buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

白馬のペンション

2011年08月07日 | 旅のお話


「去年は本当にお客さんの来ない、最悪の1年と言われていたけれど、
今年はさらに悪い。」とは、白馬で泊まったペンションのご主人。

「1977年から白馬でペンションをしている。
最初のころはペンションブームもあって、一日に30人以上のお客さんが来たこともある。
そんな日は、人を頼んで手伝ってもらっていた。」

「オリンピックのころ、白馬には250軒のペンションがあった。ブームでたくさんのペンションが建った。
でも、今はたったの50軒。」

「息子は東京の大学を卒業し、東京で就職した。
このペンションを継ぐ気持ちはないようだ。」

「だから、自分と家内ができるところまでペンションを続け、
もう無理、というところで廃業するつもりだ。」

「今は部屋も5部屋、多くても1日4組しかお客さんを取らない。
それが夫婦ふたりでペンションを経営して行く限界。」

「大規模なペンションはみなつぶれてしまった。
クローズしているペンション、廃業してそのままほったらかしにしているペンションが
ここには山ほどある。」

と、訥々と語ってくれるオーナー。
飾らず、さりげないもてなしがとっても気に入りました。

食事はボリュームたっぷりの信州牛のステーキと北海道産のほたて。
こんなにおいしい料理は久しぶりでした。



デザートは甘さ控え目の手作り。





どんな業界にも不景気の波が押し寄せています。
それでも、こんなに感じのいいペンションは続けてほしいな~、って思うのです。



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7月からの旅立ち

2011年08月06日 | 旅のお話


7月は悲しいことがいくつかやってきました。
ほんと、いろいろありの月でした。
そこで、7月からの旅立ちをするために、夜行列車の旅に出ました。
今回は、信州栂池高原の栂池自然園を訪れ、日光キスゲを見る、のが目的です。

夏の時期は臨時列車が増発されます。
私が使ったのは『ムーンライト信州』新宿午後11時54分発、白馬午前5時40分着の
快速電車です。
同じく夏の期間はお得な乗車券『青春18きっぷ』が発売されます。
ということで、指定席料金も含めて、僅か2810円で白馬に到着です。

午前6時の臨時バスに乗り、栂池高原へ。
そこでちょこっとお弁当を食べ、7時に動き始めたゴンドラに乗って
標高1900mの栂池自然園に向かいます。
ゴンドラでの空中散歩は、鳥の目になって、木々を真下に見られます。
このあたりは栂の木というクリスマスツリーになるような松が群生しています。
樹の高さは10m以上のものもありますが、この時期、樹のてっぺんに紫色の松ぼっくりを
つけます。紫色ってとても珍しいと思うのです。

栂池自然園は今、高山植物の花が何種類も無数に咲いています。
よく目についたのは
白い5つの花びらを持った『三葉黄蓮・ミツバオウレン』
「キヌガサソウ」も白い花です。
白い線香花火「オガラバナ」
同じく『ヤグルマソウ』
淡いピンクの「チングルマ(果穂)」
紫が鮮やかな「ひおうげあやめ」
濃いオレンジ色の「車百合」
かわいい黄色の「シナノキンバイ」
そして梨木香歩さんの小説『西の魔女が死んだ』(小説の方)に出てきた「銀竜草』

70種類以上の花が咲いているそうですが、見つけられなかった花の方が多くて、残念。

朝露って銀色に輝くんですよ。
本当に美しく光っていました。写真じゃあらわせないけれど、、、



ワタスゲ湿原の日光キスゲはほぼ満開。
日本で一番遅く咲く場所だそうです。


栂池自然園の散策は標高1900mあたりを約3時間から4時間かけて歩きます。
到着が午前8時、花の名前を確かめながら、木道を1周しました。
刻々と変わる風景。
途中で会った自然園のスタッフが『山は朝が一番です。昼間は見られないものが見られますよ.』
と言っていました。


霧が晴れた湿原

ゴンドラに乗って、麓に下りたのはお昼。
ゴンドラ下の手打ちそばやさんで地元のそば粉を使ったそばを味わいました。

この日は白馬に泊まりました。



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新しいツール

2011年07月30日 | おもちゃ箱


分室への引越しのために、準備を続けています。

分室はインターネットの環境が整っていないので、
iPadを購入し、使うことにしました。

実は冷蔵庫を大手家電ショップに買いに行ったときに
売り場をぶらぶら。
iPadコーナーの係りの人の説明に引き込まれたのか、
それともうまく乗せられたのか、つい買ってしまいました。
(いいプレゼンでした!)

