じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

じいとデート。

2006-11-25 08:36:09 | じいたんばあたん
※これは、2006年11月18日04:18 に綴られた記事です。

-------------------------------

もう余力がなくなりつつあるけれど、
(というのは、この前に怒涛のように文章を書いたからだ)

とりあえず。今日、じいとふたりで、
どんだけハッピーに過ごしただけ、残しておきたい。


病院から帰ってきて、じい宅と我が家の中間点にあるカフェで待ち合わせ。

マイミクさんからリアル友へと変わっていく方や、
親しい友人、大切なお客様にお運びいただいたときに
わたしがいつも使う、そのお店で。

15分送れてやってきた、じい。
彼を一人で歩かせるのは心配だったけれど、
誰かをこうやって待っている時間がわたしは大好きだ。

そしてやっと会えたじい。
数日会えなかっただけなのに、本当にうれしくて。
じいとぎゅっと手を握り合う。

じいは、足の悪い私を、さりげなくエスコートしようと
自分も少し足が悪いのに、がんばってくれる。
じいはどこまでも、「正しい男性」なのだ。
 

そんなじいと、ゆったり話しながら食べたら、お皿はからっぽ!

そして、色々なことを話す。
大阪行きのことやら、進路のことやら、色々。

じいはただこういった。

「お前さんのやることは、おじいさんは信頼している。
 おばあさんと過ごすようにね。
 のびのびと やりなさい。 お前ならできる。」

そしてわたしたちは、色んな話をした後、
ツリーの前で写真を撮った。

だって、来年があるかどうかなんてわからない。
それはお互いに、わかっていることだから。

やっと、じいと、ふたりきりで、デートを楽しめる
そんなところまで 来れたんだ
好きだよ、じい。 って遠慮なく言える
そんな間柄に。

食事のあと、お店の中のツリーの前で、
携帯カメラで写真を撮ってもらう。


最初はちょっとだけ照れていた、じい。


だけど、こそばゆそうに、とってもうれしそうにじいは笑った。
そしてわたしも、とても幸せだった。

だから、いつもどおり、じいにチュウをした。


目をとじて、リラックスしてくれているのが肌から伝わる。


いとしいいとしい、じいたん。
わたしの、祖父。
祖父だけど
気難しいしへそ曲がりだし理屈っぽいし
わが道を突っ走るし 年寄りの冷や水なんて解さないし

だけど
ここというところでは、必ず、優しさを発揮してくれる。
言葉でも、言葉ではない部分でも。

じいは、言葉で表現することを全く怖れないひと。
あの時代に、妻に短大の先生を、70さいまでさせていた人。
本当に、自由で繊細で優しいひと。

介護でうとうとしている私に、黙って毛布をかけてくれる人。
わたしはわたしで、気づかないふりをしながらこっそり泣いたりして。

ああ、どうかかみさま、来年も
じいとクリスマスを過ごせますように!
 
 

朝、目覚めゆく空に、祖母の微笑。

2006-11-09 07:17:54 | じいたんばあたん
朝六時に目覚めて、すぐにコートを羽織り、ほんの少しだけ散歩に出る。
ゆうべは3時半まで起きていたのだけれど、不思議と眠気はない。


先週怪我をしたばかりの両足はやはり痛くて、
ごくゆっくりとしか歩けないけれど、
わたしはどうしても今この、日々いとおしい朝を
―今日と言う日が無事訪れた歓びを―肌で感じたかったのだ。


出掛けに、携帯電話を忘れたことに気づく。
「ああ、カメラがない、もったいないなぁ」と一瞬思うが、後戻りするのはやめる。
今朝は特別に、全身でただ季節を感じたい。


もう、出勤や通学に自宅を出て行く人々がちらほら。


そんななかで、かつて祖母とふたり口ずさんでは歩いた、
シューベルトの「野ばら」を、不意に歌いたくなる。
ドイツ語も美しいし、日本語のそれもまた美しいのだ。

http://blog.goo.ne.jp/care-for/e/27f06cae5fa3e145ef860e78b4eead3f
(コメント欄をごらんください。詳しい解説を頂いています)


かつてのあの、幸せだった彼女との日々を思い出し、思わず
涙ぐみそうになる。

だけど。だけど。それでも。
朝はまた訪れ、鳥は変わりなくさえずり、そして、突然

美しく目覚めていく空の中に 祖母の優しい笑顔を見出だす。



ああ、そうか。
わたしは彼女に会いたくてたまらなかったのだ。
心と両手両足に、大怪我をしてから、彼女に会いにいけていない。
ついこないだ連れて行ってもらったばかりなのだけど、

だけど、…祖母に会いたい。


進行していく病のさなかにおいても、
わたしに、無償の愛というものを教え注ぎつづける
世界でいちばんいとしい、あの女性に。


白いコスモスが、傍で揺らいでいる。
わたしは、その純潔な花弁にそっと口付け、朝露を吸う。
涙ではなく感動を黙って頒ち合ってくれたような気がする、その花に。
 
 
******************

みなさまへ


長らくお休みを頂戴してしまいました。

現在、わたしは、たいしたことはないのだけれども、闘病中です。
いわゆる「心の怪我」という診断です。

そして、相方とも別離を選択しました。
彼の存在なくして、介護を続けてくることはできなかった。
彼に対する愛情や敬愛の念は変わりません。
謝意をここに、記しておきます。


