goo blog サービス終了のお知らせ 

心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

2011年あけましておめでとうございます!

2010-12-31 20:50:30 | いろいろ

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
お健やかに新春をお迎えのことと存じます。

今年もよい年でありますよう、カトマンズより、お祈り申し上げます。

2011年 元旦

かりぶ 
J.P.A. certified Psychologist, Transcultural Mental Health Advisor
HP  ; http://248counseling-rm.sakura.ne.jp/
西八王子カウンセリングルーム;ネパール・カトマンズ分室 (2010年12月開設)


写真は、西ネパール・バルディア国立公園の、エレファント・サファリでの日の出です。

PS.カトマンズは3時間15分の時差が日本との間にあるので、まだ9時前です。
タメル地区では、午後3時以降、計画停電がなくなっています。恒例のサービスでしょうか。
通りには電飾が吊るされ、このアパートの前のレストランは串揚げ屋台を出して、寒い中を歩く人々で繁盛しています。
日本は雪のところが多いようですね、こちらも乾季にめずらしく、夕方にはすっかり曇りになり、ついには霧雨模様になりました。
2011年のネパールやぼくの状況がこれだと困るんだけどなあ・・・

初めての禁煙外来受診

2010-08-30 10:10:49 | いろいろ

DC利用者のヘビースモーカーAさんがタバコを止めた!
日帰り温泉の喫煙コーナーで会ったおじさんが○ヶ月止めていた、と自慢してた!(何という矛盾!?)

両者とも禁煙外来へ行って「チャンピックス」を服用するという、舘ひろしコマーシャル(ファイザー)の勧めだった。

ぼくは、
・面接中にもセキが出ることがある
・息を吸うときに肺からゼーゼーと音がすることがある
・朝にタンが多い
・山歩きで息切れするのが早いような気がする
・喫煙場所探しがたいへん
もういい加減止めたほうがいいよな・・・という動機。

先月訪問したカンボジア・コッコンでは、ナント!マルボロライト1カートンが7ドル!
今までのどこの国よりも安かった。
ついつい手が伸びてしまう・・・いろいろ合理化して、習慣化する・・・

今朝は待合室で、禁煙宣言なる書類に記入。
そこには「いつから?」とあり、まだ6箱あるのになどと迷った末、意を決して今日からと書く!!
ところが「1週間は吸っていいんですよ」という、肺機能検査後の看護婦さんの一言!
ぼくの迷いを受け容れて、やさしいんじゃん・・・

薬局でまずは2週間分のチャンピックスを受け取る。
やるか・・・

* ********
禁煙補助薬「チャンピックス 錠0.5mg、同錠1mg」(一般名:バレニクリン酒石酸塩)

チャンピックスは、米国で禁煙治療を目的に開発された日本初の非ニコチン製剤であり、経口禁煙補助薬です。既存の禁煙補助薬がタバコの代わりにニコチンを補充することによって禁煙に伴うイライラや集中できないといった離脱症状を軽減する「ニコチン代替療法」であるのに対し、チャンピックスは脳内の ニコチン受容体に選択的に働き、離脱症状やタバコに対する切望感を軽減するとともに、喫煙による満足感を抑制するという画期的な作用機序で禁煙効果を発揮します。

チャンピックスは、脳内の ニコチン受容体に対して、ニコチンより高い親和性を持って作用します。本剤は ニコチン受容体を部分的に刺激し、少量のドパミンを放出させることによって禁煙に伴う離脱症状やタバコに対する切望感を軽減します。同時に、本受容体にニコチンが結合するのを阻害するため、チャンピックスを服用中に再喫煙した場合には、喫煙による満足感を抑制します。
********** http://www.pfizer.co.jp/pfizer/company/press/2008/2008_04_22_02.html より

決意でも気合でも、ニコチン代替療法でもなくって、
脳に働きかけるって訳か。


またか・・・という禁煙がテーマ。
さて12週(11月22日)という治療期間後の予後はどうでしょうか・・・!!!

