ぶんぶんトークの会 ~横浜市栄区で脱原発に向けてあらゆる方法を勉強し話し合い行動する会~

本郷台の「SAKAESTA」で毎月第3日曜日に定例会を開いてきましたが、都合により当分の間、会合を見合わせています。

技術員さんの心意気(トクトク通信10/31号) ふたつめ

2013-10-31 14:34:28 | 日記
先日、娘の通う小学校へ行ったとき、技術員室の前を通りかかって
「ん?」と立ち止まりました。
ちなみに、技術員さんは、昔で言う用務員さんのような仕事をしてくださってます。
ワタクシの足を止めたのは、オスプレイの写真でした。
技術員室の前に、オスプレイの写真が貼ってあったのです。
その他にも、自衛隊?米軍?の飛行機の写真が何枚か。
どういう意図で貼ってるのかな、と思ってよく見ると、
ちいさくコメントがついていました。
「○○型 グラウンドの上空を△△の方向から□□の方向へ飛んでいます」
というように、飛行機の型番っていうんでしょうか、そういう番号みたいなものと、
飛んでいった方角が書いてあったのです。
(うろ覚えですみません。今度学校へ行ったら、よく見てきます)

これは、と思って、その次に学校へ行った時に、技術員さんに、
神奈川新聞に連載された記事を手渡しました。

「終わらぬ不条理 横浜・米軍機墜落36年」と題して、3回にわたって連載された記事です。
そのとき、少しお話をしました。
あの写真を貼ったのは、学校の上を、けっこう頻繁に自衛隊だか米軍の飛行機が飛んでいる
ということをみんなに知ってほしい、という気持ちからだそうです。
(さかえトクコ)



小泉純一郎(トクトク通信10/31号)

2013-10-31 14:23:35 | 日記
いろいろ賑わせてます。小泉純一郎。
言ってることはまっとう。
いや、なにか裏がある。
等々。
裏があるとしても、せっかく流れを作ってくれているのなら
そこに乗っかって、さらに大きな動きにしていくのが、
ワタクシ達市民グループの役割なんじゃないかな、と思います。

余談ですが、ワタクシの甥は「じゅんいちろう」という名前です。
小泉純一郎とは、ちょっと字が違うんですが。
小泉旋風の頃生まれたので、そう名付けたそうです。
それもあって、なんだかんだ言っても、あのとき原発ゼロへの道筋を
つけてくれたよね、と亡くなる時には世間で言ってあげられるような
そんな小泉純一郎であってほしいです。
(さかえトクコ)

通販生活2013秋冬号(トクトク通信10/19号)

2013-10-19 09:03:38 | 日記
ワタクシは、もう20年近く「通販生活」の読者です。
スペシャル会員でもあります。
通販っていうくらいですから、お買い物のできる雑誌なのですが、
これまでも世の中へ向けたいろんな発言をしてきました。
今回の2013秋冬号は、これまでにも増して「原発ゼロ」の主張が強い
と感じました。
まださらさら~っと目を通しただけなので、これからじっくりと読みたいと思います。
(さかえトクコ)

比率(トクトク通信10/9号)

2013-10-09 14:24:50 | 日記
先日、幼稚園のときの、こういう話ができるママ友さんと話していて、
「前に近所のお母さんたちにチラシをポスティングしたことがあるけど、
反応があったのは10枚くらい入れたうちのひとりだけだった」
と言ったら
「10人にひとりって、いい割合じゃないかな、と思った」
と言われました。

確かにそうかもしれません。
むしろ、10人のうちひとり、メールをくれた人がいたというのは、
多いのかもしれません。

以前に高校の先生をしているメイさんが、学校で原発についての話をして
生徒に作文を書かせたところ、この問題についてよく考えて書いてきたのは
ひとりだけだった、ということでした。

(過去の記事「危ういぞ日本!高校生からの手紙」に載っています)

ひとクラス30人として、30分の1。

神奈川新聞に「めだか、太平洋を往け」という重松清さんの小説が連載されています。
主人公のアンミツ先生と、かつての教え子で今は教員になったテンコさんが被災地を訪れます。
クラスの子どもたちに、被災地のことを伝えたいと思うテンコさんに、アンミツ先生が言います。
「教室に三十人いるうちの、たった一人にでも伝わったら、それはすごいことなんだから」

デモに来るひとりの後ろには、100人の同じ気持ちの人がいる、
と誰かが言ってました。
13日のデモには、ワタクシも参加しようと思っています。
http://sayonara-nukes.org/2013/07/131013nnd/
(さかえトクコ)



映画『少年H』を観て *ぶんぶん交流サロン(寄稿)

2013-10-04 18:53:23 | 日記
「戦争の足音」聞こえませんか?  ~『少年H』(降旗康男監督)を観て~   by T&T

『日米同盟の正体』『戦後史の正体』などの著者、孫崎享(元外務省国際情報局長)さんがツイッターで推奨されていた『少年H』を観て来ました。観客は10名足らずでした。

  

ご存じのように原作『少年H』(1997年、講談社)は、妹尾河童さんの自伝的小説で、舞台は神戸の下町。昭和14年(肇(はじめ)少年=「H」は小学3年生)から戦後の数年間を生き抜いた家族の物語です。

洋服の仕立て屋だった父(水谷豊)は、「H」を伴って、お客さんである様々な外国人(英・仏・独)のところへ洋服を届けに行き、折に触れて身をもって「人種差別はあかんで」ということをやさしく教えていた。胸に「H」の編み込みセーターを来ていた少年は、友達と元気に遊び、両親の温かいまなざしのもと、ちょっとハイカラな「絵に描いたような」楽しい暮らしをしていた。昭和16年12月8日までは。

