あいにくの雨の土曜日。
こんな時こそ、原発事故や震災被害の状況、脱原発運動の課題など、たまったスクラップに
じっくり目を通してみたいもの。
「ぶんぶん」メンバーのNMさんから届いたメールを紹介します。
南相馬市、Kさんの話
つい最近福島で出会ったKさんから朝早く思わぬ電話が入った。福島第一原発20キロ圏内の南相馬市小高に住んでいたため、3.11以降そこから10キロはなれた仮設住宅でご主人と避難生活をしておられる。
空間線量は徐々に下がってきて0.2ぐらいだが、インフラが整備されていないので家には戻れない。2年も放置していたので雨漏りをはじめあちこち傷みが激しく、この夏やっと修理に入るそうだ。
家の整理にちょくちょく帰るが、昨年秋ごろからネズミが発生し対応にいそがしい(その体内被曝はとても高いそうだ)。ひとつは着の身着のまま町を出たが家庭内ごみは2年以上経た今やっと収集がはじまったせいもある。周辺ごみは線量関係で引き受けるところの反対もあって、庭においてあるまま、そんな段階だそうだ。
浪江、双葉の少し北、小高に生まれ結婚し千葉にいたが、10年ほど前親の旅館を手伝うため若女将として戻ることになった。比較的大きな家に住み慣れている福島の人たちが、4畳半二間の仮設に閉じ込められての2年は、身体的にも精神的にもきつい。「私とちょっと替わって住んでみて!」お役人や議員さんに言いたいと、何度も繰り返された。
畑仕事をしたり、花を植えたり、家の周りに手を入れたり、なんでもない日常がなくなり、環境の大変化に適応できず、体力は落ち、歩けなくなった人、持病の悪化はじめ病んでいく人、亡くなっていく人、と仮設住宅の現実だ。たらの芽、ふきのとう、春ランと山菜とりも出来なくなって初めてその貴重さをしみじみ感じている。
今のささやかな希望、それは離れて住む子どもたちがたまに家族ともども帰ってきたとき、共にくつろぎ、話せる空間があればどんなに心強いだろうかと思っている。
地区の集まりは別として行政の催す全体説明会は震災後一度も開かれていない。住民はばらばらにされたままだ。数え切れないほどの不自由、何かにつけ要望があっても我慢していると、おかしくなりそうだ。大丈夫と言われ、この地区の線量値が提示されてないのにたまりかねた夫が南相馬市長に内容証明つきで手紙を書いたが、何の返事もなかった。首相官邸宛てにも書いたが「ご意見ありがとうございます」と中身のない形式的な返事だった。この地区は見捨てられているのでは、と小高の人たちは思っている。
市宛ての復興予算数百億を使い切れず半分返還したとの話もある、と聞いて耳を疑った。Kさんはちょっと考えただけでも焼却炉建設、再生エネルギー設備、井戸水を検査してもらう計測器(今年は高額すぎるとの理由で断られた……いくらでも考えられるではないかと言う。なぜ、緊急のところから、少しでも再生のため、住民の声を聞いて動いてくれないのだろう。
彼女によると、あまりに事務処理が煩雑で自治体もやりきれないのでは、と思いやりある見方をしていらした。震災後まもなくできた「小高再建街づくりの会」で若者が新鮮なアイデアを出しても、行政や年上の人が却下してしまう。若者を育てるのでなく、足を引っ張る、それは悲しい話だ。
「私たちは前へ進みたい、何事もグレーゾーンにあるあいまいな話ではどう決断してよいのかわからない。」健康上、経済上保証はないのに行政は帰郷を促す。また雇用を生み出すとの理由で大手企業誘致など、大きなお金が動くものを優先し、人が後回しに見える。
一気に話すのを聞きながら、抱えている諸問題の多さ、複雑さに、とてもついていけないほどだった。
「私たち、お金ではないの。この事実を伝えてほしいんです。」
「こうして話しているのが私のリハビリ。」
1時間以上おしゃべりしながら、こちらにいて情況がとても分かっていないのだとまた知らされた。時々それは明るい笑い声を上げるKさん、現実とずれている為政者を笑い飛ばさないとやっていられないのだろう。ご主人がボランティアで取り組む線量測定のデータを今度送ってもらう約束をして電話を切った。
廃墟と化した常磐線の小高駅(昨年8月、M&M撮影)
駅前商店街の民家の軒先で休むボランティア(同)
■編集部注:《福島県内の環境放射線量の測定値》
*測定時刻=5月4日午後5時の数値(『福島民報』から)、単位はマイクロシーベルト/時間
福島市0.36 郡山市0.23 会津若松市0.08 いわき市0.09 飯館村0.75 伊達市:小国0.38
双葉町:山田多目的集会場付近16.19 大熊町:夫沢3区地区集会所29.16 浪江町:大柿簡易郵便局11.52
南相馬市:高の倉ダム助常観測所2.12 同:鉄山ダム3.78 同:小高中0.25