波多野哲朗監督「サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa」

2010-05-25 06:26:36 | いろいろ
波多野哲朗監督「サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa」の自主上映会があった。

10数年前に訪れたキューバの風景が懐かしかった。
馬車が走る道路、
乾ききって痩せた農地、
中南米に共通した色彩豊かなコンクリートの街並み
教会の前の広場・・・
歌声のある人ごみ、
長く連結したトラックのようなバス
50年代のアメ車が走り、
波が突堤を越えてくるハバナの海岸通・・・
そしてニコニコした人々の笑顔。

この映画は、移民を映像で7年間追いかけて、辺境に生きる人が交じり合って(=サルサもチャンプルも混ざるという意味がある)元気に生きているということを描こうとしている(監督談)、ということらしい。
そして、監督自身が、一人称で語りをしている。
監督は1936年生まれの、かつて大学で映像論やメディア論の教職にいた人。

気になったこと;
・ なぜ場所がキューバなのか、なぜテーマが移民なのか? 監督個人との関係は?一人称で語るなら表現してほしかった。
・ なぜいろいろ移民がいる中でキューバ移民を選んだのか?厳しい移民生活というなら、たとえばドミニカ共和国の移民には開墾不可能な岩山への入植を押し付けられて日本政府相手にはじめて訴訟を起こして補償を勝ち取った人々がいるし、「蒼茫」に描かれたアマゾン河口入植地の悲劇もあるし、ほかにも。
・ 島へ出航を待つ待合室のシーンで、「スペイン語がわからないから何が起こっているのかわからない」という解説があった。インタビューには通訳をつけて映画作成しているんだから、映像として採用するときには意味を視聴者に伝わるようにしてほしいと思った。旅の間に、映像を撮っていただけなの?
・ そのシーンには、障がい者に見える人がギターを弾いて歌って、お金を稼いでいるように見えた。松島のシーンでも。辺境を語りつつ、障がい者に何の言及もなかったのはナゼ?
・ 語りの口から「貧しい」と何度も繰り返されたけど、現地的にはそうでもない暮らしだと思った。日本の豊穣な物質社会を前提に語るのはエスノセントリズムではないか?異文化状況にもっと配慮があってよいのではないか。地球上の8割を占める多数派の人々は開発途上国に生きているのに。
・ 長く異国で生活する移民家族を訪問するとき、監督は日本から何を手土産にしたのだろうと思った。「古い文芸春秋や中央公論を読んでいる」と答えていたので。
・ 「交じり合う」という意味では、スペインやポルトガルの中南米の植民地支配が混血を繰り返してなされていったことが有名だ。日本移民の「交じり合い」は、80年に過ぎないのに。そこでは「交じり合うことによって元気に生きる」ということは起こっているのだろうか?
・ 高齢になって老人施設で生きるオジサンが、収容体験も開拓体験も何事もポジティブに評価するのがフシギに見えた。映像上、この人を焦点に「元気さ」を表現しているように感じた。ぼくの会ったことのある移民一世たちとは違いすぎるありようで、個人要因であると思う!また、なぜ独り身で過ごすことになったんだろうか?
・ 戦歌や、日本人であること、戦時中の収容体験などを移民たちは例によって口にしている。監督はそれにはどのような評価をして聞いていたのか、肯定しているのか否定しているのか、よく伝わらなかった。
・ キューバ移民には沖縄出身者以外もいるのではないか?沖縄とキューバとのつながりが音楽を含めてあっていいが、他の地域とのつながりはないのだろうか?
・ 監督はパンフにおいて「ディアスポラとしてのキューバ移民」と述べている。でもぼくは日本の移民政策全体が棄民政策だったと理解しているけれども。彼ら自身は、出稼ぎ感覚だったのであり、(下の注に従えば)「永住と定着」を意図していたとは思えない。ここは監督も認めているのではないか?映像と文章、ディアスポラという表現に矛盾を感じる。