わたしが今闘っている病の症状は、
とても激しく、苦しいものではありますが、

それでも、不思議とこころは明るく朗らかで、そしていつも穏やかです。

 
生きているって素晴らしい。
わたしは祖父と祖母を、支えてくれる友人たちを、
そして、このわたしたちを抱く世界を、宇宙を、愛しています。

これから、少しずつですが、
UPしないで書き溜めたものを、10月の記事としてご紹介してまいりたいと思います。
 
一日に、ひとつあげられるかどうかといったところですが、
どうぞみなさま、よろしく、お付き合いくださいませ。

コメントを残しながら(あるいは静かにただ)待っていてくださった
すべての読者のみなさまに、感謝をこめて。


11月10日記す 介護人たま 拝

「かわいい、かわいい」と。

2006-08-10 22:53:21 | じいたんばあたん
先日、ばあたんと一緒に過ごしていたときのこと。
 
その日、ベッドで眠っていたばあたんを起こすと、
彼女は目を覚ますなり淡く微笑んだ。

「わたし、まだ眠いわ。」

と口では言うのだけれど
それなら、と思いもう一度寝かしつけようとしても
眠気にさらわれまいとするかのように、必死で起き上がろうとする。

日によっては起きないときもあるし、
じいたんがいても無関心な日もあるので
「ああ、今日はよさそうかな」
と内心よろこんだ。

 
でも、起こしてからが少し大変だった。

薬の量を少なめにしているせいか、
比較的表情豊かで、自分の意思も伝えようとするのだけれど、
一方で多動が収まらない。
とにかくじっとしていないのだ。
 
例えば、お昼の時間、
わたしやじいたんが行っているときは
わたしたちがばあたんの食事を介助するのだが、
ばあたんは、一口食べたら立ち上がってしまう。
 
どうやら「食事の支度をしなければ」と思っているらしい。
 
けれど、ばあたんはもう、一人で歩くのは危険な状態なので
わたしとじいたんが、周囲を一周しては
また、ばあたんを食卓につかせて、
食事の続きをする、といった具合だ。
 
ばあたんは、じいたんに
「こちらへ行かなくてはだめでしょう」
など、色々と指示をしたりして(その指示の内容はよく理解できないのだが)、
元気だったころの面影をのぞかせる。

普通の声がけだと最後まで食べてもらえそうにないので、
「調理実習で作ったの。先生、味見をしてね」
 (ばあたんは高校と短大で家政科の先生をしていた)
などと声をかけたりしながら、なんとか最後まで食事をしてもらう。
 

以前なら、食事が終わったら、病院の最上階まで散歩に出ていた。
けれど最近のばあたんは、その距離ですら連れて出るのが難しくなった。
その日も、やはり入院しているフロアを歩き回るのが精一杯だった。

歩くの自体はとてもよく歩くのだ。
というより、じっと座っていることがとても苦手なようだ。
ただ、突然身体の力が抜けてその場に座り込んでしまったり、
その座り込んでしまった身体で、足元も確かめずに
また、立ち上がろうとしたり…
 
お手洗いに行きたくなったときも、知らせるのがうまくいかず、
いろいろ不具合が出て、病棟の看護師さんを呼ばざるを得ないときも増えてきた。

この日はお手洗いの後、おしもを綺麗にするまでに
ばあたんの不安が大きくなってしまい、
「表へ出してちょうだい」(言葉にならないときもある)と、
わたしの身体を押しのけて、
下着もつけないまま外へ向かおうとする…そんな状態だった。

トイレ騒動で少ししょんぼりしたのか、
じいたんはやがて、来客用のソファで転寝をしはじめた。
 

  ばあたんにはいつだって、彼女自身の意思があって、
  それに基づいて動こうとしているのだ。
  そんなとき、ばあたんは本当に一所懸命だ。

  だけどわたしは、その全てを理解することはできなくて、
  観察の末、見当をつけては色々とためし、
  失敗してはまた観察をして…と、そんなことの繰り返しに終始する。

  そしてそのうち、ばあたんはくたびれてしまう。
  脂汗が額や首筋に浮いてきて、つらそうだ。
  それでも彼女は歩くことをやめようとはしない。
 

  多分…多分だけれど
  ばあたんは、必死で逃れようとしているのだと思う。
  漠然とした不安から、意識をにごらせようとする眠気から、
  それから、ただじっと座って記憶が消えてしまうのを待つ恐怖から。

  その「逃れようとする」というのは決してネガティブな意味ではなく
  ばあたん流の、精一杯の「戦い方」なのだと思う。
  「わたしはわたしでありたい」という彼女の叫びだとわたしは思っている。
 

それでももうくたびれ果ててしまったときには
ばあたんは、少しでも自分の記憶にある場所
―自分のベッドへ戻ろうとする。
 

//////////////
 

その日もやがて、ばあたんはベッドへ戻ろうとしはじめた。

今日もじいたんに淋しい思いをさせたな…
と、来客用のソファで転寝しているじいたんを振り返りつつも、
もう精一杯がんばっているばあたんを
見るに忍びなくなったわたしは
じいたんを放ったらかしにしたまま、ばあたんについていくことにした。


