さつき)
2006-08-16 11:05:29
初めまして、私はブログの女王(テレビ大阪)をみてここを知った者です。



介護って、聞いた感じすごく「・・あ、私には未だ早いかな、こんなことはないな」と思う言葉だったんですが、あの放送を見て、うちの裏に住んでいるおじいちゃんはもしかしたらもう直ぐそのコトバが迫っているのかなと考えさせられました。



じいたんもばあたんもたまさんのことが凄く好きなんですね。信頼してるんですね。

あの番組のあらすじ(?)みたいな数分間で感動して知らず知らず涙がでてました。

これからも頑張ってください。
さつきさまへ (介護人たま)
2006-08-16 14:57:26
初めまして。コメントを残してくださってありがとうございます。

介護っていうとどうしても、健康な人にとっては日常から外れたものだというイメージが強いと思うんですけれど、よく見回せば日常の中に溶け込んでいたりします。

番組をきっかけに、裏にお住まいのおじいさんのことをお思いになったとのこと、そのお気持ちが本当にうれしいです。出して良かったって思えます。

またよろしければお立ち寄りください^^
Unknown (さだえchan)
2006-08-16 23:13:35
「あ…、なんかわかる…。」

そう思って読ませて頂きました。



さだえchanの反応が無くなって、

会いに行って声を掛けても目も開けないし

声も発しない…。

ピクリとも動かない…。

だけど、絶対にさだえchanはわかってる。

私が話してることをちゃんと聞いてる。

そう感じて、いつも話し掛けてました。

そうすると、さだえchanの周りの空気が変わる。



「もう何もわからへんねんから」

と、聞こえるところで遠慮ない大話。

身内にさえこんな人はいるけど…。



【たとえ表現されることはなくても、

患者の意思も感情も確かにここに存在しているのだ】

たまさんのこの言葉…ホントにそう。



~P.S~

「ブログの女王」観ましたよ。

ベランダから見送ってくれるじいたんとばあたん…

大好きなシーンが、可愛い絵で再現されてて素敵でした。

深夜番組だったので、ビデオに撮って子供達と一緒に観ました。

「かあさんが、よく『じいたんばあたん観察記』観てる理由がわかった」

だそうです…。

たまさんに拍手 (みかん)
2006-08-18 23:00:04
ご家族の認知症の方への理解がすべてたまさんのようなら、ご本人の辛さは軽減できると常々思っています。

今まで培ってきた物が失われていく恐怖や不安の中に居られるのに、それに追い打ちをかける方の多い事。

いかなるご病気の方でも、人生の大先輩であると言う尊敬の念を忘れないで接したいものですね。



あまり偉そうな事は言えない私ですが
はじめまして。 (わかば)
2006-08-20 22:46:14
以前から時々拝読しておりましたが、初めてコメントさせていただきます。

祖母が認知症です。

同居しておりませんので、同居している叔父夫婦の苦労がどれほどのものか、自分には完全には理解はできません。

でも、祖母は赤ん坊に戻っているとは思いません。

たとえ10秒前の会話を忘れていても、確かに「祖母」です。





>障害や病気を持つ人は、自分とはちがう世界の生き物だという感覚。

>正しくは、「別世界のものであってほしい」という願望。

わたし自身も闘病中ですので、この感覚や願望はひしひしと伝わってくるのがわかります。

理解を装いながら、実は無理解だったりですとか。



自分のことを書いてしまいましたが、どうかたまさん、ご自身のお身体も労わってくださいね。

おじいさま、おばあさまも世界でただお一人ですが、たまさんも、世界でただお一人のたまさんですから。



長々と失礼いたしました。
昔ね (neko50)
2006-08-24 20:32:15
もう13年前です。病院の救急室で思いがけなく,義母が植物状態になりました。

そのちょっと前、腸が詰まって救急搬送されたのですけど、駆けつけた私たちに、義母は夫に『母ちゃん死にそうよ』私は「何を大げさな、浣腸したら帰れるのに」と思いました。

確かにその後義母は落ち着いて、救急室の隅で点滴を死ながら寝息を立てていました。終わったら帰宅するはずで、私は先に帰ったのです。でも、途中で狭心症が出たのでしょう。事故の救急患者が運ばれてきて、医師も義母の異変に気付きませんでした。

義母は機械に繋がれて、その晩、言葉通り旅立ったのです。私は機械の音だけのするICUで、一人付き添って、もう意識のない義母の足をさすっていました。私の冷めた思いをみんな義母は知っている気がしました。

「あんなふうに思ってごめんなさい」何も考えられなくて、心の中で子守り歌を歌いながら詫びていました。

義母に私の思いは届いたのでしょうか。

許すと言ってもらえなかったので、今も時々思い出すのです。

でも、最後の瞬間には立ち会えなかったので、その後の記憶が停まったままみたいで、なぜだか悲しい気持はしないのです。

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