3月11日 郡山の集会に参加されたNMさんからレポートが届きました。
たんぽぽ舎の呼びかけ 2年目の3.11集会
「3NON の女達・ウオークin 郡山」に参加しました。
3つのNONとは
NON ニュークス、
NON バイオレンス、
NON セクショナリズム、NOWAR
などなど、各自自由な意思表示でどうぞ……。
元気いっぱいの40代~60代ぐらいの女性が目立っていました。
郡山駅前の広場に横断幕、旗、鳴り物を持って集まる人たちに、
東京組あわせ全部で150人ほどのささやかなデモ。
そこへ武藤類子さんも出迎えにこられました。
デモは3列でゆっくりと一番の目抜き通りを行きます。
「子どもの疎開訴訟」で中心的に働く黒田さんがマイクを取って、
「福島の皆さん、声を上げてください! 子ども達を守って! 逃がしてください!」
と声ふりしぼるように話しかけました。
なんと、バスの窓から私達を見ていたおじいさんがそっと手を振り、
何度も何度もお辞儀をしていました。
昨年は郡山の開成山球場で開かれた数万人の大集会後のデモが、あまり人気のない所を
通らされ、しかもあっという間に終わった事もあって、今年申請に行ったAさん、
「今度こそメインストリートを歩くは絶対譲るまい」と決意していたそうですが、
遠慮して「歩道を行きます」と言うと、年輩の警部さんが
「皆さん、車道を堂々と歩いてください! ゆっくりウオークしてください。」
横浜や東京でいつも警官につめろとせかされてばかりいる私達には意外な暖かい言葉です。
さらに警部さんに「現場を見に行きましょう」とパトカーに乗るよう誘われたときは、
Aさん、内心こわかった。
が、彼が話し始めたのは、「自分は母も息子も新潟に逃がしています。
ここの人が、一見、なんでもないように、普通に暮しているように
見えるかもしれないけれど、心は真っ暗なのです。」
また同乗していた若い警官は、水素爆発があったときの恐怖を
もうこれで自分はおしまいかもしれないと思ったと、話したそうです。
福島の人はおとなしいと言われることがあるけれど、
誰もが押しつぶされそうな情況のなか何とか生きている、
……それを知ってもらいたいのがわかり、
立場がある中で心を開いて下さったのがうれしく、現地での違いを強烈に感じました。
一方で幼い子も、中高生、それにOLたち、マスクをしているのを
ほとんど見かけないのはつらいです。
後で聞いたところでは、学校では生徒達に線量計を配っているが、
3ヶ月で回収してしまう。せっかく計っても累積量は知らされない。
情報公開しなければいけないはずの今とわかっていても、
親達にとって争いごとにしてなにが得になる?と考えてしまう。
こんなふうに、すべてあきらめさせるようになっているのですね。
構造上だけの問題でない、人の気持ちを逆手に取られているのがもどかしい。
デモしながら時々線量計で計ると、0.53~0.58。
降り積もった雪のところは、1以上もあったと聞きました。
それに比べ公の場、駅前、市役所横など、太陽光パネルがついた
大きくて立派な線量計は、0.23~0.26と他の場所に比べて低く、
福島の人たちは、測定機器が操作されていると話しています。
デモの終点近くの教組ビルで交流会になり、
伝説の「グリーナムの女たち」の記録映画を上映。
ナレーションをつとめた近藤和子さんの説明で、19年にわたる、
森をいわば解放区にした基地包囲闘争の、楽しくて、厳しく、
また力あふれる闘いに圧倒されっぱなしでした。
これはそのまま福島の女たちと重なってきます。
不信、不条理、不合理性、不公正にぶつかる毎日で、小さなうれしい事例をひとつ。
疎開している母子に会いに行く父親の交通費が(被災者援護法?でしょうか)
無料になったと聞きました。
郡山で出会った人たちを思いつつ、これからも福島に近くいたい、