 
ほとんど思うように動かない足をひきずり、
わたしの手をひっぱって、
自分の部屋を探し当て、ベッドへたどり着こうとした
その瞬間、
 
ばあたんの身体が、大きく傾いだ。
その向こうには、ベッドの鉄の柵が。
 
 
「あっ…」

とっさに、ばあたんの身体の下に自分の身体を敷きこむ。
ばあたんの全体重が自分の上にかかる。
下はベッドのマットレスだから背中は痛くない。

だけど、
  「こないだ頭に大怪我をしたときは、
   真夜中に、ひとりぼっちで、
   このスピードで、これだけの重みがかかった状態で転んだのか」

そう思うとぞっとして、そしてひどく悲しくなって、
わたしはばあたんを抱きとめたまま、暫くの間呆然と転がっていた。
 
 
すると。


「かわいい、かわいい。よしよし。」
 

頭の上から、ばあたんの声が降ってきた。

見上げると
身体を起こしたばあたんが、
わたしを抱きしめて、頭や身体をさすってくれている。
さっきまでは殆ど意思疎通ができなかったのに。


「ばあたん、だいじょうよ…」

言いかけて、はっとした。


ばあたんは、うっすらと涙ぐんでいた。

鼻のあたまを真っ赤にして、それでも満面の笑顔で
わたしの頭を自分の胸に抱え込もうとしている。

 
「たまちゃん、かわいい、かわいい。
 かわいい、かわいい。よし、よし。」
 
たぶん他の語彙が出てこないのだろう。

それでも、ばあたんの指の先から全てが伝わってくる。
 

暫くの間わたしは、目を閉じて
ばあたんのなすがままになっていた。
 


携帯の中にいた、ばあたん。

2006-08-09 02:00:44 | じいたんばあたん
風邪引きでろくに動くことも出来なかったある日、
思い立って、携帯のデータを整理した。

わたしはデジタルカメラを持っていない。
だから、じいたんばあたんの写真を撮る時にはいつでも
携帯のカメラ機能を使う。

今までも随分整理してきたものの、
いつでも、取り出して眺めたいものだけは
携帯の中にデータを残している。


そこで、たまたま
二年前の秋の、ばあたんの動画を発見した。


動画を撮影した当時のばあたんは、
まだ、会話をすることはそれほど困難ではなかった。
記憶は残りづらくなっていたけれど(10分程度だろうか)
医者に行くために、わたしと二人遠出することも可能だった。

テレビとは何かということも理解できていたし、
 (「どうして箱の中に人が出てくるのかしら?」と、
   子供のような目で問うてくれる姿が可愛かった。
   彼女は疑問があれは素直に確かめようとする、
   そんな少女であったにちがいない)

携帯には「メール」というものがあり
「電気の信号で、文字情報を送ってやりとりしている」
ということも理解できていた。
メールの着信音を覚え、携帯が鳴ると
「たまちゃん、たまちゃん」
と、別の用事をしているわたしのところへ持ってきてくれたりしたものだ。
 
そんなとき、彼女が興味を持ったのが
携帯の持つさまざまな機能だった。

ばあたんの好きな音楽をダウンロードして聞かせてあげたりすると
ばあたんは、目をきらきらさせて、
「たまちゃん、それじゃあ、この曲は?
  ♪~いかにいます父母 恙なきや友垣~♪」
とせがんでくれたり、

ある別の日に、友人から動画が届いたときには、
ばあたんは、動画のなかで話している友人にいちいち
「はい、はい^^ わかりましたよ^^」
と返事をしてくれたりしては、何度もわたしに再生をねだった。
 


そんな二年前の日常の中で、わたしは
ばあたん自身を、偶然カメラの動画に収め保存していたらしい。

ファイルを見つけたときは驚いた。
はやる気持ちを抑えながら、おぼつかない手つきで再生する。


そこには、二年前の、まだ多少元気だったばあたんの姿が映っていた。

カメラを向けながらばあたんに声をかけるわたしに、
最初はいぶかしげな表情を向けるばあたん。

でも、最後の瞬間、


ばあたんは、恥ずかしそうに、ふんわりにっこりと、笑った。
 
明らかに、あの頃の―わたしをまだ分かっていた頃の―、
わたしを労わるように微笑んでくれた、ばあたんがそこにいた。
 


動画を見て、そのときのことを鮮明に思い出す。

ばあたんを撮って、ばあたんに見せてあげて遊ぼうと思ったのだ。
夕方の不安が強くなる時間、少しでもそれをやわらげたくて
でも、アルバムなどをめくるのも少しネタ切れがちだったので、
わたしは、はじめて携帯の動画機能を使ったのだった。
 
撮影できた後、ばあたんに見せてあげると、

「たまちゃん、もう一回みせてちょうだい。
 すごいわねぇ、すごいわねぇ!
 今はこんなことも出来るのねぇ。
 …わたしの兄妹の姿も、これを使ったら見れるのかしらねぇ」

