南相馬市が「脱原発都市」宣言
もうすでに旧聞?に属するのですが、南相馬市の桜井市長が25日の議会で「脱原発都市宣言」について報告、同日付けで告示したそうです。
一部会派の反対で議会での承認は得られなかったのですが、画期的です。で、以下は3月26日付けの「河北新報」の記事です。
南相馬市は25日、脱原発都市を宣言した。市議会3月定例会で桜井勝延市長が表明した。
宣言文は、東京電力福島第1原発事故による避難で多くの市民が命を落としたことに言及。「原子力災害を二度と起こしてはならず、世界に向けて脱原発のまちづくりを宣言する」とうたった。
宣言は2015年度から始まる市の復興総合計画の基本とする。市は30年までに市内の使用電力を全て再生可能エネルギーに切り替える目標を掲げている。
市議会では一部会派が「脱原発」の文言について「政府に弓を引いているようだ」などと反発。このため議会の同意は得なかった。
記者会見で桜井市長は「今も放射線の不安が消えず、原発事故は二度とごめんだというのが市民の感情。政府との立場の違いで、われわれが不利益を被るとしたら問題だ」と話した。
脱原発をめぐっては宮城県美里町が2012年9月、町議会と共催の集いを開き、核兵器廃絶と脱原発の実現を目指す宣言アピールを採択している。
脱原発都市宣言 (平成27年3月25日 告示第29号)
2011年3月11日、東日本大震災により南相馬市は未曾有の被害を受けた。
さらに東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い6万人を超える市民が避難を余儀なくされ、多くの市民が避難の中で命を落とした。
家族をバラバラにされ、地域がバラバラになり、まちがバラバラにされ、多くの人が放射線への不安を抱いている。
南相馬市はこの世界史的災害に立ち向かい復興しなければならない。
未来を担う子どもたちが夢と希望を持って生活できるようにするためにも、このような原子力災害を二度と起こしてはならない。
そのために南相馬市は原子力エネルギーに依存しないまちづくりを進めることを決めた。
南相馬市はここに世界に向けて脱原発のまちづくりを宣言する。
■ニュース:さくらパレード2015速報版
横浜・本郷台「さくらパレード」が1週間後に迫りました!
もうすでに旧聞?に属するのですが、南相馬市の桜井市長が25日の議会で「脱原発都市宣言」について報告、同日付けで告示したそうです。
一部会派の反対で議会での承認は得られなかったのですが、画期的です。で、以下は3月26日付けの「河北新報」の記事です。
南相馬市は25日、脱原発都市を宣言した。市議会3月定例会で桜井勝延市長が表明した。
宣言文は、東京電力福島第1原発事故による避難で多くの市民が命を落としたことに言及。「原子力災害を二度と起こしてはならず、世界に向けて脱原発のまちづくりを宣言する」とうたった。
宣言は2015年度から始まる市の復興総合計画の基本とする。市は30年までに市内の使用電力を全て再生可能エネルギーに切り替える目標を掲げている。
市議会では一部会派が「脱原発」の文言について「政府に弓を引いているようだ」などと反発。このため議会の同意は得なかった。
記者会見で桜井市長は「今も放射線の不安が消えず、原発事故は二度とごめんだというのが市民の感情。政府との立場の違いで、われわれが不利益を被るとしたら問題だ」と話した。
脱原発をめぐっては宮城県美里町が2012年9月、町議会と共催の集いを開き、核兵器廃絶と脱原発の実現を目指す宣言アピールを採択している。
脱原発都市宣言 (平成27年3月25日 告示第29号)
2011年3月11日、東日本大震災により南相馬市は未曾有の被害を受けた。
さらに東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い6万人を超える市民が避難を余儀なくされ、多くの市民が避難の中で命を落とした。
家族をバラバラにされ、地域がバラバラになり、まちがバラバラにされ、多くの人が放射線への不安を抱いている。
南相馬市はこの世界史的災害に立ち向かい復興しなければならない。
未来を担う子どもたちが夢と希望を持って生活できるようにするためにも、このような原子力災害を二度と起こしてはならない。
そのために南相馬市は原子力エネルギーに依存しないまちづくりを進めることを決めた。
南相馬市はここに世界に向けて脱原発のまちづくりを宣言する。
■ニュース:さくらパレード2015速報版
横浜・本郷台「さくらパレード」が1週間後に迫りました!