阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

たれこめて

2020-03-17 20:32:11 | ちょこっと文学鑑賞
今日は古今和歌集巻第二、春哥下から一首、


      心ちそこなひてわつらひける時に風にあ
      たらしとておろしこめてのみ侍けるあひ
      たにおれる桜のちりかたになれりけるを見て
      よめる 
                   藤原よるかの朝臣

   たれこめて春の行ゑもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり


テキストは江戸時代の写本、朱字で訂正してあるが、歴史的仮名遣いだと「をれる桜」「春のゆくへ」となる。詞書に「風にあたらじ」とあり、よるかの朝臣は何の病気だったのか。私に言わせればこれは花粉症の歌であって、私もこの時期は引きこもりがちになってしまう。花見に誘われて花粉症だからと断ったら、サッカーは見に行くのに花見には来んのかと言われたことがある。しかし鼻がつまっていたら酒もうまくないし目もかゆいし、お花見ははっきりいって苦行である。一方サッカー観戦の90分間は花粉を忘れてギャーギャー言って終わる。終了後から翌日まで目喉鼻大変だけれども。それにどちらかというと宴会よりも桜の花を静かに眺める方が性に合っている。という訳で、サッカー観戦のついでに桜の木の下で弁当を広げることはあるけれど、お酒を伴うお花見はもう三十年ぐらいやってない、多分前にやったのは京都に住んでいた時の円山公園だったと思う。

 もっとも、今年は少し事情が違う。コロナの影響で例年以上に外に出る機会が少ない。東京では花見の自粛要請も出ている。こうなると、ひねくれ者の私としては、お花見をやってみたい。しかし、花粉の時期に酒がまずいのは変わらないし、だいたいずっと断り続けてるのだから、今更誘ってくれる人もいない。去年は一人で桜の木の下で弁当食ったが、目の前では子供たちがサッカーやっていて、選手から「何弁当ですか?」と聞かれたりもした。しかしサッカーも今月いっぱい軒並みお休みである。いくら静かに眺める方が良いといっても、まるっきり一人で花見弁当はさえない。やはり、いつもの阿武山の見える坂道でぶつぶつ言いながら眺めるだけにした方が良さそうだ。広島は縮景園の桜が今日一輪だけ咲いたそうで、まだ開花宣言には至っていない。咲く前に「たれこめて」を思い出したのは、せめて桜を見上げる機会だけは確保しなさいというお告げかもしれない。


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