ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

世界で最初にキリスト教が広まった国・ローマ

2012年09月11日 | 信仰

  前回一神教がすでに世界を席巻し、破れ穴のようにアジアに穴が空いていることを申し上げた。どうしてそのようになったのか、その理由を考え、いくつか挙げてみたい。Photo

  紀元312年、当時のローマ帝国は4皇帝に別れて支配されていたが、その内の一つ、コンスタンティヌス帝は神に示されて改宗し、クリスチャンとなった(右絵)。するとそれまで数多くの殉教者を出し続けていたキリスト教は、一転許される側から許す側になった。
 公認となったからといって当時クリスチャンは帝国の1割にも満たなかったから(それで皇帝がクリスチャンになったのは驚くべき奇跡だ)、他宗教はすべて容認し、迫害することはなかったのに、さらに驚くべき事にわずか1世紀を経ると、帝国のほとんどはクリスチャンとなっていた。もちろんこの間、コンスタンティヌス帝が残りの皇帝たちを破り併合し、人類の歴史上の最大帝国、ローマの唯一の絶対的な世俗権力を手に入れてはいたのだが。

 キリスト教のたぐいまれな成功には?Cross_27
○人を愛し、仕える神
 神は崇められるべき存在なのに、弟子たちの足を洗い(奴隷の仕事)、人々の罪のために十字架にかかって死んだ。そんな神は居なかった。
○驚くべき人権の宗教
 平等(奴隷も王も、神の前には同じ)・自由(神以外には、その良心を何人にも支配されない)・博愛(良きサマリヤ人・赤十字・捕虜のジュネーブ条約)・福祉(子ども・寡婦が守られ優先される)・・・・これらは民主主義の土台であって、必ずしもではないが、非キリスト教圏では専政と圧政が蔓延している事実は重い。またこのような人権を内包した宗教は、キリストが十字架で処刑されたように、基本的に反封建的、反権力である。このような人権はいまだにキリスト教以外には持ち得ていない。
○来世への希望
 キリスト教の専売特許ではないが、キリスト教ほど殉教者を出し続けた宗教は少ない。我が国でも秀吉、幕府の迫害によって最低30万~最大100万の殉教者が出ている。つまりこれは、既存の宗教が「命あってのもの」で、そのいのちを超えての価値を持ち得ないことを表している。クリスチャンの天国への確信は殉教だけでなく、病死であろうと事故死であろうと非常に際立つものだ。
○告白する宗教
  ほとんどの日本人がそうであるように、当時のローマ人も、生まれた地域の神々や、他の神々ももし良いものなら躊躇無く受け入れた。しかし告白などは自明のことであったので、必要が無かった。ところがキリスト教は、唯一の神を知り、罪の告白と十字架の救いを証し、この神が自分の神であることを告白する。個人的に神と関わり、自分への神の計画と使命があることを認識する。神との個別の交わる強固な体験をする。
○教会という卓越した組織
 神社や寺院は信者の日常生活にまで口をはさむことは、通常ない。しかしクリスチャンは教会があることによって、週に一日は共に過ごし、礼拝し聖書を学び、兄弟姉妹として神を中心にした交わりをもつ。つまり生活の中心に教会が存在する。教会の牧師・神父は信徒の普段の日常にまで目を配るのが仕事である。共同体とまでは行かないが、日常生活のかなりの部分を教会生活が占めていることは確かである。
  ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HPの学び^^

2012年09月11日 | PC モノ 便利

Pc  昨夜から実家へ来ています。ちょっと老母の様子が心配だったり所用があったりするのでね、
「上田に行くのなら、もう一度HPのこと勉強したいなあ・・・」と、本当に急なケパさんの一言で、早速連絡を取ると、感謝
火曜日午前中2時間空いている。
そんなラッキーなことで、早速朝から学び中です。

 

 ほら男二人。背中丸めて船橋キリスト教会のHP(ホームページ)の更新作業。
さあ帰るまでにどこまで仕事が進むでしょうか。
隣でblogを書いている私はワクワクどきどきで、神さまに期待しています。ドルカス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする