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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

しじみラーメン( in 女満別)は深い旨味

2008-07-01 17:43:02 | 
北海道5日目です。

女満別ーサロマ・ワッカ原生花園ー北見ー屈斜路湖ー川湯ー摩周湖ー東藻琴ー網走ー知床ー小清水原生花園などを移動していました。
これも道東って言っていいんでしょうか?

春本番の北海道にある原生花園では花々が咲き誇っています。
スカシユリ・ハマナス・エゾキスゲ・・・
知床「フレペの滝」遊歩道などでは、野鳥も印象的でした。
ノゴマ・アオジ・カワラヒワ・ゴジュウカラ・ノビタキ・・・
初夏に入っていくのか、セミの声も聞こえています。

そしてきょうは女満別の名物ラーメン、網走湖のしじみを使ったしじみラーメン・塩味を、39号沿いの道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」で食べました。
深いダシ味、上品な薄さ・・・です。
細い縮れ麺がとても合っています。

名物に旨いものあり!

仮称;ツーリスト・マニック症候群

2008-01-03 03:08:53 | 
年が明けて、開発途上国生活、13年目になりました。
さまざまな人々と出会ってきて、「仮称;ツーリスト・マニック症候群」とでも呼べる、周囲の人々にとって、後には当人にも、困った状態像があると考えてきています。

特徴的な状態像は次です;
・やたら大声で喋り捲る
・知らない人に声をかける
・歩き回りたがる
・じっとしていない
・すこし街を歩いただけなのに「この国(街)がわかった」などと言う
・睡眠時間が短い
・その土地の食事をやたら「うまい」とほめる
・その土地で出会う人をやたらほめる
・その土地で自分に世話してくれる人を過大に評価し、時には恋愛感情を持ったりする
・この旅行プランをたて、実行している自分を自慢する
・肯定感に満ち満ちている
・ジャマビュ
・自分の荷物を開け広げる・・・などなど

内田クレペリン検査の「初頭努力」で、説明のつく状態だと思います。
ここでガンバらないで、どうする!・・・みたいな。
新たな環境という、危機と遭遇するかも知れない、不安を惹起する状況に、自分を奮い立たせて、適応を図っている心理機制が背景にあるのだと思います。

この状況で、反対に、「仮称;ツーリストうつ」と呼べる状態になる人もいます。
・感動しない
・デジャビュ(既視感)
・外出したがらない
・怖がる
・日本食を欲しがる
・戻りたがる
・荷物の保管を不安がる
などが特徴です。
新規な事態での不安状態で、それへの自己防衛機制の現れですね。

この両面のバランスが取れている状態が、旅先では適応的な状態だと思います。

この項、論文準備中の構想につき、パクリのなきよう・・・

ぼくの現代エジプトの印象

2007-11-07 00:40:19 | 
カイロやアレキサンドリアなどの都市に居ると、一定の豊かさのある社会と感じました。
古いけれどもビルの続く街並み、広い道路、汚れた服装の人は見かけず、地下鉄はあるし、夜の人並みは多い。

しかし、UNDPの Human Development Index 2005では119位でしかありません。GDPは3,950ドルです。
月当たり給与は5000円程度の人が多いと聞きました。

イスラム社会特有の男性社会です。
女性は、スカーフで頭髪を覆い、手足を露出していません。
人口の10%程度といわれるコプト(キリスト)教徒や、都市部でのみ、上記のようではない女性と出会います。

朝11時頃から午後3時頃まで、そして午後6時過ぎから9時頃まで、というのが多くの商店の営業時間でした。
イスラム社会なので金曜休み。

市販されているガソリンは、1リットル1ポンド(20円)と聞きました。
バスや列車は1日乗る距離で600円程度、地下鉄は1ポンド、路面電車は0,25ポンドでした。
産油国の強み!

