バスストップから基地ストップの会  

2015年6月以前の記事は http://www.geocities.jp/stopfromstop/ へ。

2023年12月定例申し入れ行動

2023-12-24 | 日記
バスストップから基地ストップの会の、座間キャンプへの今年最後の定例申し入れ行動は16日に行われました。
9人参加し、申し入れ。交流会も入れ替わりがありましたが、10人でした。今年の最後の申し入れ、水曜日の座り込みは年末までやります。
今すぐ戦争をやめろ!
誰も殺すな!
その一心でつながろう。




 申し入れ書

在日米陸軍司令官・米陸軍第一軍団司令部司令官 デイブ・ウオーマック少将 様
陸上総隊日米共同部長             豊田 龍二 様
座間駐屯地司令兼第4施設群長         本多 健二 様

2007年12月19日に、米陸軍第一軍団司令部(現在は正しくは前方司令部)が移駐してから、17年目に入ろうとしており、基地は縮小どころか、自衛隊との連携強化と基地機能の拡大が進んでいる。連日のイスラエルによるパレスチナへの攻撃はいますぐやめさせよう。
1941年12月8日は真珠湾攻撃の日として報道されるが、その日の1時間前、日本軍は、マレー半島のコタバルに上陸し、シンガポールをめざして南下したことは報道されない。日本軍により家族5人を虐殺されたチャンロイさん(87歳・当時6歳)の証言をリモートでお聞きした。
日本軍はなにをしたのか?現代での教訓は?と30年にわたって、日本軍の加害の歴史を、被害に遭ったアジアの方々の証言を通じて、私たちに伝え続けている市民の集会が12月10日にあった。1942年3月5日、日本軍によって300人の村人が連行され虐殺されたのです。日本兵は生後6ヶ月のチャンロイさんの弟を母親から取り上げ、空中に放り投げて銃剣で刺し殺した。チャンロイさんも背中や脇腹を刺され気を失いましたが、すさまじい体験のなかを4歳の弟と生き残ったのです。家族7人のうち父母を含め5人を失ったこの6歳の時のことをわすれられません。5歳の時塾に行った以外学校にも行かれず、働きづめの極貧の生涯を生きてこられた。
私は、ある雑誌で、太平洋やアジアの戦場で従軍し、帰還した元日本軍兵士の中に軍隊・戦争体験によって心を病み、PTSDに悩んだ人が多数いたことを知った。その中で、Kさんの父は20歳で陸軍に入り10年の中国等で戦い、戦後定職に就かず、家族と話しもせず、無気力で抜け殻のような人生を送った。Kさんは、ベトナム戦争の帰還兵だったアレン・ネルソンさんのDVDを見て、自分の父は「戦争神経症」で心に傷を負ったのだと悟った。専門家によれば42年から45年にかけて発生したいわゆる「精神病」の患者は、「満州」・中国・南方会わせて数十万単位でそのほとんどが治療を受けることはなかった。
私たちは戦争の被害者の真実を学び直し、自衛隊員や米兵の皆さんと、武力で平和は作れないことを広く共有し、目の前に突きつけられた戦争を止めようと声をあげます。
安倍、岸田政権は戦後政治の流れを戦争へとねじ曲げようとしたが、その正体は、金と権力で腐敗した泥沼政治だ。こんな政権によって偽装された中国脅威論の正体をしっかり見極め、アジアで戦争の危機をあおっているのはアメリカであることを私たちは見抜いて、まず「沖縄を再び戦場にするな」と言う大きな流れを共有し、アメリカ軍の基地も自衛隊の基地もいらない、辺野古の新基地止めろの思いを伝えます。人間は人殺しの戦争のために生まれてきたのではない。こどもたちの命と未来を奪うことの罪深さを考えてください。
最後に、次世代の100人に選ばれた五ノ井里奈さんの勇気ある告発を心から応援します。

2023年12月16日       バスストップから基地ストップの会と参加者一同


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