と頬をほのかに上気させながら喜んでくれていた。
そしてやがて、わたしの手をとって

 「たまちゃん、ありがとう。
  おばあちゃんね、生きているって気がするわ…
  いつもね、とても淋しいのよ。だけど今は楽しいの。」

とぽつんとつぶやいたのだった。


ああ、でも、ばあたん。
本当に思いやりのあったのは、ばあたんの方。


こんなところにかくれんぼして、
こっそり、わたしを待っていてくれたんだ…
 
未来のわたしのことを。
 
本当は恥ずかしがりやさんなのに、
あのとき、撮らせてくれたのは、きっと。 


静かに涙が流れるのを感じながら、
わたしは繰り返しばあたんの笑顔を再生した。
そして
携帯の中のばあたんは、
何度も何度もわたしに笑いかけるのだった。
 
 

桃と、そして彼らの好物と。

2006-08-07 23:28:59 | じいたんばあたん
今夜じいたんは、叔母の家族と一緒に近場の温泉へ一泊している。
わたしは一人、自宅でゆったり過ごさせてもらっている。

本当ならわたしも一緒に行くはずだったのだけど、
相変わらず夏風邪が治ってくれず
微熱や咳がなかなか止まらないといった調子なので、
今回は、お休みさせてもらったのだ。
 
週末もずっと、ほとんど安静にしていた。
相方が代わりに、じいのところへ顔を出してくれた。

*********


土曜日、じいたんの主治医のところへ行った。
風邪がなかなか治らないので見てもらうついでに、
じいたんの最近のことを色々話したりしたくて。
 
先生から、
「こないだお越しになったとき(1日)、
 おじいさま、少し元気がないような、不安げな様子だったから
 あれ?と思ってね」
という話を聞く。
 
わたしは風邪を引いてから、じいたんとは直接接触しないで
もっぱら、朝夕に電話で話をするようにしていた。

朝は30分程度、そして夜は
一回、1時間~2時間くらいだろうか。
じいたんが「じゃ、そろそろ切ろうか」というまで。

  というより実は、切ろうにも切れない状態だったというのが正しい。
  よほど淋しいという気持ちが強かったのだと思う。
  それから夜は、疲れのせいか、我慢がきかないようなところも
  見受けられたように思う。

  電話で話すのはそれほど好きではなかったはずなのに、
  話が、あちこちに飛び、蛇行し、切るタイミングがない。
  「お薬を飲みたいから一旦、電話を切ってもう一度かけるね」
  といっても、なかなか理解が難しい様子だったりする。
  以前のじいたんなら、考えられないことだ。

この一週間とちょっとで、
ずいぶん、じいたんに負担をかけてしまった。

ほとんど毎日来てくれていた人が来なくなる。
一人の時間がうんと増える。
そういった変化も、じいたんにとっては辛いものなのだ。
 

体調管理を第一にと思い、温泉行きを断ったものの
なんとなく、割り切れないような思いが残っていた。

だって、じいたんにとっては一番楽しみな、
「家族の団欒を味わえるひととき」なのだ。
それも、温泉だ。特別なイベントだ。
ひとりでも頭数は多いほうがいいに決まっている。
 
 (しかも、
  「ばあたんとの旅行がだめになった分、何かしたい」
  と叔母に頼んだのは、わたしだったのだ)
 

**************


そうやって、そろそろ出かける時間だなぁ、と
布団で時計を見ながら、少しはらはらしていた午後。
 
ピンポーン。…叔母が訪ねてきた。
手には小さなビニール袋。
 
「たまちゃん、今回は残念だったわねぇ。
 はい、これ、おじいちゃんからあなたへ差し入れですって。」

袋の中には、きれいな桃がふたつ。
底の方にも何か入っている。
 
「今日はホンマにごめん。何かあったらいつでも電話して」

と叔母に詫びて、そそくさと部屋へ戻り、袋を開けた。
 

さっそく袋を開けて、桃を確かめる。
紙の箱にきれいに座っている。

そして、ビニール袋の底を探ってみると、
入っていたのは、食べかけの(袋の開いた)
じいたんの大好物「アスパラガスビスケット」と
ばあたんの大好物「松露」という砂糖菓子だった。
 

たぶんじいたんは今朝、この暑い中を
スーパーまで歩いて、この桃を買ってきたのだろう。
じいたんの足だと、片道20分くらいかかる、あの店まで。
わたしが桃を大好きだから。

そして、それだけじゃ何となく物足りなと思って、
お菓子の棚をごそごそ探して
自分がいつも食べている気に入りのお菓子と、
毎週すこしずつばあたんに持っていってあげるお菓子を
両方、袋に入れてくれたのだろう。

あの世代の人にとって、お菓子は贅沢なものである。
自分たちの楽しみに買うものは、とても慎ましい。
でも、それをたぶん、あるだけ全部わたしにくれた。
簡単に買い与えるのとは、意味が全然違うのだ。
 
そしておそらくは、
自分が見舞いに行くと却ってわたしに心配をかけるから、
娘が来るのに合わせて桃を用意して、
彼女に届けさせるよう、気遣いをしてくれたのだと思う。
 
 (でも桃をどうやって用意したか察しができちゃったので
  やっぱり心配だったりするのだけど…
  今夜あたり、脱水ぎみでぼんやりしていないか)
 
