昨夜の続き。
こうしてやって来た春、これら季節というものは、今では誰もが次のように知識としては理解している。つまり、太陽の周りを365回斜めのまま回転しながら地球が一周することで起きると。ややこしいのは地球の回転軸が斜めになっているので、365回転する中で、地球の北半分と南半分に当たる太陽光線量が真逆になり、結果、季節となることだ。地球から見れば、太陽の高度、日照時間が季節を決めている。また赤道に近くなれば、ズレが小さいので季節も生じにくく、緯度が高くなればなるほど大きくなる。

太陽の角度が高く、太陽光が斜めから垂直に近くなるとそのエネルギーはもろになるから、地は熱され、植物は光合成というエネルギーを得て成長できる。すると気候の変化に対応したあらゆる小さな生物が孵り、生えたばかりのやわらかな葉を食べ、大発生するというわけだ。昨日見た小虫(小バエ・ユスリカ)の季節は、日照量、それを生かしての植物の力のおかげなわけだ。

そしてこの小さな虫たちから、それを餌とするツバメや他の鳥たち、全地の動物たちの食物連鎖、命の大合唱が始まっていく。
太陽と地球の周回から繰り返される、このようなすべては、単に偶然で片付けられるべきものだろうか? 今ではこれら天体とその運行の何か一つズレていたとしたら、すべてはゼロ、死の世界であることが分かっている。NASAが「宇宙に第二の地球があるはずで、我々はそれを見つける・・」と真顔で言ってるが、これは単に予算獲得のためのプロパガンダに過ぎない。

ではこの地球は、人類が生存できる唯一の場所であって、人類が頂点に君臨すべく、そのためにすべてがセットされて来たと見ることができる。驚くべきセット、緻密で超壮大な秩序である。太陽と地球の微妙さ、大気の存在と摂氏0度から100度までという、宇宙から見れば奇跡の水の星、命の働きである緑の植物と酸素、植物を土台とした動物と二酸化炭素の排出の関係。動物同士の連鎖と支配者としての人間、これらすべては自然と呼ばれる驚くべき秩序であるし、私はこの緻密さに偶然はあり得ず、ここに全能の創造者としての神を見出だす。
高校生の時分、庭を掘り返していて、地中から整然と石が並べられていたカ所を見つけた。石は普通にあるものだが、整然とはあり得ないし、形が四角で明らかに人工物だ。父に聞くと、そこに昔、小屋があったその礎石らしい。
このように、小虫がわくこの季節ではなかったが、生き物の不思議から季節の秩序、特に天体の運行に、進化論ではあり得ない、造物主である神の存在に気づいたのが二十歳の時だった。
この国では、特定な宗教だからといってこの明らかな真理を否定する。あわれにも人間はアメーバや猿の末裔だと教え、すべてを人間のために造った神の恩寵を閉ざす。どんなに否定しようと、自然の中、小虫たちがブンブン飛びながら、次のように呟いているように私には聞こえる。

「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼ら(つまり神を信じない人たち)に弁解の余地はないのです。(ローマ人への手紙1章20)」
追伸 ※虫の多くなる季節、自転車に乗る際は、防護メガネがあった方が良いかも。少し前、痛い目に遭いました。
ケパ
こうしてやって来た春、これら季節というものは、今では誰もが次のように知識としては理解している。つまり、太陽の周りを365回斜めのまま回転しながら地球が一周することで起きると。ややこしいのは地球の回転軸が斜めになっているので、365回転する中で、地球の北半分と南半分に当たる太陽光線量が真逆になり、結果、季節となることだ。地球から見れば、太陽の高度、日照時間が季節を決めている。また赤道に近くなれば、ズレが小さいので季節も生じにくく、緯度が高くなればなるほど大きくなる。

太陽の角度が高く、太陽光が斜めから垂直に近くなるとそのエネルギーはもろになるから、地は熱され、植物は光合成というエネルギーを得て成長できる。すると気候の変化に対応したあらゆる小さな生物が孵り、生えたばかりのやわらかな葉を食べ、大発生するというわけだ。昨日見た小虫(小バエ・ユスリカ)の季節は、日照量、それを生かしての植物の力のおかげなわけだ。

そしてこの小さな虫たちから、それを餌とするツバメや他の鳥たち、全地の動物たちの食物連鎖、命の大合唱が始まっていく。
太陽と地球の周回から繰り返される、このようなすべては、単に偶然で片付けられるべきものだろうか? 今ではこれら天体とその運行の何か一つズレていたとしたら、すべてはゼロ、死の世界であることが分かっている。NASAが「宇宙に第二の地球があるはずで、我々はそれを見つける・・」と真顔で言ってるが、これは単に予算獲得のためのプロパガンダに過ぎない。

ではこの地球は、人類が生存できる唯一の場所であって、人類が頂点に君臨すべく、そのためにすべてがセットされて来たと見ることができる。驚くべきセット、緻密で超壮大な秩序である。太陽と地球の微妙さ、大気の存在と摂氏0度から100度までという、宇宙から見れば奇跡の水の星、命の働きである緑の植物と酸素、植物を土台とした動物と二酸化炭素の排出の関係。動物同士の連鎖と支配者としての人間、これらすべては自然と呼ばれる驚くべき秩序であるし、私はこの緻密さに偶然はあり得ず、ここに全能の創造者としての神を見出だす。
高校生の時分、庭を掘り返していて、地中から整然と石が並べられていたカ所を見つけた。石は普通にあるものだが、整然とはあり得ないし、形が四角で明らかに人工物だ。父に聞くと、そこに昔、小屋があったその礎石らしい。
このように、小虫がわくこの季節ではなかったが、生き物の不思議から季節の秩序、特に天体の運行に、進化論ではあり得ない、造物主である神の存在に気づいたのが二十歳の時だった。
この国では、特定な宗教だからといってこの明らかな真理を否定する。あわれにも人間はアメーバや猿の末裔だと教え、すべてを人間のために造った神の恩寵を閉ざす。どんなに否定しようと、自然の中、小虫たちがブンブン飛びながら、次のように呟いているように私には聞こえる。

「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼ら(つまり神を信じない人たち)に弁解の余地はないのです。(ローマ人への手紙1章20)」
追伸 ※虫の多くなる季節、自転車に乗る際は、防護メガネがあった方が良いかも。少し前、痛い目に遭いました。

ケパ