市街地を離れると、クルマは少なくなり、ロバが荷車を引いて物資や人を運んでいるのをよく目にします。

現在のムバラク大統領は20年を越えて、その座に安定して居る、ただ後任者探しが課題とか。

数年前の爆破事件以来、外国人旅行者の乗るバスや列車は、武装したツーリストポリスによって護衛されています。
長距離の移動は、コンボイ(車列)を組み、前後を部隊に守られての移動でした。

建築中のホテルや家を見ることはまれで、走っているクルマは基本的に大変古い。
経済成長は、そうないのかもしれない。

ピラミッドや遺跡の観光にくるのは、外国人ばかりで、エジプシャン(エジプト人)は関心を持たないと聞きました。
(たとえばカンボジア人はアンコールワットにとても行きたがるのに)
紙幣には、そうした遺跡がたくさん並んでいるんだけど。

日本の3倍の国土に、日本の半分の人口。
ナイル川とそのデルタ沿いと、いくつかのオアシス以外は、農地は見えず、人が住まない砂漠か荒野。

障害を持つ人の物乞いに、街中で会うこと数回。社会保障制度は?

英語を理解する人は少なくない。英国の支配の歴史の影響だろうか?
英字紙は2紙?

代金以外にバクシーシやチップの必要な社会。
日本人にはちょっとメンドウ。

公共交通やベンチなどでは、女性や高齢者には、座席を譲る人が多い。

中高校生は初歩の英語を使って、照れながらツーリストに話しかけてくる子もいる。
そしてペンを欲しがる=Do you have pen?
すれ違いざまに Welcome to Egypt などと声をかけてくる子供や大人も少なくない。
純朴なのだろうか?

写真は、アスワンハイダム横に移築されているアブシンベル神殿です。
すごい数のツーリストです。

エジプトのアルコール事情

2007-11-06 21:33:52 | 
今回、初めてのエジプトへの旅の前に、できれば欠かしたくない、寝る前のお酒は現地で手に入るだろうかと心配していました。
イスラムの国なので、住人たちは飲まないし、また公然とお酒は売っていないわけです。

パキスタンやバングラデシュでは、特定の業者に頼んだり、それなりに苦労して入手したり、手に入ったけど、もはやアルコール成分は揮発してカラメルになってしまったビールしか手に入らなかった経験があります。

そこで入国時にはトランジットのバーレーンのデューティーフリーでスコッチ1本を購入して持ち込みました。

その後、アスワンのスークで、
エジプト産ビールのステラを330m缶を15ポンド=約300円、エジプト産ウイスキーを100ポンド=約2000円で購入(ぼられてる!)

ルクソール駅横のアルコール販売店で、
ステラ330m缶を6ポンド、500m缶を7.5ポンドで購入。
ルクソールのESホテルで、
地元ウイスキーを85ポンドで購入(まだ、ぼられてる)。

アレキサンドリアの夕方開く酒屋で、
アルコール10%のビール、サカラ500m缶が8ポンド(まだまだ・・・)。

カイロのタフリール通りの夜だけ開く酒屋で、
ステラ330m缶は4ポンド!
サカラ500m缶は6ポンドでした・・・

つまり、普通缶は80円というのが元値のようです!

これからエジプトに向かうアルコールから離れられない旅行者への情報提供です・・・

写真は、砂漠の中の温泉、ビルワヘダです。よかった・・・





エジプトで訪れたところ

2007-11-06 20:49:16 | 
カイロに入り、考古学博物館。
早々に、ツタンカーメンの金色の遺品と、数部屋に及ぶその個数に驚く。
若き日々の心理療法トレーニング中の日に途中下車して何日か通った大英博物館のミイラ展示は、ここと較べものにならないんだと想起。

ダフシュール、メンフィス、サッカーラ、ギザのピラミッド巡り。
韓国人青年たちとのクルマ乗り合いで、砂漠の中のピラミッド群を順繰りに訪ねる。4500年前?日本は縄文時代!
奴隷制がないとこれは作れないと、その大きさにアングリ・・・
最終のギザではもうぐったりして、スフインクス・3ピラミッドを夕陽の中に眺望できる評判のピザハットの冷たいコーラに大満足・・・

スリーピングトレインでアスワンまで。
夕朝食付き、2段ベッド2人部屋。
タイの寝台列車に似てるかな、ぼくは窓の中の街の灯りを見るうちに爆睡!

