ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

三百万人と六百万人の違い

2017年08月15日 | 映画•映像
昨日観た映画は「少女ファニーと運命の旅」は昨年観た「二つの名前を持つ少年」を彷彿(ほうふつ)とさせた。ファニーの方はフランスから中立国スイスへ逃れ、二つの名前を持つ「スルリック(ユダヤ名)」又は「ユレク(ポーランド名)」は、宗旨もカトリックと偽ってポーランド孤児としてナチスから生き延びようとする。

それぞれ過酷な体験をして生き延びるが、意外と知られてないのは、両映画で出てくる「ズボンとパンツを脱がせば、(ユダヤ人かどうか)すぐ判る」だ。これは割礼(かつれい)のことである。

割礼はイエス様も受けられているもので、ユダヤ人男子ならば、誰しもが生まれて八日目には受けなければいけない聖別の儀式である。旧聖書に明確に記されている儀式で、男性である私もまだ実際に見たことはないが、すぐに判別できるほどハッキリしているものらしい。つまりユダヤ人男性は、裸になれば一目瞭然なのである。

――八日目には、その子の包皮の肉に割礼をしなければならない――(レビ記12:3)

二つの映画に特有なのは、バレれば自分の命さえ危ない「ユダヤの子どもをかくまう」ことを、多くの人々がしたことである。もし同様なことが日本で起これば、私たちにそのようなことができるであろうか? 良心と保身のせめぎあいを感じる。

今日は終戦記念日である。わが国が出した戦死者は三百万人と言われているが、ユダヤ人はホロコーストで老若男女併せて六百万人である。彼らは誰ひとり銃を持って戦っていたわけではない。始めはゲットーなどに閉じ込められ、やがて追い出され、貨車に乗せられてアウシュビッツなどの強制収容所如何に運び込まれて殺されたのである。

ナチスが宣戦も布告していない人々にどれほど非道なことをしたか、その象徴がアンネの日記であら、アウシュビッツである。と同時に、ヨーロッパの人々の間に、シェークスピアの「ベニスの商人」にあるような反ユダヤ人感情が底流にあったこと、それをナチスが利用したことも確かだろう。
そうしてみると、何はともあれ身近な特定の国とか民族を排斥したり糾弾するのは、それを利用して政権の維持、野望を成し遂げようとするサタン的な事であることが分かる。また学校でのいじめの問題も、個人レベルで同様である。クリスチャンだけでなく、次の聖書の言葉を心に刻みたい。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:31)

この言葉は言うには易いが、実際には行い難いことだ。だから「私は愛も力も乏しい者です、けれども主よ、このことができるようにさせてください」と祈ることがポイントになるだろう。

付け加えて思うことに、このような映画を観る度に、私たち日本人はイスラエルの建国と、現在の中東問題にもう少し関心を払って行くべきだと思う。日本人のほとんどはハマスやファタハのテロ戦略と、それに乗せられる日本のマスコミの偏向報道しか知らない。彼らがどれほどの恐怖体制を敷き、あらかじめ犠牲者を選んでおいて、彼らをイスラエルの標的にしていることまで、突っ込んだ報道をしようとはしない。
二千年の月日と六百万の犠牲を払ったイスラエルとの、せめて両方のニュースを欧米のように公平に流して欲しい。




ケパ








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