今年3月に米グーグルが開発した囲碁AI(人工知能)が世界トップ棋士に5戦4勝したというニュースには驚いた。それも最強と言われている韓国のプロ棋士、イ・セドル氏であったのだから。また、東京大学がIBMの人工知能「ワトソン」にがん研究関連の約2千万件の論文を学習させ、診断させてみると、遺伝子情報の解析から即座に適応する抗ガン剤を割り出し、患者はその診断のおかげで速やかに回復し退院することができた。また車の自動運転化は、すでに実用段階一歩直前まで来ている。
このようにAI(人工知能)の進歩は、プロ棋士や医師を限定的ながら上回るほどになっているわけだから、このままいけば十数年後には日本人の仕事の半数を奪うとまで言われるようになった。それは工場の単純労働者だけでなく、サービス業のタクシー運転手に至るまで、想像を超えた広範囲にわたって行くだろう。
例えば買い物だって、現在はレジに人の居ない自動のコーナーがあるが、ガソリンスタンドと同じようにやがて無人化していくのは時間の問題だろう。

こうなるとAIやロボットに奪われない仕事は何か? 誰しもが考えるだろう。しかし誰しもが安心できる芸術家や政治家、研究者になれるわけでは無い。確実なことは、それは誰にもわからない未知の世界であることだ。しかし将来的には必ず仕事が少なくなり、人々はいやでも限られた職を奪い合わざるを得ないであろう。
ずいぶん悲観的に書いたが、欧米の難民や移民の排斥の背景には、働き口を容易には得られない中間市民層の不満が鬱積し、その結果、ポピュリズムが躍進しているのは確かだ。トランプがアメリカの大統領候補になったこともそうだ。
このような不安と希望の見えない時代であるからこそ、幾千年、何一つ変わることのなかった真理の書、聖書という土台に立つことが大切な時代となって来る。なぜなら、人間は心で生きている。揺るぎない心の土台こそ、困難を耐えさせ、未来を切り開く生きる力であるからだ。AIに対して、人はココロで立ち向かわなければならない。それこそAIには予測不可能な、AIを超える人間の力だ。聖書には、
「人はパンのみにて生くるに非ず」
とある。究極的には人は職や食が生きる目的ではない。命を超えた価値に生きるものだ。教育でもそれは決して教えきれない。生きる価値を与えられること、それは信仰の世界だけにあることを気付いて欲しい。
AIとは少し異なるが、私は25歳の時に会社を辞めて、教師への道を志した。勤めていた会社は当時としては安定した会社であったが、減給を覚悟し、採用されるかどうか先の見えない冒険的選択であった。それは神の導きだった。結果はどうか?
会社はそれから二十年して、いきなり連結倒産した。あのまま勤めていれば、40代半ばにして職を失った計算になる。娘二人を抱えて路頭に迷いかねなかった。反面困難と思えた教師には、十数倍という高いハードルを突破することができた。これは神の力であったと今はわかる。今の召された天職、牧師への準備段階として、人生に何一つ無駄になっていない事もわかる。先がわからない今の時代だからこそ、私は自分の経験からも、真の神を信じ、従う道が最善なのだとオススメできる。 ケパ
このようにAI(人工知能)の進歩は、プロ棋士や医師を限定的ながら上回るほどになっているわけだから、このままいけば十数年後には日本人の仕事の半数を奪うとまで言われるようになった。それは工場の単純労働者だけでなく、サービス業のタクシー運転手に至るまで、想像を超えた広範囲にわたって行くだろう。
例えば買い物だって、現在はレジに人の居ない自動のコーナーがあるが、ガソリンスタンドと同じようにやがて無人化していくのは時間の問題だろう。

こうなるとAIやロボットに奪われない仕事は何か? 誰しもが考えるだろう。しかし誰しもが安心できる芸術家や政治家、研究者になれるわけでは無い。確実なことは、それは誰にもわからない未知の世界であることだ。しかし将来的には必ず仕事が少なくなり、人々はいやでも限られた職を奪い合わざるを得ないであろう。
ずいぶん悲観的に書いたが、欧米の難民や移民の排斥の背景には、働き口を容易には得られない中間市民層の不満が鬱積し、その結果、ポピュリズムが躍進しているのは確かだ。トランプがアメリカの大統領候補になったこともそうだ。
このような不安と希望の見えない時代であるからこそ、幾千年、何一つ変わることのなかった真理の書、聖書という土台に立つことが大切な時代となって来る。なぜなら、人間は心で生きている。揺るぎない心の土台こそ、困難を耐えさせ、未来を切り開く生きる力であるからだ。AIに対して、人はココロで立ち向かわなければならない。それこそAIには予測不可能な、AIを超える人間の力だ。聖書には、
「人はパンのみにて生くるに非ず」
とある。究極的には人は職や食が生きる目的ではない。命を超えた価値に生きるものだ。教育でもそれは決して教えきれない。生きる価値を与えられること、それは信仰の世界だけにあることを気付いて欲しい。
AIとは少し異なるが、私は25歳の時に会社を辞めて、教師への道を志した。勤めていた会社は当時としては安定した会社であったが、減給を覚悟し、採用されるかどうか先の見えない冒険的選択であった。それは神の導きだった。結果はどうか?
会社はそれから二十年して、いきなり連結倒産した。あのまま勤めていれば、40代半ばにして職を失った計算になる。娘二人を抱えて路頭に迷いかねなかった。反面困難と思えた教師には、十数倍という高いハードルを突破することができた。これは神の力であったと今はわかる。今の召された天職、牧師への準備段階として、人生に何一つ無駄になっていない事もわかる。先がわからない今の時代だからこそ、私は自分の経験からも、真の神を信じ、従う道が最善なのだとオススメできる。 ケパ