もともとappleのユーザーだし、s.bの携帯を使っているので、
思ったより使い心地がいいです。

何が最も便利かというと、画面の字を大きくして見ることができるところ。
私の年代には重宝かも。
もちろん、出費は痛手ですが、自分へのささやかな投資と考えることにしました。

このブログの記事は
近くのカフェから、iPadで作っての初投稿です。
ちょっと嬉しい気持ち⁉
新しいツールを活用していきたいな~、と思っています(^-^)/




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分室の設置

2011年07月29日 | おもちゃ箱


夏休みになりました。
息子2人が戻り、父も同居。
夫婦2人の生活はわずか50日ほどで終わってしまいました。
昔、子どもが小さかった頃には5人で小さなマンションに生活しても
あまり問題がありませんでした。
しかし、今は息子ふたりも子どもではなく、身体もかなり大きい!
こだわりの自分の荷物(goods)を持っています。
家がどうにも狭くなってしまいました。

そこで、地元の不動産屋さんに頼んで、一部屋、借りることにしました。
場所は自宅のあるマンションの正面(道の向こう)の建物の一室。
door to doorで1分です。

古いマンションなので、1DKで38平米あります。
ただ大家さんの希望で、1人住まい限定。
我が家は特別に「家族」はOKになりました。
不動産屋さんいわく、「ご近所ですし、まあ分室みたいなものですから。」

古いマンションは収納がいっぱいです。
ということで、我が家の冬物衣料、10ぐらいあるギター。
どうしても捨てられないおもちゃ。
どうしても捨てられない本や漫画。
そんなものが分室にいくことになりました。

冷蔵庫、簡単なテーブルセット、布団(ひとりは必ず分室で寝る必要があり)
ソファ、テレビを用意しました。
基本、本宅(?)で食事、お風呂、洗濯などをします。

分室はなかなか居心地がよさそう。
みんなが分室泊まりを希望しています。




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七国山街道のトトロ

2011年07月19日 | お散歩



冠婚葬祭では思わぬ人に会えることがあります。
先週、私は40年ぶりに幼なじみ、数人と再会しました。

私が育ったのは東京の武蔵野。
「ととろ」でも描かれている雑木林や畑のたくさんある所です。
幼なじみとの会話は小学校時代の懐かしい思い出がいっぱい。

父と母は清瀬市にある国立K病院(療養所)に勤めていたので、
私と妹はこの中にある宿舎(官舎)で幼少時代を過ごしました。
昭和30年代の官舎は、もちろん木造(2階建てでした)で、共同の炊事場。
さらに共同浴場までありました。

この浴場の釜焚き場には『千と千尋』の「釜じい」みたいなおじいさんがいて
火がごうごうと燃えている釜のなかに石炭をくべていました。
暗い半地下の釜焚き場は、ちょっぴり怖かったことを覚えています。

浴場は官舎の人たちの社交場、子どももここでよく遊びました。
ふだんは缶蹴りかな、、それに夏には花火もしました。
雑木林の奥にはひょうたん池や桜の苑(桜の木が何十本もあった)があり、
赤土がボンボン舞い上がる自動車練習場までありました!



こんな懐かしい思い出話をしていたら、あっという間に時間がたってしまいますね。

さて、私の母は一時、狭山丘陵の『八国山緑地』にある『新山手病院』に入院していました。



そこはトトロのさつきとめいのお母さんが入院していた七国山街道の七国山病院のモデルだということです。
私は何度も母の見舞いにこの病院を訪れましたが、
トトロの舞台は絶対に自分の住んでいた場所の方が合っている、、
そんなふうに今でも思っているのです(笑)


『トトロ』については下記のホームページが詳しいと思いますよ。
http://www.geocities.jp/akutamako/totoro.html



航空公園駅前のパン屋さんのトトロあんぱん





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波の間や小貝にまじる萩の塵

2011年07月15日 | 家族(息子・夫・ネコ2匹)