ツアーに入って、砂漠の中の道路300Kmを走ってアスワンハイダム建築で移動したアブシンベル神殿へ。
高校1年生の頃、友人がこのユネスコが音頭をとった移動について熱く語っていたことをきのうのことのように想いだしながらの1日でした。

ルクソールへの全食事付個室3泊のナイル川下りクルーズ。
これも移築されたイシス神殿、そしてコム・オンボ、エドフに寄る。
ナイル川沿いに西暦元年前後頃に作られたコム・オンボ神殿の壁に、人類最初と言われるらしい医療機器の彫り物や座産の出産シーンを見る。
駐在地近くにあった、同じ出産シーンのあるカンボジア・バイヨン遺跡は、9世紀だっけ?古さの違いに脱帽。

遺跡観光にフェドアップ気味って言ったら、この長い人類の早い時期の歴史に失礼だろうなあ・・・
4日間、同じ食事テーブルになった、カナダ・トロントからのちょっと派手な仏語博士と彫刻家のマダム二人連れとはまたアレキサンドリアからの列車で再会!オランダ軍の退役兵士は、甲板にある卓球台でぼくのペン・ホルダーグリップを直させようと、おせっかいな忠告しきり・・・

列車とバスを、カイロ・アレキサンドリア・マルサマトルーフで乗り継いで、
アレキサンダー大王が紀元前3世紀に進軍したという砂漠の中の同じ道に想いを巡らしながら、
夜8時には、照明のなかに土で作られた廃墟の街シャーリーの朽ちかけた壁が折り紙のように浮かび上がる、西部砂漠のオアシスの街シーワへ到着。
期待していたホテル内のプールは冷泉!足先だけを付けて退散・・・

4WDチャーターの砂漠キャンピングツアーで、何の踏み跡もなく風紋だけの砂漠の大きさに、また時速100Kmで疾走できる広大さに、ただただ興奮。
使った4駆は、カンボジア駐在時代に使っていたニッサン・パトロールで、とても懐かしかった。
夕方にビルワヘダの、待ちに待った温泉に到着!
今まで人に半日間会わなかったのに、ここには続々と約10台の4駆が終結してきて、公衆浴場状態になってしまった。

アレキサンドリアでは連泊して、
久々の、海の風景を見下ろすホテルのベランダ、
ヨーロッパ風の街並み、
2日通った地中海の魚料理、
ユークリッドも通ったという大図書館、
古風な路面電車、
ちょっと粘っこいエジプト・アイスクリーム、
鮮やかな色の生フルーツジュース、
ついでに髭の手入れに手馴れたエジプト床屋などを楽しむ。

カイロに戻って、
ちょっと慣れてきた地下鉄を使って、オールドカイロの原始キリスト教のコプト博物館だけをゆっくり訪問。
みやげものヤを冷やかす・・・
生魚と出会えないネパールに戻る前に、シェラトンの日本食レストランへ行って、生寿司を奮発・・・
タフリール広場を見下ろすベランダから、車の流れをぼんやり観察していた日々。

ほんとうは、シナイ半島へ渡って、紅海の澄んだ海と、モーゼ10戒のシナイ山も考えていましたが、諸般の事情で割愛しました。

写真は、4駆チャーターで出かけた、シーワ近くの砂漠でのキャンプです。

航空券を買わずチェックイン手続きせず、お金を渡して、その場で飛行機に乗る

2007-09-08 12:51:21 | 
ジュムラ空港では翌日の全便がキャンセルになってしまいました。
上空の雲・・・が問題とか。
今か今かと、その決定までは空港から遠出もできず、
バザーまで行って、休日の新宿のような、クリシュナの祭りの人だかりに、何度も揉まれて来るだけでした。

ひとつの希望だったジュムラ・タトパニ行きは、ジープがお祭り中は出ないと言われてしまいました。
見かけたオートバイに行ってくれないか、と頼んだけど、お祭りを見に来ている人々で、ダメでした・・・
ジュムラ温泉は、熱いんだそうです!
次の機会は作れるか・・・な?

