昨日から聖書日課は再びはじめに戻って、マタイによる福音書一章からスタートした。聖書を読み始めてから五十年という月日が経ったが、新約聖書の始まり、この単調な系図としか思えなかったものが、いつの間にかものすごいことだと思い始めていた。神と人との関係が、イスラエルの歴史、この系図を通して見事に表されている。人はどのように罪深いものか、神はどのような方であって、その恵み、あわれみはいかに深いかと言うことである。
先ずこのイエス・キリストの系図、特異点というか、すごい事が簡潔に記されている。その特にBig2である。
その一〜今日のイスラエルとは、かつて栄え、やがて歴史の彼方に滅び沈んでいった国が、約二千年を経て再建されたという歴史上の未曾有の国である。この国のユダヤ人とはヤコブの十二人の息子の四番目、ユダとその子孫の事である。しかし驚く事なかれ、このユダさん、「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ」とある。このユダの子孫に、わざわざ女性の名が記されているが、タマルは妻に非ず、息子たちの嫁である。ええーっ、それって❗
詳しくは聖書の創世記38章にあるが、事実は小説よりも奇なりを、地で行った驚くような話である。3番目の息子を惜しむ義父に、それならばと命を賭けての実力行使を嫁がしたのである。娼婦だと思っていたユダは、実はそれが嫁であり、その胎の子が自分の子であることを衆目の前で〈赤っ恥〉ながら認めるしかなかった。もしユダが認めてくれなかったら、タマルは姦淫罪で殺されなければならない。それを簡潔に「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ」と言い表しているのだ。これはユダヤ人の祖ながら、何の改ざんもせず、赤っ恥は赤っ恥として、聖書のいの一番の系図に載せているのである。
鮮やかな嫁タマルの勝利🏆、タマルは先の夫であったユダの長男と次男の死が、自分とは一切関わりないこと、それなのに約束を果たさぬ義父の子を身ごもったのは、神に祈り、神が導いたしか言いようのないほどの鮮やかな逆転勝ちである。これはイエス・キリストの十字架がサタンの勝利から一転、神の勝利になったようなもので、神様お得意の筋書きではないだろうか。
結果から類推するに、ユダの前妻は神の前に正しくなく、その家系を断ち、ユダへの既定の祝福を、試されはしたが、タマルの信仰から始めるという方向転換をされた・・・と私はみる。(タマルとは知らないで、道端の女を買うユダ)
次にダビデである。この人物こそイスラエルの最大の誇りである。イスラエル最大の版図を実現し、現在の国旗(最下図)もダビデの星。しかし・・・「ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ」とある。これはどういうことか?実はダビデは、ユダ以上に恥さらし者である。ユダは三男の息子を失いたくない人間的な息子可愛さに誤ったが、ダビデは部下の妻を肉欲で寝取り、妊娠すると、都合が悪くなった忠実な武将である夫のウリヤを激戦地に送って殺してしまった。このことは第2サムエル11章に詳しい。
アジアの王なら、何をしようとお咎め無しだろうが、ダビデは神のしもべである。神の目にこれが許されるはずもない。神は預言者ナタンを送って(ナタンにとって王を叱責するのは命がけである)きつい叱責を与えた。すると王はただ神の前に悔い改め、伏して許しを請うのだった。(ダビデ王に神の言葉を伝えるナタン)
彼らは結局どうなったか? 神が求められるのは、裁くことでなく、己が罪を真摯に悔い改める心である。結局、恥を晒された誇り高き両名は悔い改め、神に赦され、却って祝福された。タマルの産んだ子は今日に至る栄えあるユダ族の祖先の一人となり、ウリヤの妻バテ・ジェバはソロモンというイスラエル全盛期の王母となった。お咎めどころか、かえって祝福されているのだ。
どこかの国は、権力者にとって不都合な歴史はすべて書き換え、体裁を整えようとする。真実と歴史に対する厚顔無恥の報いは、どれほど裁かれることだろうか。しかし民族の英雄でさえも、肉欲には勝てないで罪を犯し、その破廉恥さを余すところ無く語るイスラエルの民と聖書、そのはじまりのページの系図は、同時に余すところなく神のご性質を一民族の歴史を通して描き、証明している動かぬ証拠である。決して変わらぬこの神の愛の前に私たちは悔い改め、その恵みを受けよう。