じいたんらしさがおかしくて、クスッと笑いがこぼれた。
そして、それだけ心配をかけているということに
ひどく胸をしめつけられる気持ちになった。
 
わたしはしばらく台所で、桃を眺めていた。



じいたん独特の、心地よいあたたかさ。
(それは同時にばあたんの温もりでもある)

昔から、知っていた。ほんとうは。

じいたんも、ばあたんも、何気ないところで
本当に見返りを求めない愛情を、人に注げる人だった。
それは、老いが進んだ今でも、ぜんぜん変わらない。
 
誰が忘れても、わたしは忘れない。

あの二人ならではの優しさを、
ずっとずっと大事に、心に留めておこうと思う。

ここで懺悔。じい、ごめん。

2006-08-01 21:11:43 | じいたんばあたん
今朝、目が覚めたら8月1日とは思えない清清しさだった。

起きて、ぱむだTシャツとジーンズに着替えて、じい宅へ。
保険証を預かっていたので届けに行った。


じいは今日、かかりつけ医に行く日なのだが、わたしは付き添えない。
医者から「熱が下がって咳が止まるまではお祖父さんとは接触しないように」
と、きつーいお達しがあったからだ。

熱は微熱程度に収まってきたのだけど、結構咳が出るので
じいに会うと確かに移しちゃいそう。
90を超えた人にとって風邪は文字通り命取りになりかねない。

なので、じいの食事中
(二階のダイニングで友達と一緒に朝食をとる)を狙って
保険証を届けに行った。


鍵を持っているので、少しだけ部屋を覗いてみる。

金曜からこっち、4日ほど顔を出せていないせいか、
どことなく部屋が荒れていた。もの寂しい気配。

一瞬、片付けていこうかと思ったが、
今日は幸いヘルパーさんの来る日なので、
電話かファックスで色々お願いしておこう(風邪菌を残しても困るし)
と思いなおし、
一番目立つ場所へ、目立つ色の袋に入れた保険証と手紙を置いて祖父宅を後にした。


じいは、病院から帰ってきてから、ちゃんと「無事帰ったよ」と電話を入れてくれた。(普段は連絡もなしでふいと出かけてしまうのだが)

よほど淋しいのだろう、
わたしが熱を出していると分かっていても
じいは、電話を切ることがなかなかできないでいる。
しきりに「かわいそうにねぇ、お前さん」と繰り返している。


じい、ごめん。

昨日はデイケアだったから、つい、じいに黙って、
東京まで出てきてくれた教え子に会いに行ってきたんだよ。
熱があっても、ひと目どうしても、顔を見たくて…。

それで多分治りが遅いんだ、わたし。

わたしの具合が悪くてデメリットを蒙るのは、じいたんなのに…
ホントごめんなさいorz

夜までに熱が下がれば顔だけでも出せるんだけど…

わたしも、少しだけ進化する。

2006-07-27 08:26:47 | じいたんばあたん
そうやって、ばあたんのところで半日過ごした火曜日。

帰りが遅くなったので
帰る途中、乗り換えのたびにじいに電話を入れた。

最後の乗換えをする前、少し時間が取れたので、
思い切って、主治医の意見
―旅行はやめておいてください―を、なるべくさらっと言ってみた。

じいたんは、電話口でひどくがっかりしていた。

「おじいさんは、不満だが、仕方がないんだね。でも不満だ」

それを延々繰り返すじいたんに、わたしは言った。

「私の力が及ばず、残念な結果しかお知らせできなくて、…心から申し訳なく、お詫びいたします」

じいたんは言った。

「お前さんの失敗だった、ということだろう?」

残念さの余り、じいたんは多分、だれかに当たり散らしたいのだ。


「ええ、おっしゃるとおりです。
 わたくしの力不足で、悲しい思いをさせてしまって申し訳ございません。」

とわたしが答えると、
じいたんは言った。

「それでいいんだよ、お前さん。お前さんがそういう風に言って詫びる態度をとって腰を低くしていれば、おじいさんも多少なりとも溜飲が下がるのさ」


一瞬、頭に血が上りかけたけれど
(旅行に行けないといわれてがっかりしているのは
 じいたんだけではないのだ)、

先週の事件のこともあったので、どうにか踏みとどまって、
何事もなかったかのように、穏やかに電話をいったん切る。
こういうときは、インターバルを取るに限る。

そして、地下鉄で移動した後に
もう一度、じい宅へ電話をした。

不機嫌そうに出たじいたんに、
フラットな気持ちで、優しく話しかけてみた。
感情の激しさを表現するのではなくて、言いたい事が伝わるように
それだけを念じながら。


「じいたん、一人でしょげてやしないかしらと思うとね
 悲しくなっちゃってつい、声をききたくて電話しちゃったの。
 
 あのね。今回はダメだけど、秋は大丈夫かもしれないし
 わたしも一所懸命、旅行以外でも色々、楽しいことを
 いっぱい考えるからさ、じいたん、元気出してね」


じいたんの声がぱぁっと明るくなった。

「おじいさんも、お前さんの考えに、大賛成だ!
 お前さんのそういう、前向きなところがおじいさん、大好きだ。

 おじいさんにとって一番大事な人は、おばあさんなんだよ。
 そしてその次が息子と娘。
 その次にお前さんが大事なんだよ。
 よろしく頼むよ。」


もう一度電話してよかった、と思った。

前回にくらべて、自分の気持ちが無駄に傷つかないように
少しは、わたしも頑張れたかな?