福島を伝えていきたい、と気持ちを新たにしています。
たんぽぽ舎の呼びかけ 2年目の3.11集会
「3NON の女達・ウオークin 郡山」に参加しました。
3つのNONとは
NON ニュークス、
NON バイオレンス、
NON セクショナリズム、NOWAR
などなど、各自自由な意思表示でどうぞ……。
元気いっぱいの40代~60代ぐらいの女性が目立っていました。
郡山駅前の広場に横断幕、旗、鳴り物を持って集まる人たちに、
東京組あわせ全部で150人ほどのささやかなデモ。
そこへ武藤類子さんも出迎えにこられました。
デモは3列でゆっくりと一番の目抜き通りを行きます。
「子どもの疎開訴訟」で中心的に働く黒田さんがマイクを取って、
「福島の皆さん、声を上げてください! 子ども達を守って! 逃がしてください!」
と声ふりしぼるように話しかけました。
なんと、バスの窓から私達を見ていたおじいさんがそっと手を振り、
何度も何度もお辞儀をしていました。
昨年は郡山の開成山球場で開かれた数万人の大集会後のデモが、あまり人気のない所を
通らされ、しかもあっという間に終わった事もあって、今年申請に行ったAさん、
「今度こそメインストリートを歩くは絶対譲るまい」と決意していたそうですが、
遠慮して「歩道を行きます」と言うと、年輩の警部さんが
「皆さん、車道を堂々と歩いてください! ゆっくりウオークしてください。」
横浜や東京でいつも警官につめろとせかされてばかりいる私達には意外な暖かい言葉です。
さらに警部さんに「現場を見に行きましょう」とパトカーに乗るよう誘われたときは、
Aさん、内心こわかった。
が、彼が話し始めたのは、「自分は母も息子も新潟に逃がしています。
ここの人が、一見、なんでもないように、普通に暮しているように
見えるかもしれないけれど、心は真っ暗なのです。」
また同乗していた若い警官は、水素爆発があったときの恐怖を
もうこれで自分はおしまいかもしれないと思ったと、話したそうです。
福島の人はおとなしいと言われることがあるけれど、
誰もが押しつぶされそうな情況のなか何とか生きている、
……それを知ってもらいたいのがわかり、
立場がある中で心を開いて下さったのがうれしく、現地での違いを強烈に感じました。
一方で幼い子も、中高生、それにOLたち、マスクをしているのを
ほとんど見かけないのはつらいです。
後で聞いたところでは、学校では生徒達に線量計を配っているが、
3ヶ月で回収してしまう。せっかく計っても累積量は知らされない。
情報公開しなければいけないはずの今とわかっていても、
親達にとって争いごとにしてなにが得になる?と考えてしまう。
こんなふうに、すべてあきらめさせるようになっているのですね。
構造上だけの問題でない、人の気持ちを逆手に取られているのがもどかしい。
デモしながら時々線量計で計ると、0.53~0.58。
降り積もった雪のところは、1以上もあったと聞きました。
それに比べ公の場、駅前、市役所横など、太陽光パネルがついた
大きくて立派な線量計は、0.23~0.26と他の場所に比べて低く、
福島の人たちは、測定機器が操作されていると話しています。
デモの終点近くの教組ビルで交流会になり、
伝説の「グリーナムの女たち」の記録映画を上映。
ナレーションをつとめた近藤和子さんの説明で、19年にわたる、
森をいわば解放区にした基地包囲闘争の、楽しくて、厳しく、
また力あふれる闘いに圧倒されっぱなしでした。
これはそのまま福島の女たちと重なってきます。
不信、不条理、不合理性、不公正にぶつかる毎日で、小さなうれしい事例をひとつ。
疎開している母子に会いに行く父親の交通費が(被災者援護法?でしょうか)
無料になったと聞きました。
郡山で出会った人たちを思いつつ、これからも福島に近くいたい、
福島を伝えていきたい、と気持ちを新たにしています。