今日で4日もの雨または雪である。ずいぶん晴れの日が続いて、ようやく降り出したかと思えばこんな天気である。そんな中、暗くなりかけの空の下、近くのコンビニまで氷雨の中を歩いて買い物に行った。そして突然思い出した。「氷雨」という演歌を・・・・。これなら人前で歌っても、そうそう赤っ恥をかかずに済んでたわたしの数少ない歌で、言わば十八番(おはこ)だった。
「飲ませてください、もう少し。
今夜は帰らない、帰りたくない。
誰が待つと言うのあの部屋で
そうよ誰も居ないわ、今では」
今思い出してみると、この当時のわたしの状況を実に正確に言い表していた歌詞だった。まだ亡き妻は健在で、子どもと4人のマイホームはあった。しかし実は家庭内別居というような状況がはじまり、父であるわたしは家族から一人疎外されるようになっていた。教会を支えているはずのクリスチャンホームが、祝福されなければいけないはずの家庭が、この氷雨に溶ける雪のように、消えようとしていた。
この氷雨を歌えば歌うほど、心がかえってすさんだ。飲めば飲むほど苦しく、のどが渇くような感じだった。過ぎ去った10数年がどれほどつらく、苦しかったことか。その渦中にあれば、自己制御の自信なく、うっかり言葉で言ったりふれることができないものだった。
だが10年経った今は・・・・この歌を完全に忘れていた・・・・わたしはなんと幸せなんだろうと思う。先ず神がわたしをあわれんでくださった。野壺の中でウジ虫と共に腐り果てようとしていたわたしを救い出し、洗ってくださり、子としてくださった。
そんな恵みを受けたわたしが、30年前から信じていたはずなのに、まったく新に神さまを知り、心を一新し、どんなに愛するようになったか! 私は50を過ぎて、また新しく生まれた。そのわたしに神は、あらかじめ語られた通りに牧師にされ、妻を与えてくださり、開拓に用いてくださっている。
涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。(詩編126)
氷雨が降り止まない帰り道、どんなにか喜びに満ちて神をほめたたえ、賛美し、心から捧げる祈りの中、この恵みを分かち合おうと家にたどり着いたことだろうか。 (ケパ)