さて、空港横の飲み屋兼ホテルで2泊目が過ぎて、出発を期待!
ついに、10時過ぎにシータ航空機は現れて、10数分後には出発できました・・・・
ネパールの山岳地帯では、「運を天(天候)に」任せるしかない・・・ということです。

スルケット上空を過ぎ、約40分でネパールガンジ空港に着いて、40℃もあろうと思う熱風が入り込み、エプロンに飛行機が移動したら、
隣に搭乗中のイエティの機体があるではありませんか。

ぼく「どこ行き?」
係員「カトマンズ行」
ぼく「早くKTMに行きたいけどチケットを持っていない。いくら?」
係員「131ドルと、空港税170ルピー」
ぼく「これお金、これ荷物」と、シータの機体から降ろされたばかりで、台車に積まれてあったバッグを自分で取り出して渡すと、閉じられていた機体の荷物部分が開けられて、目の前でそこに入れられました。
ぼくはタラップを上り、空いているシートを探して座りました。空いているのは1つ2つでしょうか。

ネパールの人の、こういうフレキシビリティは好きだなあ・・・

かくして、ネパールガンジ空港乗り換え滞在は10分程度で終了し、
行きには3日間かけたジュムラから、
帰りはなんと2時間後!に雨のカトマンズに戻っていたのでした。

みなさん、航空券を買って、チェックイン手続きして、搭乗券を手にしてから、飛行機に乗るのは、
ここネパールでも普通には必要ですから、念のため・・・

大韓航空でカトマンズへ戻りました!

2007-07-19 23:19:56 | 
3週間の日本滞在でした。
前半は親族ケアのひとつのシメをし、後半にしようとしていたことが、大型台風の襲来や中越沖地震の騒ぎでいくつか端折るはめになりました。

きょうのカトマンズKTMは陽射しが強烈で、暑い!
でも、きのうまでは雨続きで肌寒かったとか・・・
雨のお陰か、通りの土ぼこりやゴミが洗われて、街並みがきれいに感じました。

昨年に就航した週1便木曜のKE大韓航空 Korean Air 、KTM-ソウル(インチョン)直行便を初めて使いました。
機内食でビビンバップや、新しくて清潔な空港で無料インターネットや、空港レストランでチゲなどを楽しみました。
往復1380ドル、123円レートで約17万円、円安のせいもあって安くはありませんが、TGタイ航空はもっと高かった。

ただ、日本への行きも帰りも、乗り継ぎに宿泊が必要でした。
ソウルの街に出るには時間が少なく、ちょっと不便!
行きは知人と機内で出会ったので、なかよくトランジットスペースの長椅子で互いに荷物に気配りしながら空港ビバーク、
帰りは疲れもあって空港内のトランジットホテル1泊112ドルを使いました。

関空ーKTM間のRAネパール航空の直行便は、王室系が経営から手を引き、機体を処分したことも影響して、事実上なくなっています。
トレッキング中に会う東洋人では、自国の真新しいアウトドア・ブランドで身を包んだ、韓国の人々が目につきます。
日本人はほんとうに、少なくなっています。
この直行便の存在は、この勢いを促進するのでしょう。

KEは路線拡大をしているようで、キャビンアテンデントに新採用のような初々しい人が多いと感じました。
10年前頃のTGを想い出しました。
荒削りだけど、活気を感じさせます・・・

もう日本はそういう国ではなくて、「持続可能な定常型社会」を目指すしかなくなっていると、実感しています・・・

自分探しのバックパッカーとの再会

2007-05-31 12:59:45 | 
2003年まで駐在していたカンボジア・プロジェクトを昨年に再訪した際、
タイからの陸路での国境越えから一緒で、シュムリアップのゲストハウスでバックパッカー経験をあれやこれや話し合い、その後旅先からもメイルでたびたび連絡をもらっていたY青年と、
約1年ぶりにきのうは「ももたろう」で待ち合わせて一緒に食事をし、飲んだり・・・お土産にしたいという、ネパール茶やCDの知っている店を紹介したり・・・住まいの屋上で涼風を受けながら黄昏どきの街を眺めたりしながら、半日ゆっくり話しました。

大学を出て、日本での派遣で資金を作り、オーストラリア・ケアンズでのワーホリなど工夫しながら、その後もアジア中心に旅を続けているということでした。
「ネパールはゆっくりできていいですね・・・」
直前のインド・バナラシでは、数人に取り囲まれて脅されたとか、緊張続きの旅だったようです。

日本人青年が2人でここカトマンズで営むスタンド式の喫茶店「チャチャ」で、ひさびさの日本の雰囲気を懐かしみながらフィルターコーヒーとバナナシェイクとを飲んでいるときに、店長を同世代だと思って紹介すると、日本での経験や見通しなどを突っ込んで聞いて、「焦るなあ」とつぶやきました。

