昔、と言っても19歳前後の駆け出しの学生時代だったが、人間にはこころと言うものがあるのか疑問に思った。見えるものがすべてで、見えないものは「無い」ものだと・・・・・。今思い出すと、その時の自分は冷たい、まるで死んだ人間(間)であったと思う。
医学で解明できない病気も、「存在しない病気」にされやすい。線維筋痛症とか、化学物質過敏症も、病名こそついているが、原因も治療法も模索中の病である。海外ではいまだに特定の疾患と認めるのではなく、心身症の一つと考える医師が多いらしい。
人はこころで生きている。わたしはハウスダストアレルギーであり、猫毛はもちろんアウトである。コールがわが家に来てしばらくして、アレルギーの全身反応のうねりを感じたのだが、「かわいいコールと暮らし続けたい」という気持ちが、そのうねりを押し返していくのが自分でよくわかった。今でもまったく発症せずに済んでいる。確かに、この例のようにこころが全身症状に現れる心身症も相当あると知った。
※だからと言って線維筋痛症や化学物質過敏症が心身症だと言っているのではない。
人間のこころ、これは目に見えない。見えないから「無い」と言うのは愚かなことである。では、こころは人間の肉体と共に滅ぶのか?とは思えない。こころは物質ではなく、目に見えないのだから、肉体という物質が命を失い、滅んでも存在し続けられると考える方が、妥当である。古来、人々は素朴な形でそれを信じ続けてきた。
体がこの世でなくなった後の、こころの行き先こそ、真剣に心配しましょう。だって体は「一時」のことで、こころは「永遠」に存在するのです。
61という年齢になって、若い時のようには行かない、体の衰えをあちこちで実感するようになりましたが、一つだけ大いに喜んでいることがあります。それは体がダメになればなるほど、こころ(霊)への希望があふれて来ることです。神様がすべての人に用意されている老化、これは大事な事に備えるように、という促しであり、恵みなのです。 ケパ