心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

航空券を買わずチェックイン手続きせず、お金を渡して、その場で飛行機に乗る

2007-09-08 12:51:21 | 
ジュムラ空港では翌日の全便がキャンセルになってしまいました。
上空の雲・・・が問題とか。
今か今かと、その決定までは空港から遠出もできず、
バザーまで行って、休日の新宿のような、クリシュナの祭りの人だかりに、何度も揉まれて来るだけでした。

ひとつの希望だったジュムラ・タトパニ行きは、ジープがお祭り中は出ないと言われてしまいました。
見かけたオートバイに行ってくれないか、と頼んだけど、お祭りを見に来ている人々で、ダメでした・・・
ジュムラ温泉は、熱いんだそうです!
次の機会は作れるか・・・な?

さて、空港横の飲み屋兼ホテルで2泊目が過ぎて、出発を期待!
ついに、10時過ぎにシータ航空機は現れて、10数分後には出発できました・・・・
ネパールの山岳地帯では、「運を天(天候)に」任せるしかない・・・ということです。

スルケット上空を過ぎ、約40分でネパールガンジ空港に着いて、40℃もあろうと思う熱風が入り込み、エプロンに飛行機が移動したら、
隣に搭乗中のイエティの機体があるではありませんか。

ぼく「どこ行き?」
係員「カトマンズ行」
ぼく「早くKTMに行きたいけどチケットを持っていない。いくら?」
係員「131ドルと、空港税170ルピー」
ぼく「これお金、これ荷物」と、シータの機体から降ろされたばかりで、台車に積まれてあったバッグを自分で取り出して渡すと、閉じられていた機体の荷物部分が開けられて、目の前でそこに入れられました。
ぼくはタラップを上り、空いているシートを探して座りました。空いているのは1つ2つでしょうか。

ネパールの人の、こういうフレキシビリティは好きだなあ・・・

かくして、ネパールガンジ空港乗り換え滞在は10分程度で終了し、
行きには3日間かけたジュムラから、
帰りはなんと2時間後!に雨のカトマンズに戻っていたのでした。

みなさん、航空券を買って、チェックイン手続きして、搭乗券を手にしてから、飛行機に乗るのは、
ここネパールでも普通には必要ですから、念のため・・・

ララ湖トレッキング情報まとめ 2007年9月

2007-09-08 03:44:35 | トレッキング・釣り・テニス
ガイドブックは、
Trekking in the Nepal himalaya 8ed, lonely planet 2001
Hugh Swift, 1989, Trekking in Nepal wesr Tibet, and Bhutan, Hodder & Sloughton, UK
の 2冊をみたが、前者の情報量が圧倒的に多い。

昨年11月までは、マオイストの支配地域となっていたため、ほとんどのトレッカーは入らず、新しい情報を得ることが難しかった。

一般的には、ロッジが整備されていないので、テントと食料を持参した、トレッキンググループ形態がお勧めかもしれない。

ただ、地元の人々のための宿泊や食事の施設はあるわけで、それを利用したトレッキングも不可能ではない。今回のレポートがそれ。

このコースの特徴;
・「ホテル」はネパール式(チベット形式)のみ。土で石を積んだ外壁、低くて暗い部屋。外トイレ共同、シャワーなし、ベッドには共同使用の汚れた布団がある。
煙が部屋に充満する、かつてのカマド形式は、今年、煙突方式のストーブへと変わったと言う。
・提供される食事は、茹でるか、ストーブで焼いたじゃがいも、ダルバート、チャウチャウ(インスタントラーメン)、この季節は焼きとうもろこしとリンゴ、など。ロキシー(地元蒸留酒)はある。牛乳や、ビールが稀にあり。
・登山道悪い。石、ぬかるみ、動物糞、人糞などが続く、未整備な状況。村の中はよく歩かれていても、村と村をつなぐ間が特に・・・。道が渓流などによって崩れて、へつる箇所もある。生活道や動物道が交差して、分岐が多く、よほど熟練したガイドか、地元民でないと、判断しがたい。
・宿泊地間が離れており、歩行時間が長くなる。
・ジュムラからは、往復とも、地形的に、約1200m、約1000m、約600mの3つの登下りが湖との間にある。けっこう、気合が必要。
・この時期、13℃から35℃。午前晴れ、午後が小雨と風というパターン。
・ミネラルウオーターは売っていないので、水筒で水の浄化剤使用がお勧め。生水は豊富。
・湖東方2時間?にはタルチャ空港があり、チャーター便の航空機やヘリコプターが毎日飛んでいた。スルケットか、ネパールガンジからの利用が、人数や値段しだいで検討できると聞いた。


ララ湖の正しい道?

