正直に告白する。
彼らの「いのちそのものの意思」に、
じかに触れる瞬間、
わたしは、時折、恐怖を感じることがある。
ときには、生物としての彼らの強さに圧倒され、
自分が、生物としての強さで劣っている錯覚に囚われる。
**************************
ばあたんは、ぎゅうっと私の手を捕まえて
離さない状態になることがある。
そんなときに例えば、
もう片方の手でそれを解こうとすると
彼女は、一本の手で私の手首をがっちりと捕まえる。
こうなってしまうと、
どれだけ懇願しても、彼女が私の手首を
自分から離すことはない。
かさかさと、私のほかのところも捕まえようとする
もう一本の腕、手のひら。
まるで、虫のような、無心の生命力をそこに感じたとき、
わたしは
「ああ、負けるかもしれない」という
一種の恐怖を覚えることがある。
******************************
じいたんは、最近特に、
私が帰ろうとすると、さりげなく引き止めることが多くなった。
私の体調不良を頭では理解していても
引き止めずにおれない、
じいたんの、切実な想いが、ダイレクトに私を襲う。
「お前さん、長生きするということは、辛いことだ。
それでもおじいさんは、
自分でいのちを断つなどということは
考えられないんだよ。」
「お前さんに、最後まで、長生きさせて欲しいんだよ。
おじいさんはもうすぐ、お陀仏になるはずなのに、
まだまだ、あの世へは行けない身体である気もするんだ。
だから、おばあさんのことも、どうか長生きさせてくれ。
おじいさんとおばあさんは、一心同体なんだ
…お前さん、頼む。」
わたしは、反射的に、うなずく。
************************
受け止めたいと思う。
精一杯、受け止めたいと。
それだって、私の本心だ。
そうでなければ、義務も何もないわたしが、
介護人を引き受けるはずもない。
けれど。
わたしよりもずっと、彼らの生命力の方が強い。
勝てない。
そう、直観して、
思わずひるむときがある。
そんな気持ちも抱えながら
介護人としてあり続けている。
どれだけ彼らを愛していても、
彼らとわたしは、生命としては別の個体であり、
生きるために時には、水面下で攻防を繰り広げざるを得ない
そんな部分があるのではないか、と
時々、思う。
*******************************
「たまさん、一個人として、伝えておくね。
…下の世代は、上の世代を踏み越えて
自分の人生を第一に選択しなければならないのよ。」
私たち三人の、面倒を見てくださっている、
かかりつけ医の先生に、こんな言葉を言われたことがある。
わたしは、彼女の瞳の中に、声音の中に、
まるで怒りのように、激しくも真摯な感情が宿っていた。
その時は、先生が言わんとしていたことが何なのか、
半分くらいしか理解できていなかっのだと思う。
ただ、先生が、本気でわたしのことを
心配してくださっているのが、まっすぐに伝わってきて、
感謝の念を禁じえなかったことを、覚えている。
*************************
濁流の中で三人、溺れかかっているような状況で
捕まれば助かる丸太が、目の前に流れてきた。
そんなとき、
自分がその丸太を捕まえる自信が、
わたしには、ない。
譲るとか、そういうレベルの話ではなく、
彼らよりも「生命力」が劣っているような、そんな気が
最近、時々、するのだ。
自分の「いのちの力」について、見つめ直すべき時が
きているのかもしれない。
そんなことを、最近、考えている。
彼らの「いのちそのものの意思」に、
じかに触れる瞬間、
わたしは、時折、恐怖を感じることがある。
ときには、生物としての彼らの強さに圧倒され、
自分が、生物としての強さで劣っている錯覚に囚われる。
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ばあたんは、ぎゅうっと私の手を捕まえて
離さない状態になることがある。
そんなときに例えば、
もう片方の手でそれを解こうとすると
彼女は、一本の手で私の手首をがっちりと捕まえる。
こうなってしまうと、
どれだけ懇願しても、彼女が私の手首を
自分から離すことはない。
かさかさと、私のほかのところも捕まえようとする
もう一本の腕、手のひら。
まるで、虫のような、無心の生命力をそこに感じたとき、
わたしは
「ああ、負けるかもしれない」という
一種の恐怖を覚えることがある。
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じいたんは、最近特に、
私が帰ろうとすると、さりげなく引き止めることが多くなった。
私の体調不良を頭では理解していても
引き止めずにおれない、
じいたんの、切実な想いが、ダイレクトに私を襲う。
「お前さん、長生きするということは、辛いことだ。
それでもおじいさんは、
自分でいのちを断つなどということは
考えられないんだよ。」
「お前さんに、最後まで、長生きさせて欲しいんだよ。
おじいさんはもうすぐ、お陀仏になるはずなのに、
まだまだ、あの世へは行けない身体である気もするんだ。
だから、おばあさんのことも、どうか長生きさせてくれ。
おじいさんとおばあさんは、一心同体なんだ
…お前さん、頼む。」
わたしは、反射的に、うなずく。
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受け止めたいと思う。
精一杯、受け止めたいと。
それだって、私の本心だ。
そうでなければ、義務も何もないわたしが、
介護人を引き受けるはずもない。
けれど。
わたしよりもずっと、彼らの生命力の方が強い。
勝てない。
そう、直観して、
思わずひるむときがある。
そんな気持ちも抱えながら
介護人としてあり続けている。
どれだけ彼らを愛していても、
彼らとわたしは、生命としては別の個体であり、
生きるために時には、水面下で攻防を繰り広げざるを得ない
そんな部分があるのではないか、と
時々、思う。
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「たまさん、一個人として、伝えておくね。
…下の世代は、上の世代を踏み越えて
自分の人生を第一に選択しなければならないのよ。」
私たち三人の、面倒を見てくださっている、
かかりつけ医の先生に、こんな言葉を言われたことがある。
わたしは、彼女の瞳の中に、声音の中に、
まるで怒りのように、激しくも真摯な感情が宿っていた。
その時は、先生が言わんとしていたことが何なのか、
半分くらいしか理解できていなかっのだと思う。
ただ、先生が、本気でわたしのことを
心配してくださっているのが、まっすぐに伝わってきて、
感謝の念を禁じえなかったことを、覚えている。
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濁流の中で三人、溺れかかっているような状況で
捕まれば助かる丸太が、目の前に流れてきた。
そんなとき、
自分がその丸太を捕まえる自信が、
わたしには、ない。
譲るとか、そういうレベルの話ではなく、
彼らよりも「生命力」が劣っているような、そんな気が
最近、時々、するのだ。
自分の「いのちの力」について、見つめ直すべき時が
きているのかもしれない。
そんなことを、最近、考えている。