きのうの英文日刊紙 The Himarayan Times の一面に、2人の日本人が記事になっているー71才エベレスト登頂記録と20才のミスユニバースーのが話題になって、「フーン・・・がんばってる・・・」

「日本では短期の仕事は簡単に見つかるんですよ・・・」と言っているのが印象的でした。
つまり、長いスパンのもとで働くことは難しいと・・・
自分探し、アイデンティティ探し、30才に手が届く今も続く長い社会参加の猶予期間、若者が夢の持ちにくい社会になっている日本・・・
「親にはこれが最後の旅行と言ってあるので・・・」という迷い。
家族の絆を維持し、配慮ができてやさしい・・・

これからタイを経由して、ベトナムで友人と会うと言います。
空港への足探しが困難になるバンダ(ゼネスト)予定の明日に、しかもキャンセル続きのネパール航空で・・・
ちょっと調査不足、でも旅の経験蓄積にはいいかも・・・旅の平安を祈ります・・・!

いろいろ話した中で、こんどは「6月末に日本に帰ったら協力隊を調べてみます」との次の一歩を模索するようでした・・・

なんか気が合うから、きっとまたどこかで会うでしょう・・・元気で!

シミコット1泊のみ

2007-04-08 03:02:07 | 
写真は、シミコット上空からのスナップです。

正面が西向きで、4~5日かかるというカイラスへ向かうトレッキングの方角です。
左が、深い渓谷となっているカルナリ河を挟んで、サイパル7025mへ続く山並みです。
右側は中国チベット国境の山なみです。

シミコットは、標高約3000mの南向きに開いた台地上にあり、「ナムチェバザールをゆったりさせたような感じ」という表現で伝わる人もいるでしょうね・・・
着陸は、山肌に激突するかのように入り、未舗装の滑走路から機体がガタガタ振動して、ハラハラ・ドキドキのアクロバットのようでした。

今回は惜しいことに、現地では1泊だけでした・・・しかし・・・
乗り継ぎのネパールガンジで出発までに2泊、戻りも1泊という、全体では5日間の日程となってしまいました。
台数不足の飛行機会社の飛行日程のキャンセルや、
山岳地の気候条件からのキャンセルなどが起こるので、
かなりの余裕ある日程が必要なことがわかりました。

カトマンズーネパールガンジ往復 256ドル
ネパールガンジーシミコット往復 216ドル
外国人のネパール国内航空券はとても高いです。



能登半島地震とひとり旅

2007-03-28 12:26:44 | 
今回の能登半島地震の報道には、海外からですが、けっこうアップトゥデイトに接しています。

亡くなった方のパートナーの悲哀、
長く住んできた自宅が崩壊しての喪失感、
繰り返す余震の恐怖、ストレス、疲労、絶望、
避難所での不慣れな生活、
たいへんな事態だったことがよく伝わってきます・・・

かつて直面した阪神淡路震災での精神保健課題群が想起されます・・・

じつは、この地域はぼくのはじめてのひとり旅の場所なんです。

高校1年の夏休みが終りを迎える頃、持っていた少しのキャンプ道具を背負って、能登半島へ入りました。
門前・穴水・輪島・ヘクラ島・・・
人々の表情や見えてくる生活がとても新鮮で、異文化への旅といってもいいくらいの中身でした・・・
そして、わきあがる不安と、それに負けないように鼓舞する自分。
その後、今も続く、自分の内側を見つめながらの、ぼくのひとりバックパックの旅の始まりでした・・・

被害を受けた方々の立ち直りを祈念します・・・!