太平洋戦争が勃発するや、周囲ではおそろしい出来事が次々に起こる。大好きなうどん屋の兄ちゃんがしょっ引かれ、「おかま」の映画館のお兄さんも、一旦召集されたが行方不明の後、自殺死体で発見される。その直後、父までもスパイ容疑をかけられ連行される。
一家はクリスチャンで、職業上、外国人との交流があった。極めつけは「H」がアメリカに帰った宣教師からもらった1枚の絵ハガキだった。エンパイアステートビルの写ったそのハガキを友達に自慢してまわった「H」も、学校の机に「スパイ」と書かれるようになり、先生からもなにかと目の敵にされる。

戦争が始まった日、摩天楼、自動車、航空機等アメリカの圧倒的な国力を感じていた父子はとてつもない不安に駆られる。「H」は「なんで、あんな大きいアメリカに戦争をしかけたんや?」と父に訊ねる。「僕もわからんのや。僕らはなにも知らされてないのや。新聞やラジオが本当のことを言うわけではあらへんのや。そやけど上の人たちにはなんか考えがあってのことやろう」といい、「気をつけんとあかんよ」と諭す。しかし、「H」はこの戦争はおかしいと思い、「おかしい」ことを「おかしい」と言い続ける。彼の「一言多い」性癖が、彼の中学時代を灰色に覆う。………

その後は、是非是非ご覧になってください。
本を読んだ当初はさほどにも感じなかった「戦争」が今ここで起きている状況と重ね合わせて見ているせいか、ひしひしと迫ってきて、恐怖に身が震えました。戦争という、少なくとも庶民にとってまったく無益なものが、ある日突然始まるのです。

これは過去の物語ではありません。今、日本で起こっていることだと思います。日本国憲法の改訂を視野に、安倍政権は、秘密保護法、集団的自衛権容認、非核3原則の放棄、防衛力増強、日米同盟強化を推し進めようとしています。少年「H」の時と違うのは、私たちはまったく状況を知らされていないわけではないことです。「ある日突然」そんな状況に直面しても、「知らされていなかった」ではすまされないのです。戦争をしたい人々の仕掛けてくる矢をひとつひとつ振り払いながら、庶民は抵抗を示す時が来ているのではないでしょうか?(T&T)

   

◆映画『少年H』は港南台シネサロン(☎045-831-3377)で上映中。
10/7~11 10:45~  15:50~  18:30~
土日は時間が変わります。お問い合わせください。

福島原発告訴団、くじけず責任追及へ

2013-10-01 00:17:31 | 日記
NHK「あまちゃん」が終わって、「あまちゃんロス」現象が日本全国を覆っているというのですね。
30日のマスコミ報道によれば平均視聴率は20.6%でそれほど高くなかったのですが、とにかく
右も左も、老いも若きも、すっかり落ち込んでいる(笑)とか。

 あまちゃん、昨日が最終回でした。
 さみしいです。終わってしまって。

 なんだか福島は置いてけぼりになってしまったように感じます。

――「トクトク通信9/29号」にも、そうあります。

でも「ノー・モア・フクシマ」。福島の被害者たちはくじけていませんよ。
アキの祖母で通称「夏ばっぱ」、袖が浜の海女クラブ会長の天野夏(宮本信子)と比べるとちょっと若
いけれど、福島原発訴訟の告訴団長もまた笑顔が素敵なシニアの女性なのですね。

さて、福島原発告訴団が検察による不起訴処分を不服として29日に郡山で開いた集会で、東京の
検察審査会に対して審査を申し立てた、という記事が大きく載りました。


以下、毎日新聞 2013年09月30日 地方版の記事を転載します。

東日本大震災:福島第1原発事故 東電幹部不起訴 告訴団、検審申し立てへ 
150人が参加し決意「くじけず責任追及」
 /福島

 
 東京の検察審査会への審査申し立て
 を語る武藤団長

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、東京地検が東電幹部や政府関係者全員を不起訴処分にしたことを受け、「福島原発告訴団」は29日の集会で、処分を不服として10月16日に東京の検察審査会へ審査を申し立てることを決めた。武藤類子団長は「不起訴にくじけることなく、東電の責任を追及しましょう」と訴えた。原発事故の責任を問う判断は、市民から選ばれる検察審査会に委ねられることになった。
 検察審査会は、選挙権を持つ市民の中からくじで選ばれた11人が、検察の不起訴処分に対して議論する制度。そこで2度「起訴議決」が下されると、強制的に起訴の手続きが取られる。
 起訴議決は、11人のうち8人以上の賛成が必要だ。保田行雄弁護士は、「ハードルは高いが、審査会では、申立人が証人の尋問などの申請を行うことができる。こちらから働きかけて、起訴を勝ち取っていくのが今後の闘い」と話した。
 この日の集会は、郡山市熱海町熱海のユラックス熱海で開かれ、県内を中心に全国から告訴・告発人約150人が参加した。武藤団長は「いばらの道は覚悟していた。気持ちを切り替えて、新たな道を進みましょう」と発言。避難区域に指定されている大熊町からの避難者らがマイクを持ち「このまま虫けらのように扱われるのは許さない」「私たちは人間だ。東電の責任を問うため、最後まで闘いましょう」と訴えると、会場から拍手が沸いた。【三村泰揮】