後見人。旅行の断念。主治医への感謝。

2006-07-26 00:10:17 | じいたんばあたん
先週末、家庭裁判所から通知が届いた。

「伯父とわたしの二名を、ばあたんの後見人に任命する」とのこと。
二週間以内に相続人各位からの不服申し立てがなければ、
八月にはこの審判が発効する。

今後は、ばあたんに関して法的な責任も背負うことになる。
伯父と二人でではあるが、
実務は殆どわたしがこなすことになるはずだ。


これでもう「退路は絶った」という思いと
これでもう「堂々とばあたんを護れる」という思いと。

緊張と複雑な感情とが一瞬にして頭の中を交叉する。


でも、伯父と一緒にできるのだから、よしとしよう。
そして、法的に権限を認められたぶん、しっかり働こう。

そんなわけで今、裁判所に提出する財産目録を作り直したり、
伯父と情報共有する方法を細かく考えたりしている。

それから、金融機関その他への連絡の準備も。

すみません、そんなわけで
要領の悪いわたしは、ここのところばたついております。


*************


そんな中、今日はばあたんの主治医と面談してきた。

かねてからじいたんが希望していた、ばあたんとの旅行。
旅行が可能かどうか、そして可能であればどんな準備がいるか。
そんなことを尋ねるつもりで、予約を取った。

…同時に「難しいでしょう」という言葉もどこかで期待して。

客観的に見れば、ばあたんの症状は重すぎる。
あんなに多動が目立ち、そして急に意識レベルが低下してくたっと倒れてしまったりするようでは、バリアフリーもない普通の宿に泊まるのはかなり危険だ。

(叔母夫婦のサポートで祖父母を旅行に連れて行くのは
 わたしにとっては案外、負担が大きかったりする。
 彼らの戸惑うような顔を見ると、どうしていいかわからなくなる…orz
 相方がサポートしてくれている時のようにはいかない。)



主治医の回答は、実を言うと、予想通りだった。

「ご家族のたってのご希望ということであれば、
 我々はお止めすることはできません。

 ご高齢のお祖父さまにしてみれば、これが最後かもという
 そんな切羽詰った思いもおありでしょう。

 我々としては、いつ旅行が中断して戻ってこられても良いように
 万全の体制でお待ちするしかありません。

 ですが、医師として率直に申し上げます。
 やめておかれたほうがいい。

 いまのお祖母さまは、旅行の刺激に耐えうる状態ではありません。
 入院された当初に比べ、病そのものは進行しています。
 ましてや、実質的に介護者として機能するのは、たまさん一人です。
 現地でヘルパーを利用してカバーできるレベルではありません。

 そして更に、…介護が必要なのはお祖母さまだけではありません。
 すでにお気づきかと思いますが、
 お祖父さまにも衰えが最近、現れています。
 患者様がおひとりなら何とかなるかもしれない。
 だけどお二人同時に介護となると話は別です。わかりますよね。

 正直、よくあなた一人でお二人の介護をなさってきた。
 わたしは驚嘆する思いで拝見していました。
 ですがこれ以上無理を重ねる必要はないですし、
 最悪、事故にでも繋がれは、みんなが苦しむことになります。
 
 医師として申し上げます。やめておかれたほうがいい。
 あなたが実は一番、そのあたりのことを理解なさっているはずです。
 お祖父さまやご親戚さまには、私が「医師として旅行は不可です」と言ったと伝えていただいて結構です。

 代替案として、うちの六階にあるゲストルームへの宿泊を
 お祖父さまとたまさんとお祖母さまと三人でなさる、
 ということを検討されてはいかがでしょうか。」

わたしは、一人で不安に思っていたことを改めて尋ねた。

 「先生、わたしは、こう感じていたんです。
 祖母は入院して穏やかになりはしたけれど、同時に症状も進んだな、と。
 治療をうけていても進んでいく病だという認識もありますし、
 実際に祖母のトイレ介助や食事介助をすると、以前とははっきりと違います。

 でも、周りの親族にはそろって「気にしすぎ」と楽天的に言われるので
 自分の観察眼にだんだん自信がもてなくてきていまして…
 旅行、ホントは無理なんじゃないかな、と思う気持ちがあって
 それで今日は先生のご意見を承りたいと思ってきたんです」

すると先生は言った。

 「たまさん、実際に間近で看てこられた方でないと分からない事は
  案外、たくさんあるんですよ。近親だからこその難しさもあります。
  だから、他のご親族さまの認識が甘くなるのは、仕方のないことだと
  割り切ってお考えになられたらよいですよ。
  少なくとも、旅行をとりやめたほうが良いという判断は、
  わたしもしておりますので…」

フランクに、話してくださったと思う。

この先生はこの七月で退職される。

最初の頃憔悴しきって、先生の前で涙を見せてしまったこともあった。
でも、本当によくばあたんの様子を見て、薬をこまかく調整して
ばあたんをここまで穏やかにしてくださった。

最後にお礼をお伝えすることができて本当に良かった。
そして、最後まで、穏やかな様子で、
まとまりのない相談に乗っていただけたこと、
いくら感謝しても足りないくらいだ。