2007-09-08 03:03:25 | トレッキング・釣り・テニス
一歩間違えば・・・という失敗の2日目でした。

でも、ぼくの手元には地図と高度計があって、現在地はおおよそ把握していたので、不安はなくて、
ただ、ムダな身体疲労だな・・・という気分でした。
実際、高山の花々の迎えなどがあったし、
稜線を下る途中で出会った羊飼いには、子羊を買い取って、明日は宴会をしよう等という、余裕のなかだったです。
ーこれは値段交渉が決裂して、買わなかったのですがー
買っていたら、3つ目のヤブ漕ぎは、それこそ大変だったでしょう・・・

3日目は、
ボートを頼んで湖面からの景観を楽しみ、
湖から流れ出る川では釣っていいというので、がんばったり・・・1匹!
鱗が鮎のように細かくて、体色は黒味がかっており、口が下についている、アサラ(ヒマラヤントラウト)を、ミミズえさで、脈釣り。
ポーターが村から頼まれて持ってきていた、ここの軍キャンプにいる村出身者にセーターとリンゴを届けたり、
昼寝をしたり・・・
そして、あすの帰り道を、国立公園スタッフでもある小屋の経営者にも確認しました。

4日目、
湖南の周回道路を来た方角の西へ戻り、3050mの草原を経て、
急降下し、ごみが散乱するジャリ村2630mを通過し、
地図にもある「ショートカット」の入り口が見つからず、
ピナ村まで下ってやってきてしまい、
チョルテンの立つグルチ・ラグナ3450mまでの1000mの登りに耐え、
ブルブレ手前で、前半の道と合流し、
初日と同じニャウレで宿泊しました。
歩行10時間。

最終日、
6時半にでて、ゆっくり1時間半の昼食を入れても、ウルツを経由して、午後3時にジュムラ空港アンテナ横のホテルに入りました。





ララ湖への迷い道

2007-09-08 02:30:18 | トレッキング・釣り・テニス
プロジェクト地には3日間だけで、今年は、
デリチョール村からジュムラへ戻る途中のウルツウ村から北に分岐して、ララ湖へ向かいました。

情報が少ない、西ネパールトレッキングです。
行きに2日間、帰りに2日間が通常と現地で言っていましたから、そうすることになりました。
ポーターは、支援している学校を卒業したP君が引き受けてくれました。

渓流沿いに進み、明るくて広い農地を持つパドマラ村2900mを過ぎ、
急登し草原状のカリ・ラグナ3550mを越えたガンファ・ラグナでチャ、
雨になったなか、シンジャ河沿いのニアウエ2660mへ駆け下ったのが第1日目。
3軒在った「ホテル」のうち、新しいほうに泊まりました。
7時間の歩き。
ネパール人20ルピー、外国人100ルピーでした。

2日目は、6時過ぎにネパール人のようにチャだけで早立ちし、
大岩ノ下に1軒のホテルがあるカブラを過ぎ、
ボタンへの分岐となる谷あいのチョータ2770mでチャ。ここにはホテル数軒、警察のグループが、暇そうに退屈そうにいました。
急登を続けて、ブルブレ3130mで昼食。

そこで、地元の人から「ララ湖へは普通には6時間、ほかにショートカットがある」と言われて、それに従って、ポーターたちの知らない道に入り・・・

事件!となったのでした・・・

道を樹林の中で失い、何とか戻り・・・(1回目)
ようやく草付きで急峻な稜線に出るも、ララは見えず、
1時間半、エーデルワイスやブルーポピーが迎えてくれる中を、気分を直して歩いて、
4025mの無名峰のコルをのっこして、
!!!
初めて、ララを見下ろすことができたのでした!

感動・・・!
台地にのっかって、緑で水が止められているような、はじめて見る光景。
はるか遠くにはチベット国境の山々・・・

ここで既に午後5時半。
高度差1000mを明るいうちに下りたいと飛ばしました・・・
はじめは尾根筋を下り、それが斜面になり、
6時半、足元が見えにくくなり、ライトを出し・・・歩いていくと、
!!!
道がなくなってしまいました(2回目)

人間の生活道と、牛や羊など、放牧されている動物の踏み跡が、闇の中を数mしか照らさなライトの光だけでは、判別しにくいのです・・・

それでも平らな草地に出て、ふみ跡もあり、湖面が見えて、ひと安心・・・
進んでいくと、

まだまだ、そうとうの距離を、湖との間の雑木のヤブ漕ぎをしなければならないことがわかりました。(3回目)

ぬかるみに足が埋まり、
顔には小枝がぶつかり、
小渓流に足を滑らせ・・・
ようやく湖畔の周回道ーポーターいわくーに出ることができました・・・
午後8時半。
ここで村に泊めてもらう場合を想定して多めに持ってきていた、食料で腹ごしらえ。

そこから、またまた歩くこと・・・結局、1時間半、
それでも平坦な道で疲れは感じない・・・
すでに明かりが落とされて、すっかり闇となった小屋の影が見えて、
ドアをたたき、反応がないので諦めて、先へ行こうとしたところで、ようやく起きだしてきてくれました。

ストーブにマキの火を起こしてくれて、
ぼくはビールで、一息をつき、
ポーターはやっぱり、ダルバートを作ってもらい
すっかり濡れた着衣を脱いで、並べ・・・

寝袋に入ったのは深夜12時でした。
歩行時間、16時間!!!

前学校長は運輸会社経営に代わっていた

2007-09-08 01:25:12 | 国際協力・現地NGO分野
戻りました。
1年ぶりのデリチョール村は知人もできていて、居心地がよかったです。

しかし遠い・・・
カトマンズからはネパールガンジ、空路でジュムラ、そして歩きが4時間半。
今回はバスを使ってみたので、行きには途中2泊して、3日目午後に着いた。

校長が見当たらないと思っていたら、cheaf of teacher と挨拶に来た人がそうだった。
50日前の交代という・・・
前校長が、トラックを買ったという話は伝わっていたけど・・・

おどろき!
今年、車の通れる道路が初めてジュムラまで開通して
ー 人はまだ乗せなくて荷物のみ運搬との話 ー、
経済的な変化が進むとは思っていたけど・・・

外的条件の変化が、協力プロジェクトの地元中心メンバーに影響を与えていた!