以前、短期間田舎で牧会をした。自宅の玄関に十字架と御言葉の電光掲示板を掲げ、自宅応接室が仮の会堂だった。集った教会員はこころを病んだ男性たちだった。公務員を務めながらなので、「十分な牧会ができた」とは言えない。
今は会堂があり、24時間教会員に開放され、いつでも静まり祈ることができる。聖日前にはきれいな週報がきちんと出ているし、司会者やまがりなりにも賛美グループまで立って、一応きちんとした礼拝ができている。
神学校、祈祷会、賛美練習もあり、田舎時代とは大違いである。(写真は会堂の中にある椅子。日本を表す桜の椅子に、メノーラという聖霊を表す燭台が乗っている。)
が、内情を打ち明けると、実はこれらのほとんどは、牧師夫人がいればこそなのだ。週報、礼拝の段取り、愛餐やそのほか教会員のケアに至まで、全部牧師夫人であるドルカスのおかげ。実に教会は牧師夫人でもっている。ドルカスにとっては、これが使命なのだが・・・・。(写真は先の休日、自宅でシャボン玉を吹いて楽しんだドルカス)
だから少しでもわたしが良いメッセージができたとしたら、それは先ず、神のあわれみと、祈りに集中させてくれたドルカスの助力によっている。ドルカスを導いてくださった神様にこころから感謝!そしてご本人にも。 ケパ