今 深夜午後11時。少し頑張って仕事してます。
「風のひびき」の楽譜データーが発売され、注文したデーターが届き、早目にプロジェクター用の歌詞をパソコンに打ち込まないと新曲の賛美が出来ません。 今回有利なことの一つ、詩篇の曲ですね。
なんといっても丸ごと歌いますから、パソコンにある聖書から詩篇をそのまま、コピぺ出来ます。 但し、これから歌を聴きながら曲の区切りを入れ直しがあるかもですが、 そのための作業のために、お茶と、梨を用意しました。いただきま~す。ドルカス
今 深夜午後11時。少し頑張って仕事してます。
「風のひびき」の楽譜データーが発売され、注文したデーターが届き、早目にプロジェクター用の歌詞をパソコンに打ち込まないと新曲の賛美が出来ません。 今回有利なことの一つ、詩篇の曲ですね。
なんといっても丸ごと歌いますから、パソコンにある聖書から詩篇をそのまま、コピぺ出来ます。 但し、これから歌を聴きながら曲の区切りを入れ直しがあるかもですが、 そのための作業のために、お茶と、梨を用意しました。いただきま~す。ドルカス
かつて私が出会った人で、まだ30代なのに歯が一本もない人がいた。事情を聞いて、その理由に驚いた。この人はどんな状態になっても、歯科医院へ行かなかったのだ。歯が全くない彼は、当然だが発音が少し怪しいものの、会話は特に不自由なさそうである。しかし入れ歯も何もない口腔部は、どうしてもはたからは馴染めないものなのだが・・・。
実は私もあやうくそうなりかけた。子どもの頃から、歯科へは痛くなってから行くものだと思っていた。大学生になってまた歯科医院へ行くと、知り合いの紹介で夫婦で開業していた医院だったが、そこではじめて「抜かない治療と、継続的なブラッシング指導」を聞かされた。ただし健康保険が使えないので、全額有料であると・・・・。「保険外!有料!」と聞くと、すぐ腰が退けてしまって、残念ながら抜歯という安易な治療を選んでしまった。一生涯の不覚であった。
ブラッシングについては、その後いろいろ迷走がゆるされた。「指で歯肉をこするのが一番」「ローリング法」「バス法」などなど。今は「ブラシを歯間に貫通させ、そのブラシをギュッギュッと歯茎方向に圧迫を加える方法」である。おそらく昔は「歯科衛生士によるブラッシング指導」なんて、保険の点数になかったのではあるまいか。だからやり方を教えてもらっただけで、その後の絶えざる指導はなかった。だからしぜん手を抜くようになるし、歯槽膿漏にはストップがかからなかった。
抜歯の、あまりの痛さからPTSDになって医院には行けなくなっていたものの、熱心に歯医者通いに徹するようになったのは、まさにナイアガラの滝、千尋の谷の直前で、その崩落の様子に恐怖し、神に祈り心を入れ替えたためである。以後今日に至る7年以上、毎週か2週間に一度は歯科医院に通っている。つねにブラッシングチェック、指導、ポケット検査など欠かしたことはない。こうして大決壊の寸前で私は踏みとどまることができている。歯無しにならなくて、済んでいるのである。神様に感謝する。
逃げていても解決にならないどころか、かえって問題は悲劇的な結末にまっしぐらの急展開である。立ち向かい、攻めて行かなければ、決して未来は無い。 ケパ
いつも夜風とか、穏やかな風を編み戸越しにしか知らないコールですが、
今日の台風の風の強さって、私さえも飛ばされそうな風の強さでしたが、 茶目っ気だしたケパさんが、コールを誘い抱いて、というか風の強さを知らずにいつものようにベランダに連れてもらったコール。外に出て強風に遭う直前まではいつものように喜んでいたようですが、強風に遭った途端に耳を後ろにピン。
「もういいから早く部屋にいれて、おろして」と必死でもがいて戻ってきました。不安な顔わかりますか? たまたま ケパさんも壁にぶつかりそうな程の強風だったらしく、コールにとって始めての強風体験は強烈だつたことでしょう。
歌集「やすらぎの歌」が、今回から歌集 「風のひびき」 として発売されます。
爽やかなイメージです。この名前の発表された後のこの嵐。きっと神様の計画があるのではと、思わされました。ドルカス
台風18号が接近している。
今は関東に住んでいるので、広島に住んでいたような危機感はちょっと薄い。しかし西日本ではいつも脅威だった
。特に実家は川と川との間にあって、大水が出た時、孤立してしまうのは当然で、いつも建物への浸水がいつも心配だった。しかし舟が必要なほど水一面になるのは、子ども心に恐怖と好奇心でわくわくする所もあった。
もちろんもし濁流に落ちたなら、必ず死ぬだろうと思わされる圧倒的な流れが、巨石や大木を流し、橋の橋脚をも破壊していく現場を見て、心底自然の力を思い知らされたものだ。
人間は自然の前には小さなものだ。そして自然を造られたのは神なのだ。神を恐れなければならない。ケパ
ピースフルの練習のあった金曜日、来られたAさんが、さっとバッグから取り出しました。
