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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ガラ携(ガラケー)について思うこと

2016年10月21日 | PC モノ 便利
三学年上の姉が、大学同窓会の幹事を仰せつかり、時々その事務に絡んで私にヘルプが来る。今回は会員全員に、いかにして同じメールを送るかだったが、bcc :を教えようとしてもうまくいかなかった。最大の理由はガラ携が多くて、PCメールでは拒否されてしまうことだった。仕方がないのでガラ携で受け取ってもらえるiPhoneのメッセージで、一人一人にMMCメールを送ることになった。

どうも姉の年代(〜昭和二十年代前半)までは、未だにガラ携が主流らしい。私の知り合いには少数派だと思うのだが・・・・。

ガラ携(ガラケーと発音してしまうが)とはガラパゴス携帯という意味である。つまり、独自にちょっとだけ進化したが、世界全体の進化から取り残されたという意味である。姉の件で、そんなガラ携の人たちの事をいろいろ想像してしまった。(下図は南米エクアドルのガラパゴス諸島。大陸から1050km離れた絶海にあったため、進化から取り残された珍しい生き物で有名)

ガラ携の人たちは、これからはますます損をすることになる。商品をアマゾンや楽天などで買えないということは、多くの商品を比較選択できない、安く買えない、重い物を持ち帰らなければならないということだ。また、姉のように情報を送ろうとしても、かなり手間ヒマかけて送らなければならないので、自然に、届く情報が少なくなり、社会の変化からガラパゴスの運命が待っている。紙媒体による新聞などもやがて廃止されるだろうから、ニュースは気長にテレビを観るしかない。しかしこれらは、人間の幸福とは関係ないと言われればその通りで、不経済と不便もマァ良しとしても、次が問題である。

現在では既に人と人との関わりや交わりの手段としてSNS(ラインやフェイスブックなどのソーシャルネットワークサービスのこと)の時代だ。ガラ携では基本的に、これに対応できないだろうし、そのことは、これからも生きなければならない時代の人間関係からも取り残されることだ。つまり子や孫たちとも、託してきた後輩達の実社会ともスムースにはいかない面が出てくるわけだ。これはこれまでに存在しなかった問題だ。つまり、身体の衰えは自覚症状を伴って緩やかにやって来るが、ガラ携は知の分野で、それよりはるかに速いスピードで若い人たちに依存してしなければならないという、社会的な弱者になることを意味する事になる予測が立つ。(写真は、ドルカスが今も保存し続けている最後のガラケー。美しい機種で、最後の輝きをみせたような携帯だった)

昔、年寄りは知恵があり、よく知っているので尊敬された。しかし現代はスマホ一つあれば、瞬時に驚くべき量の知識が引き出され、年寄りはお呼びでは無い。では、経験はどうか? これは絶対的なアドバンテージだが、それを伝えて行く手段が、それこそ近親者ぐらいしかなくて、経験による知恵を拡散(情報発信)する手段を持たないので、社会からのリスペクト(敬老)は得られず、貢献もまたおぼつかない。

ではガラ携世代の人たちは、どうすれば良いのだろうか? たとえiPhoneを奮発して所有しても、メール設定一つできないで、昔ながらに通話やメッセージだけの利用では、これもあまり意味がなさそうである(お姉さんがんばって!)。しかそう思いつつ今日もまた、眠りにつきそうだ。神様にお祈りし、神に聞くことで解決を期待したい。

心からの祈りと聞き従いは、人知を超えた力が与えられる。出来ないと思っていたことでもできるようになる。また、情報に振り回されるよりは、ガラパゴス島にいる方が御心なのかもしれない(※主の十字架の牧師には許されません)。どんなことでも神が許されたことなので、まず感謝し、神を求めて生き、神に従って生きる。これはガラ携やスマホをはるかに超える、命の情報でもある。


ケパ
コメント
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