ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

逆境こそが人をつくる

2017年08月23日 | 随想
最近子育てに関して興味あることがわかった。
それは片親が相当問題ある場合でも、もう一方の親が、相手に咎を負わせず堪え忍んだならば、それを見て育つ子には最高の教育をしたことになるというものだ。
どういうことかと言えば、酒乱とか暴力に耐え、「自分に死んで」生きる母の生き様に、解決のできない悪に対し、強靱な愛の強さを学ぶからに他ならない。

逆に両親共が善い人であった場合、特別良い子できるかも知れない。が私は、教師というかつての職業上の経験から、かなりの心配をしてしまう。その子が悪を理解することができず、耐性も育ってはいないからだ。だから行き詰まった時に、適切な支援とか、特に子どもとはいえ信仰があれば、これは素晴らしい。人間的な成長というものは、意図的に教えられるものではない。経験し苦しんでこそあるものだから。

一例として私のことを書く。私はどちらかと言えば母がダメ母で、その母が一途に慕うのが父だった。ダメ母であっても、母が慕う父の生き様とその愛に、私は何とか道を反れずに育った?のだと思う。
成人してから、どうして自分の母があれほどわが子に対し無理解、無関心であったのか、ある程度分かるようになったものの、もし父が居なかったら、果たして私はどうなっていたのだろうかと思う。
この私の父親観、日々の祈りの「愛する天のお父様」と何の抵抗もなく、心から祈れている土台なのだと気づく。しかしダメ父に母の愛で育った方がいるとして、果たして「天のお父様」が抵抗なく祈れるのか、人間的には少し気になるところである。案外カトリックでマリア崇拝があるのは、ここら辺が原因かもと、思ってしまう。

ところがそんな理想的なように見える私の父は、決して幸せな育ちではなく、むしろ不幸だった。不幸があのような父にしたという、最初に挙げたパターンなのである。
父の父は郡役所の土木監督、建設行政の仕切り役だったから、連日芸者をあげての宴席接待三昧だったらしい。父の母はそんな夫から、梅毒をうつされて脳に達し、父の若い頃に死んでしまった。恥なので治療を拒否したと聞いた。父はこの悲惨さを肝に銘じていたようで、後年かなり高位の役職に就いてはいたが、ありがちな浮いた噂は何一つ生じさせなかった。

別な話もある。父が復員して帰った時、兄嫁は肺結核の末期であったが、夫を始め周囲の誰からも感染を恐れられ、誰も居ない家に一人うち捨てられた状態であった、しかし父はこの兄嫁を捨てては置けず、感染を恐れず献身的に看病して最後まで看取った。結局恐れていたとおり、看病した父までその結核に感染し、ペニシリンとかマイシンで一命を取り留めたが、後の生涯、肺結核の後遺症で苦しむことになった。この罹患のいきさつは、父の存命中に私は知ることが無かった話である。

こんな父だったから、町中の人々に慕われていたようだ。61歳余りで在職中に死んだ父の葬儀に、喪主として最後の挨拶に立った時のことである。広い境内をすべて埋め尽くした人、人の多さに驚いた。五百名以上、それ以上はもう数えられないという、小さな町が空っぽになるほどの参列者を私は前にしたのだった。

たとえ壊れそうな家庭であっても、理想的な家庭でなくとも、つらいだろうけども将来を悲観する必要はさらさらない。もし己を無にし捧げ、愛ゆえに踏みとどまって堪えるなら、その時には見えなかった報いは実に巨大なものである。
光がなければ闇がわからないのと同様、善だけでは何が善であるのかがわからないのである。神がサタンの存在を許容するのは、そんな理由かも知れない。げに、神の知恵は恐るべきことである。



ケパ






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