こんな時こそ、原発事故や震災被害の状況、脱原発運動の課題など、たまったスクラップに
じっくり目を通してみたいもの。
「ぶんぶん」メンバーのNMさんから届いたメールを紹介します。
南相馬市、Kさんの話
つい最近福島で出会ったKさんから朝早く思わぬ電話が入った。福島第一原発20キロ圏内の南相馬市小高に住んでいたため、3.11以降そこから10キロはなれた仮設住宅でご主人と避難生活をしておられる。
空間線量は徐々に下がってきて0.2ぐらいだが、インフラが整備されていないので家には戻れない。2年も放置していたので雨漏りをはじめあちこち傷みが激しく、この夏やっと修理に入るそうだ。
家の整理にちょくちょく帰るが、昨年秋ごろからネズミが発生し対応にいそがしい(その体内被曝はとても高いそうだ)。ひとつは着の身着のまま町を出たが家庭内ごみは2年以上経た今やっと収集がはじまったせいもある。周辺ごみは線量関係で引き受けるところの反対もあって、庭においてあるまま、そんな段階だそうだ。
浪江、双葉の少し北、小高に生まれ結婚し千葉にいたが、10年ほど前親の旅館を手伝うため若女将として戻ることになった。比較的大きな家に住み慣れている福島の人たちが、4畳半二間の仮設に閉じ込められての2年は、身体的にも精神的にもきつい。「私とちょっと替わって住んでみて!」お役人や議員さんに言いたいと、何度も繰り返された。
畑仕事をしたり、花を植えたり、家の周りに手を入れたり、なんでもない日常がなくなり、環境の大変化に適応できず、体力は落ち、歩けなくなった人、持病の悪化はじめ病んでいく人、亡くなっていく人、と仮設住宅の現実だ。たらの芽、ふきのとう、春ランと山菜とりも出来なくなって初めてその貴重さをしみじみ感じている。
今のささやかな希望、それは離れて住む子どもたちがたまに家族ともども帰ってきたとき、共にくつろぎ、話せる空間があればどんなに心強いだろうかと思っている。
地区の集まりは別として行政の催す全体説明会は震災後一度も開かれていない。住民はばらばらにされたままだ。数え切れないほどの不自由、何かにつけ要望があっても我慢していると、おかしくなりそうだ。大丈夫と言われ、この地区の線量値が提示されてないのにたまりかねた夫が南相馬市長に内容証明つきで手紙を書いたが、何の返事もなかった。首相官邸宛てにも書いたが「ご意見ありがとうございます」と中身のない形式的な返事だった。この地区は見捨てられているのでは、と小高の人たちは思っている。
市宛ての復興予算数百億を使い切れず半分返還したとの話もある、と聞いて耳を疑った。Kさんはちょっと考えただけでも焼却炉建設、再生エネルギー設備、井戸水を検査してもらう計測器(今年は高額すぎるとの理由で断られた……いくらでも考えられるではないかと言う。なぜ、緊急のところから、少しでも再生のため、住民の声を聞いて動いてくれないのだろう。
彼女によると、あまりに事務処理が煩雑で自治体もやりきれないのでは、と思いやりある見方をしていらした。震災後まもなくできた「小高再建街づくりの会」で若者が新鮮なアイデアを出しても、行政や年上の人が却下してしまう。若者を育てるのでなく、足を引っ張る、それは悲しい話だ。
「私たちは前へ進みたい、何事もグレーゾーンにあるあいまいな話ではどう決断してよいのかわからない。」健康上、経済上保証はないのに行政は帰郷を促す。また雇用を生み出すとの理由で大手企業誘致など、大きなお金が動くものを優先し、人が後回しに見える。
一気に話すのを聞きながら、抱えている諸問題の多さ、複雑さに、とてもついていけないほどだった。
「私たち、お金ではないの。この事実を伝えてほしいんです。」
「こうして話しているのが私のリハビリ。」
1時間以上おしゃべりしながら、こちらにいて情況がとても分かっていないのだとまた知らされた。時々それは明るい笑い声を上げるKさん、現実とずれている為政者を笑い飛ばさないとやっていられないのだろう。ご主人がボランティアで取り組む線量測定のデータを今度送ってもらう約束をして電話を切った。
廃墟と化した常磐線の小高駅(昨年8月、M&M撮影)
駅前商店街の民家の軒先で休むボランティア(同)
■編集部注:《福島県内の環境放射線量の測定値》
*測定時刻=5月4日午後5時の数値(『福島民報』から)、単位はマイクロシーベルト/時間
福島市0.36 郡山市0.23 会津若松市0.08 いわき市0.09 飯館村0.75 伊達市:小国0.38
双葉町:山田多目的集会場付近16.19 大熊町:夫沢3区地区集会所29.16 浪江町:大柿簡易郵便局11.52
南相馬市:高の倉ダム助常観測所2.12 同:鉄山ダム3.78 同:小高中0.25
経営者の女性が植えたという花の鉢が並ぶ小高駅前の旅館前……。これって、このレポートのKさんのことでは?