松尾芭蕉が越前を旅したときの句です。

波の間や 小貝にまじる 萩の塵

<句意>
波の引いたあとに(西行法師が詠んだ美しい)ますほの小貝にまじって萩の花屑がが散っている。

ますほの小貝とは大きさが1センチにも満たない桜色の美しい貝のことです。
波間の萩の花びらとますほの小貝、淡いピンクが重なって漂う、、、


萩の花は秋になると房が重なったように朱紫色の花を咲かせます。
また、萩は毎年春になると、必ず芽吹く、、、
『生(は)え芽(き)』が語源だということです。




実は
母が日曜日に亡くなりました。
母の名前は『小萩』です。

きれいな名前だと、思います。













ざくろ(柘榴)坂

2011年07月09日 | 友だちの友だち



今日はザクロ坂のあたりを歩きました。
暑いのに、、、

でも、人と待ち合わせしたホテルのカフェは猛暑だからこそ
よけいに快適な涼しさ。
それに外の緑の間から見えるプールも気持ちよさそう、、、。

写真を見てください。
テーブルに樹々が映っているでしょう。

ホテルのカフェは少々値段がはりますが、静かで落ち着いていて
隣のテーブルとの距離も十分です。
だから誰にも邪魔されずに読書ができます。
それにコーヒーは何杯でもお替わり自由(と言ってもそれほど飲めませんが)

今日は待ち合わせより1時間半ほど早く着いて、
本を読んだり、窓の外を眺めたり、うとうとしたり。
楽しい自分の時間を過ごしました。

友人は時間ぴったりに到着。
まだまだ陽射しが強かったので、しばらくこのカフェでおしゃべりして過ごしました。



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ブログに書くこと

2011年07月09日 | おもちゃ箱


このブログもいつの間にか、書き始めてから4年が過ぎました。
いつもブログを読んでくださって、本当にありがとうございます。

個人的なブログなので、読者をがんがん増やそうとかを目指しているのではなく
地道に思ったことをメモ的に綴ってきました。
最近はブログを書く回数がめっきり減ってしまいましたが、
それでも、いつも訪れてくださる方がいて、感謝です。


ここ数ヶ月、趣味の歴史ものを扱っている記事が増えてきました。
最初は何の気なしに書いていたのですが、
あるときから、ブログの内容の資料をどこから持って来たか、できる限り書くようにしています。

今年初め、明治時代に日本に来た宣教師について書いた時に
ウィキペディアから資料をとりました。
しばらくして、そのウィキペディアの筆者から連絡が来ました。

『資料を参考にしてくれてありがとう。ところで、、、、という点にについて
ちょっと伺いたいのですが、、。』
というような問い合わせでした。

ちょっと嬉しかったです。
歴史に関しては全くの素人で、趣味なのですから、、、。

それと同時に
ブログに書く、というのは、不特定多数の人の目にとまるのだ、ということを改めて確認。

読んでくださっている人たちとの心地よくさりげない関係が続いて行くといいな~、と思っています。
5年目に入ったこのブログを
これからもどうぞよろしくお願いいたします。




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あじとクニマス

2011年07月09日 | おもちゃ箱


以前、我が家のすぐそばの回転寿し屋でアルバイトをしていた中国人留学生は
魚の研究をしていました。
さかなの研究をしている大学院生が寿司を握って(巻いて)いるのだから、
ちょっとおもしろいです!

彼の研究は「あじ」の心臓の研究でした。
指導教官は「あじ」の心臓の鼓動の研究の世界的権威なのだそうです。
あじの心臓の鼓動が1分間に何回あるか、なんていうことも調べるのだそうです。
ぎょぎょっ、、、。

かなりマニアックな研究です。
(あ、でも研究はみんなマニアックかもしれませんが)

今日、授業で東京海洋大学客員准教授でタレントのさかなクンのニュースを見ました。
(正確に言うと、リスニングの授業で聴きました)
つい最近、絶滅種に指定されていたクニマスを70年ぶりに確認した、功労者です。
ニュースの中で
日本魚類学会の会員である天皇陛下はご自身の77歳のお誕生日の記者会見で
さかなクンの名前を挙げ、クニマスの発見はとても嬉しいことです、とおっしゃっていました。