ちなみに、この言葉は近年、アフリカ開発の主力となっている、アフリカ出身で先進国で高等教育を受け職業に就いた経験を持って祖国に戻ってきて起業している人々を指す場合もある。
注; ディアスポラ(διασπορά、英:Diaspora, diaspora)とは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。歴史的な由来から、英単語としては、民族等を指定せず大文字から単に Diaspora と書く場合は特にパレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指し、小文字から diaspora と書く場合は他の国民や民族を含めた一般の離散定住集団を意味する。よく知られる例ではギリシャ人、フェニキア人、アルメニア人、華人などの本国外に居住する該当集団をディアスポラと呼ぶことがある。また、近代奴隷制によって新大陸に連れてこられたアフリカ人の子孫に用いられることもある。最近では、混乱によって国外に亡命したツチ族ルワンダ人や、ソマリアを逃れたソマリ人集団などについても用いられることがある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「針小棒大」・・・そういう印象を持った。旅しただけじゃないの・・・
この映画にいろいろ連想が引き起こされた、酷評になってしまってゴメン・・・
でも、惹きつけられた映画であることは事実。

マリフアナをトッピングしたピザ

2010-05-20 09:06:58 | いろいろ
http://cambodiawatch.net/cwnews/sanmen/20100518_2.php 2010年05月18日
カンボジアウォッチ編集部 に次のようなニュースがあった。

++++++++++++++++++
カンボジアでいわゆる「ハッピーピザ」として外国人観光客に人気のある、マリフアナをトッピングしたピザを売り物にしていたピザレストランの店主が逮捕され、プレア=シハヌーク州裁判所へ1日、大麻所持・販売の容疑で送検された。同州薬物対策局のサン=ブントーン局長が2日発表した。
送検されたのは、プレア=シハヌーク市ブオン町で外国人観光客向けにピザレストラン「グッド ピザ」を経営していたキエウ=ボールン(37)で、犯行を全面的に認めている。
++++++++++++++++++++++

首都プノンペンのトンレサップ河沿いやシュムリアップのオールドマーケット近くにも確かあったけど、法治国家としては当然、それも閉店ということなのだろう・・・ね!

映画「ビューティフル・マインド」 ラッセル・クロウ主演

2010-05-12 18:31:46 | いろいろ
「ビューティフル・マインド」ロン・ハワード監督 ラッセル・クロウ主演

2001年のアカデミー賞受賞作品らしい。ぼくは知らなかった。
同じDCの先輩スタッフとして、いろいろお世話をかけているPSWのHさんが連休前に貸してくれたDVD。

統合失調症、妄想タイプの発病と治療、服薬中断による再発。
そして20年余をかけた後の復職までが描かれている(ノーベル賞受賞は行き過ぎかもね)。

何よりも秀逸と思うのは、当事者側からの幻覚を視覚的に描き、また妻のアンビバレントな想いもリアリスティックに覗かせ、臨場感を持って見せ続けることだと思った。
服薬開始後の副作用の表現もすごい!

1950年代の発病という設定なので、歴史的なインシュリン療法や、ECT療法が出てくる。
対人関係の苦手などという病前性格や、現実場面と接点を持って展開する誇大妄想、ストレスに伴って出現し続ける幻覚とそれとの会話、無視することの困難さと努力、再入院への不安、変わらぬサポートをする人たちの姿勢と当事者への支持効果、考えさせられた。

半面、主治医である治療者との人間関係はさして描かれてはいず、看護者は患者を観察し抑制する人としてしか登場しない。そして心理士や心理療法は出てこない。
また、劣悪な収容型病院を連想させる場面もない。
まあすべてが現実的である必要もないし・・・

こうした精神的なトラブルや治療を巡る展開が映画の主題となり、しかも大きな賞を受けるアメリカ文化はつくづく特殊だと思う・・・

135分が飽きもせずに過ぎてしまった。
映像への注意の持続が短いぼくにはきわめてめずらしいこと!