 (この先生が出されている本がある。
  わたしは、先生と出会う前にこの本を読んでいたのだが、
  つい最近まで本の著者と主治医が同一人物だと気づかなかった。
  また、改めて紹介します。)


**************


面談(医師と看護師と別々に面談があったのだ)の合間、
昼前から夕方までばあたんと一緒にすごした。

あたたかな眼、柔らかい表情。
わたしを分かっている様子。
いとおしむように頭を撫でてくれる。

そして、自分のつらい感情を話してくれる。
分解しかかった言葉で、一所懸命。

おやつをお土産に出すと、昔と変わらず
半分に割って、大きいほうをわたしの口に運んでくれる。

じいたんがいないときのほうが意思疎通がうんと楽だという皮肉。
だから彼がいないときに、もう一日は確実に見舞いに行くのだ。

「ばあたんを独占できて嬉しいなぁ!」
と抱きついたら、ばあたんは
「わたしも、幸せよ」
と抱きつき返してきた。


旅行に行くことが不可となってほっとしていたのに、
じかにばあたんと触れ合うと、とても淋しい気持ちになった。
もう少し症状が進んだら、却って連れ出せるかもしれない。

でも、いまのばあたんにとって一番うれしい、心地よい状態というのは
どんな状態なんだろう?

そんなことを考えながらひたすら
廊下をぐるぐると徘徊し、おやつを食べ、ふたりで歌を歌って過ごした。
彼女の眼は、遠くを見つめて、時々わたしのところへ帰ってくる。
そのときには昔の彼女の面影がだぶるように重なる。
ふたりきりのときだけ見せてくれる、満面の笑顔。


なかなか立ち去りがたかった夕方。
ばあたんは帰り際になって、急にしゃきっとした。
それまで、ばらばらだった言葉が、正しいセンテンスに戻る。

「おばあちゃんはだいじょうぶだから
 たまちゃん、帰りが危なくならないうちに
 みんなのところにお戻りなさい。
 お行きなさい。」

それが、たとえ
わたしをわたしと認識していない上での言葉であっても。

わたしは涙が出るほど嬉しかった。
彼女の、深い愛情と理性に支えられた、本来の彼女らしさに
触れることができたからだ。


傲慢かもしれないけど。
思い込みかもしれないけれど。

ばあたんが、こんな、「ばあたんらしい心のありよう」を見せてくれるのは、わたしにだけ。

この人を愛している。護りたい。
成年後見、引き受けてよかった。
がんばろう。

カステラ一切れの、優しさ。

2006-07-04 23:30:04 | じいたんばあたん
実は、昨日ちょっと、個人的にがっかりしたことがあって、
わたしは今日一日元気がなかった。

じいたんと一緒に行くはずだった、月一回の通院も
じいたんが比較的元気なのをいいことに
一人ででかけてもらったり。

…一晩たっても元気のでない自分の顔を、じいたんに見せるのが忍びなかったのだ。


そして今日の夕食。
じいたんは大好きなお蕎麦を
徒歩5分ほどのところにあるコンビニまで
一人、ふらっと買いにでかけた。

 (最近のじいたんは、食事をオーダーしたかどうかしばしば忘れる。
  時には、注文していないのに食べにいっちゃったりすることもある。
  年齢が年齢だから、そういうことは珍しいことではない。

  ただ、夕食を頼んでいないときで、手が空いているときは
  わたしはなるべく何か一品、手作りすることにしている。
  かぼちゃの煮つけやきんぴらごぼう、茄子の鍋しぎ
  変わった薬味を添えた冷奴など、簡単なおかずだけど…
  家庭的な雰囲気を味わってもらうチャンスなのだ)

昨日、祖父宅を訪ねた時にちゃんと
今日の夕食の有無をチェックしておくべきだった…と思うと
自分のボケっぷりにまたがっくりきてしまった。
落ち込んでいるだけでこんなことも抜けちゃうなんて。

じいたんが出掛けている間、やるべきことはいっぱいあるのに
わたしは暫くの間、ぼんやりと腰掛けていた。


::::::::::::::::


じいたんの帰りがいつもより遅くて
探しにいこうかなと思い始めていたころ。

じいたんが、満面の笑顔で帰ってきた。
そして、ごそごそと袋から何かを取り出す。

「お前さん、お土産を買ってきたよ。
 ほら、カステラだ。カステラは栄養があるんだよ。
 これを食べたらお前さん、きっと元気が出るよ」

そう言って、にっこりと笑った。
子供のように、純粋な笑顔で。

 実は、昨日わたしが元気をなくす現場に
 じいたんも、居合わせていた。
 一緒に家計簿をつけているときに、その知らせが入ったのだ。

 じいたんは、とてもいたわってくれたし
 わたしもつとめて笑顔を保っていたのだけれど
 じいたん、やっぱり分かっていたんだな。

その、さりげなく暖かくて素朴な、じいたんらしい親切なこころ。
わたしのいちばん好きな、じいたんの素敵なところ。

「じいたん、ありがとう。遠慮なくいただくね」

そういってカステラを受け取ると、
じいたんの顔がぱぁっと明るくなった。

「そうだ、そうだ、その笑顔だよ、お前さん。
 素直に喜んでくれるから、おじいさんも嬉しいよ。

 お前さんと過ごしていてね、
 このごろ、素直であることが一番なんだなって
 おじいさんは、思うようになったんだよ。」


トイレに行くふりをして、こっそり泣いた。

世界で一番可愛いひと。

2006-06-27 12:25:37 | じいたんばあたん
これは四月の、ある小雨ふる日に
祖父と二人、祖母の見舞いに行った後書き残したメモです。
ほぼ、修正なしでそのまま転載します。