中国から来た自称「おたく」、アニメを見ながら独学で日本語を勉強してきた
Aさんが
『さかなクンはさかな「オタク」ということですか。』と質問しました。

確かに、さかなクンは大学でさかなの勉強をしたわけではなく、さかなが大好きで大好きで
たまらなかったのですから、「さかなおたく」と言えないこともないかな、、、

このさかなクンを准教授に推した東京海洋大学の関係者の先生たちがすごいな~、と思います。
記者会見では下記のような東京海洋大学学長(司会)のコメントがあります。

司会)さかなクンは動揺しているのでそろそろ(会見を)終わりにしたいと思いますが、
クニマスの生存確認にいたったさかなクンの好奇心、わたしは彼を客員准教授に任命したときに、
思ったのは、答えのない問題に、チャレンジするさかなクンの姿勢。
これは非常に大きいものがあります。
こういうところを子どもたちにメッセージとして伝えて欲しいなという気持ちでお願いをした経緯があります。

インタビューの全文は下記にあります。
全部読むと、さかなクンの「さかな」に対する熱意と愛情が伝わってきます!


http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/100/68347.html


これから、何をしたいか、を考える時に、さかなクンみたいな生き方もあるって
子どもたちが知ることも、悪くないな~、と思いました。





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ご縁あり

2011年07月06日 | 友だちの友だち


ある研修会に参加しました。
15人ほどの参加者が集まり、3時間一緒に課題をこなします。

ここで、以前、別の研修会で偶然隣の席になったAさんといっしょになりました。
それも、15人の中でグループ(開催者が決定)を作るのですが、
そこでもいっしょに。

ご縁がありますね。

実は住んでいるところもAさんは同じ私鉄の2駅先。
研修終了後も、いろいろおしゃべりをしながら帰りました。

Aさんはカウンセラー。
人の話を聴くのがとっても上手です。
ということで、少々最近の私の動向を聴いていただきました。

いいですね。
聴いていただきながら、自分の方向性というものを確認できました。
夜遅くなりましたが、心地よい1日の〆になったと思います。

今後のAさんのさらなるご活躍を心から願っています。




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においのあるコミュニケーション

2011年07月03日 | 家族(息子・夫・ネコ2匹)



長男とはスカイプを通し、よく話をしている。
パソコンのまわりには長男が可愛がっているネコたちがいつも寝そべっているが、
どんなに長男が呼びかけても、反応はほとんどない。




『声も忘れちゃったのかな~?
 においがしないとダメなのかな~?』

世界がどんなにインターネットなどでつながって便利になっても
そばにいないとうまくいかないコミュニケーションもあるってことかな。


そんな長男が来週、帰国する。
昨年の8月に上海に行ってから、11ヶ月目である。

実は6月第3週に授業は終わってしまったが、その後、大学の友人や
知人が上海に来る、ということで、まだ滞在したままだ。
現在は主人の両親が3泊4日の予定で、上海旅行中である。
(主人の父は90歳、母は85歳である、、、すごい!)