ルンビニ再訪 

2007-03-24 08:51:04 | 
ネパール南部のルンビニへ行ってきました。
約20年ぶりになります。

あのときはポカラからバスでタンセンを経由しバイラワ、そしてリキシャで、うだるような暑さの中を、ほうほうの体で到着したのを覚えています・・・

マヤデビィが沐浴し、ブッダが産湯を使ったという池は、段差が整えられて、すっかり変わり、
その横の大木に抱かれて在って、表面がなくなってしまったブッダ誕生の復元図は、遺跡発掘を展示している新築されたマヤ聖堂という建物の中にありました・・・

ここ10年くらいで、丹下健三デザインの公園化が進んできたということでした。

通った保育園がお寺の境内にあって、そこで語られた「シャカの生地ルンビニ」というのが耳に残っていて、そのときは訪ねたバックパックの旅でした。
今回は、最近あった訃報のために、菩提樹の葉を一様、本に挟みました・・・

そう、あのときは、宿へ戻ってファンの下でも熱風で寝付けず、インド国境の夜の街をぼんやり眺めていたのを想い出しました・・・

じょんがら・新渡戸・寺山修司

2007-03-03 10:39:17 | 
じょんがら三味線を聴きに行ってきました。
ライブはやっぱり迫力があります!
激しいバチ捌きで生まれるチューニングの揺らぎ、音を探す左手の微妙さ・・・

テンポが動いていくマル・ウオルドンのソロピアノを連想しました!
あれは若き日に南国高知で、国際Ns協会長になったM先生と行ったんだっけ・・・

新渡戸稲造、3代の記念館へ行ってきました。
十和田市立新渡戸記念館です。
高校生の頃、その国際的な活躍にあこがれた稲造の記念館を訪れたら、
その祖父が江戸末期に当時の南部藩に提案して、八甲田東面の裾野にトンネル作りを含む灌漑に着手し完成させ、その父は都市づくりを進めたということを知りました。
郷土の英雄の子どもだったんですね・・・

寺山修司記念館へ行ってきました。
三沢市寺山修司記念館です。
三沢市で育った寺山の中学時代の同窓生が中心になってつくり、在京の友人知人たちが手を貸したという記念館は、稀に見る芸術性の高いものでした・・・
あの「天井桟敷」特有のおどろおどろしい造形群、
展示されている事務机の引き出しを開けて見える、映画や文章、
小さく流れる彼が作った流行歌・・・

多作の彼がその中で触れずにいて、故郷を否定した(と思える)彼が、
故郷の旧友たちーそれも転校生でしかもリーダーシップを取ろうとする彼をいじめ続けたと高言するーから愛されていったという歴史・・・

大変に考えさせられました・・・新渡戸と言い、寺山と言い、ジョンガラと言い、
個的な自己実現と、
育ったコミュニテイ、
そこにかつて在り、生き続ける人たち(あるいは文化)からのサポート・・・

高野山奥の院

2007-01-29 23:01:19 | 
2回目のオバ見舞いでした。
食欲が出てきて、あれこれ食べたいと言い出せるようになっていて、うれしかったです。
ただベッドから一人では体を起こせないほどの廃用状態ではあるんですが・・・

クルマを走らせて、希望のイカ刺・寿司を探して、さいわい、入院先が海に面した町にあるので、文句のないクオリティのものを入手して届けることができました。

こういう変化に安心したので、30年来の友人夫婦を訪ねました。
近くの寺院や、公園を散歩し、
子育てがまもなく終了する背景から、近い将来が話題になり、1泊して、
ついには高野山まで足を延ばしました・・・

高野山は雲上の宗教都市ですね・・・
空海は、さぞかし桁違いの政治力も持っていたのだろうと思います。

いつか、熊野古道も歩いてみたいと思っています・・・

フィンランド・フランス・アメリカ・イギリス・イタリア・ベルギー

2006-12-02 01:21:05 | 
夕方7時からの夕食が終わると、焚き火の周りに集まるしか、することがありません。

フィンランド・フランス・アメリカ・イギリス・イタリア・ベルギーなどのツーリストと一緒でした・・・

旅人が集まるときの話題は、
・ネパールにはいつまで?
・これまでの旅
・これからの旅の予定
・行ったところの話し
・特に集まっている人の国で、行ったところの印象・・・
だいたい決まっています・・・

サイの尻

2006-12-02 01:12:55 | 
ジャングルでサイに出会ったときは、こういうシーンです・・・

サイケツ?を追って、乗っているゾウがガイドとドライバー?(ゾウ使い)の指示で追っていくわけです・・・

20分ばかり、このサイケツを追いました。
ずいぶん、イボイボがあるんだなあと感じました・・・
鎧のような皮膚にも、感心しながら・・・