ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

イスラエル事情 シロに入った

2013年11月11日 | 随想

Israel   この度のイスラエル派遣では、特に「シロ」に行けたことがうれしかった。なぜなら、なかなか機会がなかったからだ。その理由は?

 説明1: 実はイスラエルに行っても、ガリラヤ湖の西側はOKでも、イエス・キリスト時代の遺跡のほとんどは、パレスチナ自治区内に存在する。だから受胎告知や出身地となったナザレ、生誕地のベツレヘム、エルサレムの旧市街(イスラエルの占領中)はすべてパレスチナ側で、パスポート・検問など国境越え並みのチェックをされる所もいくつかある。旧約聖書の舞台であるエリコ、シロ、サマリヤ、ヘブロンなど、ほとんどと言っていいほど皆パレスチナ側にある。

  だがイスラエルは六日戦争と呼ばれる(1967年・第三次中東戦争)戦いで、ゴラン高原(ということはガリラヤ湖のすべて、図ではGolan heightsと表示)、ヨルダン川西岸地区(図ではWest Bankと表示)、東エルサレム(聖書の主な舞台である神殿と旧市街を含む)を占領し併合した。このおかげで、聖書の聖地と呼ばれるほとんどがイスラエルのものになった。ただし、パレスチナ人の多くが住んでいたヨルダン川西岸地区などは結局、自治権を認めて国の中の国(自治区)扱いになった。

  これがパスポートや検問がある理由だが、近年かなり解放されてきており、ほとんど境を意識しないで行き来できている。PLO、アラ・ファトなどという名前を聞けば記憶にまだ新しい。

  結局、図を見ていただければわかるように、かつてイスラエルの民は山に、ペリシテ(パレスチナという名はここから来た)の民は平野部に住み分けていた聖書の時代、歴史の皮肉というか、それが今日、ちょうど入れ替わったような形になっている。

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  私たちの群れでもツアー先には、自治区内にあるものとしては、これまでエリコとベツレヘムがほとんどであった。ところが今回「シロ」なのです。私ははじめてなので、期待大! 自治区の奥深く、かつてのエフライムの中央部、北イスラエル王国にあるシロに行ける!

 
  実際シロに行くと、そこでは、ユダヤ人でなければ知りえない、聖書の深い読み解きがあった。では今日はここまで ~ 続く  

説明2: 「シロ」・・・・旧約聖書ではきわめて重要な所。つまりエルサレム神殿がダビデ・ソロモンによってできるまで、シロにほとんど契約の箱が置かれていた。ヨシュアのカナン征服時から士師時代までの約2~3百年間、イスラエルの中心地であったとも言えるところ。 

ケパ

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