それではまた次回に。
ケパ
先ずこのイエス・キリストの系図、特異点というか、すごい事が簡潔に記されている。その特にBig2である。
その一〜今日のイスラエルとは、かつて栄え、やがて歴史の彼方に滅び沈んでいった国が、約二千年を経て再建されたという歴史上の未曾有の国である。この国のユダヤ人とはヤコブの十二人の息子の四番目、ユダとその子孫の事である。しかし驚く事なかれ、このユダさん、「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ」とある。このユダの子孫に、わざわざ女性の名が記されているが、タマルは妻に非ず、息子たちの嫁である。ええーっ、それって❗
詳しくは聖書の創世記38章にあるが、事実は小説よりも奇なりを、地で行った驚くような話である。3番目の息子を惜しむ義父に、それならばと命を賭けての実力行使を嫁がしたのである。娼婦だと思っていたユダは、実はそれが嫁であり、その胎の子が自分の子であることを衆目の前で〈赤っ恥〉ながら認めるしかなかった。もしユダが認めてくれなかったら、タマルは姦淫罪で殺されなければならない。それを簡潔に「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ」と言い表しているのだ。これはユダヤ人の祖ながら、何の改ざんもせず、赤っ恥は赤っ恥として、聖書のいの一番の系図に載せているのである。
鮮やかな嫁タマルの勝利🏆、タマルは先の夫であったユダの長男と次男の死が、自分とは一切関わりないこと、それなのに約束を果たさぬ義父の子を身ごもったのは、神に祈り、神が導いたしか言いようのないほどの鮮やかな逆転勝ちである。これはイエス・キリストの十字架がサタンの勝利から一転、神の勝利になったようなもので、神様お得意の筋書きではないだろうか。
結果から類推するに、ユダの前妻は神の前に正しくなく、その家系を断ち、ユダへの既定の祝福を、試されはしたが、タマルの信仰から始めるという方向転換をされた・・・と私はみる。(タマルとは知らないで、道端の女を買うユダ)
次にダビデである。この人物こそイスラエルの最大の誇りである。イスラエル最大の版図を実現し、現在の国旗(最下図)もダビデの星。しかし・・・「ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ」とある。これはどういうことか?実はダビデは、ユダ以上に恥さらし者である。ユダは三男の息子を失いたくない人間的な息子可愛さに誤ったが、ダビデは部下の妻を肉欲で寝取り、妊娠すると、都合が悪くなった忠実な武将である夫のウリヤを激戦地に送って殺してしまった。このことは第2サムエル11章に詳しい。
アジアの王なら、何をしようとお咎め無しだろうが、ダビデは神のしもべである。神の目にこれが許されるはずもない。神は預言者ナタンを送って(ナタンにとって王を叱責するのは命がけである)きつい叱責を与えた。すると王はただ神の前に悔い改め、伏して許しを請うのだった。(ダビデ王に神の言葉を伝えるナタン)
彼らは結局どうなったか? 神が求められるのは、裁くことでなく、己が罪を真摯に悔い改める心である。結局、恥を晒された誇り高き両名は悔い改め、神に赦され、却って祝福された。タマルの産んだ子は今日に至る栄えあるユダ族の祖先の一人となり、ウリヤの妻バテ・ジェバはソロモンというイスラエル全盛期の王母となった。お咎めどころか、かえって祝福されているのだ。
どこかの国は、権力者にとって不都合な歴史はすべて書き換え、体裁を整えようとする。真実と歴史に対する厚顔無恥の報いは、どれほど裁かれることだろうか。しかし民族の英雄でさえも、肉欲には勝てないで罪を犯し、その破廉恥さを余すところ無く語るイスラエルの民と聖書、そのはじまりのページの系図は、同時に余すところなく神のご性質を一民族の歴史を通して描き、証明している動かぬ証拠である。決して変わらぬこの神の愛の前に私たちは悔い改め、その恵みを受けよう。
それではまた次回に。
ケパ