![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ac/91bda93fae0f9193dcb65864bcb82200.jpg)
えっと。派手なタイトルですが(笑
わたしが介護を続けてきた理由について
改めて、書いてみようかと、ふと思いたち筆を執りました。
祖母の病気に気づいた瞬間、
「身体が先に動いてしまった」というのは事実です。
彼ら「一対の夫婦」を護ることが
その時自分にとって最もプライオリティが高いと判断して。
祖父母を愛しています。こころから愛しています。
世界の中心どころか宇宙のど真ん中から叫んじゃうくらい。
だけどね。それだけじゃないの。
わたし自身にとっても、利益があると判断したからなんです。
もう、下心が燃えまくって燃えまくって。
「老夫婦のみの家庭に介入し」
「孫という立場で」
(孫が祖母を看ているのは全体の3%。祖父を見るのは0%。
つまり貴重な「症例(?)」となるわけです)
「彼らの生き様、死に様を、特等席で観察させてもらえる」
「人の最晩年の、最も佳き伴走者として
どのように接していくのがプロとして正しい態度なのか
実際に、身内を使って体験できる。この年齢で、一人で。」
(これは貴重な機会―たとえば外科医は身内をオペできないから。)
つまりですね。
明らかにわたしにも、メリットが出るのです。
こんな美味しい体験、逃してたまるか!!
そのまま医学部に行くより(受かる準備はできていたけど)
全くもって利益が高いわけです。
臨床医になりたいのであれば。
あるいは、病・老・死について教えるべく
NPO法人を立ち上げて動かしていくのであれば。
そして出来れば、世界の大学の教壇に立って教えてみたい。
(それ夢でかすぎやから>わたし)
ふふふ。こういう「下心」
―言い換えれば「生きることへの静かな情熱」があってこそ、
介護は楽しくやれるんですよ^^
わたしの場合は、たまたま、これが動機。
理論と実践の摺り合わせを常に求めるこころ。
より自分の人生を豊かに生きたいと願う、燃える下心。
この情熱あってこその介護人生でございます^^
だから決して自己犠牲精神なんてわたしは持ち合わせていない。
やれるだけのことはやり、頂くものはちゃんと頂いています。
そしてその収穫は、予想以上のものでした。
まだまだ、そういった「ベネフィット」は転がり込んでくるでしょう。
ね?これぞ「燃える下心」でしょ?うふふ。
ちなみに、タイトルに釣られた方は手をあげてね!*^-^*
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/c6/8c55b137fd5d5e901e909370d2eba61b.jpg)
from たま@写真は13日夜撮影。
かささぎの出産に立ち会った後に。
【追記】
以前わたしは『病と幸福は両立する』という記事を書きました。
それを今、わたしは自分自身のこころとからだで実感できています。
PTSD(に準ずる)との診断を受け容れるのも苦しかったし、
症状が起こったときはもっと激しいし苦しい。辛い。
だけどその症状のさなかでも、わたしは言い切れます。
もし明日突然に、天からお迎えが来たとしても、
わたしは笑ってその運命を受け容れるでしょう。
わたしは、幸せです。
わが人生に、悔いなし!
(もちろんまだまだやりたいこと満載なので、
この表現は「今までについて」ということで(笑))
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/be/862addf3426860ca5c05a4f5ec82e90e.jpg)
わたしはかぶっていた猫を脱ぎ捨てました。
本来の姿は、ごらんのとおり「鳥」です。
↑従妹や叔母は私をこう呼ぶの(笑
そして、届けたい。オリーブの枝を。
皆さまのお心の中にある、ノアの箱舟へと。
(筋金入りの無宗教ですけどね^^;)
おかえりなさい!
ただいま!
そう思わなければやっていられなかったと思います。
少しは自分の幸せを考えながらやってください。
あのう、したの写真女優の木村佳乃さんに似ていますね。