生あれば死あると感じる日々、Oさん、清志郎、寺山修司。

2010-05-04 18:09:54 | いろいろ
忌野清志郎の命日の5月2日、渋滞の北陸道、上信越道、長野道、中央道を走ったり止まったりしていて、ずっとNHKFMの長時間特集と一緒だった。
今は50代に入っていて、いつもはニュースを読んでいるという落ち着いた声のアナウンサーが清志郎にのめり込んで語るのはミスマッチで、また知らない歌や売れない時期の話題などが次々とあって、引き込まれて楽しかった。

そのクルマの中で飲むためにお茶を入れてきたテルモスを手にして見ると、○氏と旅したアラスカのステッカーがそこには有った。
他に2つあるなかで無意識にそれを持ってきてしまった状況に、亡くなった○氏が一緒に来たような気になった。

前日の11時間のドライブから戻って、まだ体が動いているように感じるぼんやりとした疲労困憊の昨日朝、ニュースで清志郎のお墓が高尾霊園にできたことを知った。
そこできょう出かけた。
それは高尾駅をすこし過ぎてから左折する、ようやく車がすれ違える谷あいの細い道の行き止まりに在った。
クルマを置いて事務所で場所を聞いたら地図を手渡してくれた。
さらに山の傾斜地に造成された広大な墓地の急坂を登る。
B地区の中間あたりに発見。

名前が彫られた黒御影のリッパな墓標の周りにはメルヘンな人形たち。
数本の缶ビールや、タッパウエア入りの手作りタケノコご飯などがあり・・・そしてたくさん、たくさんの生花。
気持ちを感じる・・・
そして三々五々、続く参拝者・・・なんかロック好きってわかる風体の老若男女。

貰った地図には寺山修司のお墓も書いてあって、ここでも帰りに手を合わせる。
青森・三沢で、らしい工夫を感じた記念館を訪れたことを思い出す。
そして墓標から偶然、きょうが彼の命日であったことを知る、1983年5月4日というから27年前。

この2人は、型破りっていう意味では共通して、若い日のぼくに既成を乗り越えていく行為への驚きと、自分の手ごたえを諦めずに求め表現し続ける勇気をくれたような気がする。

合掌・・・生あれば死あると感じる日々。

なぞ?

2010-04-29 09:49:36 | いろいろ
Oさんが好きだった甘いものをと思ってフルーツゼリーを手に、会ってきた。
棺から覗く、包帯で包まれたアゴと頭部、擦過傷と内出血で紅潮した顔面。
そしていつものようにキリッと閉じた口元。

奥さんとOさんの父が相手してくれる。
身に付けていたという手帳には、細かな行動記録。落ち着いた文字で乱れはない。
早朝5時入山、午後4時半頃まで行動。
御殿場ルート新6合目小屋下をテント場にしたが「ペグがきかない」というのが最後の記載。

凍結していて、しかも突風のある冬のフジ。

発見されたという装備はすべて自宅に戻ってきていて、
40Kgはあろうかという重いザックには、
まだ湿ったままの寝袋、ガス火器のヘッド、換えのEPIガス2個、小コッヘル、スパッツ、テルモス、水筒、アイゼン、テントシューズ、フリース上下、ザイル2本、など。
そして靴片方が入っていたという。
テント用ポール、ピッケル、ストック2本もある。
そして検視で脱がされたらしい、身に着けていた血まみれの行動着上下が入ったビニール袋。
テントと靴片方は飛ばされたのだろうか。
食料は見当たらず。

S子さんによると、マッキンリー訓練としてわざと荷物を重くしていたという、ザイルがそうか?
発見時は、靴を履いておらず、ザックを背負っていた、200m滑落、という説明だったという。

a. 寝袋が使われていないから睡眠中ではない。
b. 靴を履いていないし、アイゼンもしまわれているから行動中ではない。

防寒的な疑問;
・防寒用に定番のダウンジャケットがなく(奥さんはわからないと)、山用下着の上に(中間着なしに)行動着上下という服装は、薄着過ぎでフシギだ?
・靴を履いてなく、しかもテントシューズも履いていない状況って?