彼女は生粋の(^_^)aと言う程のGiftsファンです。彼女の働きは中途半端ではないのです。今回も全国にいる仕事上の知り合いを通して、Giftsコンサートの会場を用意してくれたのですが、その方自身もすでにGiftsファンとなられていて
、このようなプレゼントを用意してくださったのです。その一つをピースフルメンバーもお裾分けです。
オリジナル の「キットカット」です。中身は美味しく頂き、すでに空箱ですが、捨てられないのですよ。う~ん(≧∇≦)
素晴らしいファンですね。まだプロではないGiftsですが、このような暖かなファンが全国にいらして、励まされて更に全世界へと彼らは賛美を伝えて行くと思います。
8日に発売されたばかりのCD「God's Love to the World」をもち、8日から14日までのツアーを終えました。ツアーの様子は 開いてみてね ドルカス
今日、祈りの答えを即座に体験することができた。これは不思議なこと、そう、小さな奇蹟である。
私は右目に緑内障を持っているらしい。60歳の特別人間ドックでひっかかり、検査の結果わかったので、まだ程度は軽いらしい。それで、眼圧を下げる目薬を毎晩差すことになった。歯もダメ、耳も怪しい。鼻に至っては対症療法頼りの、ほぼあきらめ状態である。記憶力など頭の中身の方は、まだ大丈夫だと思っているが、緑内障・・・・確かに「老い」を実感させられることにはちがいない。しかし私にはキング牧師のように「希望」どころではなく、なんと燃えるような「確信」がある。それは神は生きておられ、これからさらに私を用いてくださるという確信である。なぜ確信だと言えるのか?そろえは今日あった、こんな小さなことにも如実に知れるからなのだ。
さて緑内障を患っている私は二ヶ月に一度ぐらい、定期検査をうけて、目薬を処方してもらわなければならない。それで期限の今日、ドルカスにせかされ、確かにそうだと眼科医に行く。いつもは30人ぐらいの待合室(駅ビルの超ハヤリの医院)が、今日は比較的空いていた。30分でほぼ受診完了。あとは会計だけ、とやれやれと腰を下ろし、いつになく呼ばれる前に財布を準備しようとすると、一瞬血の気を引く事態に・・・・・。財布を忘れていたのだ。
「さあ困った、どうしよう」と考えてとっさに思い出したのは、忘れん坊の自分のために、カバンにとっておきの隠し財源があったこと。小さなビニル袋を取り出して見ると、中には千円札と百円と五十円と十円の合計1160円也があった。「あ~あ、これでは足りない!」と。なにしろ再診料、眼圧の検査料、処方箋代で千円少々なりでは、あまりにも心許ない。というか、これでは絶対足りない!と思った。
そこで食い逃げならぬ、「すみませぬ(>_<)病院代を後払いにm(_ _)m」と懇願する不様さを回避すべく、ドルカスにヘルプメールを出した。すると「まだ化粧をしていない」とかナンとか・・・・消防車かパトカー並の、迫る会計時間直前の、緊急事態にそぐわぬ、いかんともしがたい状況がゆるされた。
こうなったら、後は一つしか無い。神様に祈ることだけだ。「神様、どうか助けて下さい。会計で今持っているお金でOKになりますように!どうか助けて下さい。会計係に働きかけて、1160円以内に収めて下さい。お願いします」と真剣に祈った。祈ってすぐに、「〇〇〇〇さん」と会計の呼び出しがあった。前に足を踏み出す私の心はもう、「申し訳ありません」のペコペコ謝りのイメージトレーニング状態である。
しかし神は生きておられる。会計の金額は1150円!10円を残して足りる。「払える!」のだ。写真の通りの小さなビニル袋から、私がコインを一つ一つ取り出すのを、会計係は「この人、大丈夫?」とばかり目を皿のようにして見ている。しかしお金はちゃんとあったのだ。それも最小のコイン10円玉1枚だけを残して。「神は生きておられ、しもべのこんな祈りにも答えて下さった」のだ。
これは小さな、本当に笑われるような小さなことかも知れない。しかし私には神が生きておられ、しもべを見捨てられない出来事と分かった。してみると神は、神が語られたことは必ず成就する確信が与えられた。小さくても大きな一歩。神に感謝します。
※写真は後で再現した撮影で、100円玉が10円玉に間違って撮影されてます・・・・・ケパ
一日過ぎてしまいましたが、昨日12日はケパさんの、お誕生日でした。○○歳になってもお誕生日かなんて、言わないでね(^_^)a
二人の新しい歩みの、六回目のバースディなのです。 なので毎年互いのバースデイと、二人の記念日はちょいと豪華な食事をします。 今回はバースデイ特別メニューとやらで、最後のデザートは、本人には特別な恵みがあるのです。
ジャ~ン。キャンドルの立てられた小さな「ティラミス」 これが特別メニューなのでした。 でも優しいケパさんは、このデザートすべてが特別と思ったらしく、私に半分食べなさいと言うのですが、目の前なのに見えない位置に置かれた私のケ ーキ皿は既に食べ終わり空っぽ。 美味しくいただいた後でしたので、遠慮したのでしたが、一口。「テラミス」甘~く美味しかったこと。
