これほど台風が連続し、梅雨の再来のような初秋は珍しい。しかし確実に季節は進んで、就寝にはタオルケットで済んでいたのに、今週からは肌掛け布団でちょうどいい。
今は不思議な、難しい季節だ。問題は昼間。半袖で良いような、しかし長雨が続くとなると、もう一枚なんでもいいから羽織った方が良さそうだ。雨空を見上げると景色はもう、木の葉が色づき始めている。その枝で雨に打たれる鳥、その他の動物たちには人間のような服がない。さぞ寒さが骨身に沁みていることだろう。
この「(雨に・・など)打たれる」の言葉に思い出すことがある。前々から聖書は詩篇の次の言葉、「月が、あなたを打つことはない」がわからなくて困っていた。太陽の光である、日に打たれることはよくわかる。ほとんどドルカス用と化してはいるが、男性用日傘を私は持っている。しかし、月に打たれるとはどういうことなのか?
主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
(詩篇121篇5-7節)
ご存知のようにイスラム教の国々では、赤十字のマーク十ではなく、🌙月のマークである。それほど月は砂漠の民にとっては、苛烈な日照りから解放されての安らぎのシンボルだ。ところが「月が、あなたを打つ」とは、どういうことなのか?
疑問に思い続けていると、ある時ポンとはじけてわかる時があ。最近ふと気づいた。羊を飼っていて、荒野や砂漠などで野宿するとしたらどうだろうか?昼の暑さもこたえるが、空に遮るもののない月夜の放射冷却も、これはこれで相当な寒さなのではないだろうか? そう思うと「月が、あなたを打つことはない」という意味は、戸外での野宿、あるいは薄いテント一枚で過ごす夜の寒さのことなのだとわかる。こうして「月に打たれる」を、なんだか解釈できて納得してしまった。
ケパ