長男の寮の部屋


『そろそろ帰国だけど、中国ってどうだった?』

と聞いてみると

『ビミョ~。面白いところもあるけど、そうじゃないところもある。
 今は早く帰国したいという気持ちでいっぱい。』

と言っている。




帰国したら、早速アルバイトを始めるそうだ。
そして、『就活』

大学生の夏は忙しい。





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褒める達人検定試験

2011年07月02日 | ボランティア


資格試験はとてもお金がかかります。
私もいくつか資格を持っているけれど、これを維持するために
年間少なくとも2、3万円かかってしまいます。

でも、日本は資格社会です。
どんなライセンスを持っているか、それがけっこう将来を左右したりしますよね。

ところで、『褒める達人検定試験』という、すごくユニークな試験があることを知りました。

略して「ほめ達!」

「ほめ達!」=「ほめる達人」。
目の前の人や物・商品やサービスなどに独自の切り口で価値を見つけ出す価値発見の達人、
ということなのだそうです。

ほめ達の発祥の地は大阪。
現在は福岡、東京でも検定試験が行われるそうです。

確かに誰でも褒められると悪い気はしません。
そこからコミュニケーションが広がって行くこともあります。

もしかしたら、こんな試験に合格していた方が、実社会で役に立つかも。
興味のある方は下記のアドレスを参考にしてください。

http://www.cs-hospita.jp/cs/hometatsu2011.html





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品川宿を歩く~土蔵相模

2011年06月30日 | 歴史の中の1ページ



京浜急行北品川駅は京浜急行本線の中で最も人の乗り降りの少ない駅ですが、、、
今は昔、このあたりは東海道で日本橋につぐ第一番目の宿場として繁栄をきわめた品川宿でした。
旅籠百軒としても有名です。

私たちはこの旧東海道沿い(歩行新宿)に25年以上住んでいますが、ここに
江戸時代、品川宿のなかでも高級妓楼として知られた『相模屋土蔵』があります。
漆喰の土蔵造り、外壁がナマコ壁だったことから「土蔵相模」と通称されていたそうです。



実は、土蔵相模、我が家から2、3分の距離です。

幕末には土蔵相模には「志士」たちが出入りしました。
特に文久2年(1862)12月12日夜、高杉晋作、井上馨、伊藤博文ら長州藩の志士が品川御殿山に建設中の
英国公使館焼き討ち事件を起こしたときは、その集結地となったそうです。
また、桜田門外の変決行前夜、浪士たちが別杯を交わしたのも相模土蔵だったそうです。

そんな由緒ある『土蔵相模』は私たちが旧東海道に引っ越してくる前の年に取り壊されてしまいました。
現在は『ファミリーマート』とマンションになっています、、、。

さて、北品川の駅まえで、『土蔵相模』にちなんだお芝居の案内を見つけました。



巣林舎第9回公演in品川宿  楽間
近松門左衛門作『義経土蔵相模』
夜7時開演 
(6月22日から7月3日まで)




さて、写真は相模土蔵のお隣にできた『ゲストハウス』



3月11日以前には外国人でにぎわっていましたが、最近は日本人のビジネスマンの宿泊が多いそうです。
平成の時代、宿屋はこのゲストハウスとウィークリーマンションだけになってしまいました。




写真は街角の路地にある井戸。迷路のような小道が北品川界隈にはめぐらされていて、お女郎さんが逃げた時に
逃げ切れないようになっていた、、、と言われています。


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遠いところへ

2011年06月27日 | 歴史の中の1ページ


あ~、どこかとおい所にいってみたいな~、と思った。
『遠いところ』とパソコンに入れて検索したら

遠いところをわざわざおいで下さり、ありがとうございました。
Thank you for coming all this way to meet with us.

というフレーズが出てきた、、、!



遠いところは、もしかしたら過去、明治時代あたりかもしれない。
新しい国を作るためにみな活き活きと動いていた。
誰もが新しい国を語れた。

これは『仁~Jin』に影響され過ぎかな、、、。




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バザールでござーる

2011年06月26日 | 食いしん坊


シルクロード沿いの国々のバザール(市場)に行くと、
お店の人たちに『バザールでござーる』と言われる。
もちろん日本語で。
それも
中国の新疆ウィグル自治区からトルコ、エジプトまで、、、。

どうやらシルクが伝わったのとは逆に
日本語の「バザールでござーる」が西へ西へと伝わっていったようだ。

昨日は新宿のトルコレストランで知人たちと食事をしたが、
途中、ベリーダンスショーがあって、大いに盛り上がった。
このダンスもシルクロード沿いの国ではどこでもやっていそう、、、。

写真のダンサーは日本人だが、スタイルがほんとうによい。
しかし、
トルコやエジプトでベリーダンスを見た時には
腰のくびれは想像以上、お尻や胸も立派な女性ダンサーたちで
まさに千夜一夜物語の世界、、と感嘆したものだった。
一方で、日本人のダンサーはスタイル抜群だけれども、立体感、圧倒感には少々欠ける。


とはいうものの、すごく楽しめた食事会だった。
だけど、コース料理はちょっと少なめだったかな~、、、。
ショーやおしゃべりをしていて、その時はあまり気がつかなかったけれど。




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