なぞ?
靴を脱いで、しかもアイゼンがパッキングされたザックを背負っている状況ってナニ?

推論;
① 靴を脱いでポールを抜いたテントをかぶったところで飛ばされた?
  しかし40Kgのザックを背負ったまま靴を脱ぐだろうか?
② 寝ていたが風が強くなり靴を履こうとしたときに飛ばされた?
  靴を履くときに、もう片方をザックに入れたままということはないような・・・
③ テントを被り、その中で飛ばされないようにザックを重石として背負っていたところを  突風で飛ばされた?

雪が消える頃、靴(スポルティバの灰色と黄色のプラスティックブーツ、サイズ45)とテント(たぶんエスパースの青2人用)を探しながらの追悼登山をしようと思った。

まずはまだまだ当惑状態の奥さんのS子さんが早めに落ち着けるように祈る・・・

キビシイ情勢

2010-04-20 17:08:12 | いろいろ
G警察署に行って捜索状況を尋ね、そこに詰めている奥さんや親、兄らに会ってきた。
地道で2時間半。

G署はF警察署と合同で10人体制の捜索を続けているが未だ見つからずと丁寧に説明してくれた。
あすはテント場周辺を予定しているとも。
ヘリは2日飛ばしたが、雪が見えなくさせていると言う。

もうOさんは入山してから1週間になった!
きょうは雨空となり視界悪くなり昼で捜索中止。

家を出るときは18℃、警察では12℃で、捜索地点は1℃だと言う。
また上は雪になっているだろう。

キビシイ・・・

奥さんは明るくぼくを集まっている親族に紹介していたけど心中を思うと辛い。
次々と出合った20数年前のときのグループの名前を出しながら、
「年賀状はまめにやり取りしてたんですよ、Oは。○さんは今○をしてるんですよ。」
「カリブさんと山へ行ったときは話し方の真似なんかやったり」
「いつも一人で行って戻ってきたから、今度も何も思ってなくて」
「5月連休にマッキンリーに行くことを決めていて(Oさんと一緒にマウンテンフライトしたことがある)、天気図から好天ではない日を選んで」訓練のためにF山にその日、出かけたんだと言う。
教員である奥さんは今、休職にしているという。

Oさんらしい実直な計画だ・・・

そういう話題になったので、ぼくは冬のF山の想像を絶する突風や滑落しやすい氷の斜面についての体験を話した。
岩がごろごろした砂地で、露営する窪地が探しにくいことも。

キビシイ・・・という要因の説明になってしまう。

帰路はA市経由ではなくて、Y湖・D村を通ってみた。
今頃サクラが見ごろだった。

西行の「花の下の○」を連想してしまったのはよくない、じつに・・・

今年もミニトマト

2010-04-15 11:31:02 | いろいろ
今年もミニトマト3苗をベランダのプランターに植えて支柱に誘引。

芽かきをこまめに、水遣りを控えて、今年は土で挑戦。
連作障害を避けたいから。

6月下旬には収穫が始まるかな?
陽射しが十分とはいえない日当たりが問題だ・・・

精神病院労組OB会

2010-03-08 21:58:14 | いろいろ
懐かしい顔が京都に集まって、温泉と料亭泊り込みでワイワイ!
差し入れのまったりとした焼酎の古酒や生酒、そして牡丹鍋が美味。

かつて精神医療の改革を志して権力構造をものともしないで行動を起こし、
労働争議という戻れない緊迫した絶体絶命の生の時を支えあって共有し、
全国組織を作って国にものを言うということに踏み出した仲間たちと再会した。

今は、スキューバに燃える病院事務長、強靭な肉体を維持する医事課長(看護職)、クリニック副院長(心理職)、依存症治療支援施設代表(PSW)、離島で自宅を新築した人、早朝散歩と古典芸能の無職者、資格化と文学に燃える人・・・そしてぼくだった。

じつは薬を処方されている人が多かったり、今まで話したことのない話題も漏らしたり・・・には驚き。
隠すこともカッコつけることも必要ない人間関係にいることは心地よい。