///////////////


今日のばあたんは、
薬が変わったせいか
徘徊などは落ち着きがない一方、
表情が豊かで、意識が清明だったように思う。

といっても認知はまた、冬に比べて一段、衰えたようだ。
接するときに、かなり工夫がいる。

 (たとえば呼びかけるとき、
  必ず彼女の正面に向き、あるいは手をとって
  彼女の名前を呼ぶようにする。

  話しかけるときはなるべく、
  「はい・いいえ」で答えられるような問いかけにする。

  何を言っているのか言葉の上ではよく分からなくても、
  彼女の全身から溢れている気持ちは感じられるから、
  「うん、うん。」といって
  優しく手や背中ををさすって肯定の意思を伝え続ける

  …といった具合に。)


傍に寄り、
「ばあたん、たまちゃんだよ」と手を握ると、
その、わたしの手を両手で優しく包んで
「ああ 冷たいねぇ かわいそうに」
と 何度も何度もさすってくれた。

「とっても、会いたかったよ」と目をみつめて言うと、
それまで全くの無表情だったばあたんが、ふわっと笑った。


ふざけて
ばあたんの口もとに自分の頬を寄せ
「強制チューだ!」って
すりすりしたら

ばあたんは、ふふふ、と恥ずかしそうに笑って
わたしのこめかみに優しく口付けてくれた。


じっと座っていることが苦手で
わたしの手を引いて、散歩に行こう、と促す。
そして
徘徊用の廊下を、何度となく回る。
ひざをかくんと折った、ちょぼちょぼ歩き…独立歩行の無理な足で。


手を引きながら、色んな歌を歌う。
もう彼女は、歌詞を殆ど忘れてしまった
それでも
わたしの歌声に合わせて、一所懸命声を出す。

彼女の手を取り おどけて
ダンスのように身体を揺らすと
彼女は、まるで朗らかな乙女のように 声を立てて笑った。

丁度、一年前くらいみたいに。


トイレ介助のとき
ばあたんの下着を「ありがとう」と声をかけながら脱がせてもらい、
尿漏れパッドを外し
身体を、脇からうんしょうんしょと抱えて
なんとか、便座に腰掛けてもらう
(もう、彼女は便座もトイレも認知できない)

そしてばあたんの手をとってしゃがみこみ
下から目をのぞきこむ。と、

「たまちゃん、どこに行っていたの?
 おばあちゃん、いま、うれしいわ」

一瞬、昔と全く変わらない瞳になって
うれしそうにわたしの手を握る。

もちろんそれは、五分もしたら消えてなくなってしまうのだけれど
それでもうれしい。


やがて眠いとつぶやき
かくんと身体の力が抜け出した彼女を
病室のベッドに連れて行く。

座る・立つなどの動作もちぐはぐになりがちなので
わたしは、自分の身体ごとベッドの上に乗り上げたりしながら
彼女の身体を抱え、ベッドの正しい位置に横たえる。


掛布をかけてやると
それまで閉じていたばあたんの目がすぅっと開いて
声のないまま、控えめにつぶやく

”どこにも、いかないで”

「一緒にいるからね」
そう、つぶやいて髪をすいてやると
ばあたんはとても素直に、目を閉じて
そのうち、眠りに落ちていった。

あどけない寝顔。


いとおしくていとおしくて
じいたんの存在も忘れて
わたしは
暫くの間ベッドに腰掛け彼女の髪をすいていた。


過去も未来も失い
焦燥と不安の只中にありながら
それでも、わたしに
かけがえのない、喜びを与えてくれる。

この人が、いとしい。
わたしにとっては世界でいちばん可愛い人。


わたしが誰かなんて分からなくていい
そこに生きていてくれる
ただそれだけで

あるがままの彼女が ただ いとしい。


**********


家に帰ってきて
昼間のことを思い出したら
不意に
涙が止まらなくなってしまった。

衰えを見れば見るほど
わたしのこの手で、介護したいと思う

でも一方で
わたしがたった一人で24時間看るのは無理だ
という現実が、いよいよ容赦なく迫ってくる。

ここ二ヶ月、転院先の候補や老健・特養・有料老人ホームなどを色々探す日々だった。(今の病院では予算的に少しオーバーなのだ)
一番の候補も、先日もう見学してきた。
(祖父の転居の可能性なども踏まえて…)

その作業の中で
澱のようにたまっていた何かが
こころの器から、あふれ出してしまった。

上手くかけないので、今日は、これでおしまい…


////////////////


追伸:
彼女の話す言葉の殆どが、いよいよ通じなくなってきている。
せいぜい一語か二語のみの短いセンテンスくらいしか…

でも、ここまで言葉が破壊されても
ばあたんと心は通じている、といつも感じる。