ケパさん
新しい一年よろしくです~
今日で大震災後、2年半になった。千年に一度とか、想定外とかいろいろ言われた。福島原発など未だに明るい展望が見えない厳しい現実が続いている。一人のクリスチャンとしていたたまれず、石巻の現場で祈って来たりしたが、最近になって少し整理できたことがあるので、この機会にお伝えしたい。
この度のこと、韓国人の1部の人たちが「神の裁き」だと言っているらしいが、これはとんでもないことだ。他国の困難をこのように言うとは、人間性を疑わざるを得ない。同じ人間としての共感性を持ち得ない、哀れな人々だと思う。クリスチャンが多い国なので、その文化として「裁き」と言うことばが出たと思うが、神の愛を知らない、本当のクリスチャンではない人々言葉だと思う。傷ついた方は許してあげてほしい。
また「産みの苦しみ」と言った同胞のクリスチャンもいたが、それならなぜ、この人々が選ばれなければならなかったのか、その答えはあるのだろうか。神は一人一人の命を、愛してつくられ、世に送り出されのだ。
言えるのは、絶対に亡くなった人たちが罰を受けたわけでも、その地域がどうのこうのでもない。ではなぜなのか?どうしてこのような悲惨な目に遭わなければならなかったのか?その答えを私はまだ知らない。が、はっきりと感じるのは、『人の命は地球より重い』、それは理念であって、地球という神の造った自然の前には、人はその1部に過ぎないことだ。このことを謙虚に受け止めなければならないと思う。尊くおびただしい犠牲者は、自らの命を持って、残された私たちにそのことをも伝えてくれたのではないか、と。
命は自分のものだと思ったり、人生設計を綿密にし、計算通りに命が続くなどと高ぶってはいけない。すべての命は、天地万物の造物主、聖書の神の御手にある。宇宙、自然という神の絶対的な秩序の中に、私たち一人一人は神の愛のご計画によって今を生かされている。
最近私たちの群れの中で、年に一度の新しい賛美集が出る。今回決まったその一曲の中で「あなたのご愛」という出色の変わった曲がある。
末期ガンの老クリスチャン女性が、その残りの命の乏しい状態で祈り続けた言葉、それを聞いていた孫が曲にしたという。
1:「一人びとりがあなたの、御愛の中で歩むことを、ゆるしてくださることを、ありがとうございます。」「今日の日をあなたに、ご栄光返しながら、生きることができるように、お願いいたします。」
2:「あなたの深い御愛を、思い返しながら、あなたの恵みを心から感謝いたします」「今日の日をあなたに、ご栄光返しながら、生きることができるように、お願いいたします。」
3:「あなたの御名があがめられることのために、わたしたちを用いてくださる、ありがとうございます」「今日の日をあなたに、ご栄光返しながら、生きることができるように、お願いいたします。」
この繰り返し部分、「今日の日をあなたに、ご栄光返しながら、生きることができるよう」の深い言葉が突然私にひらめき、理解できなかったその意味が私を貫いて止まない。大震災で犠牲になってくださった方たちからのメッセージと反響し合って、私に聞こえるからだ。 ケパ
2020年のオリンピックが東京に決まった。一人の日本人として涙が出るほどうれしい。これを機に、国立競技場も再びメイン会場として建て替える。イラク出身でロンドンを拠点に活躍するザハ・ハディドさんの設計だそうだが、コンペでのビデオを見ると、多目的に使え、環境に配慮し、人々の動線を確保した上に、息を飲むほど美しい設計だ。なんだか自転車用のヘルメットを連想したが、これなら日本人の設計でないのが惜しい、なんて狭量なことは言えないと感じた。
開催地レース結果は、ぶっちぎりの勝利なわけだが、決め手は安倍総理のプレゼンだったというのが大方の評価だ。福島の汚染水問題を国の最高責任者自らが、流ちょうとは行かないが、力有る英語のメッセージで「コントロールしている、過去も現在も未来も問題を起こさせない」とデータを交えて、真っ先に力強く答えた。やはり国のトップというのは国の顔であり、聞いていてもインパクトがあった。英語がまったくできない政治家は、もう国政のトップに立てない時代が来たと言うことだろう。
最近、原文ではないものの、原文の意にもっとも近い英語の聖書を開いてみることが多くなった。するとつくづく翻訳の問題を感じてしまう。英語の方がシンプルで、単刀直入、的確に意味がわかるのだ。またアメリカ人のスピーチを聞いていて、よくわからないものの、通訳の日本語を通して聞くと「それって、今のスピーチに適切ではないでしょ?」と思うことがかなりある。
英米だけでなく、EUだって英語を母国語の次に選択するのがふつうらしい。世界語が英語であり、オリンピックに来た外国人と接するためにも、拙い英語力から逃げずに、この年になっても上達できるよう、祈ろうと思う。 ケパ