「手を付けた後に他人任せにして」との批判はまたまた受けたけど、
「また外国で遊びにいけるところに住んでいてほしい」とも言われた。

日本での相談室創出ではなくて、そういうのが深く付き合った人から見えるぼくの役割なんだろうか・・・考えさせられる。

そういえば、あの時代以降でも、駐在していたカンボジアに手弁当でやってきて講義してくれたり、グループで顔を出して元気付けてくれたり、ネパールトレッキングに案内したり、この相談室に足を運んでくれた・・・継続して関わってきているひとびとである。

シラバス、小雪、開会式ルーズ排除、ハイチ、閉じて開いた床屋

2010-02-13 14:15:19 | いろいろ
Ta大へ送るシラバスを準備中。
締め切りが1週後に迫って精神が集中してきて、ようやく形になってきた感じ。
前期15回だけど、カレンダーを見ると祭日などあって実際は13回?
単なる講義形式は避けてたとえば映像などを入れるように助言を受けていて、ディスカッションとプレゼンテーション主体に「協同学習」を方法として使う考えは固まっていた。
いろいろアイデアがでていた内容は、8つほどの障害当事者の発言を素材にすることにした。
障害者は「施策の対象者から、権利の主体へ」の時代だから。

きのう朝は雪にはならずに、クルマ通勤日の金曜は一安心。
窓の外はきょう日中になってから小雪が舞っていて、緑の垣根や駐車場はうっすら雪化粧。

TVでバンクーバーオリンピックの開会式パーフォーマンスを偶然見ていて、先住民族・自然の移り変わり・移民など、その壮大な舞台装置演出がすごい!
ダンスや音楽にも目と耳を奪われている。
・・・本気の作品ということが伝わってくる。
前にハバナの野外ショーに度肝を抜かれたけど、それに匹敵かそれ以上・・・
国対抗戦という競技には関心はないけど、主催国が全力投球ということだろうか?
多民族国家カナダのいいところが感じられる。

そういえばこの会場に、例のルーズネクタイ+腰パンのスノーボードK氏は参加自粛と新聞にはあった。
この程度のことで強制したり排除するのはいかがかと、服装の統一志向に大きな疑問!

震災一ヶ月後のハイチに雨季が近づいている。
暖かな国だから今はテントや路上生活でもいいけど、降る雨は半端じゃないよ・・・(隣国にいた経験より)
小さくても屋根のある住居建設が必要、なんだけど・・・
前々からの無政府状態や根深い貧困を考えると、都市計画や上下水道、農地などの産業、そして保健や教育を含めた総合的な視点が今大切。
わがPKOはそうした視点で動いてくれるのだろうか?

関係ないけど、年明けから1ヵ月半シャッターが下りていたベランダ越しに見える床やが、半分だけ入り口を今朝開いているのに気づいた。
何があったんだろう・・・?

211人

2010-01-25 17:09:06 | いろいろ
金曜のアクセスは、
2010.01.22(金) 閲覧数554 訪問者数 PV 211 IP 7981 位 / 1355218ブログ
だったという。

ひさびさにアクセスランキングに数字が出ました。

閲覧、感謝です!

140人が312回で・・・4周年記念

2009-07-31 10:01:14 | いろいろ
29日、またまたブログランキングに登場。
312PV 140IP 9815 位 / 1267371ブログ
 だって。

140人が312回チェックしてくれて、それは1267371ブログ中、9815位だってこと?
126万ブログ中の1万位程度に見られているのか。

まあどうでもいいんだけど・・・
見られる責任もあるかもね。

ブログ、4周年記念日に!

調布花火大会

2009-07-19 07:57:26 | いろいろ
何年ぶりだろう?

