じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

自分のために生きるということ。

2005-09-05 23:56:59 | 介護の土台
「介護に専従している」と人に話すとき、よく言われる言葉がある。


「あなた自身の人生はどうなるの」
「あなたの夢は?」
「まだ若いのに、先があるのに、どうして?」



心配してくれての言葉だということはわかっているから、
 (時には、まるで露骨に憐れむように、
   …という人も、ブログ以外の場所には多少、いる)

感謝の念をおぼえ、
素直にそれを、伝えることにしている。

そして時に、
ほんの少しだけ、さみしい気持ちになる。



わたしは、わたしのために充分、生きていると
自分では感じているのだけれど、
そんな風には、人の目には映らないのだろうか。

『こんな「30代の過ごし方」が出来るなんて、
  なんて贅沢なのだろう』
とさえ、自分では、思っているのに。

だって、わたしの命は、わたしだけのものではない。
たくさんのいのちの一部が、わたしなのだ。


*******************


もちろん、わたしにだって、
いくつかの、ごく個人的な「夢」は、ある。
そのうちの一つは、もう少し早く、叶うはずだった。


祖父母の介護の話が舞い込んできたとき、わたしは

学校になじめない子供たちのための家庭教師と、
知人から頼まれる、ごくささやかな「文章の書き直し」の仕事で
ぎりぎりの稼ぎをキープする生活の傍らで、

大学に再入学するための準備をしていた。


小学校の頃からおぼろげに、
そして高校に上がってからは具体的に、抱いてきた夢。

確実に死に向かうと決まっている人のための臨床医として
一生を捧げること。
それを、回り道の末、ようやく自力で実現しようとした矢先、


祖母の発病に気づいた。



それでも私は、はっきりと言い切る。

何の後悔も、ない。
祖父母をの介護を選んだことについて、
ひとかけらの後悔も。

むしろ、夢が叶うのが遅れたことを、幸いだったとさえ思っている。
だって、彼らを孤独なまま、置いておかずに済んだのだ。


それにもし、
わたしの個人的な「夢」が叶わなかったとしても、

世界の誰かがきっと、やってくれる。
引き継いでくれる。

私がやりたいことは、私ではなくても、

新しい命が、
あるいは今を共に生きる、見知らぬ誰かが。

わたしはわたしでありながら、
世界の一部だ。

そのことを、思うとき
わたしはとてもあたたかい気持ちになる。
妙な安心感を、覚える。

自然に、笑顔になる。



************************



そして、

…誤解を恐れず、敢えて書いてみるなら。


「自己実現」
「夢をかなえる」
「私が、私が」


現代においては、ごく当たり前ということになっている
一種の、呪縛のようなもの。

わたしはそこに、あまり意味を感じないのだ。

(具体的な夢に向け、頑張っている人たちを見るのは、
 むしろ大好きです。
 自分とは違う生き方だけれど、大好きだ。愛せる。)

ただ、ごく個人的には、ぴんとこないのだ。



なぜなら、歴史を振り返ってみるに、

古来から今に至るまで
たいていのひとはきっと、

「夢」やら「願望」を懐に抱いて
心を温めながらも、

現実には、「楽しいこと」や「夢」やら
そんなこととは縁遠い中で
ごくシンプルに自分の人生を受け入れ、
日々の生活の中にささやかな喜びを見出し、

生き抜いて、そして召されていったと思うのだ。


そのほうがむしろ、自然であるように、私には感じられる。
ごく、ごく個人的にだけれど。


自分のために生きるということ
その意味を
わたしなりには、今は、こんな風に理解している。


「生きるとは、苦しくても楽しい作業だ」ということを
感じながら生きるということ。

そして同時に、

「よりよく生き抜くということは、Dutyだ」ということを
忘れずに生きるということ。



追伸:

こんな生き方を選択し続けるわたしを、
歯がゆい思いで、心配しながら見守っていてくれる、

母を、妹を、近しい人たちを、

明日心臓が止まってもおかしくない状態の、
最愛の「母方の祖母」を、

愛すべき友人たちの存在を、

彼らのこころを、

必ず覚えておかなければと、強く思う。