1万2千発という花火を、首が痛くなるくらいに見上げてきた。

誘ってくれたのは1ヶ月も前。
予報はよくなかったので、どうなるんだろう・・・と思っていたら、「正午に合図の花火があったから、今日はあるよ」というTelがあった。

京王線は大混雑で、
多摩川に向かう道路は人、人、人の列。
けっこう浴衣姿も多い。

古い友人の住まいの9階のベランダに、
車で迎えてきたと言う、夫方の80代後半の両親と、
九州から新幹線で一人でやって来たという、妻方の90代の母親と一緒。

数10年前に丹沢の沢登りの行き帰りに食事と風呂をもらったことがあって、懐かしい再会でもあった。
最近の高齢者は背筋はしゃんと伸びていて、強いなあ・・・

大きく広がるスターマイン。
キャラクターを描く、新しいデザイン。
昔ながらの、大きな枝垂れ。
青色って新鮮!

前に見たのはプノンペンのメコン沿いだったかな?
10数発で終わりだったけど。
サントドミンゴのときは深夜だったっけ。

たった1時間に2000万とも3000万円ともいわれる金額を消費してしまう真夏のショーに、途上国の貧しさが頭をよぎったけど、
壮大で、美しくて、そして年々工夫された花火テクニックにしばし感動!

三沢光晴、リングで死亡

2009-06-14 19:29:12 | いろいろ
三沢が逝ってしまった・・・!
彼の跳び技は格別、華麗だった・・・

馬場亡き後、ほとんどの全日本メンバーを引き連れてノアを創設した勇気。
それが、プロレス団体の分裂・独立・乱立を決定的にしたとも思っている。

冥福を祈ります!!!

****************
ノアのHP http://www.noah.co.jp/ より。


訃報

弊社代表取締役 三澤光晴儀 6月13日永眠いたしました。
多くの皆様より頂戴しておりますご厚誼に深く御礼申し上げます。
いかなる時も全力で試合に臨む故人の意思を継ぎ、今後とも選手・社員一同邁進してまいります。
ご声援のほど重ねてお願い申し上げます。

2009年6月14日
株式会社プロレスリング・ノア
________________________________________

今後の大会日程に関するお知らせ

現在発表されている大会は予定通り開催いたします。
選手、スタッフ一同皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
ご声援のほど何とぞよろしくお願いいたします。
*********************
読売新聞 http://news.nifty.com/cs/sports/fightdetail/yomiuri-20090613-01053/1.htm より

プロレスの三沢光晴さん、リングで頭強打し死亡

2009年6月14日(日)0時55分配信 読売新聞

 13日午後8時45分頃、広島市中区の広島県立総合体育館グリーンアリーナで、プロレス団体「プロレスリング・ノア」の試合中、ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が相手選手に投げられ、頭部を強打した。
 三沢さんは救急車で広島大病院(広島市南区)に運ばれたが、午後10時10分、死亡が確認された。県警広島中央署は関係者から事情を聞いている。
 大会関係者によると、三沢さんはこの日開かれた「サザンナビ09」広島大会のメーンイベントのGHCタッグ選手権に出場。試合開始から約30分後、後方から抱え上げて、反り返るようにして投げるバックドロップをかけられ、リングで頭を強打し、意識を失ったという。
 試合を観戦した人によると、意識不明になった三沢さんに、リング上で自動体外式除細動器(AED)による蘇生(そせい)措置が施された。約2300人の観客からは「三沢コール」が起こったが、意識は回復せず、救急隊員が三沢さんを担架で運んだという。
 試合を観戦していた広島市西区の会社員の男性(27)は「これまで三沢選手に何度も勇気づけられた。まさかこんなことになるなんて」とショックを受けていた。
 三沢さんはレスリングの名門として知られる栃木県の足利工大付属高校出身。全日本プロレスで2代目タイガーマスクとして人気を集めた。その後、全日本プロレスから脱退、2000年8月にプロレス団体「ノア」を設立し、自ら中心選手として活躍してきた。
 プロレスの試合中の事故では、00年に当時27歳の男子レスラーが脳内出血で亡くなり、1997年と99年には女子レスラーがいずれも頭を強打して死亡。昨年10月には、当時25歳の男性会社員がプロレスの練習中に首の骨を折って死亡した。
****************